はてなキーワード: 本州とは
なおこのほかに、「争いは同じレベルの者でしか発生しない理論」を逆手にとった「こいつはこいつと同レベル詐術」という物が存在する。
つまり、格上の都市(例えば仙台)と格下の都市(例えば新潟)を戦わせることにより、「仙台と新潟は同レベル」と思わせる詐術である。
これにより争いはよりカオスになり、
「新潟を持ち上げて仙台と戦わせているのは、仙台と張り合っている広島市民」
「金沢を持ち上げて新潟を戦わせているのは、『仙台=新潟詐術』を否定したい仙台市民」
「富山を持ち上げて金沢と戦わせているのは、『仙台=新潟詐術』を否定されたくない広島市民、もしくは金沢と張り合っている新潟市民」
「福井を持ち上げて富山と戦わせているのは、『金沢=富山詐術』を否定したい金沢市民、もしくは『新潟=金沢詐術』を否定されたくない仙台市民」
和歌山の特異性の根源は色々ある。
今もなお市のシンボルとしてそびえる和歌山城、また県庁脇の交差点には史実では徳川幕府を立て直し、ドラマでも「暴れん坊将軍」として名高い吉宗公の銅像とともかく徳川御三家のプライドを、特にその周辺住民の意識に深く刻みこんでいる。
高野山。
言わずと知れた日本仏教の聖地。空海が平安時代に開いたその地は世界遺産にも登録され、より一層存在価値を増し観光地としても世界的に注目されている。参拝者数日本一の寺院、成田山新勝寺も高野山真言宗の一流派、根来寺(和歌山県岩出市)の下部組織に過ぎない。
熊野古道。
神武天皇にも由来する日本サッカー協会のシンボル八咫烏、落差日本一の那智の滝などの熊野三山が平安時代からの信仰対象として貴族や朝廷でも人気があり、その参詣道としての熊野古道が世界遺産になったことで、県で最も経済的価値の無かった山間部でも経済効果を生み出している。
かつては同社の主力工場でもあったため、和歌山市には企業城下町の文化が今なお根付いている。ノーリツ鋼機や島精機をはじめとする様々な企業の発展もその恩恵に預かったと言っても過言では無い。
野球。
現在の県立桐蔭高校の前身和歌山中学が今で言う甲子園の選手権に第一回大会から出場し第7回8回の大会で優勝した。それで野球文化が広がり住金野球部の活躍からかつての箕島高校や現在の智弁和歌山などが活躍すると同時にそれら以外の学校からも今なお多くのプロ選手が輩出され続いている。
トルコとの友好。
明治時代、トルコのエルトゥールル号難破を潮岬周辺住民が救助活動したことにより日本との友好関係は現在も深く繋がっている。
生誕地。
がんばれ前畑の前畑秀子。
生誕地。
華岡青洲。
豪商。生誕地。
パンダ。
梅。
醤油。
発祥の地。
hyde生誕地。
コブクロ。
志磨遼平生誕地。
小林稔侍。
生誕地。
玉置成実生誕地。
このように、和歌山県は自慢ポイントが県内各地にあり、多岐に渡るため特異な県民性があると思う。本州最南端で山間部に囲まれ大阪や奈良からも隔離された地理的要因もあるのだろう。
そういった点では指摘された「独立国」というのもあながち的外れではないし逆に個性として主張すれば発展する要因になるかも知れない。
もしかして瀬戸内海沿いに縁がない人ってあれを「海によって本州と四国が隔たれてる」って感覚なのかな
広島と愛媛しか元住民としては知らんけど、広島⇔浜田とか松山⇔高知みたいなろくな高速道路がない山が険しい道しかないのよりも、広島⇔松山のフェリーや高速船のほうがよっぽど行き来しやすいけどな
船しか交通手段がない安芸⇔中予でこれなんだから、しまなみ海道のある備後⇔東予とか瀬戸大橋のある岡山⇔香川だともっとこの傾向は顕著になるよね
特に岡山と香川なんかサンテレビ圏内だし、あちらのほうだと鳥取や徳島はもう関西志向強いんでしょ?瀬戸内の隣県とかそもそも気にしてなかろう
だから「山で隔たれてる」よりも「海で繋がってる」ほうが近い感覚あるよね、瀬戸内海ってめっちゃ幅の太い川みたいな側面もあるし。
「本州アイランド」は全域で川が溢れていると書いてありますから、廃棄物がどこに行ったかよく分からない報道になっている。
実際には水系が違うので、あり得ないことですが、フクシマの放射性廃棄物も東京大洪水に流入と懸念されて、全く不思議ではありません。
例えば「地域住民・納税者でなければ、災害があったときシェルターに入れない」という記事は、日本人の多くが考えない別の解釈をされかねません。
つまり「仮に五輪観戦で東京を訪れたとき、大雨、洪水などの大災害があったとき、海外からの観光客はシェルターに入れてもらえない」と、ごく普通に理解/誤解されます。
栗、おいしいよね
和菓子も洋菓子も大好きで栗の甘いお菓子も当然大好きなんだけど
栗ごはん、てめーだけはだめだ絶対に許さないと思っていた もうめちゃくちゃに嫌いだった
そんな感じでもう10何年も栗ごはん食べてなかったけど最近プロが作った栗ごはんを食べる機会があって
それが素朴だけど衝撃的なおいしさでな な な なんじゃこれうめーーーーーーーーーーーーな!?!?となって非常にびっくりした
その薄い塩味+ただ剥いた栗+うるち米のみの栗ごはんをしみじみおいしく食べて思ったんだけど
自分が嫌いだった栗ごはんというのはつまり「栗の甘露煮を炊き込んだかあとで混ぜこんだ甘いごはん」だったんだなと気がついて
この十数年自分であれこれ調べてみようと思わなかったことを後悔した
昔子供の頃に食べた栗ごはんはあの甘く甘く煮てクチナシで色をつけた
栗を炊き込んかあとで混ぜたかしたもち米入りの炊き込みごはんがほとんどだったから
(北海道だけなのかもしれない本州の方どうですか、北海道は赤飯の豆もでかくて甘い(これはごま塩かければおいしいと思う)(ダブスタ))
栗ごはん=そういうものでそれだけしかないのだと思い込んでいて本当に長いこと損をしていた
栗=甘く味をつけて食べる という思いこみもあって薄い塩味の栗ごはんがとてもおいしい、なんて露ほども考えたことがなかった
そういうことに気がついてからはむしろ栗は塩気のある味つけの方がいいのではないか…と思って色々試してみると
エビやキノコなんかと栗をオリーブオイルやニンニク、鷹の爪なんかで炒めるとべらぼうにうまいし
角切りのベーコンと合わせて炒めたりそれで米を炊き込んでやるとまたこれがうまいし
蒸したり茹でたりした栗にただいいバターをとろっと溶かしてやったところに粗い塩をかけて食べるとまたこれがとてもうまい
要するに味の濃い甘めの芋のような扱いで色々な油やスパイスを組み合わせて
調理するととてもおいしいし自分の好みに合うということがわかって