はてなキーワード: Fランとは
そこで↓のようなことを主張したくなってくる増田がでてくるわけと…Fランまでも大卒とひとくくりにする弊害を持つ学歴フィルターやめたら?ってノリでな
https://anond.hatelabo.jp/20240321152908
初任給は会社規定で中卒・高卒・大学学部卒・院卒それぞれ一律です。
>採用時、教育困難校の高卒が灘中卒の中卒よりも採用されやすさや、
成績証明書、入学過程・進学でなく就職を選んだ理由をヒアリングして判断します。
>あるいは灘高卒の高卒よりもFラン大卒の方が有利なのでしょうか?
同上です。
>学歴をみるのは、社会人として最低限の知識や常識があるかを推定するためだと思います。
いいえ。
社会人として最低限の知識や常識があるかを推定するためでしたら、
宜しくお願い致します。
学歴フィルターがあるところは学校歴は一切考慮しないのでしょうか?
たとえば採用時、教育困難校の高卒が灘中卒の中卒よりも採用されやすさや、採用時の初任給の額に対して有利なのでしょう?
あるいは灘高卒の高卒よりもFラン大卒の方が有利なのでしょうか?
学歴をみるのは、社会人として最低限の知識や常識があるかを推定するためだと思います。
ぶっちゃけ教育困難校卒よりは中卒でも灘中卒ならそっちのほうが常識も頭の回転の速さや柔軟さも上だと思います。
1249832814さん
2024/3/21 15:16
↑
「Fランは荒れてるわけではなくて覇気がない」みたいな意見をここ最近見るようになった
それで思い出すのが、俺みたいな35歳のオッサン世代の情報系の学部の連中なんだよね
情報系のやつらってパソコンが好きで得意だからこの道を選んだとかじゃなくて、しいて言うならゲームくらいしか趣味がないからなんとなく情報系に行きましたみたいな連中が多いんだよね
機械系とかは車大好き!みたいなやつらが多いんだけど、情報系はべつにPC好きでもない連中が多い
だから起業みたいな、学んだことを自分の武器にして社会にたいして何らかのアクションを起こそうなんて思ってないんだよね
その結果、日本のIT業界は三木谷、ホリエモン、孫正義、サイバー藤田、DeNA南場智子みたいに情報系以外のやる気のあるやつが活躍するんだよね前澤は高卒だし。
日本は小中高でろくに情報系の教育をしないから、陽キャが情報以外に行ってしまい、情報系がチー牛にとってのブルーオーシャンになってしまった
「きみは目に見えた成果を実感しないとメンタルを崩す」と言われたことがあって、自分でもそうだなあと思っていたのだけれど、ではどんな成果があれば自分は納得してくれるのか。
「褒められる」という成果があるけれど、褒められても気持ちとしてはほとんど変化がない。じゃあ褒めなくても良いかと言われると「なんでこんな誰にも褒められないことしてるんだろう」という思考になる。どうすりゃええねん。きっと自分で自分を心の底から本気で褒めなければ納得できない。
小学生の頃の夏休みの宿題とか、良かったな。読書感想文を良くするにはどうとかこうとかいろいろ指導されて(肝心な指導内容は忘れた)、それが成功して読書感想文の賞を貰えたことがある。自由研究も親の指導のおかげでなんかすごいトロフィー貰えた。トロフィー貰えるのってスポーツだけだと思ってた。
この頃は自分に自信が満ち溢れていたような気もする。褒め言葉も素直に受け止められた。今思うと自分の力じゃなくて親の指導が10割なんだけどね。
さすがにずっと逐一親が勉強の面倒を見てくれるようなことは10歳くらいから減って、そのうち中学生になった。
あのときの定期テストってシステムよかったな。わかりやすい目標が作れるし、頑張ったぶん点数貰えるシステムだった(?)し、定期的学年1位とかになれたときは確かに「自分は勉強ができる」という自己肯定感があったような記憶もある。結局狭い世界での出来事なんだけど。
高校でも定期テストに加えて資格勉強もした。基本情報技術者試験くらいなら一発合格だった。ここだけいまでもちょっと誇ってる。特に活かせる仕事をしているわけでもないのに。
大学については中退しているので何も良いことがない。躓いたとかじゃなくて行く価値がわからなくなった。こんなFラン大学は時間の無駄だ、進学先を間違えた。
書いてて気付いたけどこの頃にはもうクソ高いプライドが完成している。自分は優秀であるべきだと。
自分以外の人間と自分を比較したときに、自分は人より秀でていると実感することが、私にとっての自己肯定感かもしれない。
学校という狭い世界から出て、自分より秀でた人がゴロゴロ存在する世界でやっていかないといけなくなって、無価値さを感じて精神を壊す。結果、鬱(※)
少し休んで「これから再スタートできるかな」と思っても、周りは休まずスキルを上げていたのだからそこで置いてけぼり。見渡す限り自分より優秀な奴しかいない。出遅れた。もうダメだ。劣等感しかない。結果、鬱。
そうして完成したのはXで「病み垢」なるものをつくって自分より劣ってそうなやつを探し、「こいつよりはマシだな」って思ってるひきこもり。
ただ、最近病み垢を見ていても自己肯定感が保てなくなってきた。イジメや毒親を叩きながら必死にサバイブしているメンヘラを見て、自分はそんな環境一切無かったな……と感じる。だから自然と、環境ではなく自分に問題があるのだという理論にたどり着く。自分がいまダメダメなのは自分のせいだ。
今まで下だと思ってた奴らよりも劣っていることに気づいてしまった。結果、鬱。
どこでこんなにつまづいて、劣等感だらけになったのだろう。
※紆余曲折あったが、今の診断はASDと双極性障害となっている
余談
買おうとした服が小さかったのがショックで、2週間前から筋トレをしはじめた。とりあえず2週間続いた。まあ頑張ってるとは思う。
「それでも自己肯定感変わらないね」と言われたので(なんだそりゃ)自己肯定感の低さについて考えてみた。いろいろ気付きがあったので書き残してみる。