2023-01-12

山あり谷ありをどう楽しむのか

人生の山と谷をどう定義するか。一つは「周囲の環境の変化に対して内面が捉えた何か」であるといえる。

能力とは、望む状態を作り出すために自分を操る力のことだ。あなた能力あなたの望みに対して機能するので、他人評価することはできない。

内面(思考など)をいくら変えても変わらない何かがあるなら、それを現実という。現実は正しく認識しなければならない。

「谷」が生じるのはなぜなのかというと、何か目標があり、その目標現実乖離存在するためだ。

会社にいれば利益目標になるが、他社と競争するといった現実があるので「我社は目標値に達していない」ということが自覚できてしまう。

もし「給料がたくさん欲しい」といったエゴがなければどうなるかというと、高い目標を掲げる企業就職する必要性すらない。

自分が満足できる環境のしきい値を可能な限り下げて、その中で満足できるだけの収入さえあれば、内面的には「谷」などない。

賢く節約して生きれば幸せでいられるというなら、そのような環境感謝してもいいぐらいだ。あなたの居る所は、「谷」ではなくむしろ「山」なのかもしれない。

ただここで問題がある。そうやってダラダラ生きていて何が楽しいのかと。

ある程度は、ネトゲやら読書やらそういう趣味だけで楽しめるだろう。ところが飽きるのだ。

飽きたときにどうすべきなのか。こういう助言をもらった。「未来に何かを望み、できるだけ具体的なビジョンを持ち、それを実現しろ

結局そういうことだろう。ダラダラと過ごせるという「山」とも「谷」とも言えない場所を去りたいと思うときが来ている。

それはちょうど心停止から抜け出すために電気ショックをもらいたいと思うようなものだ。山や谷があるのは生きている証拠だが、それがないなら屍である

しかもただ去るだけではだめで、「できるだけ具体的なビジョンとあるように、次の山を登るだけの準備が要るのだ。

それこそがまさにエゴでは?と思うかもしれない。

ビジョンの実現によって誰も不幸にならず、1人以上が幸せになれる」といったことであれば、エゴではない。

会社目標値の達成がエゴではないならそれをビジョンにすることもできるし、会社ビジネス世間に不幸をもたらしているなら、去ってエゴではない何かをすることもできる。

どちらにしても、行動をしなければ屍になってしまう。

エヴェレスト登山を楽しむような人もいるのだから、道中を楽しむのがいいのかもしれない。

 

参考: https://www.goodreads.com/book/show/21257548-peaks-and-valleys

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