はてなキーワード: ロメとは
あの人たちは、すべての反論をいなしてかわした気になっている。
ディベートの技術のようなもので、反論できず「ぐぬぬ」となったり、非を認めると「負け」である。
ここで言う「負け」はあくまでゲームの中の勝ち負けのことで現実的に正しいとか、皆が納得するということとは別である。
だから非を認めずに、常に口を開いて反論への反論(しばしばそれは悪あがきや言い訳、話題そらしと同じである)を続ける。動き続けていれば「負け」ではないのだ。
マグロが泳ぎをやめると死んでしまうように、彼ら彼女らも議論をやめると死んでしまうのだ。
マグロ、ご期待ください。
自分が「負け」のポジションに落ちなければ、維持できると考えている。その過程で信頼を失ったり、怒りを買ったりしているのだがディベート的ゲームにはそんなパロメータはないから安心だ。
そんな生活をしていて大丈夫かと思う人もいるだろうが、大丈夫だ、問題ない。
学生時代や会社の友人のなかで付き合いが続く人は、彼ら彼女らのそういう一面をわかったうえで踏み込まない。
信頼されなくても生きていける。能力や縁とかでそこそこのポジションにはおさまってしまう。
どこかの長とかの変てこな発言を見れば「ネットで言われる正しさ」が世の中での出世やらにあんまり関係ないということがわかるだろう。
結局誠実であるということは、個人の心がけの問題であって、無視しても生きていけるし、それでしっぺ返しを喰らわない人もいる。
少なくともネットがなかった頃は確実にそうだった。
「ゾンビに殺された人間もゾンビ化する」というロメロ的ゾンビ観に基づく
・垂直的なコミュニケーションによって「記号」に振り回されるという状況がありつつも、水平的に自ら「記号」を操作する立梅にある
インターネットを利用して自分も記号を用いて振り回すこともできる。
→オタクの字義が広がった(市民権を得たというのもある)。もしくはレッテル貼りによってそう語られる人が増えた。ファッション的にオタクを名乗る人が増えた
記号のパンデミック。ある属性を身にまとう人が増え(もしくは着せられる)、それがゾンビが仲間を増やすように他人にもその属性をうつす。ウイルスのよう。
・ネットワーク消費
消費の対象は、それらが共有されるか否かで判断される。同じ作品を見ているかどうか、それについて他人と話し合えるかどうかが問題。それが多数派であるか少数派(ニッチ)であるかはまた別問題か。TwitterなどのSNSで感想を共有出来る場が増えたことなどから諸費は他人とのシェアを含めたものとなる。シェアできる人がいない→他の人に薦めればいいじゃんというゾンビ的な行動が起きる。見ている人が多いから選ぶというのもありそうではある。その場合、評価が裏打ちされているからでなく、ただ単にシェア可能性が高まるからだろう。
・オススメ○○選!
割りと個人ブログでも見かけるが、PV稼げるだけだからでもないだろう。これは一種の噛み付きである。しかし噛まれる方は噛まれることを望んでいるのかいないのか。
状況はこんな感じ。
飛び道具だと弾数の心配があるし、ヘッドショットを決めるのって難しい。
オノは抜けなくなるから論外。日本刀は2~3体ぐらい斬るとダメになるだろうな。
スコップはなかなか使えそうだと思った。押す、叩く、切断する、などができそう。
あと、やはり「槍」が最強だと思った。特に真田幸村が使ってるような十文字槍。
「槍だと刺さって抜けなくなるでしょ?」と思うでしょ?
違うんだな、足を狙って、移動を奪えばいい。
屋内だと、手前のやつの足を槍でザクザクやれば倒れて、後ろの奴もどんどん倒れる。
屋外でも、走って逃げつつ、近づいたゾンビは足元を狙ってザクザク。
倒れたところをトドメ指してもいいけど、フィニッシュ用の大きめのアイスピックが欲しいかも。
更にカーズみたいに腕に刃物をつけておきたいね。万が一近寄られた時のために。
あとアレ、武器じゃないけど鎖帷子を体に巻きつけるのは防御的に重要だと思う。
ヘルメットかぶって、登山靴をはいて、革のグローブをつけて、万が一かまれても
貫通しないような衣類を身に着けておくことが大事。
そうすればロメロゾンビの世界も、ウォーキングデッドの世界も、生き残れる気がする。
どうした事だろう
つまりは、「自分の満たされないものを相手に押し付ける」という方略を取っているのに過ぎないのだ
例えばロリ
自分より弱い者を守って、好き放題にする
例えばヤンデレ
自分だけを一生愛し、傷つけず、裏切らず離れず、何でも言う事を聞いてくれる
例えばロボット
命令された事を忠実にこなし、あらゆる内部パロメーターは変更でき、行動パターンはプログラミングできる
自分の思う通りに周囲を動かし、自分への印象を書き変え、自分の絶対的優位を確立する事が出来る
例えば、例えば、例えば……
……曰く
「 私は、あの人の代わりをあなたにしてほしいわけじゃない」
「 寂しいからとか、セックスしたいから付き合うのはなにか違うと思う」
「 それぞれを一個人として尊重し、性別を超越した人間としての付き合いをするべきだ」
死 にたい、死 にたい、死 にたい
こんなはずじゃなかったのに
醜いのは嫌だ
その果てにはすべてがあって、回避主義者が失ったものがあるんだろうか
「just the way you are」だなんてお笑い草なのだよ
常に内包的定義によって、トップダウン的に、そして演繹的に定義される
私たちは「私たちは私たちだ」とは言わず、「私たちはコレコレこのように定められた、私たちだ」と述べる
主体的存在を表明されるべき自己主張は、客体的存在を提示する観察所見へと変化する
自分の事はどこまでも「法則や理論で説明可能な、無個性で替えの利くどこかの誰か」としか表現されない
すべてはデジタル符号に置き換えられ、感情も人格も知能も人生も、パロメーターと要素の組み合わせで表現
構成主義者は歓天喜地だよ
死とは、不可逆の自称で、以後、再び動いたりしないことである。
として、真の生物でないドラえもんは故障後も再稼働に持って行くことは、現実的でなくとも可能だろうと思うに至り、生命ではないと、「私は」認識する訳です。
寿命の設定が無かろうが、一度完全に死を迎えれば、お終いの存在ならやはり生命だと思います。
ぴったりの表現で言うならニルバーナというか、蝋燭の火が消えて、お終いならそれは生命だというか。
ゾンビ。死語も活動していますが、やはり生命ではないでしょう。正体は創造者のロメロに聞いてください。
カーズ。死ねないと本人も仰っていますが、やはり太陽に突っ込むなり、ブラックホールに吸引されるなりで死ぬと思いますので、生命ではないかと。
キリスト。世界中で、唯一、死後に復活した例外。事実の確認が難しいので言及しません。(断じて、インチキだと決めつけているわけではないです)
呼んでくれた方の中に、曰く
「定義はちゃんとあって、
自己複製する
境界がある
代謝する
の三つなんだよね。
まあ定義が難しいとか論争があるかのように書かれているサイトは多いけども。
と仰った方がいます。
ここは見解の相違です。それは、一部の人が、便宜上決めた定義でしかないのです。
仮に上記の三要件を必ず満たす物が生物だと言うのであれば、種子を作る機能を欠いた植物は生命ではなくなってしまう。
ウィルスが生命でないというのは現段階で生命だと明言できないからに過ぎない。
と、まあそんな感じ?
ちんちん。
横だけど、何だか「哺乳類のあかんぼはどうしてみんなかわいいか」みたいな話を思い出した。
http://anond.hatelabo.jp/20130208102440
「かわいいは正義」であったとして、では正義とは何かと問うと答えは勝利者、生き延びる者ということになる。
悪は正義に打ち倒される敗者であり滅ぶ者。
「美形の言うことが正しい」と書くと「んなアホな」となるけど、「美形の言うことは支持されやすい」とすると「あーそうかも」となる。
アニメとかの娯楽作品において支持は「市場による淘汰に耐える」に直結する。だから主人公が理由もなくグロメンにはならない。
「かわいいは正義」とは、「かわいいから正義」ではなく、「正義だからかわいいキャラ」という意味なのだ。
市場における支持を取り付けるための、たぶん一番安直な表現。これが過剰になって整合性を無視し始めると「萌えへの媚び」を帯び始めるのだと思う。
他人を褒めるというのは、多分に言葉遊びめいた所がある。
つまり、同じ特徴を欠点でなく美点に言い換えるのだ。長所は短所と言うだろう。
肌が汚い:どんな美肌イケメンも一皮むけば筋肉と骨、50年経てばシワじじい。内面を重視しているであろうコイズミくんかっこいい
チビ:チビはかわいい。デカい男は時に威圧感があって怖いが、コイズミくんはきっと大丈夫だ
グロメン:これは完全に趣味の問題。私が見たらイケメンかもしれないし、イケメンは浮気しそうで嫌いという女子も多い
性格:一言悪いじゃよく分からん。ちょっぴりシャイなコイズミくんは、仲良くならないとツンデレを発揮してくれないのかも
ラノベ:ラノベ読みに喧嘩売ってんのか。id:REVさんに謝れ。ジャンルと無関係に、読書量が多いのは集中力がある証拠だよ
声質:私ハスキーボイス大好き!抱いて!それとも甲高い系?じゃあボーイソプラノ素敵!
運動神経:文化系男子もまたよし。しなやかな指とか持っていたら尚すばらしい
頭:コイズミくんは純真で、ずる賢さとは無縁なのだ。天然なくらいの方が愛嬌があっていい
発達障害持ちのにきび跡、肌荒れ酷い、不細工、腎臓疾患持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生です。
今日は他人を褒めることが出来る人間になろうと、とりあえず学校の知り合いみんなの良いところを探した。
どうしてもいい所がみつからない知り合いがいる。
コイズミくんだ。
コイズミくんは肌が汚くて、身長はチビ、顔はグロメン、性格は悪くて、ラノベばかり読んでいる。そして声質も悪い。
運動神経も悪くて、頭も良くない。
その後ふと気づいた。
コイズミくんと僕のルックスは同じようなもので、僕はオマケに腎臓疾患と発達障害まで持っているじゃないか。
コイズミ君の良いところを探そうとしたら、最終的に自分は良いところが無いことを再確認させられた。
ごめんなさい コイズミ君
多かれ少なかれ、みんな容姿にコンプレックスはあると思うけど、それをバネにしておしゃれに励む人と、
ある程度あきらめてモッサリしてるひとがいると思う。おしゃれが楽しくて仕方ねえ!って人も、やっぱり
容姿がいいとトクをする世の中から取り残される恐怖から逃げるために見栄えをよくしてるところもあるだろう。
さて、自分はモッサリタイプなわけだが、それでもある程度最低限は身だしなみに気を使っているつもりではあった。
すごくおしゃれに気を使ってるわけじゃあないけど、風呂とか洗顔・整髪料や髭剃りアイテムあたりで清潔感は
どうにか出そうとしていた。それがどうだ、最近メガネが古くなったってんで、今まで矯正視力0.9だったのを1.5になる
ようなメガネに換えた。
うほほっほっ俺キメェェェェェェェェェェwwwwwwwwwwwww
誰でもメガネ変えたら人の顔のシワなんかに目が行くもんだが、それより俺の髭剃りあとやべぇ!青々としすぎ!
顔テカテカ油顔すぎ!目の下のクマやべえ!髭剃りでミスった傷痕恥ずかしい!
0.9のメガネで鏡にぐっと近づいてもなんか気づかなかったのに、このメガネで見たらやばい!やばすぎるよ…
というわけで帰りドラッグストアに寄って、ケア用品を買い込みましたという話。その後、いろいろ気になって
コンタクトも作ってみたり床屋から美容院に買えてみたり服に金をつぎ込むようになった。今まではオシャレと
いうものに対して何か気恥ずかしさがあったけど、そうも言ってられないほどグロメンだったんで、それの手入れを
俺なんかあんまり人間にムカッと来ないんだよな
いたって温厚だし落ち着きがあるとよく言われる
その分なのか関係ないのかわからないけど、
モノに対する俺のキレ方は超早い
例えば鉛筆が机から転がり落ちて、拾う、
それがもう一回転がり落ちたらへし折ってゴミ箱に叩き込んでゴミ箱もけり潰す勢いでキレる
我慢してるとかじゃなく怒りが湧いてこない
いろんな事情があるしなあ、って温かく見守れる
謝ってるんだし全然いいよお~って感じ
ただ危ないのは、
駅で通りすがる見知らぬ人間(特にこっちに背中が向いてる奴)にはヤバイ
モノに対するのと同じような凶暴な感情がわきあがる
よたよたヨロメキ歩いて俺の早足通行を塞いだ奴とかいつ本気で蹴飛ばしてしまうかわからない
(こちらの迷惑に気付いて恐縮してたりしたら瞬時に「人間」になるので一瞬で怒りが引いて「全然いいよお~」になる)
最近通勤中、邪魔なよたよた歩きに聞こえるように舌打ちしてることがある
マジでヤバい人だ…
なぜだろう、うまく言葉にできないけどもの凄い嫌悪感が自分の中で蠢いてる。
周り(自分を取りまくすべてのモノ)の雰囲気がワシャワシャとせわしないから、自分も落ち着かないのだろうか。でもなぜそれに対して拒絶感が現れてくるのか分からない。
”この特別な期間を独りで過ごすから”からかもしれない。確かに例年この時期は(この時期に限らずとも)独りで過ごしてきた記憶が強いし、今年においてはXmasから外界と全く接触していない。
が、以前Xmasと大晦日~元日を数人の友人と過ごした時に、元来自分には人嫌い+ぼっち属性があるためか、「ひとりで静かに過ごしたい」と幾度となく悔んだ経験もある。
でも素直になってみてわかった。やっぱり”独りが寂しい”のだと。”一人は好きだが、独りは嫌い”なのだと。そう声高に叫べない自分がいて強がってしまう。そしてどんな形であれ”集団で”enjoyしてそうな人間に嫉妬し、攻撃的になる。結果、坊主憎けりゃ何とやらで、攻撃対象がこの時期に向けられ、その反動で虚しくなると。この時期の芸能人のblogは連日連夜で飲み会だの忘年会だのイベントだので酷いものだが、それらを見るとムシャクシャしては虚しくなる理由もここにあるのだろう。
だからと言って唯一無二の~とか心からの~とかいう関係はいらない。その付き合いが友達にしろ恋人にしろ、己が必要とする以上の関係にまで発展したら絶対に面倒くさくなるという自信が自分にはある。これは元来の特性であって、そこまで深入りはしたくないし関わりたくないというものだ。だから必要な分だけレンジでチンできるご飯みたいな関係が自分にとっては理想である。
なんというか、この点を考えれば風俗は最適ではないか。赤の他人だが自分の好みの人間と一回限りの性的快楽を得られる。知らない男のペニスを何本も何本も突っ込まれた人間とは付き合いたくもないので、まず恋愛に発展しない自信もある。でも性病が怖いし、チキンな自分は風俗に行く勇気もない。さてどうする。
そこで思ったのがメイドカフェ。うん、これだね。というかむしろこっちの方がリスク・コスト両方のバランスがいいかと。奴らは金さえ出せばどんなにグロメンキモヲタだろうと相手してくれる。ここでも恋ないしはセックスに発展する可能性はほぼ皆無に近いだろうから、相手がもし性病持ちだとしても感染する心配はまずない。とにかくこの寂しい自分の一時的な話相手になってくれればいい。それ以上の発展は望まない。ああ、なんて理想的かつ合理的。最近のメイドさんは残念な娘もさることながら、可愛い娘が多い、、気もするし。
そうだ、そうだったのか。わかった!よし、今更だがメイドカフェに行こう!
と考えて早8時間、いつものようにPCの前に座る自分@home。来年もこの腰の重さは相変わらずのようです。ああ疲れた。第九見よっと。