はてなキーワード: 韓非子とは
商鞅の法にはこのようにある。『敵の首一つを斬った者には、爵位を一級上げて、官吏になりたいという者には俸給が五十石の官職を与える。敵の首二つを斬った者には、爵位を二級上げて、官吏になりたいという者には俸給が百石の官職を与える』と。これは官職や爵位の上昇の移り変わりが、敵の首を斬ることと相関しているということを示す。今、『敵の首を斬った者は、医者や大工にならせる』という法があれば、家屋はできないし病気も治らないだろう。
そもそも大工は手先が器用でなければならない。そして、医者とは薬を調合するだけの知識を持っている者である。だから、敵の首を斬ったという功績で医者・大工にすれば、その職業にふさわしい能力を持っているということにはならないのだ。今、官吏として務めるのに必要なのは智慧と才能である。そもそも敵の首を斬るのに必要なのは、勇気と腕力である。勇気や腕力が必要な分野(戦争・敵の斬首)の功績によって、智慧や才能が必要な官職を与えるというのは、これは首を斬った功績によって医者や大工にするというのと同じことなのである。
現場で実績上げるとマネージャーに出世するけど必要な能力全然違うやんけ問題は韓非子が2500年前に指摘してるけど解決してないから無理やで
商君の法に曰く、『一首を斬る者は爵一級、官と為らんと欲する者は、五十石の官と為す。二首を斬る者は爵二級、官と為らんと欲する者は、百石の官と為す』と。官爵の遷ること、首を斬るの功と相称うなり。今法有りて『首を斬る者は医匠と為ら令む』と曰わば、則ち屋成らずして病已えず。
夫れ匠は手巧みなり。而して医は薬を斉するなり。而るに首を斬るの功を以て之と為さば、則ち其の能に当たらず。今官を治むるは智能なり。今首を斬るは勇力の加うる所なり。勇力の加わる所を以て、智能の官を治むるは、是れ首を斬るの功を以て医匠と為すなり。
故に曰く、『二子の法・術に於けるや、皆未だ善を尽くさざるなり』と。」
教養は考える力とセットや。ワイはカントやラカン、韓非子から老子(和訳でいいから原典がいいぞ)、ファインマン(自伝も物理学も)やハイゼンベルグからラノベまで数万冊以上読んでるが、一冊あげろと言われたら(本当は一冊では足りないぞ)東大が昔教養の学生向けに書いた「知の技法」が入り口としては使えるんちゃうかと思う。だまされたと思って買って読んでみ?あと大澤真幸の「社会学史」もコスパええかもしれん。ハラリやジャレドダイヤモンドみたいなのはやめとけ。MARCHレベルのサラリーマンがありがたがるタイプの本や。あ、千葉雅也の「勉強の哲学」は浅薄やし、入り口として変な癖つきそうだからやめとけ。堀江とか書いてる馬鹿もいるが、堀江(無教養の極みや)とか中田とかあんなので教養は身につかんぞ。
ついでに、本読まんやつは「○○入門」とか買いたがるがやめとけ。岩波文庫がいいわけではないが、見る目ができるまでは岩波の青と緑と赤(帯の色)だけ買っておけばいい。そのうちわかってくる。
あと、資本論は読むと攻撃的になるから、左翼ウィルスみたいなものがあるのかもしれんとか思ってるwマルクスは思考実験として当時は面白かったやろが、貨幣の話も完全にフィクションやしもう読まんでええよ。
「矛盾」は、韓非が『韓非子』の中で儒家(孔子と孟子がその代表、ここでは孔子)批判のためのたとえ話の中で、「矛盾」という言葉を使ったもの。儒家は伝説の時代の聖王の「堯」と「舜」の政治を最高で理想だとし、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けたから堯は舜に禅譲したとした。しかし、韓非によれば、堯が名君で民を良く治めていたとすれば、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けるということはそもそも起こりえない。一方が立派な人物だとすれば他方はそうではなくなってしまう。したがって、両方の者が同じく最高の人物で、理想的な政治を行ったというのは話が合わず、あり得ないという意味を込めて批判的に矛盾の喩え話をした。
すでに言及されているように、「うちの愚妻が・・」がそもそも誤用で、「愚妻」そのものが「愚かな自分の妻」の意味です。
中国文化圏(日本・韓国・ベトナム含む)の「朕・臣」の関係で、帝王に対して臣が自らをへりくだって称する場合は、「愚臣」を使います。
愚息愚妻は国内ローカルな用法の上、誤解・誤用も罷り通っているので避けた方が無難です。
使うならまだ、「荊妻豚児」でしょう。
ただ、「荊妻」は出典も古く用例も多いですが、「豚児」はあまり用例がなく(おそらく聊斎志異あたりが出典か)ちょっとへりくだりにも直截が過ぎるので目上に対して使うのも今時は避けた方がいいかと思います。
韓非は韓の諸公子である。彼の著作(『韓非子』)「五蠧篇」を読んだ後の始皇帝は「この著者と親交を得られたならば死んでも構わない」と感嘆したが、いざ彼を手に入れた際には李斯の讒言により死なせてしまった。
宋人有耕田者。田中有株。兔走触株、折頸而死。因釈其耒而守株、冀復得兔。兔不可復得、而身為宋国笑。今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也。
五蠧篇の要点は「世異なれば則ち事異なる」「事異なれば則ち備え変ず」という点にあり、したがって「守株」も先王の政の踏襲を理想とする(儒家的な)思想を戒めるものであり、故に現代語としても「いつまでも古い習慣にこだわること」の意で用いられる。
しかし、守株の故事だけを抜き出すならば、ウサギが切り株で転ぶという再現性のない幸運に遭いその再現を当てにして無為となることの愚かしさを描写したものだ。林修が言うところの「成功体験は人の目を曇らせる」という例である。
緊急事態宣言前の自粛要請によって十分な接触減が達成されていたことの再現を当てにして「緊急事態宣言はやりたくないから努力しろ」等とだけ述べて無為でいるのは、株を守る行動に等しい。
「孫子」
大学に入って突如「教養」に目覚めた大二病、リアルが充実していなくて読書に逃げる社会人などが、古典などを漁り出す傾向にある。しかし、そういう連中は大抵、基礎学力が足りておらず、安易に「読んだ気」になれる本を求める。その代表格が孫子である。
なお、「馬鹿が孫子を読む」と言っているのであって、「孫子を読む奴は馬鹿」と言っているのではない。もちろん、中国文学や歴史等の研究で孫子を読む人を馬鹿だと言っているのではない。また、孫子の内容を批判しているわけでもない。
まず、孫子は短い。他のまとまった漢文の文章、たとえば荀子や韓非子などと比べても1/4未満の分量しかない。そして、使われている漢字や構文なども特に難しくはなく、レ点等が適当に打ってあれば書き下し文で読める。つまり、漢文の基礎力が足りない馬鹿がちょっとしたパズル感覚で読むのにちょうどいいのである。実際、孫子にたどり着いた人が他の漢籍に手を出すことはほとんどない。
そして、書いてある内容は正直どうとでも取れるようなものが多い。これが読解力のない馬鹿にはちょうど良いのである。彼らは、文章に書いてある事実関係を読み解くことができず、抽象的な内容を自由に解釈し「深い」「含蓄がある」などと思うことを好む。そのため、一見して日常に通ずるような格言・警句が満載のこの本は、馬鹿にとってうってつけなのである。
要するに孫子は、学力の低い人が「何かを考えた気分」になりたいときに、ちょうどいい本なのだ。
馬鹿は短い文章が好きである。理由は単純で、長い文章が読めないからである。
文学が好きな人は大抵、短編長編を問わずにいろいろな作品を読んでいる。それは文章の長さで選んでいるからではなく、内容に関心があるからである。ある本に何が書いてあるかが気になり、それが正しく読める人は自然といろいろな本を読む。
しかし、孫子を読む馬鹿にとっては、まず短いことが重要である。そして馬鹿は、ふつうの文学愛好家などとは異なり、孫子以外の古典は読まなくなる。馬鹿は、書物に書いてあることに興味があるのではなく、安易に読めることだけが重要だからである。
孫子に限らず、本を読んでこの種の感想を抱く奴は、その本を読めていない(元々読み取るべき内容が大して無い新書等は別として)。典型的な「文章が正しく読めず、妄想を膨らませて自分の世界にこじつけている」タイプである。彼らは、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉を聞けばビジネスに結びつけたがるし、「戦わずして勝つ」という言葉を聞けば平和主義を唱えだすし、孫子とクラウゼヴィッツの比較論を聞き齧って東洋思想の優位性を説いたりする。要するに、論じられている内容そのものを理解しようしない。
というか、馬鹿にとってはそれこそが「文章を読む」ということなのである。馬鹿の文章の読み方はこうだ。
孫子は、前後の文脈を無視しても意味の通る格言が満載であり、こういう読み方で「賢くなった気」になるのにぴったりな本なのである。
根本的にずれてるが、、、、。
商売の足元掬われないように注意しなよ。君へのやっかみじゃなくて、君の事業はすべて君が最後の責任を取るという意味で。
調子いいと思ってるときは、問題あるリスクに対して甘くなるからな。そして、なんか問題があって、自分はあれが足りなかったと自覚することになる。
韓非子ぐらいは読んだことはあるか?
足元見れないぐらいの枠組みを作り上げているのならいいだろう。
そういうリスク、金があったり目立つ立場になると変なのも寄ってきて誑し込もうとする。まあ、そういうのは少ないけど人間社会としてある。
そう考えると、むしろ自営なんざ幸せとは程遠い手段だと思えてくるな。サラリーマンで若いうちにいい女と結婚してるほうがはるかに幸せなんだろうなとは思う。
元号 | 出典 | 備考 |
---|---|---|
大化 | 『書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 | |
白雉 | 『漢書』巻12 平帝紀 | |
朱鳥 | 『礼記』曲礼 | |
大宝 | 『易経』繋辞下 | |
慶雲 | 『文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 | |
和銅 | ― | 和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元 |
霊亀 | ― | 瑞亀献上により改元 |
養老 | ― | 養老の滝命名に因んで改元 |
神亀 | ― | 白亀出現の瑞祥により改元 |
天平 | ― | 「天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元 |
天平感宝 | ― | 陸奥からの黄金献上により改元 |
天平勝宝 | ― | 孝謙天皇即位により改元 |
天平宝字 | ― | 蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元 |
天平神護 | ― | 藤原仲麻呂の乱を神霊の護りによって平定したことによる |
神護景雲 | ― | 瑞雲の発現により改元 |
宝亀 | ― | 瑞亀献上により改元 |
天応 | ― | 伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元 |
延暦 | 後漢書 五十二巻 | |
大同 | 『礼記』礼運篇 | |
弘仁 | ― | |
天長 | ― | |
承和 | ― | |
嘉祥 | ― | 豊後国大分郡の寒川(現在の大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元 |
仁寿 | ― | 白亀・甘露の瑞祥による改元 |
斉衡 | ― | 石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元 |
天安 | ― | 美作国・常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元 |
貞観 | 『易経』 | |
元慶 | ― | 白雉・白鹿献上の瑞祥による改元 |
仁和 | ― | |
寛平 | ― | |
昌泰 | ― | |
延喜 | 『尚書』旋璣鈐 | |
延長 | 『文選』東都賦、白雉詩 | |
承平 | 『漢書』 | |
天慶 | 『漢書』 | |
天暦 | 『論語』 | |
天徳 | 『周易』 | |
応和 | 「董巴議」 | |
康保 | 「書経」 | |
安和 | 『礼記』楽記第19 | |
天禄 | ― | |
天延 | ― | 天変、地震による改元 |
貞元 | ― | 火災、地震による改元 |
天元 | ― | 災変、陽五厄による改元 |
永観 | 『書経』洛誥 | |
寛和 | ― | |
永延 | 『漢書』巻75翼李伝 | |
永祚 | 『晋書』巻21礼志 | |
正暦 | ― | 大風、天変による改元 |
長徳 | 揚雄の『城門校尉箴』 | |
長保 | 『国語』(周語中) | |
寛弘 | 「漢書」(元帝紀賛) | |
長和 | 『礼記』(冠義) | |
寛仁 | 『会稽記』 | |
治安 | 『前漢書』 | |
万寿 | 『詩経』 | |
長元 | 『六韜』 | |
長暦 | 『春秋』または『晋書』 | |
長久 | 『老子』(七章) | |
寛徳 | 『後漢書』(杜林伝) | |
永承 | 『書経』 | |
天喜 | 『抱朴子』 | |
康平 | 『後漢書』 | |
治暦 | 『尚書正義』 | |
延久 | 『書経』または『尚書‐注』 | |
承保 | 「尚書」 | |
承暦 | 「維城典訓」 | |
永保 | 『尚書』 | |
応徳 | 「白虎通」 | |
寛治 | 『礼記』 | |
嘉保 | 『史記』 | |
永長 | 『後漢書』巻1光武帝紀 | |
承徳 | 『周易』 | |
康和 | 崔寔『政論』 | |
長治 | 『漢書』 | |
嘉承 | 『漢書』礼楽志 | |
天仁 | 『文選』 | |
天永 | 『尚書』 | |
永久 | ― | 『詩経』? |
元永 | ― | 天変、疾疫による改元 |
保安 | ― | 天変、厄運による改元 |
天治 | 『易緯』 | |
大治 | 『河図挺佐輔』 | |
天承 | 『漢書』 | |
長承 | 『史記』 | |
保延 | 『文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 | |
永治 | 『魏文典論』『晋書』武帝紀 | |
康治 | 『宋書』 | |
天養 | 『後漢書』 | |
久安 | 『晋書』劉頌伝 | |
仁平 | 『後漢書』孔奮伝 | |
久寿 | 『抱朴子』 | |
保元 | 『顔氏家訓』文章篇 | |
平治 | 『史記』夏本紀 | |
永暦 | 『後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 | |
応保 | 『尚書』 | |
長寛 | 『維城典訓』 | |
永万 | 『漢書』巻64王褒伝 | |
仁安 | 『毛詩正義』 | |
嘉応 | 『漢書』王褒伝 | |
承安 | 『尚書』 | |
安元 | 「漢書」 | |
治承 | 「河図挺作輔」 | |
養和 | 「後漢書」 | |
寿永 | 「詩経」 | |
元暦 | 「尚書考霊耀」 | |
文治 | 礼記祭法 | |
建久 | 『晋書』『呉書』 | |
正治 | 「荘子‐漁父」 | |
建仁 | 『文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 | |
元久 | 「毛詩正義」 | |
建永 | 『文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 | |
承元 | 「通典」 | |
建暦 | 『後漢書』 | |
建保 | 「尚書」 | |
承久 | 「詩緯」 | |
貞応 | 『易経』 | |
元仁 | 「周易」 | |
嘉禄 | 「博物志」 | |
安貞 | 『周易』上経坤 | |
寛喜 | 「後魏書」 | |
貞永 | 「易経」(坤卦) | |
天福 | 「書経」(湯誥) | |
文暦 | 『文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 | |
嘉禎 | 「北斉書」 | |
暦仁 | 「隋書」(音楽志下) | |
延応 | 『文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 | |
仁治 | 『新唐書』 | |
寛元 | 『宋書』 | |
宝治 | 「春秋繁露-通国身」 | |
建長 | 「後漢書」 | |
康元 | ― | 赤斑瘡による改元とみられている |
正嘉 | 「芸文類聚-歳時中・元正」 | |
正元 | 「詩緯」 | |
文応 | 「晋書‐劉毅伝」 | |
弘長 | 「貞観政要‐封建」 | |
文永 | 「後漢書‐荀悦伝」 | |
建治 | 「周礼」 | |
弘安 | 「太宗実録」 | |
正応 | ― | 伏見天皇即位による改元 |
永仁 | 『晋書』巻22楽志 | |
正安 | 『孔子家語』 | |
乾元 | 『周易』 | |
嘉元 | 『芸文類聚』天部 | |
徳治 | 『左伝』 | |
延慶 | 『後漢書』馬武伝 | |
応長 | 『旧唐書』礼儀志 | |
正和 | 「唐記」 | |
文保 | 『梁書』 | |
元応 | 『唐書』 | |
元亨 | 『周易』 | |
正中 | 『易経』 | |
嘉暦 | 『唐書』 | |
元徳 | 『周易』 | |
元弘 | 『芸文類聚』天部 | |
正慶 | ― | 光厳天皇即位による改元 |
建武 | ― | 『文選』? |
延元 | 『梁書』 | |
興国 | 『春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 | |
正平 | ― | 天変や兵革による改元か |
建徳 | 『文選』 | |
文中 | ― | 『易経』彖伝上? |
天授 | ― | 『史記』淮陰侯列伝? |
弘和 | ― | 『書経』君牙篇? |
元中 | ― | 『易経』彖伝上? |
暦応 | 『帝王代記』 | |
康永 | 『漢書』 | |
貞和 | 『芸文類聚』 | |
観応 | 『荘子』 | |
文和 | 『旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権伝 | |
延文 | 『漢書』儒林伝 | |
康安 | 『史記正義』と『唐紀』 | |
貞治 | 『周易』 | |
応安 | 『毛詩正義』大雅江漢 | |
永和 | 『尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 | |
康暦 | 『唐書』 | |
永徳 | ― | 『群書治要』巻17? |
至徳 | 『孝経』 | |
嘉慶 | 『毛詩正義』 | |
康応 | 『文選』曹植七啓 | |
明徳 | 『礼記』 | |
応永 | 『会要』 | |
正長 | 『礼記』正義 | |
永享 | 『後漢書』 | |
嘉吉 | 『周易』 | |
文安 | 『晋書』 | |
宝徳 | 『旧唐書』 | |
享徳 | 『尚書』 | |
康正 | 『史記』と『尚書』 | |
長禄 | 『韓非子』 | |
寛正 | 『孔子家語』 | |
文正 | 『荀子』 | |
応仁 | 『維城典訓』 | |
文明 | 『周易』 | |
長享 | 『文選』 | |
延徳 | 『孟子』 | |
明応 | 『周易』 | |
文亀 | 『爾雅』釈魚 | |
永正 | 『周易緯』 | |
大永 | 『杜氏通典』 | |
享禄 | 『周易』 | |
天文 | 『易経』 | |
弘治 | 『北斉書』 | |
永禄 | 『群書治要』巻26 | |
元亀 | 『毛詩』と『文選』 | |
天正 | 『文選』と『老子』 | |
文禄 | 杜佑『通典職官十七』 | |
慶長 | 『毛詩注疏』 | |
元和 | ― | 徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた |
寛永 | 『毛詩朱氏注』 | |
正保 | 『尚書』正義 | |
慶安 | 『周易』 | |
承応 | 『晋書』律暦志 | |
明暦 | 『漢書』律暦志と『後漢書』 | |
万治 | 『史記』と『貞観政要』 | |
寛文 | 『荀子』致士篇 | |
延宝 | 『隋書』音楽志 | |
天和 | 『尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子』 | |
貞享 | 『周易』 | |
元禄 | 『文選』 | |
宝永 | 『旧唐書』 | |
正徳 | 『尚書』正義 | |
享保 | 『後周書』 | |
元文 | 『文選』 | |
寛保 | 『国語』周語 | |
延享 | 『芸文類聚』 | |
寛延 | 『文選』 | |
宝暦 | 『貞観政要』 | |
明和 | 『尚書』 | |
安永 | 『文選』巻一 | |
天明 | 『尚書』 | |
寛政 | 『左伝』 | |
享和 | 『文選』ら | |
文化 | 『周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝 | |
文政 | 『尚書』舜典 | |
天保 | 『尚書』 | |
弘化 | 菅原為定の漢文 | |
嘉永 | 『宋書』楽志 | |
安政 | ― | 内裏炎上、地震(安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元 |
万延 | 『後漢書』馬融伝 | |
文久 | 『後漢書』謝該伝 | |
元治 | 『周易』 | |
慶応 | 『文選』 | |
明治 | 『易経』 | |
大正 | 『易経』彖伝・臨卦 | |
昭和 | 書経堯典 | |
平成 | 『史記』五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 |
https://kotobank.jp/word/%E4%BB%A3%E5%A7%8B%E6%94%B9%E5%85%83-1359409
代始改元は,(中略)平安時代からは806年の平城天皇の大同の改元の場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。
※南朝の元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?
※元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和と昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?
社会問題とかで比喩やたとえ話をすると、その表現に対してクソバカなコメントをするやつが大量に現れる。
「たとえ話は炎上するとママに教わらなかったのか?」なんてコメントがつくまでがワンセットだ。
それも風物詩ではあるが、にしてもアホみたいなクソコメの数々を見ていると情けなくなってくる。
そういうバカなコメントのパターンをいくつか挙げて、それらがいかにバカであるかを説明してやろう。
以下、
「たとえるなら、AはまるでBみたいなものだ」
クソofクソ、最悪だ。こんな風に議論を1ミリも進めず嫌味だけ言うようなバカは本当に救いようがない。マジで消え失せてほしい。
よし理由を言ったな、だがクソだ。
比喩というもの自体をまるで理解していない。AとBが違うのは当たり前なんだよ。
違うものを並べてるんだから相違点なんて考えりゃいくらでも出てくる、それを指摘するお前は何か少しでも有益なことを言っているつもりなのか? バカなのか?
いいか比喩ってのはな、あえて直観的には全然別のものを並べて、その数少ない共通点に目を向けさせることで、議論の本題が何なのかを理解させるやり方なんだよ。
Aについて言葉を尽くしても伝わらない、だがBと比較すると腑に落ちる、そういう場面はいくらでもあるし、だからこそ有効なんだよ。修辞法の基礎だぞどんだけ歴史あると思ってんだ。
ゆえにAとBの違いにこだわるお前は、本題と無関係な話を繰り返すバカ丸出しな状態にあることを自覚しろ。
これも上のやつと同じだ。
バカすぎて、たとえの意味を理解できなかったのか? なら素直にそう言えってんだ。
理解はしたが表現の仕方に文句がある? それが本題に何の関係があるんだバカか?
提案をくっつけてるだけマシだが、これも上のやつの派生形、ゆえにやはり意味が無い。
まず、議論を進展させたいという親切心で、より伝わりやすい表現を提案しているやつ。あっぱれな心掛けだ。
だがここまで読んで分かっただろ? どんなにうまい表現をしたところでバカは上述のようなトンチンカンな反応をするし、逆に理解力のある人間にとっては、たとえが多少下手だろうと大して議論に支障はない。
まあそういう建設的な意図の提案は歓迎したいところだがな。
もう一方は、大喜利したい、うまいこと言いたいだけのタイプ。
本題と無関係な話をしている自覚があるならまあそれもいいだろう。そこまで芸術点に自信があるなら、面白いかもしれんから言ってみろ。高確率でクソだろうがな!
これはクソじゃない、良い方の例だ。上のやつと大して変わらないじゃないかって? もはやお前は相当のバカだな。
元の発言者は最初からAのことしか話してない。Bのたとえを持ち出したのもすべて、Aについて伝えたいことがあったからだ。
お前はそれを受けて、Aの話を続ける。Aに関して認識の相違があるならその話をする。
比喩が役目を終えたなら、その比喩は用済みだ。
比喩による説明が失敗した場合も、その比喩は同じく用済みだ。
次の話をしろ。
それでいいんだよ。
増田の母親です。このたびはうちの馬鹿増田がこのような糞エントリを書いて皆さんに大変な迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。
煽り口調で何かを書く体験をしてみたかったのですが、こんなスタイルは初めてなので、いろいろと拙いところがあるやもしれません。バカだのクソだのはすべて撤回いたします。だらぶちとかファッキンとかも多分言ってないけど撤回します。
あとタイトルを見て「すべからくをことごとくの意味で使うなバカ」と思ったあなたは正しい。
コメントに反応させていただきます。全部じゃないのはごめんなさい。
※ちょっとカテゴリ分けした。
ブコメを見ていると、「比喩は有効な場合もあるがそれ以上に議論を迷走させがちだからそもそも使うべきでない」という意見が多いですね。
まったくもってその通りです。私もリアル会議とかで、たとえ話に終始して結局何の話なのか分からなくなるケースを何度か見ている。
これらをすべて分かってないとだめだ。
ただ、それでも比喩は強力だし、使うなって言っても現にいろんなところで使われている。
例えば差別問題なんかは、立場の違いで感じ方が全く違ってくるから、別の立場の感じ方を想像してもらう意図でたとえ話が飛び出してくるのはやむを得ないのではなかろうか。
マキアヴェッリと私
ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、たとえ言葉だけであっても他者を強迫したり侮辱したりしないことであると言って良い。
アドバイスをするときに難しいのは、正解を知ることではなく、その正解をどう伝えるか、使うかが、難しい。正解が明白なのに、それが実行されてないということは、それ自体、問題がより深刻であることの証明である「知の難きに非らざるなり、知を処すること則ち難きなり。」(韓非子 説難)— 瀧本哲史bot (@ttakimoto) 2017年8月11日
三略(さんりゃく)
乱源(らんげん)
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
現代の世の組織には、学閥、派閥などがあり、お互いに共通点のある者で組織内に組織のようなものを作るときがある。
お互いに共通点のある者が親しむこと、それ自体は何も悪いことでなく、自然なことである。
しかし、これはあくまでプライベートで行われるべきことであり、人事や職務に影響させてはならない。乱源とは公私混同のことである。
お金持ちになりたかったら、自分でビジネスをすること。会社は9割の人にはいい働き方だけど、1割の人にはピンハネ率と、社内政治に費やすコストが多すぎて、割に合わない。— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2016年2月20日
10代の終わりに実施した学力テストの点数が、50代や60代まで、それも正解のないビジネスの世界で通用するものだろうか。
企業内OB会は品がない!慶應三田会に見る「学閥」の功罪 - 山崎元のマルチスコープ
このご時世に学閥つくって群れてるくせに、都合のいい時だけ利用しようとして協力しろとか言って来て、どんだけ自分勝手やねん。— YanoTakeshi (@divivid) 2017年3月17日
派閥と学閥を私は成立の違いから本質的には違うものだと理解しているが、それは派閥が異端者を排するものであって学閥は排しないものを異端者とする構図だと考えているから— あき秋刀魚 (@abc3aki) 2015年8月7日
ttps://bit.ly/2K5LWk2
ttp://www.ncn-t.net/kunistok/6-13-SOSHIKITEITAINOGENKYO.htm
数学で喩えるならば。
主題となることと、公式。それを用いた用例との関係性が明確であれば良い。
二次方程式の解の方程式の話をした後で、具体的に解の方程式がどのように適応できるのかを見てみまそう。
ax^2+bx+cという一般式に対して、x^2+x+1とか、4x^2+3x+1とかが、具体例だね。
どんな風に公式を当てはめていくかを、文字式だけではなくて、数字で当てはめていって、見ていこうと言うことだな。
===
蛇足。
中国古典の孫子と韓非子を比べると、今だに孫子が重宝されるのは、読みやすいってのもあるだろう。
また、その具体例が適切だからだろうな。
丘の上に陣を張った方が、見渡せて良いとか。鳥の群れが、飛ぶのは、そこに人がいるからだ、とかね。
墨子や韓非子がイマイチなのは、具体例の部分が、本質とはかけ離れれているせいかもしれないね。
韓非子の和氏の壁とか、すごく人の心を動かす例を出しているが、彼が言いたいことは、それだけの悲壮な覚悟を持って、文書を書いていると言うことだった。
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