はてなキーワード: 低賃金とは
「年を取ったらゴミ」という価値観と「子供産んだら女神」って価値観がセットにならないと、女は子供産まないと思う。
今は「年を取ったらゴミ」+「子供産んだら社会のお荷物」って価値観がセットになってて、その結果として、
女は「成熟しない」という戦略を取ってるんじゃないんだろうか。
職場で冷遇されても、実績挙げてりゃ首は切られないよ。
年を取った女がゴミだったら、そもそも旦那が嫁を養うモチベーションもわかない。
甲斐性ある男は若い女にもモテるわけだから、多少の慰謝料と養育費払っても若い女を取るでしょ。
そしたら子どもなんていても再就職の妨げにしかならないわけだし、リスク高すぎるわ。
婚活とかいってやたら高い条件あげてる人は、ほんとは結婚も出産もしたくないんだと思う。
・8世紀前半には北海道沿岸まで遠征
・その後は安倍氏による支配下で、中央政権から遠いので影響も及ばず半独立国家的統治。(※)
※東北地方が半ば独立していくという姿は、古代大和朝廷の中央集権国家の一角が崩れたことを意味し、これがモデルケースとなって日本は小さな国の集合体へと変貌していく。日本は明治維新まで、中央集権による統一国家とは言えない。(江戸時代も、あくまで連邦国家である)
→明治維新は政治体制的には「大昔の古代集権国家に再び日本を戻そうという復古運動」であり、決して新しい近代国家をつくろうという思想ではない
・長い間安倍家のもと安定していたが、1052年末法思想のあたりから政局が不安定化し、貴族の摂関政治の衰え、武士の台頭にあわせて朝廷に反発を始める(cf 939年 平将門の乱)
・1051年~ 前九年の役。源頼義および出羽清原氏により安倍家滅亡。出羽清原氏が奥羽の覇者に。
・1083年~ 後三年の役。清平家のお家争いで清衡が勝利し、奥州藤原家として奥州を統治することになる。
・1185年~ 奥州合戦。鎌倉幕府により奥州藤原家滅亡。東北を蝦夷と呼ぶ時代は終わり、このあとは安東氏による統治。安東氏は拠点を津軽に置き、奥羽と北海道南端の蝦夷地を支配する。北海道が蝦夷と呼ばれ始める。
・1325年~ 蝦夷大乱。お家争いが幕府への反乱につながるが和睦。
・14世紀後半~
・若狭出身の武士武田信広が、陸奥の守護南部氏・安東氏との争いを経由して北海道に上陸。
侵略され、搾取され、屈従し、たまりかねて反乱を起こしては弾圧される。
ひたすらこの5つの繰り返し。
それでも何とかアイヌ側の忍耐によりそれなりに共存してきたが我慢の限界!
・1591年 南部に大反乱。豊臣秀吉の命で徳川家康を総大将とする討伐軍。蠣崎家も参戦。
その間アイヌの生活水準も上昇し、集落もまとまるようになった。
各部族をまとめる大酋長も現れ、独立国家らしきものが5つもできた。
・100年あまりの日本人との交易を経て、アイヌの生活水準は向上したが
同時に自給自足でなくなり松前藩との交易がないと生きていけなくなった。
苦境に陥った松前藩は
アイヌはまたも敗北し、絶対服従を誓わされるが、理不尽な交易レートは引き下げられた。
松前商人は利益を追求してアイヌを低賃金でこきつかい、奴隷扱い。
・そのままアイヌの悲劇が黙殺されたままおよそ100年ほど経過。
・地引き網漁の発達により、肥料用の鰯が大量に取れるようになり、
・田沼意次の命で、幕府からの調査団が蝦夷地に踏み込んでくる。
楽しそうに仕事をしている男や仕事を生きがいにしてるような男、それなりに地位があったり高給取りの男は主夫なんてやってくれなさそうだから
仕事に疲れてる感じの男、仕事にやりがいを感じてない男、あとは非正規雇用とか派遣社員、アルバイト、低賃金の男あたりに狙いを定めればいいんじゃないかね。
Twitterで仕事の愚痴や将来の不安をよくつぶやいてる男とかさ。
(そんな男に魅力があると感じるかどうかは微妙だが)
あとは、夢追い人を養うかわりに家事をやってもらうとか?
http://ascii.jp/elem/000/000/643/643497/index-2.html
↓はその通りだと思う。
このような日本の新陳代謝とグローバル化の遅れの背景には、日本企業の組織特性がある。日本の製造業が戦後、高度成長したときは、欧米の技術をまねて、低賃金で生産することができた。
「首相の決断」により郵政民営化も、原発の上からヘリで水を撒く事も出来た。首相レベルの決定権は今も強大なものが有ると思う。
官僚が優秀であるとはいえ、ここを縦横無尽に使いこなせるような立場にある政治家など近頃では皆無に見えてしまう。
誤解を恐れずに言えば、なぜ決定権を持つ人間が決定できなくなってしまっているのかというのが、
現状の「女性の風潮」に逆らえない
婚活に勝ち残らなければならず、
村のようなコミュニティは破壊されたので一人で子育てせざるを得ず、
旦那の給料を【未来永劫として確固としたもの】に仕上げさせなければならないプレッシャーが有り、
ご近所様からも【ちょっと上の立ち位置を築かなければならぬ】プレッシャーすら有る中で、
まだ高度経済成長期に築かれた【幻想・成功神話】を再び旦那に具現してもらわなければ困るのであり、
ゆえに日本社会的に【挑戦】してもらっては困る世界が出来上がる。
(近所やら知り合いに偉そうに出来なくなるから)
「寝た子を起こさない」発想から「協力」というコミュニケーションとして高い次元へ進まなければ
今、勝ち組でも10年後に負け組と同一の立場に置かれてしまうかもしれないという算段を持って今後の方向を検討出来る場が欲しいと思う今日この頃でした。
昔の終身雇用制度は、その責任のほとんどを会社が担保していた。
就職すれば定年まで働きあげることが出来、年齢に伴い賃金が上昇する。
会社を辞める時には退職金が出され、さらに会社も多くを負担する年金制度があった。
その世の中では社員の首を切ることは、社会保障を失うに等しいので、当然のように規制がかかることになる。
その世の中で、画家や音楽家などを目指すと言うのは、社会保障の一部を自らの意志で捨てる事になるので、
「自己責任」が問われるのも致し方ない。
障碍を抱えたりすると、この日本的社会保障から外されてしまうため、当時の日本では「障碍者枠」などを会社に設けるように求め、
この時期の社会主義に近い日本を、良い時代と思うか暗黒時代と思うかは、立ち位置によって異なるだろう。
時は移って、いま日本は過渡期にある。
日本的社会保障制度であった、終身雇用は失われつつあり、実力主義での雇用が労使ともに推奨されている。
雇用については会社が保証するのではなく、個人がその実力で担保するように変わっているし、雇用の流動性を謳ったところで、
雇用に足る能力がなければ「働きたくても仕事がない」状態になる。
本来であれば、これらの人が従事すべきであった単純労働も、技術革新や海外の低賃金労働力などにより、どんどん失われていっている。
さて、ではこれらを改善するのに「自己責任(雇用に足る能力)」を問わないとすると、これはもう「能力に応じた雇用を社会が必ず用意する」か
「労働無くしても生活を保障する」よりない。
結果として社会の生産効率が上昇すればするほど、「雇用に対して能力の足りない人」は増えることになり、格差が広がっていくことになる。
「働きたくても働けない無能」が増えるのだから、「納税の義務」も一部で機能しなくなる。
で、だ。
「働きたくても働けない無能」とか「多動性障害などにより社会の枠にはまれない人」に自己責任が低い(社会の排他性が高い)として、だからどうだと言うんだろ。
時代が変われば申請の敷居が下がっても良いとは思うが、財源は無限じゃない。
現在で200万人。
これが、1000万人になったとして、それを養う生産性をどこで担保するのか、また養っていく人の同意をどこで取るのか。
原文: Schumpeter blog: Angst for the educated(http://www.economist.com/node/21528226)
裕福な国の何百万人もの卒業生が、泣く泣く両親に別れをつげて、大学での新生活を始めようとしている。学生の一部は純粋な学問への愛ゆえに大学に向かうのだろう。しかし、ほとんどの学生は、大学で3年か4年過ごせば、そのために多額のローンを組むことになったとしても、実入りのいい安定した職に付ける見込みが強くなるのだと信じて大学に進んでいるのだ。
大人たちは常に「教育こそがグローバル化した社会で成功をつかむための最良の道だ」と子供たちに言い聞かせてきた。そしてこのお馴染みの話は次のように続く。ブルーカラーの仕事はやがてオフショアされるか機械化されてしまうし、中退したら金に困る一生を送ることになる、世を勝ち抜くのは学士号を手にしたエリートだ、と。これは証拠によって支持されている見解でもある。ジョージタウン大学の教育・労働力センターが最近発表した研究によれば「中等教育以上の学位を取得すれば、ほぼ必ず十分なリターンが得られる」という。学歴と収入には強い相関関係があるのだ。専門学位をもつアメリカ人の生涯賃金は360万ドルだが、高卒の場合はせいぜい130万ドルでしかない。さらに、学位を持てるものと持たざるものの差はますます広がりつつある。2002年の研究では、大卒は高卒の1.75倍の生涯賃金を得ているという結果が得られたのだが、今日ではこのプレミアはさらに大きくなっている。
しかし、過去というガイドは未来において役に立つだろうか? むしろ、私たちは仕事と教育の関係が変化する時代の境目に立っているのではないだろうか? 実際のところ、古いパターンが変わりつつあり、今は不況によって引き起こされている西欧社会の大卒需要低迷という事象も構造的なものに転化しつつあるのだと考えるべき根拠は十分にある。数十年にわたって多くのブルーカラー労働者を揺さぶり続けた創造的破壊の強風は、今や教育エリートにも牙を向こうとしているのだ。
大卒者の供給は急速に増大しつつある。高等教育統計によれば、1990年から2007年の間に、大学に進学する学生の数は、北アメリカでは22%、ヨーロッパでは74%、ラテンアメリカでは144%、アジアでは203%に増大したという。2007年には世界中で1億5000万人もの人が大学に通い、そのうち7000万人はアジアの大学に在学している。経済的新興国、中でもとりわけ中国は欧米のエリートに対向しうるだけの大学の育成にリソースを注いでいる。この新興国では、タタ・コンサルタンシー・サービスやインフォシスのような専門サービスを業とする会社も生まれつつあり、これらの会社は新卒生を世界クラスのコンピュータープログラマやコンサルに育て上げている。詰まるところ、富かな国の最優秀層は、より少ない賃金で沢山働いてくれる貧しい国の最優秀層と競合しつつあるのだ。
同時に、教育を受けた労働者の需要のあり方もテクノロジーによって変わりつつある。この状況は19世紀に農業労働者が直面し、20世紀に工場労働者が直面したそれと非常に似ている。コンピューターは反復的な知的作業のみ成し得るというわけではない。コンピューターは、アマチュアにプロのごとく仕事をこなせるようにする力を与えるのだ。どうして生身の会計士を雇って納税申告をしてもらう必要があるだろう? そんなものは、Turbotaxを使えばわずかな費用でやれるのだ。今後、論調と言語的曖昧さを処理できる機能が備わるようになれば、コンピューターがこなせる仕事の種類は今の何倍にもなるだろう。
Paul Krugmanを含む経済学者の一部は、ポスト工業化社会の特徴は絶え間なく続く知的労働者需要の増大ではなく、巨大な「空洞化」にあるのだと論じている。この「空洞化」は、中級職が賢い機械によって取って代わられ、上級職の増加が鈍化することによって起こるのだという。MITのDavid Autorによれば、このコンピューター時代におけるオートメーション化の主たる効果は、ブルーカラー職の消失というより、ルーチン化できるあらゆる職の消滅にあるという。プリンストン大のAlan Blinderは、低賃金の仕事よりも、大卒が伝統的にこなしてきた仕事の方が比較的「オフショアしやすい」と論じている。配管工やトラック運転手はアウトソースすることができないが、プログラマの仕事ならインドに頼むことができるからだ。
大学教育は、未だに医療・法・学問といった巨大なギルドの入会資格になっていて、このギルドは安定した高賃金な職を生み出している。これらのギルドは前世紀において非常に強力な参入障壁として機能してきた。この障壁は時には正当な目的に出たものだったが(誰も床屋に手術されたいとは思わないしね)、他方で自分たちの利益を目的としたものでもあった。しかし、ギルドは次第に没落しつつある。新聞はブログとの戦いに負けつつあるし、大学はテニュア付きの教授をテニュアの無い職に置き換えつつある。法律事務所は「discovery」(訴訟に関係のある資料を探し出す仕事)のようなルーチンの仕事を、Blackstone Discoveryに代表される電子検索の専門集団に外注しはじめている。医者ですら安泰ではない。患者たちはオンラインでアドバイスを受けた上で、ウョルマートの新しい医薬品センターを利用して治療を求めるようになりつつあるからだ。
MITのThomas Maloneは、このようなオートメーション化・グローバリゼーション・自由化といった流れは、もっと大きな変化 - すなわち「知的労働の分業化」という流れの一局面かもしれないと論じている。アダム・スミスの工場マネージャがピンの生産を18の手続きの分割したように、企業はますます知的労働を細切れにしつつあるのだ。例えば、TopCoderはITプロジェクトを小さな塊に分けたあと、その細切れをフリーランスのコーダーに分配するという方式を採用している。
このような変化は間違いなく知的労働者の生産性を高めるだろう。消費者はサービスに対して高い対価を要求する専門家ギルドを避けて通れるようになるし、多くの知的労働者は退屈な仕事を外注することで自分の最も得意な仕事に集中できるようになるのだ。しかし他方で、この知的労働の再編の流れは、次の世代の大卒者の人生を、はるかに不確定で安住できないものにするのだ。
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
もしこの先法規制の話が出ても、結局ザル法になるだけなのが見え見えだし。
あるいは日本のアニメやコンテンツを海外輸出するのとダブスタだよね。
台湾の法規制が話題になってるけど(あれは韓流だけじゃなくて、もちろん日本のドラマやアニメも含む)
台湾と日本のコンテンツの豊富さの違いだとか、市場の違いだとか分かってるのかな。
そういう日本の経済とかこの先の方針を考えて行動しろよと、自称愛国者さんたちには言いたい。
あと、今回のフジ問題はステルスマーケ批判だけに的を絞った方が勝てると思うよ。あるいは版権ビジネス批判か。
俺がフジ批判の首謀者ならそうする。
http://soulwarden.exblog.jp/14236392/
外国ドラマ規制したらアニメ輸出がだめになるとか結局どっちもテレビ局の商売なわけで
日本でユニクロの出店規制したら中国のユニクロの工場がつぶれるとか反論するようなもん
テレビ局が嫌いな人や貿易を売国と問題視する人は海外ドラマもアニメ輸出もダメになるのはむしろ望ましいと思うはず
もし輸入はだめで輸出だけいいとなったら日本人が一方的に外人のために働くことになる
韓国人が安い賃金で日本のためにドラマを作るのが売国で日本人が外国のために安い賃金でアニメを作るのが売国でないという人がいたら相当のばかだ
日本人の利益の点からしたらアニメ輸出のみ規制するほうが望ましいくらいだろう
製造業だって輸出のために派遣で低賃金で雇って内需破壊してるわけだからもっと規制したほうがいいかもしれない
ましてや輸出産業優遇のためにデフォルト寸前の米国債何兆も買うような為替介入は論外だろう
観光庁とかも一部の売国観光業者ために海外からの観光客誘致に税金つぎ込んでるわけで政官業の癒着を問題視する人がスルーしちゃうのが理解できん
あらゆる事に反論があるのは、むしろ一般的です。
もしくはOLのふりした中高生の方でしょうか。だとしたら本当にごめんなさいね。
女性の社会進出、結婚及び出産の高齢化、配偶者の低賃金化、社会福祉の低下
まさしく個人が自由に利益を追求した結果の副産物だと思います。
40代になったら30前後の子持ちの母の為に何かするつもりがあるんですか?
50代になったら30前後の子持ちの母の為に何かするつもりがあるんですか?
60代になったら30前後の子持ちの母の為に何かするつもりがあるんですか?
元増田さんならわかりますよね。社会には、ほぼ、Anonymousしかいないんです。
あなたは「どうしたらいい」と言っても、誰かに「どうしてくれるんだ」としか考えていない。
あなたの「どうしたい」はあなたの問題です。この社会の問題にはならない。
あなたは少子化、無子化の社会問題に気付いたようですが、たまたまあなたの「したいこと」だったのでしょう。
生活できる/できないはあなたの都合でしょう。どの程度の生活を指すのかおおいに疑問がありますが。
そのような状況で、わざわざご両親から離れた場所で生活の基盤を作る。
そんな話はしてないぞ?
じゃぁ、賢いあなたに判る様にがんばって説明するわ。
先進国での少子化と後進国での人口爆発を論点にしているとしようか。
後進国の繁栄の速度を先進国と同等、またはそれ以下になるように調整し、先進国の繁栄を固定化したいとあなたは考えているようだが、
すでに先進国が衰退の一途にあり、後進国も先進国同様に衰退するように調整せねばならず、人類全体の衰退が確定してしまう。
先進国は金融リソースは豊富だが、それを利用し再生産させる人的リソースは目下減少中だ。
人類が繁栄をしていくためには現在人的リソースにおいて成長している後進国に衰退している先進国が自らを犠牲にして金融リソースを投入する以外に無い。
先進国が消滅することを容認するのなら、大量の金融リソースを抱えたまま後進国もろとも消滅するよりは、金融リソースを後進国に受け渡してから消滅した方が人類の為だろう。
東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原産の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術の進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食糧増産政策、戦前のコメ供給地だった朝鮮と台湾の分離などである。こうして東北は、米・野菜・水産物などの東京への供給地となった。
また東北は、東京への低廉な労働力の供給地だった。高度成長期の集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金の非正規労働者の存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。
さらに東北は、東京への電力の供給地だった。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長末期から、原発と交付金が誘致された。沖縄に基地が集中したように、福島と福井には東京と大阪に電力を供給する原発が集中し、他に産業のない地元の人びとが働いた。こうして穀倉地帯に原発が集中するリスクが生じた。
1990年代以後のグローバリゼーションの中で、一次産品と労働力の供給地としての東北は、アジアとの競争にさらされた。いっそうの過疎化と高齢化、小商店や公共交通機関の衰退が進んだ。点在する小集落から生活物資を買いに行くのも自動車に頼らざるをえなくなり、地域の命綱となったガソリンスタンドも過疎化による経営難で減少している。
今回の震災では、原発事故と電力危機、放射能による農水産物汚染、ガソリン不足と物流停滞、高齢被災者の多さ、部品工場の被災による部品供給網の寸断などが重なった。これらは上記のような地域で震災がおきれば、必然的に発生しうる事態である。これを想定外の複合災害のように東京のメディアが論じるなら、それは地震といえば関東大震災や阪神大震災のような都市型災害しか想定していなかった、無意識の東京中心主義の限界というほかない。
復興も、関東大震災や阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市の復興と異なり、生産地の復興は、都市計画や防災を中心に論じても限界がある。また神戸は大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。だが今回は、2030年までに人口3割減さえ予測されていた過疎地が生産基盤を失った。
復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。グローバル資本とグローバルシティーにとって、食料と労働力の供給地は東北である必要はない。20世紀の国内分業で位置を定められてきた東北は、21世紀の国際分業競争の渦中で打撃をうけた。地震と電力供給のリスクがある東北から工場を海外へ移す動向も予想されている。町をまるごと失い、放射能におびえ、仕事と安全の未来もみえない状態が続けば、若者から先に東北を離れてゆく。この現実を直視し、日本の構造と東北の位置を変える意志を東京側も含めて共有せずには、防災都市やエコタウンの構想も新築の過疎地と財政赤字を残すだけに終わりかねず、原発に頼らない地域社会も作れない。
復興の前提は、原発事故の大局的対策だ。放射能漏れを伴う綱渡りの冷却が数ヶ月は続く。放射能の放出は3月より減ったが、再度の大放出の恐れは残っている。政府は矛盾だらけの暫定措置(飲料水の放射能基準値が原発の排水の7倍など)のつぎはぎを超え、さらなる避難拡大や経済的・国際的影響など、あらゆる事態を想定した長期戦略を公表して国民を納得させてほしい。何もしらされずに非常事態になれば、かえってパニックがおきる。「最悪の事態になれば東日本がつぶれる」と発言した菅首相なら、そうした戦略を立てる意志はお持ちと思う。少なくとも「想定外だった」という言葉だけは、世界中の誰も聞きたがってはいない。
震災後には、「がんばれニッポン」という言葉が躍った。だが震災が浮き彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するにはあまりに分断されている、近代日本の姿である。
朝日新聞4月28日 あすを探る 思想・歴史 ( via http://twitpic.com/4u59mv )
例えそれが公務員でも。
年寄りだって、給料以上の働きが出来るなら若者より率先して採ってもいいと思うよ。
でも、流石に現状は狂ってると思う。
外国人を雇うメリットは、ホワイトカラーなら「その国の言葉が話せる・その国の文化に馴染んでる」っていうのがデカい。
公務員に採用するメリットはあんまりないですけど、海外進出したい企業・コストカットしたいメーカーは
「優秀なら」どころか、「日本人と同じ能力」なら、外国人を雇うと思いますよ。
高卒で渡米→20過ぎで結婚・出産→子供が小学校に入った辺りで大学に入る→30過ぎで卒業して就職(←イマココ)
日本じゃ真似出来ないよなー。まず(例え子供が小学生だろうと)25過ぎた子持ち女が大学入るのもまともに通い続けるのも無理だし、
日本は、大学は精々20までに入らないといけないし、20代前半で新卒として就職しなければならないし、
子持ち女が(待遇の良い職で)働くには独身時代から職を確保してしがみ付かなければならないし、
それにルートに必死に乗っかった所でどうせ
「子供を保育園や実家に丸投げして社畜乙人生」「子供を言い訳に白い目で見られながら給料泥人生」のどちらかでしかない。
当たり前のように5時で帰れて土日は完全に休める職なんて相当低賃金な職か公務員くらいしかない。
昔はアメリカ(っつーか外国)に全然興味なかったので、やたらアメリカに移住したがる女が理解出来なかった
ここでの『首都圏に行く』とは『旅行に行く』ではなく『定住する』という定義。
俺が住んでるのは割と田舎(近所のマックまで車で30分程度)なのだけれど、「こんな田舎は嫌だ!もっとこう都会に行きたい!!」って気分が日に日に強くなっている。もちろん都会に行ったところで娯楽を楽しめるのは金持ちだけというのは分かっているけど、便利かつ大量の娯楽というのは俺にとって桃源郷。そんなところに住みたい!
とはいえ、東京は家賃が高い割に部屋が狭いので個人的に今ひとつ。なので俺としては埼玉のような中途半端な都会に住みたい。
ところが、中途半端な都会があるからといって迂闊に今の会社をやめる気になれない。というのも、「もしも仕事が見つからなかったら」という感覚が強すぎるから。
今のところなんのスキルもないうえに新卒でもないので会社を辞めてもいい仕事は見つからないと思うし、入社して数年で辞めてしまったら転職しづらいイメージがある。しかし、まだ20代だからこそいっそのこと転職するのもアリなんじゃないかと思う自分もいる。
自分一人だけなので低賃金でもいいかといえばそういうわけでもない。なぜなら借金(ていうかローン)があるから。車のローンと奨学金を合わせて4万円/月。というわけで、それを踏まえて俺の求める条件は次のとおり。
<俺が求める環境>
●自転車で片道20分圏内にファストフード店・スーパーマーケットがあり、片道30分圏内にツタヤ・ホームセンター・漫画喫茶・巨大本屋があり、自転車で片道1時間圏内に映画館がある。
●月に4万円/月を返済しつつASDL以上の回線が利用でき、ガラケーでパケホーダイが使える。
●正社員
で、こういう仕事に就くために何を勉強したらいいのかな。ていうか勉強してもすぐに就職できる気がしないんだけど。いくら貯金があっても会社辞めたら次の仕事が見つからないままに貯金を使い果たしそうな気がするけれども、今のうちに転職しないと年取ってから手遅れになりそうな気もして(ループオチ)