2020-07-05

株を守る

韓非は韓の諸公である。彼の著作(『韓非子』)「五蠧篇」を読んだ後の始皇帝は「この著者と親交を得られたならば死んでも構わない」と感嘆したが、いざ彼を手に入れた際には李斯讒言により死なせてしまった。

「守株」は、その韓非子五蠧篇に著された故事である

宋人有耕田者。田中有株。兔走触株、折頸而死。因釈其耒而守株、冀復得兔。兔不可復得、而身為宋国笑。今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也。

五蠧篇の要点は「世異なれば則ち事異なる」「事異なれば則ち備え変ず」という点にあり、したがって「守株」も先王の政の踏襲理想とする(儒家的な)思想を戒めるものであり、故に現代語としても「いつまでも古い習慣にこだわること」の意で用いられる。

しかし、守株の故事だけを抜き出すならば、ウサギ切り株で転ぶという再現性のない幸運に遭いその再現を当てにして無為となることの愚かしさを描写したものだ。林修が言うところの「成功体験は人の目を曇らせる」という例である

緊急事態宣言前の自粛要請によって十分な接触減が達成されていたことの再現を当てにして「緊急事態宣言はやりたくないか努力しろ」等とだけ述べて無為でいるのは、株を守る行動に等しい。

株という単語現在有価証券一種を指しているのは、よくできた偶然である

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