なにもできないし努力できないのにプライドだけ高くてあんなに親にお金かけてもらったのになにひとつ自分のものにできてなくて対して優しくも無くていいところなんかひとつもなくてたぶんずっとこういうこと考えてくんだろうし何かやりたいことあるわけでもないしなんかもう親に申し訳なくて、はたちになるときもらった手紙がこわくてよめない こんな娘でごめんそんないいこと書かないでやってなりそうで たぶんこの先ずっと読めない私が恥ずかしくない自分にならないと読めないそしてそんな日は来ない 何もしたくないもうぜんぶどうでもいい早くしにたいってずっとおもってるのにどの死に方してもどのみち迷惑でもう本当に嫌だ通り魔が刺してくれたらいいのに
グループの仲間の一人のリアルイベント前日の夜に暴露配信をゲリラ的に決行し、結果解雇され
(中略)
解雇されてこの世から消滅したのなら制止できないじゃんアゼルバイジャン
星空ってどうして美しいのかなあ
いや、青空も美しい
山も美しい
花も美しい
森も
川も海も
石も
外は美しいものだらけ
シルクも美しい
真珠も美しい
人が作るものも美しい
シャンデリアも
人も美しい
思い出も美しい
美しくないものも、美しくなる
大きな代償になりましたね
どっちもオメガやんけ!
なんか一定数吸い込まれて入っていく感じ、アレ一体何なんだろうな。
まぁそれ自体はどうでもいいんだけど、頭の弱い感じの奴らは居場所を求めて卒業後も劇団とかに入っちゃうわけ。
劇団に入ること自体は別にいいんだけど、そこで登場する本物のキチガイによる搾取を受けてるのが明るみになってくるとなんかほんとにいたたまれなくなってくる。
搾取と言う言葉を聞くとブラック企業とかブラック労働みたいな言葉が浮かんでくるけど、そういう資本主義的なやつのレベルじゃないでしょ。
演劇部の奴らは気持ち悪いが別に話せないということは無いし、邪悪でもなかった。
演劇で飯食ってる奴ら(つまりそういう頭の弱い感じのやつを搾取してる本物のキチガイ)がツイッタ上で異常な発言を繰り返して発狂しているのを見ると、なんでこんなやつが存在しているんだと怖くなってくる。
・食えない中で食えているやつがいてすごい
・ツイッターなどで大きく共有できる話題が出てきたときに異常者が発掘される
みたいな感じなのかな
その誤解を解こうともせず、初手から「アイツが悪い」と騒ぎだした山口弁護士
こういう人が社会の分断を深めるんだろうなぁ
そりゃそうなんだけど、その「誤解」を何十年続けるつもりなんだという話でもある。
「誤解」は差別の根幹だし。
もちろんこのみんなは自分自身も含む。誰でも構わない、無差別に、注意していたとか気を抜いていたとか関係なく、みんなコロナで死んでしまえばいいと思う。
毎日毎日毎日毎日ニュースでは新型コロナの話題がない日はない。避けようと思っていても、普通に生活していたら嫌でも新型コロナの話題が目に、耳に、脳に届いてしまう。twitterだって、おすすめの隣はトレンドだったはずなのに、いつからCOVID−19なんてカテゴリができたのか。LINEニュースもyahooニュースも、トップページの一番最初に新型コロナ関連情報まとめなんて作って、そんなもん牛にでも食わせておいてくれ。目に入るだけでイライラする。
テレビの中でもインターネットの中でも、国に政府に都道府県知事に市町村長にあれをやれこれをやるなだからダメだぼくのわたしのかんがえたさいきょうのしんがたころなたいさくはこれだって、馬鹿も休み休み言ってほしい。国も政府も首長もそれを支えるスタッフも暇じゃない。そういうのはチラシの裏か便所の壁に書いておいてくれ。目障りなだけなんだよ。
それでもアホは口を閉じることをやめないから、飽きもせずに金金金金10万円100万円マスクマスクマスク金金消毒液マスクマスクマスクマスクって、せっかくお母さんがお腹を痛めて産んでくれたのにその小さい脳味噌とロクなことに使われていない口を他のことに使うことはできないの?その指先を少し動かす労力は、なんでもいいからとりあえずそれ以外のことに使うべき。ウンチを拭くのに使ったって、まだそっちの方が有意義な使い方だよ。
さらに、こういうときだからこそおうちじかんを素敵に♡みたいな投稿がSNSに溢れている。何がこういうときだ。社会の混乱に乗じて自己肯定感を高めようとするな。他人の不幸で飯を食うな。曖昧にみんなでがんばろうなんて、軽々しく言うな。その「みんな」の範囲を明示しろ。結局自分のお仲間しか入っていないんだろうが。わたしとわたしの仲良しが幸せになりますように、くらいはっきり言えないなら、適当な言葉で誤魔化して偽善者ぶるんじゃないよ。やらない善よりやる偽善?他人の迷惑を考えられない人間はすっこんでろ。医療関係者にエールを⭐︎も同様。忙しい医療関係者は、君たちの自尊心を満たすだけの自慰行為のような投稿を見ている時間はないんだよ。この現状に対して本当に真摯に真剣に向き合ってくださっている人間を、「自分には無関係だけどそんな人たちのことまで考えて応援できるボク/オレ/ワタクシの器の大きさ」アピールのために使うんじゃない。気持ち悪いんだよ。
テレビ番組だって、収録を中断しているものは過去の総集編を流したり、新しいドラマが始まらなかったり、リモート出演だとか、わざとらしく距離をとって見せてみたり、いやいや君たちつい最近まで「体調が悪くても仕事を休めないあなたに」とか言っている薬のコマーシャルばんばん流していたじゃない。特に冬になるとその手のものは増えていたような気がしたのだけれど。どうしたの掌返したの?芸能人が亡くなるたびに涙と過去の映像を織り混ぜて流して、芸能人以外が新型コロナで亡くなるニュースは少し顔をしかめてみせる顔芸で乗り越えて、そういう度に生命は平等じゃないんだって思い知らされる。知り合いが亡くなって泣くなとは言わない。でもその涙を仕事にしてお金もらうのは違うんじゃない。プライベートで泣けよ。仕事で泣くなら、全ての死者に平等に涙を流せ。
毎日毎日浮かれポンチのお祭り騒ぎで、結局みんなみんな、非日常に当てられてくらくらしているだけだ。しょうもないことで馬鹿みたいに騒ぎ立てて、いつもと違うライフスタイルとやらを発見して、これまで出来ていた当たり前がなくなる生活を美化して、その不便を何とか乗り越える自分に、自分たちに酔っている。ポストコロナとかアフターコロナとか適当な言葉を作っては各々好き勝手喋っているけれど、新型コロナが流行しようがしまいが、昨日今日明日と72時間あれば大体のことは変化するし、時間は基本的に不可逆なので、変化してしまったものは大体元に戻らない。たとえば仲の良かった二人が喧嘩をして仲直りするのは、関係が戻ったのではなくて喧嘩を経て仲の良い状態に更に変化したのであって、仲直りをしたところで喧嘩がなかったことにはならない。事実としてあったわけだから。でも毎日ってそういうものでしょう。大なり小なりの変化を重ねて、いつしか大きく変わった自分になる。それが人生なのではないでしょうか。それは新型コロナがあるとかないとか関係なく。
今この瞬間も新型コロナの流行を理由に本当に大変な思いをしている方がたくさんいらっしゃるのは分かっている。けれど、社会全体の雰囲気が、なんだか楽しそうにしか見えないんだよな。例えるなら、高校生の時、学校祭の準備のために毎日夜遅くまで学校に残って、少しずつ生徒皆がハイになっていったような。例えば、仕事で大きな案件を抱えて、毎日毎日徹夜を繰り返すことで少しずつ感情のリミッターが外れていくような。
30も半ばになり振り返ってみると、ずっとそうやって生きてきた人生だった。
始まりは母だった。そう言うと厳しい家庭だったのかと思われるかもしれないが、逆だ。癇癪持ちというわけでも気が強いわけでもなく、むしろ半端にお嬢様育ちの母は気が弱かったように思う。夫婦喧嘩が起こるたびに私は母についた。そうしなくては母がもたないように思えたのだ。そして、母が壊れてしまうことは私にはとても恐ろしいことに感じた。そんなことが続くたび、私は常日頃から無意識に母の機嫌を取るようになっていた。
両親が離婚したころ、私は思春期だったが特にショックは受けなかった。これで母の精神に安寧が訪れると安心したほどだった。しかしそれからも私は女性の機嫌を取り続けることになった。
同級生から好意を寄せられれば、こちらも気があるようなないような、相手が気落ちしたりしないように振舞った。恋人ができれば、相手の理想の私を演じてみたりした。それらは私にとってとても自動的な行動だった。自分でそうしたいと思っているとか、相手の好意を得たいがためにそうしているとか、そういった感情からくる行動ではない。ただ目の前の女が気落ちすることに耐えられず、私にはそうならないように振舞うほか選択肢がなかったのだ。女が気落ちすることは、私にとって人生最大の恐怖であった。結局最後には私が限界を迎えてすべてを投げ出し、より一層彼女たちを傷つけるとしてもだ。
そんなことをしているうちに、私は現実の女が怖くなり二次元の世界に引きこもるようになった。社会的な活動をやめたわけではなかったが、学生時代のほとんどを引きこもってゲームに費やした。
しかし結局は一緒だった。ゲームの中で仲の良くなった女性とゲーム内で結婚(システム上の優遇があった)したところ、ゲームの中でも現実と同じことをすることになった。彼女がスネれば機嫌を取り、ほかの仲間たちとの間を取り持ち、呼ばれればすぐにゲームにログインした。どんどんエスカレートする彼女の要求は、私のストレスが限界を迎えるまで続いた。
そうこうしているうちに私は社会人となり、学生時代の穴を埋めるようにて女遊びを覚えた。半引きこもりのくらい人生を送ってきたとは言え、女の機嫌を取って生きてきた人生だから、女を口説くことは難しくなかった。考慮すべきは2点、私の容姿に対してマイナス感情を抱いていない女の連絡先を得ること、その女と寝るときに行う最後の一押しをどうするかだけだ。その間にある色々なことについてあれこれ考える必要はない。私は自動的に機嫌をとり続けているのだから。
その後私は引き際を誤り一人の女性と結婚したが、家の中でずっと女の機嫌を取り続けることに大変な苦痛が伴うことは言うまでもない。疲れ果てた私は、結局女に頼った。女は私が機嫌をとり続けている限り私に優しいのだ。もちろんそれも長く続くものではない。ひと時の癒しを得ても、私が彼女たちの要望に応えれば応えるほど彼女たちの要求はエスカレートし、私は限界を迎える。
結果、私には何も残らない。私がしてきたのは女を傷つけることだけだ。私は女たちが傷つくことを恐れるがあまり、彼女たちを深く傷つけ、彼女たちは私から去っていく。全部最初から決まっているのだ。女がいる。私は彼女たちの機嫌を取る。彼女たちの要求は増大する。私は限界を迎える。彼女たちは傷つく。私は一人になる。くそったれだ。全部俺のせいだ。
ネット民らしく、Twitterで見ただけなのでこれも切り取りの一つに過ぎないのかもしれんのだけどワイドナショー。
例のハッシュタグってどうなの? 世間一般の方の目にはどう写ったんだろう。
この件に対する芸能人の方のコメントについて、放送後に世の中のお気持ちが垂れ流されているのでちょっと気になって。
んで見たんだけど、そんな青筋立てるような発言なのかね。
指原さんは 「自身の影響力を正しいと確信できる場面でしか使わない」だし、兼近さんも「自分で生み出した影響力なんだから使いたいと思う場面で使うのは自由」ってだけで、そこに件のハッシュタグの中身に対する議論は含まれてないんだけど、前者わかりやすく「中立」の立場をとってて、後者は「件のハッシュタグは正しい」というメッセージになってしまっているから、指原さんは批判の的になっている感じだけど。
そもそも指原さんも兼近さんも、例のハッシュタグの中身に対して賛否の表明はしていなくて、そこにまつわるエトセトラに触れたに過ぎないのに、なんでこんなにTwitter内で評価が分かれるのだろう、ということを考えたときに、今世の中で一番日本の政治を語るのにふさわしくない媒体がTwitter
なんじゃないかということに気づいてしまった。Twitterの政治必死勢は、自分の意見と違う意見をとにかく踏み潰そうみたいな傾向が右にも左にもあって、それを眺めていると本人たちには何らかの根拠がきっとあるんだろうけどいかにも盲目的で、第三者的には決め手に欠けるというか、かゆいところに手が届かないというか、どうもしっくりこない。
大体、例のハッシュタグ賛同派から素晴らしいって言われてる兼近さんの発言だって裏を返せば、影響力は使っても使わなくてもいいってことであって、必ず使わなければいけないなんて一言も言ってねぇし、批判を受けてる指原さんはその言葉の通り、「使わない」という宣言をしただけなのになあ。
ただまあ、この傾向からわかることは左右どちらも不勉強な中立を、普段政治色のないインフルエンサーを使って巻き込みたいと思ってて、だから「不勉強」って言葉を使って、中立を決め込んだ指原さんが気に入らなかったのかな、と思ったりした。
[ワシントン 15日 ロイター] - 米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は、17日午後7時(日本時間18日午前8時)から放送されるCBSテレビの番組「60ミニッツ」に出演する。CBSが15日、明らかにした。
これは楽しみ