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2013-10-09

ASKAは誠実である!──「週刊文春」(2013年10月17日号)について

 「週刊文春」(2013年10月17日号)でCHAGE&ASKAASKAは「シャブアス」騒動の顛末について語っている。

 私がこれから書きたいことは、これまでの騒動の経過も含めて、この一連の騒動について客観的にどう理解すればよいのか、ということ一点に絞られている。それゆえ、既存情報以上のハナシは一切存在しない。

ASKA覚せい剤中毒疑惑」の事件はどのように進んだか?

 まずはことの経過をまとめよう。

 事件の前哨をなったのは、7月24日の「東スポ」であった。「超大物シンガー深刻な薬物中毒」という見出しをつけ、「超大物シンガーXの名前を公表すれば、日本中が大ショックを受ける」というスクープを掲載したことであった。そこには、そのシンガーのものと思われるシルエットも載せられ、2ちゃんねるをはじめとし、麻薬中毒とされた「超大物シンガーX」とは誰か、とおおいに波紋を呼んだ。しかし、宇宙人ツチノコ存在までも「発見」し、「スクープ」にしてしまうこの三流紙には、誰かを犠牲者にして盛り上がりたいという品性のものや、冷やかし半分の野次馬根性の持ち主しか、まともには反応しなかったであろう。

 事件が大きく進展したのは、8月1日発売の「週刊文春」(2013年8月8日号)によってである。「シャブ飛鳥の衝撃 飛鳥涼は「覚せい剤吸引ビデオ」で暴力団に脅されていた!」というあまりに衝撃的な見出しとともに、ASKA暴力団から覚醒剤を手に入れ、それに完全に依存し、またその吸っている姿が盗撮され、その盗撮ビデオをもとに脅迫をうけているといった話が、圧倒的なリアリティをもって、書かれた。そこではまた、文春記者インタビューに答えるASKAもあたか中毒によって精神不安であるかのように、揶揄的に誇張された姿で描写されていた。その記事は「Yahoo!Japan」や「MSN」のトップニュースにも載せられ、日本全国に「シャブ飛鳥」というイメージが伝播された。

 CHAGE&ASKA事務所は、即日、その記事について、「事実に反しており、大変遺憾です。弊社としてはこれらの報道に対し、厳重に抗議いたします((なお、2013/10/9現在この事務所コメントは削除されている。))」と、これを否定した。

 後追い記事もでた。東スポ((8月2日・3日・4日・5日・6日))やフラッシュ((「FLASH」(8/20・27号)・8/6(火)発売))がそれだが、それについてはまともに相手にする人は少なく((後者に関しては内容がそれ自体としてあまり齟齬のあるオソマツなものであった。))、それは今のところは脇に置いておこう。

 むしろファンたちに打撃を与えたのは当の事務所コメントであった。というのも、完全に事実に反しているのであれば、名誉棄損で訴えてもよいレベルの記事を書かれているのに、「厳重に抗議」だけで済まそうとしているからだった。さらに、ASKAが直接メディアに姿をあわらし、たとえば記者会見などをするなど、本人からの釈明がないことが、結果的にはさらなる不信感を募らせ、疑惑を深めることになった。

 そこにあらわれたのがASKAの友人であるNAOMIのブログである。NAOMIは、ASKAメール電話などでコンタクトをとれる状態にあること、さらに「北海道時代反社会的な友人など一人もいない」とASKAが述べ、ASKA自身はいたって普通生活を送っていることを発信した。ファンクラブからまず発信されないことに憤りを感じるファンも少なからずいただろうが、しかしNAOMIの言葉ASKAが無実であることを信じるファンにとっては喜ばしいものであっただろう。

 8月7月発売の「週刊文春」(2013年8月15日・22日 夏の特大号)では、スクープの第二弾を読んだものの、新しい情報や決定的な情報ほとんど存在しない、いわば前回のスクープの焼き増しのような内容であった。唯一見るべき内容といえば、チャゲアスサイドは事務所コメントに反して「抗議」などを全く行っていなかった、ということだった。

 チャゲアスサイドのあまり弱腰対応に、ファンたちは、ASKAの無実を信じたい気持ちを持ちたいと思っただろう。「信じたい気持ちを持ちたいと思った」というこの言い回しは、しかしながら、維持されるべきものであるとおもう。ファンたちもまた心から何の疑惑ももつことなしに信じることが難しくなっていたのである

 膠着状態は長く続いた。twitterblogを頻繁に更新していたChageも、ぱったりと更新をやめてしまっていた((しかし、8月25日にはBlog更新した。鳩の飛ぶ様子を写したその写真は、ASKAの歌った「廃墟の鳩」をあらわし、「人は誰も悪いことを覚えすぎた」という冒頭の歌詞示唆している、と推測する記事も出たが、むしろこれは「飛ぶ鳥=飛鳥」ということで、ASKAのことを暗示しているに過ぎないのではないか?))。8月中ごろから9月下旬まで、決定的な証拠がでてくることもなく、また無実の証明((だが、それにしても、なべて、無実の証明などどのようにして可能なのだろう!))になるものもなく、疑惑のみが独り歩きをしていた。

 ASKAからの直接の否定コメントがでたのは、9月27日のことである。そこで語られたことは、「記事にあるような、違法なことは一切やっていない」ということ、「音楽関係者といって近づいてきた人」と金トラブルに巻き込まれていたこと、これが最も大きなものである

 9月27日に発表したのは、ファンクラブ会報発行の時期に併せてのことであろうが、この対応の遅さに「シャブ抜き」をしていたのではないかと訝しむものもあり、後味のわるい終結ではあるものの、これで、一応事件は終結するもののように思われた。しかし、10月9日発売の「週刊文春」(2013年10月17日号)で、事件の全貌についてASKA告白することになる。

ASKAの「告白」とは?

 「週刊文春」(2013年10月17日号)によれば、文春記者を呼んだのはASKAだった、「男と男の話し合いをしたい」。

 そこで語られた事実関係についてまとめておこう。

・「覚せい剤を売ってた」とされる山本北海道時代同級生というのは間違い。山本北海道で仲間と飲んでる時に知り合った人。

覚せい剤をふくめ、非合法とされる薬物を使用したことは生涯を通じて一度もない。

・ある時、寝起きが悪いASKA山本お土産として「アンナカ((正式名称は「安息香酸ナトリウムカフェイン」。ねむけ、倦怠感などに通常用いられ、医院で処方される薬である。))」を融通したことがあり、山本薬事法違反抵触する((「薬事法」第24条第1項および第84条がそれに該当するものである。なお、ここで違法とされるのは「買った側」ではなく、「売った側」すなわち山本である))

盗撮ビデオ存在するが、それはガラスパイプなどを準備してきて、これを使えば少量の「アンナカ」で済むと言った山本に従ってガラスパイプを使って一度吸引したところを盗撮されたものである

・その盗撮ビデオをもとに、五千万円を貸してくれ、と言われていた((「貸してくれ」だからASKA脅迫だとは思わなかったとあるが、盗撮ビデオをばらまくと言われ、金を貸してくれと言ってくる行為は立派な脅迫であり無理がある))

・今までこの事実を言わなかったのは、弁護士など身の回りにいる人々と相談した結果である

 といったことである

 これらのことをASKAが「週刊文春から告白したことは今現在、ファンも含めてネガティヴに大きな波紋を呼んでいる。次にそれらに対して答えよう。

ASKAについてどう考えればよいのか?

Q.1)ASKA覚せい剤をやっていたにも関わらず、今さら覚せい剤ではなく「アンナカ」だと嘘を言うのは白々しいのではないか

A.1)やっていたという確証はどこにあるのか? やっていない確証をだすことはほとんど不可能に近いけれども、やっていたという確証は掴めるものである。また、疑惑だけで人を貶めることは私は正義だとは思わない。本人が「やっていない」と言うのだから、それに対して反論を唱える者は、まず、やっている証拠をださなければならない。

Q.2)ASKAは嘘をついていた!

A.2)「嘘」の具体的な内容とは具体的に何を指すのか? 「週刊文春」(2013年10月17日号)で語られたASKA言葉が正しいのであれば、私見の限りでは、嘘は一切存在しない。ASKA本人は、事務所コメントに書いてあった通り、何一つとして違法なことをしていない。

Q.3)ASKAにはやはり「黒い交際」があったから、芸能界から追放されるべきではないのか?

A.3)そうではない。たしかに、山本客観的には暴力団関係者であったけれども、それをASKAには話していなかった。それゆえ、その時、ASKA主観的には山本暴力団ではなかった。その時に客観的に知ることができないのであれば、それを客観的に知ることを要求することは人間能力を超えており、神しか成し遂げることのできないことだ。それゆえ、暴力団と知りつつ交際している別の例との比較は成り立たない。また、ASKAはこの事件のうちで、主観的に悪をなしたことはほとんどなく、ASKAは誠実な態度を保っていると評価するべきであろう。唯一あるとすれば、それは山本薬事法違反を容認していたことであり、もちろんそれについては反省をしなければならないであろうけれども。

Q.4)事件が収束たかに見えたのに、よりによって「週刊文春」に独断インタビューを受けて、文春記事について一部認めるのは、よりイメージがわるくなるのではないか

A.4)そのとおりであるように思う。もし記事にされることを承知の上でインタビューを受けていたのであれば、事務所などイメージ回復に努めようとしている周りの人びとに対しての配慮に欠けていて、またイメージ回復のための戦略的部分に関して致命的に悪い対応をとっている。戦略的部分においては、行為の動機ではなく行為の結果のみが通用する((「週刊文春」は今回の記事によって、事実上、前回の記事への自己否定をおこなっている。「週刊文春」は謝罪記事を乗せることなく、事実訂正に成功している。これを戦略的勝利とよぶのである))。それゆえ、ASKA事務所などに対して謝罪をする必要があるように思われる。もし記事にしないことを条件にしてインタビューを受けたのであれば、あまりに人を誠実に信じてしまった「善人」であるイメージ回復という「戦略的部分」でしかない領域から見れば、やはりASKAは配慮に欠けていたと言わざるを得ない。しかしながら、人を誠実に信じる者と、誠実でない者の、どちらが「悪人」なのであろうか?

2013-08-18

ヤマトはじまるよ(第20話)

 

8月25日17時30分からだけど何がないのかというと世界遺産でした

http://www.tbs.co.jp/tv/daily/20130825.html

2012-08-25

K-POPファンよ目を覚ませ~なんとなく反応しているファンへ~

(捕捉1:本文の後に追記した。できれば最後まで読んでほしい。)

(捕捉2:指摘を受け、勢いだけで書きあげて論点がまとまっていないことに気付き推敲した。26日13時50分推敲完了。)

近頃の竹島騒動でK-POPファンの中にもそれに影響を受けている人は居る。私もK-POPファンだ。しかし私は竹島騒動によって自分K-POPに対する見方が変わることは無い。

竹島騒動を受けて見方が変わってしまった」「もうK-POPは聴きたくないと思った」そういう人を引きとめるつもりは更々ない。

私が言いたいのは竹島騒動のことではなく、それに「なんとなく反応しているファン」についてだ。ハッキリ言わせてもらおう。あなた達が何を問題にしているのか、何を求めているのか、まったくわからない。問題が無いのに問題にしているようにしか見えない。

竹島騒動は問題だ。シウォンツイートも問題が無いとは残念ながら言えない。しかし問題を問題とも捉えられぬまま「なんとなく反応」していては、あなた達の意図せぬ方向に物事は進んでしまうかもしれない。

ファンがファンに何かを求めるのは愚行だと思う。そんなことをしようと思ったことは今までなかった。しかし今回の騒動を受けたファンの言動に私はイライラと同時に怖れを感じた。

私の主張を少しきいてほしい。主に言いたいことはこうだ。

「なんとなく反応」していると主張なき主張が生まれる



私の竹島騒動への考えを一応示しておく。尖閣諸島も含め、領土問題存在しない。日本領土だ。竹島騒動は李明博大統領の人気集めパフォーマンスだ。一方的なイチャモンだ。韓国の歴代大統領任期が迫ると日本を叩いた。いわば常套手段だ。しか常套手段にしても見逃すことの出来ないやり過ぎた行為があった。24日、野田首相が会見を開いた。ぜひその言葉の通り、今までの弱腰姿勢を正し、毅然と大人の対応をしてもらいたいものだ。(最近便乗してイチャモンつけてくる香港活動家達が尖閣諸島上陸したのを受け、尖閣諸島日本国旗を掲げに行ったなんとも熱意に溢れる議員らがいたが、あれではダメだ。存在しない問題をこちらがまともに取り合ってどうする。)

(参考:平成248月24日 野田内閣総理大臣記者会見 内容 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/24kaiken.html

Super Juniorメンバー、シウォンツイッターで「独島韓国における竹島呼称)は韓国領土で守らなければいけない。」という旨のツイートリツイートした。更に彼の父親も大阪橋本市長の「慰安婦問題の証拠があるなら韓国に提示して欲しい」という発言に対し、「橋下徹市長は次期総理大臣候補者の一人ですが日本の政治家の水準を見るような発言ですね!ドイツ日本が違う証拠ですね 間違い事は間違いましたすればいいのに何ですか 本当に理解できないですね!」と日本語ツイートした。

(参考:SUPER JUNIORメンバーの父親が橋下市長批判! ファンにも衝撃が走るhttp://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20120824/Cyzowoman_201208_post_6594.html

その後「シウォンに生卵ぶつててやる」という誰が言ったかよくわからない言葉が独り歩きし、ツイッター等でその界隈がやや荒れていたのは知っている人も多いだろう。

ちなみに24横浜で行われたSuper Juniorファンミーティングは無事おわったようだ。

(参考:SUPER JUNIOR日本で初のファンミーティング 野外会場にファンびっしり!:http://japanese.kpopstarz.com/articles/4929/20120824/super-junior-elf-leeteuk-donghae.htm


このようなことがあるのは快いことではない。それは確かだ。しかし、だからこそ問いたい。あなた達は何を求めているのだ?何が問題なのだ

竹島韓国領土だと主張しないアイドルアイドル家族にもにそれを求めるのか?「生卵をぶつけてやる!」とか言わないファン?

実際これを求めている人も多くいるだろう。「日本にくるな!」とそういう人達が叫んでも止めることはできない。それは確かに理由のある主張だ。

だが私の見る限り、別に求めてないのに話題にあげている人がとても多い。

ウォンリツイートを受けてこんなツイートをする人がいた

「あちゃ~シウォンやっちゃたな~www」

「シウォン竹島韓国領と言ったことで日本ファンは不快に思うぞ」というような意味であろう。このような、なんとなくわかったような顔して反応するファンが一番厄介だ。

このような意見ツイッターで散見した。

K-POP国策から自分たちがアイドルに払ったお金韓国という国にまわっているのかと思うとお金も払いたくなくなる。」

さらにこう続いた

「こういう気持ちが違法ダウンロードを加速させるのではないかなぁ」

なるほど、ご立派な理論だ。30程リツイートもされていた。だが安心してほしい。K-POP赤字だ。

(参考1:「韓流K-POP」 ブームなのに赤字とは:http://14819219.at.webry.info/201202/article_2.html

(参考2:"韓流ブーム"文化産業国外の輸入が大幅に増加:http://economy.donga.com/total/3/01/20120206/43816231/1韓国語記事。自動翻訳で十分読める。)

私は国家の資金投入があったかK-POPはここまで発展したと思う。国策でなかったらここまで品質の高いものは生まれなかっただろう。

私たちの払ったお金政治家の懐に入る余裕はないだろう。そして問いたい。そう知っていたなら何故いままでK-POPアイドルを応援し続けてきたのかと。何故いま思い出したかのようにわざわざツイートしたのかと。このようなツイートをしていたユーザーの今までのツイートを見たが、K-POPアイドル妄想を楽しんでいるではないか。このツイートをした後もだ。

いま韓国では日韓両国で活動し人気を得ているアイドル芸能人に「独島はどこの領土か?」という質問がされている。

これに対しKARAは「韓国で活動するのは久しぶりです。日本のファンからは愛をたくさんいただいて…」と言葉を濁したそうだ。そして韓国ネットユーザーから顰蹙を買っているらしい。

(参考:「KARA」、竹島問題質問に「沈黙」 韓国メディアから批判浴びる:http://www.j-cast.com/2012/08/24143974.html

なんともやり切れない気持ちだ。私から見ればそれをアイドルに聞くのは全くのお門違いで幼稚な行為に映る。しか韓国内での価値観は知らない。重要に思ってる人も沢山いるのかもしれない。

このKARAの発言を受けて

KARA韓国領土だと言わなかったことが嬉しい」というツイートを見かけた。

なぜだ?

竹島韓国領と言えば日本ファンへの冒涜で、韓国領と言わなければ日本ファンへの愛の証明になるのか?

その言葉は「なんとなく竹島騒動を判断材料にしている」のではないか

なんとなくであるならば即刻やめにして欲しい。あなた達は今までそれを判断材料にしてきたのか?そういうことを考慮してアイドルを好きになってきたのか?もともと韓国竹島への行動の歴史を知っていて、そういう韓国が嫌いであったならば、「韓国芸能人竹島韓国領だと思ってる。そういう人達の芸はいらない」と思っていたならば、最初から好きにならなかったはずだ。

政治音楽を一緒にしないでほしい…」という意見も見る。それは無理だろう。私は無理でいい。

無理でいいから、「KARA竹島韓国領と言わなかったから良い」なんて言わない。

そして「政治音楽を一緒にしないでほしい」と思うならば、まずあなたがやめるべきだ。竹島アイドルを絡める必要が無いではないか。絡めてしまっては「独島はどこの領土か?」という質問をし、踏み絵まがいのことをやらせたがる韓国メディアと同じだ。

気持ちはわかる。私もK-POPを知るまでは韓国のことは知らなかった。せっかくK-POP日本で受け入れられてきて、韓国への好感度が多少上がっていたのに、このような竹島への行動によって好感度が下がってしまうのは勿体ないと思う。「勿体ない」という意見ならいいが、そういう意見すらないのに話題にあげる人があまりにも多い。そうやって話題にすれば話題を見て「なんとなくそんな気がする」と、よくわからないが何か感じ始める人が残念ながら居る。

まさにそれこそが

KARA竹島のことを韓国領といわなかったから印象がいい。」

「そういえばK-POP国策だった。アイドルへ払ったお金韓国政治家の懐に入ってるように感じる。」

というような「不安嫌悪感になんとなくそれっぽい理由をつけたい」というだけで湧き出した浅はかな言葉だ。

KARA言葉を濁した。あえて触れなかった。触れることが出来なかったのかもしれない。関係あろうがなかろうがアイドルは常に矢面に立たされてしまう、辛く苦しい職業でもある。

日本のファンが「KARA韓国領土だと言わなかったか日本の味方だ」と受け取れるようなツイートをした。

ツイートした人、あたなは残酷だ。KARA立場を更に辛いものにした。何も言えなかったKARAあなた自分勝手感情をこすりつけるようなことを言った。自分勝手感情アイドルに重ねることが必ずしも悪ではない。しかしこのような場合は賢い発言とは言えない。

私はあなた達が怖い。

「なんとなく反応しているファン」に告ぐ。

あなた達は今まで通りでいい!今まで通りで居られないと思うなら意見を持て!

あなた達の主張はなんだ。そもそも何か主張があるのか?

あなたK-POPCDを買った?日本語版のCDは?コンサートに行った?日本で開かれたコンサートには?

またCDを聴きたい?コンサートに行きたい?

お金が払えなくてもK-POP好きな人PCで見てるだけの人、あなたもだ。まだ見たい?

もしYESなら、応援すればいい。答えは至ってシンプルだ。竹島のことが何かひっかかるなら意見を持ちなさい。

韓国と仲良くできればいいのに」「ん~でも、私はそれで嫌いにはなれないな」「なんか悲しい」「わかんないや!でも好き!」

そういう反応をするということは多少なりとも興味があるのだろう。気になってはいるのだろう。だがそこで終わっては「好き」「仲良くしたい」という気持ちに逆らってしまう流れをつくりかねない。

私はK-POPは素晴らしいと思う。いまだかつてこんなに多くのエネルギー溢れる若者アイドルになった時があっただろうか、こんなに歌とダンスに溢れている時があっただろうか。

韓国経済は停滞している。K-POPにピークがあったとするならば、それはもうとっくに過ぎている。これから多様化していく。「アイドル」がやりづらい時代が近いうちに来る。それはそれでいい。

しかし今応援しているグループまたは個人の姿が見たいならこれからも応援しなさい。迷わずお金を払いなさい。「今人気のあるグループは生き残れる」と安心しているかもしれないが、どうなるかはまだ分からない。

今回の竹島騒動を受けて政治家が「K-POP韓流も禁止したらいい」と言っているだとか、「K-POPは冬の時代到来」だとか報道している所もある。メディアは一斉にK-POP落としをはじめるだろう。「K-POPが大人気!」と囃したてた時と同じように。

そしてそれを見た幾人かの人は言うだろう「K-POPってもう終わりらしいよ~」と。

つの時代大衆利己的で残酷だ。そして芸能人は常にそういう大衆から見られている。私だって芸能人には厳しい。

しかし好きなものに対しては厳しいながらも、何か問題が生じた時に知らぬまま流されてしまうのは悔しい。

「なんとなく好きになってなんとなく嫌いになる」そういうものを完全に否定することはできない。私にもそういう部分はある。でも私はK-POPが好きだし、まだ観たい。だから、なんとなく嫌いになるのは嫌だ。

もう少し考えて、そして知ってほしい。ファンというものは常に残酷自分もその一員であることを。

「なんとなく反応」しているだけで、世論が変わってしまうことを。主張なき主張がいつの間にか主張になっていることを。竹島騒動とアイドルを絡めてに反応しているだけであなた達は主張しているのだ。「なんとなく嫌だ・不安だ・何か口にしておきたい」と。そんなつもりは無いと思うかもしれないが、残念ながらそうだ。

そしてこれも知ってほしい「なんとなく嫌だ」が集まれば、それなりに大きな流れをつくる。そういう流れがいつだって文化をつぶしてきた。主張なんて無かったのに求めてもいなかったのに知りもしないのに「嫌だ」という感情が集まるだけで文化は潰れてしまう。何故なら逆もそうだからだ。「なんとなく好き」が文化をつくる。

K-POPはまだ大丈夫だが「なんとなく嫌だ」が長引くのはいいことではない。なんとなく好きになってなんとなく嫌いになる人は止められない。でもあなたが、「自分はなんとなく嫌いになりたくない」と少しでも思うのなら、止まってほしい。

何か具体的に行動しなくていい。今まで通りでいい。

知識がないのに半端に反応していると逆に無知をひけらかすことになる。そういうファンを沢山見る。私もあまり長く続けると無知がバレてしまうのでぼちぼち終わりにしなければならない。

知らなかったのなら仕方が無い。しかK-POPファンの間だけでは収まらない竹島騒動に反応するならこれくらいのことは知っておいてほしいと私は思う。そして意見を持ってほしいと思う。

あなたがまだK-POPを応援したいかどうかは知らない。それは自分自分に聞いて確かめてほしい。

個人の感覚だが、私はK-POPアイドルパフォーマンス音楽を見聴きしている時は竹島騒動を感じない。都合がいいかもしれないが、都合よく楽しめて好きでいられるのが文化アイドルではないのか。問題を意識させる力もあるが、そういうものを吹き飛ばせる力もまた音楽ダンスアイドルにはある。

竹島騒動を感じるのはむしろ「なんとなく反応している」ファンを見る時だ。

ウォンは恐らく、しっかりと意見を持っている。私達と歴史見解に差がありシウォンがそれを信じているのは残念にも思うが、彼はきちんと意見を持っている。あなた意見はなんだ?

自分と同じ思想・意見アイドルに求めるか?

求めている人を否定したいわけではない。求めていないのに何か都合が悪いような気分になってしまっている人を否定したい。求めていないなら何も都合は悪くない。

都合がよくたって図太くたっていいではないか。そういう所は韓国竹島に対する行動を見習おう。

実際の政治情勢と同じく韓国と同じレベルで反応してはいけない。「なんとなく反応」しているファン達の中に問題は存在しない。領土問題と同じく。そんな所まで韓国にあわせてアイドルを苦しめることをする必要はない。

そして問題があるとすればそれは只ひとつ「なんとなく反応してしまう」ことだ。意見すらないのに、反応だけしてしまうことだ。

作品に対しては「買う」「買わない」で反応すればいい。感想意見は大いに言えばいい。そういう権利私たちにはある。「なんとなく反応」する権利だってある、それは確かにある。しかし好きなアイドルを潰したくないなら竹島騒動やK-POPを落とすメディアに「なんとなく」付き合う必要はない。

メディア政治家が拒否しても私は君たちを拒否しない。」私はこの姿勢を崩す必要を現段階で感じていない。

そしてその為の第一歩として「なんとなく不安がる」のはやめよう。それが今できることだ。

「反応せずに今まで通り応援する」これも「なんとなく不安がる」のと同じく立派な主張だ。不安を感じるのなら、何が不安なのか知ることをした方がいい。

ファンができることはシンプルで単純なのに、忘れてしまう人が多い。特にこういう時に限って都合良く忘れてしまう。何かしたいと思うかもしれないが、ファンが根本的問題を解決するのは難しい。

もしこれ以上問題が肥大化すれば行動を起こす必要が出てくるかもしれない。その時は伝えよう「メディア政治家が拒否しても私は君たちを拒否しない」と。(あるいは別のあなた意見を。)

もし日本人アイドルに生卵をぶつけてしまったら言おう。「それは私の意思ではない。私はあなたを攻撃したりしない」と。

流れに逆らいたくて「なんとなく反応」してしまうかもしれないが、それは逆に流れを加速させることになる可能性も含んでいる。

あなた達はもっと自分を疑い、もっと自分を信じるべきだ。

おカタイ文章になってしまったが、必要以上に真面目であれということを言いたいのではないことはわかってほしい。

もしこのエントリーを見て賛同してくれるのなら、ツイッターでもmixiでもfacebookでも何でもいい、このエントリーを紹介してほしい。反応するなと言っておいて反応を求めるのは矛盾しているかもしれないが、私は今必要性を感じている。あなたもそう感じるなら、それは「なんとなく反応」では無いだろう。

以上が私の主張だ。

追記(8月25日23時47分):どうやらいくらかツイッター等に出回ったらしい。多くの人の目についたのなら書いた甲斐があったというものだ。自分で言うのもなんだが、私の主張はいわゆる正論に近い物かもしれない。きれいごとかもしれない。でもそういうものしか問題には対抗できないのではないかと思う。(問題に思うのであればだが)

正論では片付けられない感情こそが「好き」の源だと思っている。私も感情大事にしている人の前で正論を吐く輩は好かない。それはその人を生き苦しくさせる存在しかない。

私も弱っている時に出会たかK-POPを好きになれたのかもしれない。

感情大事にしている人を、モヤモヤしていることを否定しているわけではない。そういうファンを排他したいわけではない。特にK-POPファンには女性が多い。女性感情はきめ細やかでまた他人の感情機微にも敏感だ。かくいう私も女なのだが、このエントリーを読んだ女性ファンの反応を見てこうやって追記を書いてしまっている。

そこで終わらせるとモヤモヤのまま終わると言いたい。私はこのような形で自分なりに自分モヤモヤ(なんとなく反応しているファンに対する思い)を拙いながらも形にした。完全にモヤモヤを払拭するのは無理だが形にはした。

「言っていることはわかるけど、そうやって割り切れない…」

こういう発言に私はめっぽう弱い。頼む優しい人よ、否定された気分にならないでくれ。あなた感情感情正論正論だ。あなた感情アイドル存在は割り切らなくていい。ただ正論感情をぶつけても何も生まれない。正論正論として頭の隅にでも置いてくれればいい。反論があるなら大いに論じてくれ。形にしてくれ。こんなこと言ったら都合がいいと怒られそうだ。怒られるのは苦手だ。だからあなたも都合よくあしらってくれ。こういう発言がまた優しい人を怒らせるのだろうか。優しい人の眉間にしわが寄るのが目に浮かぶ。

これもまたきれいごとなのか。

往生際の悪さを露呈してしまった。もうこれ以上は書かない。さらばだ。

追記2(26日0時50分):これ以上は書かないと言ったが、

この人の意見に納得できる部分があった。→http://anond.hatelabo.jp/20120826000136

私の「反応するな」という言葉おかしかった。乱暴な理由づけを私もしている。この人のエントリーも見てほしい。いろんな人の意見を書いてほしい。そういうことの方が必要なのかもしれない。他の人の意見を見なければ気づけないことが沢山ある。どこかで私も「これ書いて終わりにしよう」と思っていた。それこそ無責任だ。問題に長く付き合っていくことも必要だ。騒ぎ立てるのではなく、論破しようとするのではなく、見続けていく付き合っていくことが必要なのかもしれない。ただそれはとても面倒くさい。だから誰もやりたがらないんだな。

2010-08-25

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00001096-yom-pol

小沢氏26日にも出馬判断…山岡氏らが正式要請

8月25日22時5分配信 読売新聞

 民主党代表選(9月1日告示、14日投開票)への出馬検討している小沢一郎幹事長は、26日にも自身の出馬について最終判断する。

 小沢氏を支持する議員は25日、出馬を正式に要請したが、小沢氏は態度を保留した。鳩山首相は同日夕、再選を目指す菅首相首相官邸で会談し、小沢氏を含めた挙党態勢の構築を求めた。代表選の最大の焦点である小沢氏の出馬を巡る動きは、最終段階を迎えた。

 25日午後、小沢氏に近い山岡賢次副代表勉強会に参加する約80人が国会内で開いた会合では「小沢さんしか、今の難局を乗り越えられる政治家はいない」など、小沢氏の出馬を求める声が相次いだ。これを受け、山岡氏のほか、川内博史松木謙公樋高剛の各衆院議員ら約30人が国会内で小沢氏と会い、出馬を求めた。

こう考えると分かりやすい。

2010年8月25日水曜日) 「さようなら

忘れもしない今年の5月18日武蔵野赤十字病院循環器科医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。

確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIPET-CTなどの精密機器検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。

宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。

一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。

手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書最後サインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。

ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。

妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれカレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界シーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。

少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい

さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師看護師ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。

生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回り人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。

死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメ世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。

出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏わがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。

私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。

しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。

自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。

一番の心残りは映画夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏原作脚本キャラクター世界観設定、絵コンテ音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。

私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏アニメーション監督としても幸せ者でした。

両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。

それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。

両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。

ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました

親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。

両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。

最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。

気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。

そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。

さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。

じゃ、お先に。

今 敏

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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565

無断転載しました。ごめんなさい。

2010-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20100820234458

私は、去年の8月25日にフラれた。

幸いにも、新しい恋人ができた。別れた人とは一切連絡をとっていない。

ここ1週間ほど前から、やけに前の恋人との良い思い出ばかりが思い起こされてるよ。

私の場合は、戻りたいというよりかは、あぁすればよかった、こうすればよかったと反省することの方が多い。

反省した分、今の恋人を大切にしようと思う。

でも、できることなら前の恋人のことは一切思い出さないようになりたい。

2010-07-20

h

8月25日>(水)

日本てのは変な国で、役所や大企業などの組織では、トップの意向よりもミドル層の意見の方が通ったりする。こういう意思決定システムは、やることが決まっていて、全体で一糸乱れずに動くべき時は、まことに有効に機能する。が、大所高所で判断する人が居ないので、長期的な視野に立って物事を決めるとか、物事が変になったときに後ろ向きの決定をする、てなことができない。終戦の決断がなかなかできなかった、なんてのはその典型であろう。

○そもそもミドル層というのは、調子がいいときは元気に働くけど、悪くなったときは自己防衛を図ったり、責任を他人に転嫁したりすることに忙しく、衆知を結集して途方もなく阿呆決断を下しがちである。その場その場の勢いやら、組織の体面やら、レベルの低いことで物事を決めてしまい、後になってから「あそこはああするしかなかった」などと弁解したりする。そんなのはトップの言うことではない。トップたるもの、歴史の評価をこそ怖れるべきであって、仲間の顰蹙やマスコミの雑音などは断固無視しなければならない。

○何が言いたいかと言うと、この期に及んで為替介入やれとか、金融緩和やれとかの大合唱は、典型的な「ミドルの発想」であって、後で振り返ってみると大概が後悔しそうな代物である。「そうは言っても、政府がここで何もしないわけにはいかないだろう」なんてゆーのが、そもそもトップの責任の重さを知らないミドルの発言であって、個として自立できていない人にありがちな発想である。モーサテのコメンテーターが言うくらいはご愛嬌だが、新聞社説なんぞにその手の言辞が出るようになったら警戒警報である。

○もちろん政治家日銀総裁などは、こういうときは「腹芸」や「涼しい顔」で乗り切ってもらわないと困る。記者会見をしている財務大臣の目が宙を泳いでいる、なんてのはサイテーである。悪いことは言わないから、与謝野さんあたりに来てもらって、「私はもう一回、副大臣をして学習いたします」と教えを請うてみてはどうか。ヨーダ宮沢仙人なんぞは、ああいうときの対応は惚れ惚れするくらいに上手かったぞよ。

○しみじみ日本というのは、ミドルから下は優秀なのだが、トップが育たない変な国なのである。そんな国で、トップが「政治主導」を唱えるというのも、あらためて考えてみると大それた話であって、やっぱり官僚が運転してくれるバスに乗っているのが彼らにはお似合いなのではないか。タクシーの運転手に向かって、「右へ行け、左へ行け」と偉そうに指図をした挙句、大渋滞にぶち込んでしまった愚かな客のことを、何と言って笑えばいいのか。というか、これってまったく笑えない話ではないか。

2009-09-05

宿題が終わらない

                                                                                                             原曲:エアーマンが倒せない

                                                                                                             作詞

気がTwitter8月25日

そして、いつも焦る

あきらめずに徹夜で頑張ってみるけど、すぐにパソコンに向かう

頭のいいともだち居れば

楽に宿題が済むけど

何日かけても何日かけても

宿題が終わらないよ

あの問題 何回考えても解らない

うしろから 解きつづけても

気付けばパソコンに向かってる

写してもらうことも 考えてもみたけど

ともだちがいなけりゃ 意味がない

だから来年スムーズに終わらせるために

僕は今年の宿題((読書感想文))は来年まで取っておく

2007-08-27

発達障害者を対象とした職業訓練の募集を開始します!??全国都道府県

ホーム > 愛知県政 > 記者発表資料 > 記者発表

発達障害者を対象とした職業訓練の募集を開始します!??全国都道府県で初めて愛知県においてスタート??

[2007年8月25日]

平成19年8月24日金曜日発表

 本県では、従来の障害者に対する就労支援策に加え、発達障害に対する就労支援を進めるため、全国都道府県で初めて発達障害者を対象とした職業訓練を実施します。

 訓練内容としては、パソコンに関する技能に加え、コミュニケーションスキルソーシャルスキルの習得、実際の仕事に就くのに必要な職業生活指導や企業実習を行い、就職機会の拡大及び継続的な就労を目指していきます。

訓練科名

オフィスワーク

募集定員

10人

募集期間

平成19年8月27日(月)から平成19年9月18日(月)まで

応募資格

 公共職業安定所において、発達障害を有する求職者として登録している方であって、就職意欲があり、職業訓練を受講することに熱意を有する方で、公共職業安定所長の受講あっせんが受けられる方。

応募方法

 居住地を管轄する公共職業安定所へ入校願書を提出してください。

入校選考
日時

平成19年9月25日(火)午後1時から

選考場所

愛知県岡崎高等技術専門校(岡崎市美合町字平端24番地)

選考方法

適性検査及び面接

訓練期間、時間および休校

訓練期間

平成19年10月4日(木)から平成20年3月14日(金)まで

訓練時間

午前9時から午後4時15分まで

休校

土・日曜日国民の祝日年末年始休暇等

その他

授業料は無料で、実習に必要な教材、器具類は原則として専門校が用意します。ただし、教科書代、職業訓練総合保険(任意)などの費用(20,000円程度)及び通学費用が別途必要です。

お問い合わせ

愛知県産業労働部労政担当

就業促進課産業人材育成室公共訓練グループ

担当服部、小田

電話:052??954??6364(ダイヤルイン)

内線:3446,3444

E-mail: jinzai××pref.aichi.lg.jp

愛知県 - 発達障害者を対象とした職業訓練の募集を開始します!??全国都道府県で初めて愛知県においてスタート??(2007.08.25)

http://www.pref.aichi.jp/0000004086.html

愛知】県が発達障害者に職業訓練 全国初、就労を支援

愛知
県が発達障害者に職業訓練 全国初、就労を支援

2007年8月25日

 県は二十四日、自閉症学習障害(LD)といった発達障害者を対象にした職業訓練を開始することを明らかにした。二〇〇九年度までの三年間を予定し、本年度は十月からスタートさせる。就職に有利なパソコン技術の習得に加え、職業人に必要なコミュニケーション技術の訓練も行う。全国初の取り組みで、初回の募集枠は十人。今月二十七日から募集を始める。

 訓練は、コンピューターでの文書作成や表計算、専用ソフトを使ったホームページ作成作業など。コミュニケーション技術は、あいさつや相手との会話の仕方など対人関係の基本マナールールのほか、面接練習なども。企業での研修も予定している。

 訓練は十月から来年三月までの半年間、県立岡崎高等技術専門校(岡崎市)で行う。指導は四人が当たり、パソコン技術者のほか、臨床心理士などの資格を持つ専門家サポートするという。授業料は無料

 発達障害は、全般的な知的発達に遅れはないものの、特定の能力だけが著しく劣ったりする。企業側も、発達障害者を雇用しても障害者雇用促進法で定める雇用率に反映されないこともあり、雇用が進んでいないという。

 今回の訓練は厚生労働省の委託事業で、愛知新潟県大阪府で行われる。愛知県就業促進課は「発達障害者の就職を積極的に支援したい」としている。

 募集対象は発達障害者で、就労意欲がある人。年齢制限はない。今月二十七日から九月十八日まで募集し、公共職業安定所ハローワーク)に入校願書を提出する。

 問い合わせは県立岡崎高等技術専門校=電0564(51)0775=へ。

中日新聞 - 【愛知】県が発達障害者に職業訓練 全国初、就労を支援(2007.08.25)

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20070825/CK2007082502043607.html]

2007-08-21

博士就職できない理由は、日本年功序列アメリカ実力主義だから

http://anond.hatelabo.jp/20070821000854

博士就職難で、その理由はコミュニケーション能力協調性欠如などと新聞に踊っているが、

新聞はなんで根拠も無しにあんなことを書いているんだろうか?

完全に名誉毀損だろう。

博士就職が難しい理由なんて、普通会社で3年過ごせばすぐわかることだろうに。

原因日本会社風土にあるってことでも説明してみっかな。

日本人プライベート仕事をあまり区別しない。

お酒の相手も仲の良い有人ではなく、同じ会社の社員と飲む。

終身雇用前提だから、社員は一生その会社人生を過ごすことを想定して仕事してる。

年功序列だから、上司は無能が多いし、無能でも給料はおおよそ平等に貰える。

天下りみたいなのも普通にあって、幽霊老人社員とかいるわけよ。

そんなんでも会社は余裕でまわる。

税金工事みたい発注がいっぱい来るからね。

自由競争市場ビジネスしてる会社なんてあんまりないわけ。

(あんまりぬるま湯につかり過ぎると、世界競争に巻き込まれて日本沈没かもな)

中には「俺は社会人」とか言って張り切ってるやつもいるけどさ、

ぶっちゃけ平々凡々ぬるま湯まったり世界なわけよ。

そんなところに、やる気と知性に満ち溢れた博士課程の学生が入ってきたらどうなるか・・・

mixiコミュ乱入する日下部さんを想像してもらえばいい。

ほとんどの博士は、大学受験を勝ち抜き、修士博士の5年間をたった1人で戦い抜き、

世界に通じる業績を捻出してくるやつらなわけよ。

博士課程の学生の4分の1は東大生で、9割は超高学歴

そんなやつらが「僕、新入社員です」とかいって入ってきたら、お前らどうするよ?

部活で例えれば、後輩にスタメンとられちゃった先輩は、その後輩にどう接しますかってこと。

もちろん、博士を雇えば、生産性はあがるかもしれない。

だけど、それと引き換えに失うものがある。そうプライドさ。

どんなに言ってることが正しくても、結局会社なんてmixiコミュと一緒。

馴れ合いが大事。

正しさも生産性利益も求めてません。

大事なのは、馴れ合いであり、自分の立ち位置なんですよ。

だから会社村に、天才は必要ないんです。

だからね、博士はおろか、そもそも優秀な社員なんて恐くてとれません。

あの和風外資コンピューター巨人の○○○でさえ、

インターン書類選考する時にかわいい子を選んでるんだと

中の人が自慢してました。

でも、最近は事情がちょっとかわって来ました。

海外との競争が本当に激しいです。

あんまり温いことやってると、本当に会社が傾きかねないです。

今後はどうなるかはわかりませんが、まあ会社なんてこんなもんですよ。

1人で世界にチャレンジしちゃうような博士課程の学生とサシで勝負できる社員なんてほんの一握りです。

そういう人が会社支えてます。

以上、ネタでした。

PS

Q. アメリカ就職すればいいんじゃないですか?

A. アメリカ就職するには、ネイティブ並の英語力が必要なので簡単ではありません。ですが、待遇給料にすると3倍から5倍以上違うとかなんとか。また、修士博士外資系企業に行く率は高いです。特に優秀な人が外資にかなりの割合で流出しているのが現状です。ただ、外資にいく場合、年功序列のかわりに人種差別がある可能性があります。給料などは暗にそういう基準に従います。

Q. 博士卒は全員優秀なのか?

A. ピンキリです。ですが、うんこジャーナルでさえ論文を掲載することは簡単ではないですし、うんこ国際会議でさえ英語論文を投稿し、査読を通過し、英語発表するのはとても大変なことです。従って、底辺でもそこそこのレベルです。一方、上は果てしなく頭の良い人が多いです。修士の上位層が博士に進んでいると言っても過言ではありません。中には金銭的な理由で修士卒業する人もいますが。

Q. 博士に進んでもいいですか?

A. 分野によります。数学物理のような産業とはほぼ無関係研究をする場合、アカデミックポスト争いに敗れた時のリスクは計り知れません。一方、工学系で就職できないケースはほとんどありません。いずれにせよ、肝に銘じて欲しいことは、研究は手段であって目的ではないとういことです。あなたが博士過程に進むということは、10年以内に人類に大きな影響を与える研究成果を叩き出すという契約であって、あなたが研究人生を過ごすためのプロセスではありません。研究がしたいだけなら、趣味でどうぞ。

Q. 博士に進むメリットはなんですか?

A. 3年間、自由に研究ができることです。企業に入った場合、あなたの行動は制限されます。あなたがどんなに有望な技術だと感じていても、その研究企業リスクを感じていたら、取り組むことはできません。一方、「研究してる自分が好き」なだけであれば、企業に入った方がいいでしょう。そういう人は企業にいっぱいいます。大学にもいっぱいいますが。

Q. 博士に進むとコミュニケーション能力が鍛えられないんですか?

A. いいえ、1人で戦うからこそコミュニケーション能力が必用です。会社と違い、あなたを助けてくれる人は極小数です。一方、社会とは1人で生きられる程甘くはありません。ですから、常にコミュニケーション能力を磨く必要性に晒され、嫌でも対人能力を磨かざるえないでしょう。少なくても、群れから出たことのない羊や、決まったプロトコルでしか会話できない端末のような人に比べれば、力強く柔軟な対話能力を身につけることができるでしょう。その分、苦労は計り知れません。

2007年08月25日 kiya2014 コミュニケーション能力があったら打算考えるから博士なんて行かない。対偶をとると、博士に行くやつはコミュ能力欠如

http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/

Q. 「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」またはその対偶の、「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」は真実ですか?

A. もし上記が真実であれば、「コミュニケーション能力があるならば、成績が悪い」そしてその対偶の、「生成が良ければ、コミュニケーション能力がない」が成り立ちます(既に書きましたが、博士課程に行く人は、主に学力で上位に位置する人です)。これは現実と照らし合わせる間違っていると思われます。従って、「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」がそもそもの誤りであり、その対偶である「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」も誤りということになります。対偶は証明の手段ではないのであしからず

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