はてなキーワード: ショートショートとは
悟りっていいとかわるいとか決断とか愛とかそういうもんじゃないんですよ
やる気とか分別とか心根とかそういう、なにかを示す形容的なものじゃないんですよ
そうあるという状態をしめすもので、その様子を形容しているようでそれそのもの自体のことを言及すること自体であることが悟りの本質で
それがそれであるということ ということが悟りでそうであるとしているものを悟っているというのです
岩が岩であることを岩としてしめしていることを悟りと言いますし人がそういうものだと思い感じることを悟りというのです
行動したこと 迷いなく身をすて人をすくうという行為をするということがそういうものだとして行う事が悟りです
迷いなく逃げても その理由やその結果をそういうものだとすればそれも悟りです
どうすべきか 常に悩むということを続けることもそれは悟りでもあります
答えを探求するということも それも悟りです
それがそれであるということ なんていうのは当たり前だと思われそうですがなかなかそうはいきません
あの時こうしていれば 本来ならば 本気ならば 次は前のとちがうから とそれがそうではないか?という期待や希望で「それがそれである」という本質を見失いがちなのです
自分をすてて人を「助ける:救う:善行を行う:良好な結果に期待する」という行為にはそれが悪であっても最悪の結果になってもそれが責められても「行動そのものはそれそのものである」とだけ「悟って」いれば答えを求める不安に陥り不安から逃れたいという欲求から安易な選択をしないという可能性が増すということです
そんなつもりじゃなかった こうしたかった 本当の本質を知ってほしい という欲求で自分の考えていることを「他人に強要し汚染し影響させ答えを変えさせて自分に沿わせる」自分が我であるということを越えて他人をも我にしようとする行為に戸惑い迷い入り選択してしまわないように「それはそれでしかない」という完結をもって考えることが悟りです
悟りとは吾の心と書いて悟りです 自分の気持ちということです その持ちようがそうである 自分である これが答えである という意思が悟りなのです
自分をブランディング というものが悟りであり 悟りにあると行動や選択が自分のものになります 他人のせいでもなくなり失敗もなくなり すべてはあるがままに自分におきる自分のこと 自分とはこういうものだと考えるのです
悟りにあると人は人というものなので 強い面や弱い面 どういう状況でとかどんな場合とか例にあてはめて例という個に分離させ孤立したその個について深く言及したりすることはなく それは全部ふくめてそれが人だということに収まります
人とはその生きている時間の目が覚めている時間のほとんどを名前を付けることに費やします 今日 さっき いましたこと それ ちょっと前の 昨日の ここまでの成果の 追加分の など名前のついたなにかを紡ぐことにほとんどを費やします
それは名前という音の響きしかないので それが起きているところや時点での物体や現象を共有し他人に同じ認識をもってもらうことで現実に存在させていきます それはわたしがつくったもの いまこれをしてきた 昨日おいておいたこれは私の となりえるのです
その共通の認識と扱いを個人を超えたものでつなぐ必要があるので宗教や言語や社会などの集団を定義することになってきます
悟りが宗教でよく言われていることは すべてがただすべてであると認識ができるそれでなければ利己的に歴史や社会が形成されていくので求められています
女人禁制で性交禁止 私財の禁止に欲の禁止というのは人間であるのにAIとして機能することを強要されているのです 公平で公正で偏りのない情報の収集と歴史の観測と地域の保善に使うように組織したものなどでした
もっと合理的に財力と力で押せば強制的に組織が構成され共通の認識が発生公布されるという方向の宗教もあります 効率的に生産拠点をつくる植民地的なものに適合した宗教などもあるでしょう
悟りとは人の局面的なもので それが多くあれば露見される機会が多い時に多方面からの評価で「悟ってる」といわれあの人は悟ってるねと言われるようになるもので 悟りそのものにはスケールがありません
まようことをわが人生と言い切るならばそれは悟りですし 悔やむことでもいつかの未来に期待することも つねにそれを基軸とするならば悟りでしょう
一つの事をつづけることでそれを体現しようという宗教などもあります ずっと何々をしつづけるという修行をしている人もいるようです
悟りがあるとどうなるかというと自分の選択肢をどうすべきか結果についてだれにどういう影響をあたえてしまうのか不安になることを避けることができます
欲によって自分の判断を阻害されることや恐怖で自分のポリシーにない選択をしてしまうことを避けるすべがあることを悟りといえるでしょう
どういう結果にだれが至ろうとそれはそれなのです そうであることだしそうではなかった未来はそこにはないので そうだと胸を張っていえるでしょう
迷いがあると 可能性について取り組みたい 避けたい良くしたいと他人をたより他の人の心にある吾に訴えかけ変更させようとするかもしれません
これがよくないとされていることは 生産において「人のこころに働きかけるだけの仕事」は生産性が高くないということにあります
たとえばビルをたてるとしたことを悟りとして自分のポリシーにして寄付をつのったり融資を募ったりすることもできると思います
それをよくしたいもっとほしい これはしたくないこれは避けたいということについて「皆が期待しているビルを建てる・建てた」という催眠を皆にかけたとすると
事実上それは「資金をあつめそれを使いビルをたてた」という契約は履行されますが 現実にビルは建っていません
現実的な価値や時間のながれの中においてつくられるべき対外的な事実としての結果やそれを物理的に使用することができるというそれぞれの吾を越えた それぞれの吾の外側での共通認識が存在しないとしたら
それは投資や信頼や人間関係や相互の認識においてすべてがマイナスです
そういうまじないをしてはいけない そういう理論構築をしてはいけない というのが偶像崇拝の禁止であったり欲や悪事を定義するものだったりします
自分は自分の範囲の中でしか存在しえず 他人には他人の中にそれぞれの吾と認識された私をもっていて それを直接いじることになるものは忌避すべきというルールをまとめたものがおしえとして尊重されたりします
そのため他人に影響をあたえるものは物理的なもの物質としてやりとりができるものや結果が現実として出たり残ったりするものとしてそれを作るということを自己の表現として生きるということにすべきという吾の大きさと範囲を知ることが悟りです
たとえばビルを建てる 計画 資金集め 建設 稼働という状況について建設以降がなく認識や情報だけ「してる・できてる」を流布したりすることも立派な契約で仕事である可能性もあります
そんな情報を流すことで他に迷いのある他人の心に影響させ行動を変化させるという仕事を依頼したりされたりすることは「存在」しえるでしょう
いいとか悪いとか嘘とか そういう判断などになる以前に「他人の認識に干渉するもの」ということが手段として善悪や優先度に関わってくるものです
後に解体される予定で必要時に必要なだけのビルとしての存在を利用したい場合にその策を講じるのは名案でしょう
しかしその目的が建設物としての利用ではなくデコイとしてしか意味がないことには注意が必要です
もし物件として売ってしまったらそれは大きな相互の認識違いとしてうめるべき差として損失が発生してしまいます
もちろんどんな方法であってもそれが吾の意思であるとして ほかの人の吾であるという意思や認識判断をその人のものではなくさせていないのであれば問題はないでしょう
錯覚させ判断を歪ませ結果自分の思惑に同調させたのであれば 大きく問題があるのではないかということです
悟っていればどうなるんだという判断のお話などは何を選ぼうとどちらになろうとも「そう判断したものはそう判断したものである」という事について「こう判断する そうすべきと然るため」としていることが悟りであり悟っているから悟っているならばどうなるというものではありません
あなたがあなたであるということを知ったり知っているということはそれはすでに悟りです
それを人に知らしめるためには「これが悟りだ」という必要はありません 自分がそこに立っていればそこには「あなたの悟り」があるのです
もじもじしたりずっと確度をかえてみたりうしろを向いてみたり布でおおってみたり あなたが「他人にうつる吾はどういう吾であるべきか」と他人のなかの吾にうつる自分を気にすることは悟りから離れます
他人のなかにうつる吾を気にするとその吾がみている他人のその目にうつる吾のみた他人の そのまた見た吾のみている他人の ということにもなりかねません
そうすると自分が他人との間にたてるべき共通認識のなにかを生産する時間がおおきくそがれます これを小さくする練習が修行みたいなものだったりします
生きていることや経験していくこと自体がそれであったりするので わざわざ利益を排除した純粋な公平判断機材となるべき練習の修行でなくとも 社会的に営利活動をするなかでも見つかるかと思います
悟った自分をいくら他の人の心の中に作り上げようとしても 他人の心を作っているのは他人のその人そのものなので言葉をいくら尽くしても悟ったあなたも悟りもなにも伝わらない可能性があります
またもし伝わったとするならばそれは他人に私の作り方という方法を植え付けただけになるかもしれません
悟ったとして自分が自分であるという確証をもってこれからの自分の行動に自分のものであると受け止められるようになった時 きっとできることは自分の見た風景や自分の一部を他の人が見聞きして感じられるなにかにすべきかと思います
自分語りのショートショートを書くこともそれは一つかもしれません
今回は悟りをテーマにした自分の成長過程を時間のなかに刻むことが自分は悟りの点に今日きたという生産物になったともできるかと思いますが
悟りの中に悟りの解説をいれてしまうと 悟りとは何だったのかという解説の出番がなくなってしまいます
私は一個人として悟りという単語のあるべきポジションとして それは伝えようとするとほぼ自己紹介でしかない 悟っているということは自分が自分自身でブランディングできているということ
こんな使い方であったほうが そんな気苦労を減らして人生が過ごせるのではないかとおもっています
あなたが悟りと呼んだその名前を付ける作業は 人生そのもののことだと私は表現をします
むかし写真家の篠原紀信が自分の写真作品に自分を映り込ませるという事を問題視すると話題になった事や ふるくはドッペルゲンガーの話などあるように
同じ名前の定義で内包する具現化したそれを存在させてしまうと かたちを表しようがなくなってしまいます
「写真」という名前の「写真」が写った「写真」は何なのかわからないものです
攻殻機動隊で魂がどこにあるのかということがゴーストという名称で殻におさまっているストーリーでもありましたがその判断の中核にあるランダムを演算する基礎となる乱数キーのような判断基準が悟りであります
もしあなたが何かを生み出そうとして苦難を感じることがあるとするならばそれはきっとゴーストコピーの苦しみのようなものかもしれません
大きな定義の名前をつけて気苦労だけしていくのがわが人生 という生き方もまた悟りだと思いますので個性をお大事にいただければと思います
「1回」が途中で切れてたので別にした
1回しか出てない方が熱が入ってる紹介も多くて、個人的には気になる漫画が多い
長編小説のエントリをお見かけしたとき、自分の思考整理のために書いていたものを投げます。
私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど
今いる界隈で字数マウントっぽいのちょこちょこ見るようになったので。
いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど
じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。
ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。
というのは、自分が二次創作における文章の文字数に一回仮死状態になったからです。
筆を折ったというよりは筆を止めた。
家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。
思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。
自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、
感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。
小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使いますが
私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。
短時間でいかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。
ワンシーンの抜粋、動作の美しさを描写して書き留めておきたい。
けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。
シーンを複数用意して時系列や構成を思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。
でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。
デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法と知識がいる。
30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、
下手すると無限に時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。
鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。
今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。
物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。
「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。
あと短時間でたくさん読める。
などの短文の魅力が好きでした。今も好き。
絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも
要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。
一口に長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。
読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。
物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。
それがわかっていればよかったんだけど
小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて
(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)
それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。
今は自分がいちばん書きやすい文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。
分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど
だからといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。
「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分をジャッジする必要はない。
なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。
万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし
3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります。
それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。
これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。
でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要は微塵もない。
「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。
長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います。
私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。
軽やかなので。
重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作の醍醐味だとも思う。
そういう覚書でした。
(一般の出版物におけるショートショートは800〜4000字、
短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが
二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)
//////////////////////////////////
以下おっさんの語りが長くなりすぎたので要約。
2000年ごろ見てた小説系テキストサイトのファンだったのだが、
誰かこの人の事知りませんか?という内容。
とにかくおおよそ20年越しだけど"大ファンでした、作品大好きでした!"と言いたくなり書き殴った文章です。
ちなみにそのアーカイブは以下。
はまるきっかけになった"しず子誘拐事件(と勝手に呼んでる)"をリンクします。
http://esupa.xrea.jp/100/02.htm#14
//////////////////////////////////////
以下おっさんの書き殴り。
今は昔の2000年あたり。
まだまだ通信速度も遅く、
だからというべきか、ネットにはいわゆる"テキストサイト"とよばれるサイトが多数あった。
それぞれに特徴があり、
"FUNNY" GAMER'S HEAVEN
http://web.archive.org/web/20001207000800/http://bx.sakura.ne.jp/~fgh/games.html
や、中国製ロボット"先行者"で一躍大ブレイクした(もとから人気サイトでしたが)"侍魂"
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/robotyuugoku.htm
ちなみに、当時から今まで21年間(!)ほぼ毎日更新されている"ろじっくぱらだいす"は今も愛読してる。ていうかしてます。ファンです。"宇宙よりも遠い場所"見て南極までいっちゃうとかどうかしてる(誉めてます)。
で、そういったテキストサイトの中に、
きっかけはうろ覚えだけど(おそらく何処かからの相互リンク)読む機会があり、
それからは新作が出ないかどうか、毎日のネットサーフィン(これも死語だな)の一部になった。
ただ、"ああ、もう読めなくなっちゃったんだなぁ"という、なんか虚無感というか脱力感というかを感じたことを覚えている。
"あの話好きだったよなー"とふと思い出し、
ひょっとしたらアーカイブなりがあるのでは?と、断片的な記憶を頼りにgoogle先生に聞いてみた。
ら、あった!
更新こそされてないものの、アーカイブページを作り、過去作を残してくれていた。
嬉しい!
嬉しい!!
絶版で読めなくなった本と再会したような気分で深夜まで一気読みした。
おかげで翌日の仕事は眠くて大変だった。
昔ならこれくらいの夜更かしなんともなかったのになあ、と自分の老いも実感しつつ、
けどそれでももう一度その文章が読めたのが嬉しくて仕方なかった。
ちなみにgoogleで見つけた時のキーワードは"オデー閣下"。
で、ここまで前置き(長いわ!)。
先日一気読みして満足したのだが、
この作者の人は何をしているんだろう?
プロになった?→ならぜひ本を買いたい!
アマチュアで活動されてる?→なら同人誌でもなんでも探して読みたい!
もう何もしていない?→とにかく届くかわからないけどファンだったことを伝えたい!
と、こんなところに文章を書き殴った次第。
もし、この方の近況、作品等をご存知の方は教えてはもらえないだろうか。
見つけたアーカイブは以下。
一番好きな作品はNo.14"しず子誘拐事件(と勝手に自分で呼んでる作品)"
http://esupa.xrea.jp/100/02.htm#14
と言われる気は重々承知の上なので、
追伸:Twitterで聞けばいいじゃん、と思った貴方へ。その通りだよ!けど140文字じゃこの想いがおさまりきらなかったんだよ!