はてなキーワード: 婚姻とは
“大阪地方裁判所の土井文美裁判長は「婚姻の自由を定めた憲法24条は、男女の間での結婚を想定したもので同性間を含むものではない」として、法律の規定は憲法に違反しないと判断しました。
また、法の下の平等を定めた憲法14条との関係でも「異性間の結婚は、男女が子を産み育てる関係を社会が保護するという目的で定着した制度だが、同性間の関係性にどのような保護を与えるかは議論の過程にある」として、違反しないと判断し、訴えを退けました。”
表現の自由戦士の無理筋な擁護(自分は完全否定派では無いが、明らかに「オタクが攻撃されている!」としか思ってない層が存在する)を見ていて、流石に気持ち悪いと考えつつ、彼らには「これ」しか、己のありあまる性欲を解消する手段がないのだなと思う。そう思うとかなり同情的になるが、最近は「モテないやつの最後の砦が二次元」なのではなく「二次元が好きだからモテないキモオタになる」方が大きくないか?と思う。
ここからは全て仮説だが、多くの「キモオタ」は、中高などかなり早い段階から二次元にどっぷりになっている気がする。二次元は基本自分を否定しない・ありのままでも愛してくれる(ストーリーだ)から、「〇〇に好かれるために自分を磨こう」という思考に辿り着くオタクは少ないんじゃないか?二次元は無条件の愛を与えてくれるが、三次元はやれ「金を稼げ」だ「おしゃれしろ」だ、ありのままの自分を愛してはくれない。努力を求めてくるわけだから、端的に言うと面倒なわけだ。だったら二次元でいいや、と諦めて自己研鑽を怠り、現実での性交機会が極端に減っていく、というのがキモオタのおおまかな流れな気がする。「こんな女だったら付き合ってやってもいい」のハードルが、身の程に合わず異常に高いのもキモオタの特徴な気がする。自己批判作用のない萌えコンテンツにどっぷり浸かった結果、メタ認知が狂ってしまうのではないか。
自分もライトではあるがオタクなので、二次元コンテンツが規制されるのは寂しくはあるが、婚姻数を増やすためにはある程度抑える必要があるんじゃないか?と、3/4冗談、1/4本気で考えている。
私自身は自分を性的マイノリティではないと思っていて、2年前に男性と結婚し、今も夫婦二人暮らしだから、ある意味自分には直接関係のないことなのかもしれない。
でも、やっぱり同じ社会を生きる人のなかで、愛する人と結婚出来る人、結婚出来ない人、と差が生じてしまうことは、全然理解ができない。
自分はたまたま結婚したいと思った人が男性で、自分が女性だったから、手続きが色々と面倒なことはあっても、婚姻届を1枚提出すれば、社会的にも"夫婦"として認められて、何か変わったような、別に何も変わらないような、そんな程度のことであった。
結婚したからといって、彼を想う気持ちが変わったり、自分の心持ちが変わったり、そんな風に劇的な変化は特になかった。
私が姓を変えたから、職場で呼ばれるときに戸惑ったくらいで、婚姻届を提出して"夫婦"になったからといって、別に何も変わらんな、としみじみ思った。
結婚の変化なんてそんなもん。
そんなもんなのに、それが同性同士というだけで何が変わると言うのだろうか?
私と彼が「結婚する」と合意した気持ちと、同性同士が同じように想う気持ちには、きっと何の差もないはずだ。
なのに、一方が認められて、一方が認められない。
なんか、流石に悲しくなってしまった。
今まではこういった話題も「何でダメなの?」と思っても、やはり自分事として捉えてなかったように思える。
でも今回のことがこんなにも悲しく思えるのは、判決の言葉があまりにも気持ち悪かったから。
憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」すると定める。国側は「両性」は男女を意味し、憲法が同性間の結婚を想定していないと指摘。男女が子どもを産み育てながら共同生活を送る関係の保護が婚姻制度の目的だとして、差別には当たらないと反論していた。
私はそういうつもりで婚姻届を出したわけじゃないんですけど………。
この文がこんなにも悲しく感じたのは、私が少し前に、流産を経験したからだと思う。
子供を産めなかった私は、正しく"婚姻制度"の目的を果たせていないの?
子供を望んだ時点でこの目的を達成しようとしてしまっているのかもしれないけど、子供ってそんな、望んだら簡単に作れるものではない。
初期の流産だったけど、心臓も動いていた一つの命が、色んな可能性を持っていたはずの存在が、自分のお腹の中で突然死んでしまったことの悲しさは、この先一生忘れることはできないです。
あんな辛い経験をしてしまうと、子供作ろうという気持ちすら薄れてしまう。
また同じことになったら、そんなのもう耐えられない。
でも「みんな耐えてるから平気でしょ?」なんて絶対言われたくない。
だから判決のニュースでこの文面を見たときに、あんな辛かったのに、私は子作りをし続けなきゃいけないのか……と吐き気がした。
婚姻関係=子供を育てるための共同体ならば、結婚している私は「子供を産んで育てたいと思っている人」として法のもとに保護されることになる。
なんだそれ…………
確かに子供は欲しいけれど、それが簡単に叶うことだとはもう思えない。
叶わない願いを望み続けることは辛いし、いつか諦めるときに願った分だけ悲しくなってしまうと思う。
一緒にいて心地良い人と、このまま2人で暮らしていければ充分だし、それが生きることの最終目標であってもいいはず。
そういう気持ちでいるのに、同性婚が認められない理由として"子供"の存在を出すのはあまりに悲しい。辛い。
今回認められなかった同性婚について、私がこんな風に辛い気持ちになるのはお門違いかもしれない。
でも同じ法のもとに暮らす同国民として、結婚の解釈おかしくね???と思いました。
私の立場を示したところで、結局はただ自分語りで、誰かの勇気にも慰めにもならないと思うし、誰かを傷つけてしまったかもしれない。ごめんなさい。
結婚という、人と人との出会いの一つのフェーズに、なぜ差が生じてしまうのか、私には理解ができない。
扶養控除とか遺産の相続、手術の同意など、結婚相手じゃないと認められないことをたくさん作ったのは社会なのに、それを望む人には差をつけてしまうのも社会なのが理不尽だと思っている。
ただそれだけのことが、私が提出した紙切れ一枚でできるのに、それを出来ない人がいる。相手への想いは変わりないのに。
なんで?
それらを認めることで、一体何が起こると言うのだろうか?
私が婚姻届を出して特に生活が変わらなかったように、きっと劇的に何か変わったりなどしない。
でも確実に、今まで出来なかったことが出来るようになる。
今まで結びついていなかった人が結びつくことが出来る。
それを喜ぶ人がいる。
それ以上でも、以下でもない。
そんな風に思うのに、なぜいつまでも認められないんだろうか。
婚姻によって享受し得る利益には、相続や財産分与等の経済的利益のみならず、当該人的結合関係が公的承認を受け、公証されることにより、社会の中でカップルとして公に認知されて共同生活を営むことができることについての利益(公認に係る利益)も含まれ、このような利益は、婚姻した当事者が将来にわたり安心して安定した共同生活を営むことに繋がるもので、自己肯定感や幸福感の源泉といった人格的尊厳に関わる重要な人格的利益である
同性婚は未だ根強い反対があるようだ。
反対する人たちの理由としては生理的な嫌悪感や思想によるものが強そうだが、これについては「誰と誰が結婚しようがあなたの人生には関係がない」といえるだろう。
しかし社会全体を考えたとき、「自分には一切関係がない」とも言い切れない問題があるように思われた。このことについて読まれている方々の意見を頂戴したい。
なお個人的には同性が愛し合うことは全く問題ないし、どんどんすればいいと思っている。当人同士のことだから。
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婚姻家族法ができた時代では結婚とはこどもを育てるためにするものという価値観があった。
このため、現状の結婚制度においては被扶養配偶者は年金、医療、税の控除、労災補償の遺族給付を受けられることになっている。
これらの制度は本来次世代を担うこどもたちが健やかに安定して過ごせるようにするためのものである。
言い方は良くないかもしれないが、社会システムを維持するためにはこどもが必要なのであって、そのために税という形で社会全体が負担をし、家庭を支援している。
そういった意味で、こどもを産まず、養子も取らない結婚は異性間、同性間関係なく社会の負担を増やす要因でしかない。
そして残念ながら現時点では同性婚はこどもを産むことはできない。
結婚をしてもお互いのキャリアを大切にしたいといったような考えも生まれてきた。
ではこどもを育てない家庭とは何であるか。
二人の関係性に名前をつけたいという文化、そして古い時代の価値観によって作られた制度だけが残っているだけなのではないか。
愛を誓った二人が相手と特別な関係になりたいと考えてその関係に名前をつける。
それ自体は何の問題もないことだ。しかしその関係性を名乗った時点で、望む望まないに関わらずこどもを育てる前提の支援制度が適用される。
つまり人と人の間の関係性に名前をつけるだけで社会への負担は増えてしまうことになる。
文化的な理由により愛し合う二人の関係の名前が結婚という単語であるだけなら、次世代を育成するための支援制度と、結婚という名称は切り離す時がきたのではないか。
つまり、結婚をするということが直接育児を意味しないなら、社会全体による支援はこどもを育成する家庭のみを対象とすれば良いし、異性間同性間関係なく結婚という単語を使って関係性を表せば良い。
anond:20220615115818を読ませて頂き、非常に有用な知見を与えられたことに敬意と感謝を申し上げたい。
それはともかく、同性婚へ関してかねてから指摘されている「同性婚に伴う資産家による資産還流問題」というのを皆さんはご存知だろうか?
同性婚に伴う資産家による資産還流問題とは、既存のいとこ婚と同性婚制度を組み合わせて婚姻に至らなかった資産家一族の同性子女同士を同性婚させて遺産相続によって節税しつつ資産還流するという節税手法のことだ。
この手法は既存のいとこ婚でも指摘されてきたことだが、これが同性婚導入によってより広い範囲を対象とすることが可能となるのは明白で、資本の一極集中化がより進んでしまうのではないか?という懸念が一部ではなされている。
つまり既存のいとこ婚では難しかった制度上の制限が開放され、より容易に特定の一族だけに資産を還流できてしまうので資産家一族は資産家一族のままに庶民一族は庶民のままにと固定化が発生してしまう弊害があるんだ。
「そんな悪用するのは一部だけ」と言いたくなるのは心から理解できるが「一部へ資本が集中すること自体が問題視されている悪用法」なのでその一部を無視しにくいのが現状。
同性婚の容認を超えた同性婚を推進する人たちはこの辺りの弊害への懸念を尋ねられると口をつぐんでしまうことが多く、可能であれば増田のように一般以上の同性愛知識を持つ人に可能であればコメントをお願いしたいと考えています。
そして同時に有識者でなくとも資産家の資産還流問題へ「こうすると良いんじゃないか?」というアイディアが湧いた方が居るならば是非ともコメントして頂ければ、より一層の議論の発展が望めるので多少の誤りなど無視して気軽にコメントして下さい。