はてなキーワード: 怠惰とは
立派な男は立派な父親を持たない。
秋山久敬が太政官であったなら、秋山好古や秋山真之があれほどのことを成し遂げられようか。
私はお前などのために責任を果たすつもりはない。私は医師になるためにお前に構ってやる暇などない。
息子よ。立派になれ。
私立入れろとか
「子供を強者にする方法」みたいなのたまに流れてくるけど、金持ちの子に生まれ暇な母親と成功者の父に色々いじられた子供から言わせて貰えば
きもい。の一言。子供を思い通りにしようとする親の目論見は全部のちに爆発四散します。
子供が欲しい親の態度は一つだけ。
「どんな君でも受け入れる、大好きだよ」
スポーツ習ってSAPIXいって人生の勝者になれって、そんな条件付きの愛は、子供に見抜かれる。うまくいったとて、あとで「あっハイ、親には感謝してマス」とキマった目で中空を見ながら言われるのがオチです。
人間は思い通りにならない、今日の勝者が明日には負け組なこともある。価値観も必要とされる能力も変わる。時代が変わっても子供を豊かな大人にする事はただ一つ。
つまんない世間の「望ましい姿」を子供に嵌めようとするのではなく、その子そのものを見つめる事だけ。「あ、こいつ自分を見てねえな」ってのはバレる。本人を見ていないツケは「絶対に」親に返ってくる。それは親として1番怠惰だからだ。本人見ないで「女ってこういうの好きだろ?」ってプレゼント嫌がられるだろ。子供も同じだよ。「こういう子育てしたら強者なるだろ?」って本人見ないでやられたらさ、あ、ども…(後で捨てよ)って感じだよ。子供は後で捨てるとか出来ない分可哀想だけど。嫌々習わされたピアノの時間なんかメルカリには売れないからな
子供が人生大失敗したって、それはそいつのものだ。親が子供に成功して欲しいと願い、過剰な手出しをするのは、人生の簒奪なんだよ。
親という字は!
木の上に立って見るって、花の慶次で読んだろ?
億劫でなかなか手をつけられないタスク、気が進まなくて放置しているタスクを
「このままじゃ一生やらないな」
「これじゃいかん」
と思って、紙にペンで箇条書きに書き出した。
自分の怠惰さや意志の弱さ、目を背けたいことが煮こごりになったようなリストができた。
純度の高い恥部。
机の上に置いたけど、このリストを見るのもイヤだ。
これが視界に入るだけで背中にうっすら汗がにじみ、ほかのこともすべてやる気が失せるほどだ。
でも、意識の隅に追いやっていたことを無理やり意識させられるし、そのうち
ということがたまに見つかることがある。
その積み重ねで、ようやくリストの半分ほどは打ち消し線で消すことができた。
たまにリストの項目が増えることもあるが、減るペースのほうがたぶん速い。
素晴らしいですね。処世術としては満点じゃないでしょうか。ただし日本の起業の悪いところがギュウギュウに詰まったアドバイスですね。感心しました。これくらい適当でいい加減な人間だけが生き残るのが日本企業なんだという有様を見せて頂いたという感があります。
不器用にも程がある。
冒頭にこれ。
日本社会の悪癖を詰め込んだアドバイスこそが器用な対応だと信じているということがよく分かりますね。
威張って堂々とな。
散々、技能実習生や外国人労働者に対するパワハラや差別的な対応が問題になっているのにこれ。上下関係はあるだろうが、お互いに相互理解の上で仕事をするということが頭にない。上下関係で威圧することしか考えていない野球部的思考。日本の頭の固い管理職によく見られる態度だとしか言いようがない。
「儀式だから体裁だけ整えてりゃいいの」みたいなこと。そういうことばかり繰り返しているから失敗、不具合、事故の原因は明らかにならず、それを解消することもできず、同じ過ちを繰り返して、儀式ばかり増える。そして儀式とその体裁を整える仕事ばかりが増えて実業務の効率は低下する一方となる。日本の会社や行政でどれだけ意味のない手続きがあると思っているのか。そしてそれを解消しようとは微塵も思っていない。自分が改善や改良を進言し実施する一員だという意識がまるでなくただ既存のシステムに心と体を適用させて生き延びようという怠惰な保守主義しか見られない。だから駄目なんだよ。
結局、物事を解決するよりも自分の責任と労力を回避する手立てを勧めているに過ぎない。無責任極まりない。そういう無責任で他人に糞を押し付けるような利己的な態度で仕事をしているから全体の制度も一向に改善しない。無責任であることを勧めるよりも各員が自分の責任範囲で責任を分担し全体を支えていくことで組織は円滑に駆動するのに、そのようなことが念頭にない。こういう奴ばかりだから会社も行政も何も改善しないし無駄は減らない。そして責任者の所在は玉虫色で誰も責任を取ろうとしない日本社会の悪癖がここにくっきりと現れている。
唯一正しい。こういうことを上に進言して改善を促すことが全体の改革にも結びつく。
無責任でいいんだよ。
「たかが仕事くらい」「無責任でいいんだよ」といった安易で他人任せの責任放棄的な態度でいるから何も改善しない。しかし誰かがその責任を受け止めて葉を食いしばって押し留めて仕事をしているから此奴はこんな風な態度でも生きていけるのであって、真面目にやっている誰かの仕事にフリーライドしているだけでしかない。誰かが真面目にやっているからお前はそんな態度でいられるのだ。皆が皆お前と同じ人間だったらこの世の中の制度も倫理も崩壊するのだぞ。
責任持った生き方をしろ、なんて道徳を叩き込まれたんだろうが、あんなもん人を都合よく使いたい支配者の戯言だ。真に受けるな。
頑張れ。賢く生きろ。
確かに支配者、経営者たちが労働者を都合よく給与以上に働かせようとしてそのような道徳を吹き込む場面はあるだろう。しかし労働者として給与に見合う仕事をしているからこそ経営者の怠惰と無策を批判できるのであって、労働者として不良に成り下がってしまっては奴等を批判することもできないのだ。そして会社、企業で真面目に働くことは一緒に働く同僚の仕事と生活を守ることでもあるのだ。一生懸命働くことは経営者に奉仕していることではない。
なのにそのような真面目に真摯に仕事に取り組む人物に「真に受けるな」とか「賢く生きろ」などという言葉を告げる。不良になれとしか言っていないではないか。それのどこが「賢さ」だ?そういうのは「ずる賢い」というのだ。
全体的に世の中や社会や会社の制度や慣習を改善しようと改良のための提言をしようといった姿勢が微塵も感じられない。ただ現行の制度の裏をかいて要領よく生きようとするずる賢さしか感じられない。こんな処世術が蔓延しているからこの国はこの国の企業は駄目なのだ。この国と企業文化の悪癖をささえているのはお前たちだということを覚えておけ。
じゃあ怠惰だっただけやん