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[B! 差別] おじさん構文、働かないおじさん…「おじさんは叩いていい風潮」の危険性。社会学者が指摘する中年男性のイメージと現実のズレとは | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
あれは本来夜職やパパ活界隈で相手のおじさんから送られてきたメッセージを晒したりして共有されていたもの。
年下の女性に合わせた(つもりの)下心を伴った書き方がキモい・痛々しいといういわば「キモおじ構文」とか「パパおじ構文」とでも呼ぶべきものだった。
(なのでテレビで朝から面白ネタとして紹介したりしていいの?という疑問もある)
ちなみにおじさんというと40、50代からをイメージするかもしれないが若い女性視点なので30代からおじさんである。
それが今では世のおじさんみんなああいう書き方をしてるかのように誤解が広まって無関係なおじさんが被弾している。かわいそう。
年上のおじさんと日常的にやりとりする人なら知ってると思うけど彼らはあのような書き方はしないし男性は絵文字もあまり使わない。
その点おばさん構文はまた異なるんだけどここでは割愛。
chatGPTによって人間の言動もかなりの精度でカテゴライズして再現することができるということをありありと見せつけられると、いよいよ人間的な価値というものがググっと下がってしまい、ホンモノの人間の自分たちはどう振る舞うべきなのかということを考えさせられる。こうして当事者になってみるとソフトに追い抜かれたときのプロ棋士の気持ちが分かってくる。
将棋ではすでに指し手の最適解が分かってる上で、藤井聡太はAI最適手を指せただの、羽生はトチっただの、外部からは丸付け作業のように毎日の対局を見られている。
人間も、特に雑談などにおいてAIが算出した最適なレスポンスからどれだけ外れているのかはたまた一致しているのかという、いわば
AI版朝までそれ正解
の最適解との比較が為されるのではとか。思ったり。
春から心理系大学院に進学することになる。まあまあ勉強し、研究室訪問もして、参考書代に金もかけてやっとの思いで合格できたので、その点に関しては不満がない。
だが勉強していた時も、合格した今でも、私は心理学というものが嫌いだ。嫌いというか、心理学が好きと言っている人は一体それの何が好きなのか、シンプルに聞きたくなる。
認知心理学なんてほぼ理系みたいな感じがするし、臨床心理学では"催眠療法"とかいう、ええ、、?? みたいなものを真面目に覚えないといけなくなるし、社会心理学はありとあらゆる概念をカテゴライズしてる感じがして学問として煩雑な印象を受ける。
私は、心理学は"分類学"だという印象を受ける。こころ、という誰がどうやっても掴みきれないシロモノに対して学術的なアプローチを試みた結果、グチャア…みたいな学問になったという気がする。森田正馬の話とかガチでおもろいしw いや〜仏教に流れ着いたのね〜ご苦労さんって感じw
他の友人がやれ卒業旅行だの新人研修だの浮かれてる中、娘だけは就職活動を必死で続けている。
ギリギリまでは頑張るそうだけど、この時期に新卒を募集かけてる所なんて、思い切り足元見てるか危なそうな所ばかりだという。
その中からも何とか比較的マシな所を探して応募するも、それでも落とされる。
原因はわかっている。娘は所謂女性学・ジェンダー学の分野のゼミ出身だからだ。
男性の面接官だけでなく、女性の面接官からも良い反応は無く、案の定お祈りされると。
色んな所で似たような反応されて、娘も自分のアピールが致命的だった事に気が付き、方針を変えたらしいが
「ゼミで何をやっていたの?」「大学では何を中心に学んでいたのか?」という質問には、上手く答えられなかったり、正直に答えてしまったりして、駄目だったらしい。
娘が決して悪い訳では無い。少なくとも親としてはそう思いたい。
しかし昨今のフェミニズム・ジェンダー界隈の過激な主張を知っている世代からすれば
熱心にそういったものを学んできた人間など、社内で同様の主張をする「面倒臭そうなタイプ」と思われたのだろう。
コロナ全盛期よりは多少マシになったものの、まだまだ景気も戻っているとは言い難い。
そんな中に、危険分子の可能性が高い、明らかに分かる形で見えている新人など、避けたいというのが企業としては本音だろう。
何より私自身、会社では採用に携わる事はあるが、そういった学生は警戒するし、一面接官として採用は避けたいのが本音だと思っている。
かのシールズやしばき隊のシンパ、参加者、親和性が高い人物を採用したく無い様に、フェミニズムやジェンダーもその「ちょっと関わりたくない類」にカテゴライズされてしまっているのだろう。
少なくとも私から見たら、過激な人達程思想に染まっている様には見えない。
就活が難航しているストレスからか「私はアイツ(某有名な人)みたいに腕組みして睨み付ける様な女じゃないのに!!」って泣きながら怒っていた事もあった。
とても可哀想だと思う。
私の会社は所謂コネ採用には厳しいし、そもそも一個人で新卒枠を一人増やす、なんて事が出来る権限は無い。夫も同様だ。
何の助けにもなれないのが辛い。恐らく娘は、無い内定のまま卒業するだろう。
こうなったのは、誰のせいなのだろうか?
きっと個人の〇〇○が悪い訳では無いのかもしれない。
しかし世間に対し過激な言動・主張を繰り返し、反発・反感を買った結果がこれなのだ。
いつも真っ先に被害に遭って、救済もされないのも末端だ。
正義感の強い方だった娘は、綺麗で正しい、正確に言えば綺麗で正し「そうな」主張を信じて学んだ結果、裏切られてしまった。
○○○が生んでしまった、新たな形の女性差別の対象となり、被害者になってしまった。
〇〇○の個人個人が悪い訳では無いという理性と、〇〇○のせいで娘が大変な思いをして!という感情がせめぎ合う。
〇〇○はいずれ滅ぶべきなのかもしれない。
一応自分も非モテだったので、社会の厳しさは理解してるつもりだ。
たださ、お前達こういう事って分かってたんだろ、認めてたんだろ、って言いたい。学生時代からずっとそうだったじゃないか、いわゆるリア充とかAクラスとかにカテゴライズされる奴等がキモヲタとかCクラスとかいうグループを蔑んで嘲笑してウケを取って、果ては苛めたり暴力を振るったりして、その他の連中はそんな「ガス抜き」が行われているおかげで平凡な学校生活を送る、皆学生時代ってこんなものだっただろ。
クラスに配置された人の枠組み以外、誰に強制されたわけでもない人間関係の中の小世界で、強者が弱者から不当に搾取をして咎められない、そんな世界の仕組みがいつの間にか出来て、殆どの奴等はそれを積極的に承認するか、当然と思って受け入れてきたんだろう?
学校が社会の仕組みを学ぶための小社会とするならば、それが拡大されているのが実社会なのだから、自分が被差別側になってしまったからといって文句を言うなよ。それこそ「自己責任」なんじゃないのかい。以前まで自分がAクラスの「クラスの人気者」もしくはBクラスの「普通の学校生活を送っている学生」という、Cクラスを犠牲にした「既得権益者」だったんじゃないのか。人の時は自己責任だと言い、自分の時は社会が悪い?寝言は寝て言えよw
俺、小学校から高校まで、毎日罵声と嘲笑の中で生きてきたし、持ち物が無くなったりいたずらされたりした回数は数え切れないくらいだ。中学校時代は特に酷くて、生傷が絶えることがないくらい暴力を頻繁に振るわれた。死のうと思ったことも一度や二度じゃない。
誰に訴えてみても、誰も助けてくれない。
それでも、担任も親もクラスの連中も「いじめられる側に問題がある」だよ。
よしんば俺に何か原因があったとしても、暴力が許される訳がないのにね。
そんな「格差社会・自己責任社会」を学生時代過ごして来たから、俺は大学受験と就職活動は文字通り死に物狂いで頑張ったよ。結果、給与が良く残業が少なく身分保障がしっかりしている今の職場にいるんだわ。
で、今の弱者男性問題とか見てても正直ピンとこない。女に困窮した弱者男性、あの人達の学生時代はどうだったんだろうね?クラスにいる弱者の苦しみを何の問題意識も無く眺めていたのだとすれば、現在の状況は社会の被害者でもなく、ただ単に「因果は巡る」ってだけだろ。学生時代Cクラスで、そのまま弱者男性になった人も、社会の格差構造をもっとも肌身に感じて理解できる立場にいたのだから、それで対策ができないというのは甘すぎるというほか無いんじゃないか。
「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」