はてなキーワード: 心停止とは
絞縄の長さや結び目の位置の調節などの手順が適切になされた場合、左右頸動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞され、脳虚血から脳死を起こし、最終的に心臓も停止する[1]。懸垂時に脊椎骨が骨折すれば、延髄の損傷によって身体機能が停止し、同様に脳死から心停止がもたらされる[2]。
1. 法医学者古畑種基博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/huruhata_kanteisho/)
2. オーストリア法医学学会会長ヴァルテル・ラブル博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/rabl_kaitousho2/)
絞縄の長さや結び目の位置の調節などの手順が適切になされた場合、左右頸動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞され、脳虚血から脳死を起こし、最終的に心臓も停止する[1]。懸垂時に脊椎骨が骨折すれば、延髄の損傷によって身体機能が停止し、同様に脳死から心停止がもたらされる[2]。
1. 法医学者古畑種基博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/huruhata_kanteisho/)
2. オーストリア法医学学会会長ヴァルテル・ラブル博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/rabl_kaitousho2/)
男らしさを高めるにはやはり、ネットやリアル問わず、女性などあらゆる弱者に
絡んでくる悪漢を退治することだ。新幹線でナイフを持って女性に襲いかかった凶悪犯に
立ち向かって亡くなった方がいた。彼こそ男の中の鑑だと思う。見習うべき姿だ。
昨今、女性にAEDしたがらない男が話題になる。セクハラで訴えられる恐れがあると言うのだ。
だが大相撲の土俵で心停止した力士に、いち早く駆け寄った女性がいる。
男たちがまごつく中で、勇気を出した彼女に、なんと「女性は土俵から降りて下さい」などという
非情なアナウンスが流れた! 土俵は女人禁制だからだという話だ。
男として本当に恥ずかしいし、情けない。
刑法37条1項。自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
民法第698条。管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。
AEDは基本的には刑法上も民法上も罪に問われる可能性はほとんどない。
あるとしたらAEDするやで!って言って公衆の面前で胸をはだけるだけじゃなくてパンツも脱がせたとか
AEDするやで!って言って胸をはだけさせてペロペロしたとか
医師です。
その場に居合わせた一般人のできる行動で、患者の予後を大きく変えるものは二つあります。
・継続的な胸骨圧迫
原則この二つで患者の予後は規定され、人工呼吸はやらなくてもそこまで悪くなりません(データによってはやらない方がいい、ということもあるようです)
AEDは持ってきてやるだけです。確かにブラジャーなど金属ワイヤーを含むものがある場合火傷のリスクがありますが、心停止時間が長い方がよっぽどリスクなので深いことは考えず最速でやるようにしましょう。(心停止に勝るリスクは治療者の二次被害、第三者の巻き込み事故以外ありません。)
胸骨圧迫は知らないとコツがいります。リズムよく、胸骨なんとなく下部を適切な深さで押さなければなりません。厳密なことを言うと、BPM100〜120、胸骨下部1/3(これは自信ない)、深さ5〜6cm(小児はこの限りではありません)ですが、こんなんどうでもいいんで自分のできることを最大限やってください。みなさん心臓の位置ぐらいは知ってると思うんで、その上をいい感じの深さでいい感じのリズムで押すだけです。アドバイスとしては、思ったより力は必要、曲名は忘れましたが「ダイヤモンドだね〜」の曲が異常に耳に残っていい感じのリズムだから口ずさむといい(異常者?)、です。
最後に、人工呼吸は最近上記のデータが集まったことやコロナ感染リスクにより院外では通常あまり行われません。感染しないようなバルブを用いた人工呼吸が行われますが、どこにでもあるものではないので使い方は本当に気になる人だけ調べてください。
適当なこと言ってる増田が目立つので書きましたが、まあこれも話半分に聞いて、気になる人は消防署や免許センターの講習を受けましょう。調べてもいいですが、実際に人形相手にやるのが一番です。元増田は気の毒ですが、自分の行動に責任を持つためには、みながこれらの知識にアクセスできるようにすべきだと考えます。
人生の山と谷をどう定義するか。一つは「周囲の環境の変化に対して内面が捉えた何か」であるといえる。
能力とは、望む状態を作り出すために自分を操る力のことだ。あなたの能力はあなたの望みに対して機能するので、他人が評価することはできない。
内面(思考など)をいくら変えても変わらない何かがあるなら、それを現実という。現実は正しく認識しなければならない。
「谷」が生じるのはなぜなのかというと、何か目標があり、その目標と現実の乖離が存在するためだ。
会社にいれば利益が目標になるが、他社と競争するといった現実があるので「我社は目標値に達していない」ということが自覚できてしまう。
もし「給料がたくさん欲しい」といったエゴがなければどうなるかというと、高い目標を掲げる企業に就職する必要性すらない。
自分が満足できる環境のしきい値を可能な限り下げて、その中で満足できるだけの収入さえあれば、内面的には「谷」などない。
賢く節約して生きれば幸せでいられるというなら、そのような環境に感謝してもいいぐらいだ。あなたの居る所は、「谷」ではなくむしろ「山」なのかもしれない。
ただここで問題がある。そうやってダラダラ生きていて何が楽しいのかと。
ある程度は、ネトゲやら読書やらそういう趣味だけで楽しめるだろう。ところが飽きるのだ。
飽きたときにどうすべきなのか。こういう助言をもらった。「未来に何かを望み、できるだけ具体的なビジョンを持ち、それを実現しろ」
結局そういうことだろう。ダラダラと過ごせるという「山」とも「谷」とも言えない場所を去りたいと思うときが来ている。
それはちょうど心停止から抜け出すために電気ショックをもらいたいと思うようなものだ。山や谷があるのは生きている証拠だが、それがないなら屍である。
しかもただ去るだけではだめで、「できるだけ具体的なビジョン」とあるように、次の山を登るだけの準備が要るのだ。
それこそがまさにエゴでは?と思うかもしれない。
「ビジョンの実現によって誰も不幸にならず、1人以上が幸せになれる」といったことであれば、エゴではない。
会社の目標値の達成がエゴではないならそれをビジョンにすることもできるし、会社のビジネスが世間に不幸をもたらしているなら、去ってエゴではない何かをすることもできる。
どちらにしても、行動をしなければ屍になってしまう。
エヴェレスト登山を楽しむような人もいるのだから、道中を楽しむのがいいのかもしれない。
参考: https://www.goodreads.com/book/show/21257548-peaks-and-valleys
令和4年12月6日1時6分、大動脈解離からの心タンポナーデで母が死去した。
本人曰く、風呂で体を洗ったあと湯船に浸かると急に顎をアッパーカットされたような痛みがして、その後頭と胸・背中が痛くなったらしい。それが5日21時過ぎ頃。受け答えは普通にできていたがこれまで感じたことのない痛みではあったらしい。
狭心症もしたことがあり万が一のためにミオコールスプレー(ニトログリセリン)を持っていたのでそれを利用したりして、22時頃まで様子を見ていたが状況は収まらず、看護師をしている従妹に連絡したら「直ぐに病院に連絡を」と言われたので
本人が直接症状をかかりつけの病院に電話で伝える。頭痛・胸背部痛を伝えたが、病院からは「明日まで様子を見ても大丈夫」とのことで少し安心していた
だが、従妹が来てくれて直接様子を見ると改めて病院に電話。病床が空いていないため救急で来ても見られない、とのこと。やはり気になるので#7119に電話。繋がらず、地域の消防署に連絡。ここでも症状を伝えたら救急車に来てもらえることになった。
3名の救急隊員に対応してもらい、体に心電図をつけてもらうが結果は正常、血圧は190/85くらいと少し高い。本人は同じように痛みを訴えている。意識は明確にある。救急隊員から改めて病院に連絡してもらうと、診ることはできるが入院は出来ない
必要な場合は転院となるがそれで良いか?とのこと。それで良いと伝えて病院に救急車で向かう。僕は初めて救急車に乗った。
病院に入ったのは23時過ぎ。母は痛そうな顔をしていたが意識はある。救急車より先に従妹と父が病院に来ており、救急外来家族待合で造影剤CTの誓約書を医師から説明されて書いてしばらく待つ。
翌0時より少し前(この辺、少し曖昧)に、医師が説明に出てきて、今心停止して蘇生処置をしているとのこと。
結局、そのまま戻ってこず、ほか家族が集まるのを待って最終の死亡確認と相成りました。
いやあ、参った。直前まで普通に過ごしていたのに、大動脈解離は急に来るのねぇ。
人工透析を20年以上やってて70手前なので死にそうなのはずっとだったけど、入院してもなんだかんだで帰ってきてたし、あちこち痛いというのもいつもの事。
「AEDを女性に使うべきか」の問題では、良く「男が使うと痴漢扱いされる」という疑問が提示される。
そして、ここから「逮捕されるはずがない」という反論と、「いや、逮捕されるかもしれない」という更なる反論が積み重なっていく傾向にある。
そして、ここから更に「ならば女性を呼べば良い」みたいな結論になる事もある。しかし、この論争では、誰もが大きく誤解している事がある。それは「女性にAEDを使う事を躊躇するのは、男性特有の現象」という点である。
http://www.city.togane.chiba.jp/0000010504.html
全国の学校構内で心停止となった子ども232人について、救急隊が到着する前にAEDが装着されたかどうかを調べたところ、小学生と中学生では明確な男女差がなかったが、高校生では女性に対してAEDを装着される割合が男性と比較して大きく減少していることが明らかとなっています
この「学校構内」という環境の場合、「女性が倒れた時に、周囲に男性しか居なかった」というケースは、極めて稀であろう。工業高校のような「男が生徒の9割」という場合もあるだろうが、数の上で圧倒的に多い「普通科」高校は、男女の生徒数に大きな差がないし、授業も男女混合のクラス単位で行われる。
(もちろん、男女別の授業もあるだろうが、その場合でも「女性の周りには女性しか居ない」というケースとなり、「女性が倒れた時に、周囲に男性しか居なかった」という事にはならない)
つまり、女性が倒れてAEDを使う必要がある場合、周囲には通常、女性がいるのである。そんな環境ですら、AED装着率で、男女差が出る。
上記の記事ではっきりとは書かれてないが、これは「女性にAEDを使う事を躊躇するのは、男性だけでなく、女性も同様」という事を示しているのではないか?
「女性の肌に触れることに躊躇する」というよりは、「倒れたとは言え、女性の服を脱がして衆目に晒しても良いのか?」という疑問が先に来ているとも言える。
ここに着目せず、男女間の争いに簡略化してしまうのは、問題の本質が違う方向に向いている危険すらある。一度、この問題は、落ち着いて整理していくべきではないだろうか。