はてなキーワード: 神は死んだとは
プププ。まだお前、世界が二元論で語れるという幻想にかられているの?キリスト教がゾロアスター教の始祖『ツァラトゥストラ』が生み出した、アーリマンとアフラ・マズダの二元論はニケーア公会議でアタナシウス派の勝利で4世紀には人類は克服してるの。ドイツ人は本当に不勉強で困る。ニーチェが「神は死んだ」とか嘆く以前に、キリスト教は「精霊」という存在を生み出すことで二項対立を防ぐ方法をあみだし、ドイツ人のいうアウフヘーベンすることができちゃうことを発見したの。アメリカ人は信心深いから聖書を真面目に読んで、真面目に聖書を読めば避けられた問題を「科学する」なんて言わずに、嘘が見破られるの。不勉強の理由に「科学する」なんてものを持ち出すから、エリート(共産主義者)は負けるんだよ。おバカちゃん。
デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。
自我というものの存在を確立したデカルトの三段論法は西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我の存在を規定できるという点だった。
でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在を証明する時代の要請があったのだけれどそれについては後で触れる。
時代は流れてフランス革命が起こり国民国家が誕生する。国民国家が誕生すると神が死ぬ。
どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈で正当化されてきたのかということを説明する必要がある。
「王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。
神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間を支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民を支配する権利がある。
中世の神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、
彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要な公共事業として神の存在を証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。
ところが、王が打倒されて国民が自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。
そして神に変わったものは国民の自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対なものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。
これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。
なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。
なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。
フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析の手法が全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。
フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神を科学のまな板の上に載せたこと」それ自体。
フロイトは夢分析の過程で人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去のトラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。
患者自身は自分が理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。
これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我がコントロールしているとされていたのだから。
フロイト的無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。
あの映画のオチでヒロインは忘れていた過去のトラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。
これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、
犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか
梅干しの写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。
映画の映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラの写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。
こういう感じで無意識が人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。
フロイトは原始的な欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識の概念をさらに発展させていった。
表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。
たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。
心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいないから鼓動も不随意運動には入る。
呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているときは随意運動で意識していないときは不随意運動といえる。
ところで人間の意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。
脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞の代謝とか。
さらにさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。
さてそうすると、どうなるかというと、人間が自分の意識で自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間の活動の大部分は無意識がコントロールしていることになる。
意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。
ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞の代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから。
ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的な言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかいう名前をつけた。
意識ではなくエスが人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。
「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。
「生きるのは苦痛である。苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである」
「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」
「よって生むのは無責任であり生むべきではない」
しかし人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。
第一の登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識が存在しない。つまり無意識である。
無意識の相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論で無意識(エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。
で、重要なことはその「エス」自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである。
今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。
精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子の排出だって不随意運動なのでこれらはエスである。
胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識も自我もない。
だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である。
それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。
自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルトの呪いがとけていないのだと思う。
「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。
生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓は勝手に動いている。
どう見ても肉体は生きようとしている。
やっていることと言っていることが違う。
でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかないからである。
自己の定義を自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。
エスの定義は自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり「自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。
流石にそこまで悟ることは難しいが、自己の定義を自分の不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。
まずはじめに、私はあるジャンルで二次創作をしているオタクである。名前はほぼ無い。
タイトルからわかる通り、私のジャンルには神字書きがいた。(ここではAとしておこう)
彼女はアニメが放送されていた時から活動をしており、Twitterアカウントには質の高い考察や解釈があった。そんなAが生み出す小説は一文字一文字がきらきらと輝いていて、まるでダイヤモンドダストのように綺麗だったことを覚えている。
Twitterではしばらく私の片思い状態、いわゆる相手方からフォローはされていなかったのだが、そんなある日私はAにフォロバされた。神のように尊敬するAに認知されたのだ。その時の私は純粋に嬉しかった。
その時はちょうど某通話アプリのサービスが始まったこともあり、タイムライン上ではフレ募集のツイートが溢れかえっていた。そのアプリは友達登録の画面に相互を自動的に表示するので元々誰かと交流するのも好きだった私はとりあえず今のジャンルで繋がった相互に申請を送った。あまりよくは覚えていないがAと通話アプリで繋がったのもこの頃な気がする。
数日後、私の推すジャンルのオンリーイベントにAが参加表明をした。私はAの本を買いに行く決意をした。
それからというものの、原稿作業用としてAがよく通話部屋を立ちあげるようになったため私はAの通話部屋に行っては彼女と解釈を語り合ったりお互いの作品の感想を伝えあったりした。今思うとこの頃が一番幸せだった。
歯車が狂い始めたのはイベント直後のことだったと思う。最初に違和感を感じたのは差し入れありがとうございますという文面で上げられた一枚の写真。数々のカラフルな小包の中に私が差し入れたものが写っていたこと。ここだけ聞くとどこがおかしいのかと思うかもしれない。しかしその投稿をした者には私は差し入れをしていないのだ。私が差し入れをしたのはA。Aは私の差し入れを別の者に横流ししていたのだ。…と、まあこれだけならアレルギーや苦手なものがあったのかなと済ませられた。
しかし彼女の粗野な側面はこの後どんどんあらわになる。この頃からAの通話には愚痴のようなものが見受けられはじめたのだ。それは聞くに耐えないものだった。例えば「○○さんの本は落書きみたいな本だった」とか「△△さんの作品で地雷を踏んだ」だとかそういう陰口めいたものだ。
またAはその頃、発売された公式アンソロジーについても言及していたがそれに関しても酷いものだった。「公式アンソロジーで女体化するなんて信じられない」「外伝を読まないで書くなんて信じられない」「(カプ名)を逆にするなんて」挙げればきりがない程だ。しまいにはAは「金を払ったのだから物申す権利はある」と言い出しAmazonのレビュー欄を荒らし始めた。そこにもはや神の面影は感じられなかった。
その後何回か会う機会はあったが、もうこの頃には神として尊敬する気持ちは微塵も残っていなかった。神は死んだのだ。通話アプリの友達も解消し、私は神として尊敬していたはずのAをブロックした。
コロナ次第だが今度のオンリーで私は彼女とまた会うことになるだろう。席番はまだ出ていないがAとは隣になりたくない。そのためには徳を積まなければ。
あーー明日から毎日原稿の合間にジョギングして近所の神社にでも参拝しようかな。
クソしんどい
最近、なにかと話題のおけけパワー中島ですが、あの作中に出てくるキャラクターの実力は中堅以降クラスで私みたいな底辺から見ればクラス高カーストの奴らの内輪話じゃん、というような感想にしかなりませんでした。
勿論、主人公の七瀬、そして先日出てきた新キャラの友川においても最初は底辺だったのかもしれないですけど結局(努力もありますが)実力をメキメキと身につけ、ある一定の評価基準まで到達しています。
この真田さんの漫画において提示されているのは、『神に到達するなら自分も神同等の実力を身につける』という手法で、底辺は神へ接近・接触できるということです。同人界隈は特にこの傾向が強いと言ってもいいでしょう。
ですが、現実ではどうでしょうか。ここで、ジェームズ・フレーザーの金枝篇より王殺しを引用してみます。
森の王と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷だけがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である。
このように、実際に神との原始的な宗教的体験というものを考えると、寧ろ神殺しは底辺な者にこそ与えられていたパワーでしょう。
しかし、同人界隈というのは、いいねやRTといった数的なものが良さに変換するプロテスタンティズム的な考えが主流であり、例のようなカトリック的な神それ自体が神聖だから神聖であるというような考えとは異なります。すると、ここで二つに考えが分裂します。
一つは、神絵師とはいいね・RTが多い人間であるというテーゼです。これはツイッター・pixivにおいても閲覧数が多い方が神(結局上手なのだから見られる)というような考えであり、主流なものです。しかし、(閲覧数が高いから・売れているから)素晴らしいというのは、権威主義ともはや同じです。
そして二つ目に、その絵それ自体が神聖であり作者は尊いのだという考えです。こちらもある程度支持する人はいるかもしれないですが、いいね1の絵を神なんだと言ったところでその当人にとってしか神でないというような話になってしまいます。それでは、神としての効力というのは非常に弱いです。
では底辺絵師持っている力とはなんでしょう。それは数字も神聖さもないということです。このようなペシミズムが、サドの遺言のように誰にも作品を見せずこのまま消えてしまいたいというような感情へと移行することができれば、その時ついぞ神絵師を殺すことができるでしょう。
ここでなぜ神絵師が神聖さを持つのかを理解することができます。すなわち神絵師とは、絵が上手い・閲覧数あるといったことではなく、多くの人間を創作活動へと導いてきた人間であるから神絵師なのです。
ですから底辺絵師は神絵師を殺す時がなければいけません。それは数的なものでなく神絵師の思想を乗り越えるといった形式において考えられるべきでしょう。
友川は毒マロという形式を用いましたが悪手でしょう。本来ならば創作という土俵で、つまりA×Bの作品で表すべきだったはずです。
そして神絵師が神である以上、神は気まぐれであり何をしても許されるからあなたが信じた神だったのです。それをもう許せないのならあなたにとってはもう神は死んだ状態であります。
我々底辺のペシミズムが神絵師を揺さぶる時、初めて神絵師との合一ができるのです。そしてそれを乗り越えて神を超越することができるというのが、底辺の強みです。神絵師になってしまったら神同士の馴れ合いでしかありません。
「我々もそうだが、この国の人間はほとんどが信仰心を持っていない」
「そりゃあ、そうだろ。現代人の不平不満を神様に解決してもらおうなんてのは時代錯誤だ」
昔の偉い人は「神は死んだ」なんて言っていたらしいが、俺たちから言わせれば、そもそも生きていたかどうかすら怪しい。
『三種の神器』だとか言うのもあるが、あれだって世代ごとにコロコロ変わって安定しないだろう?
「人々の信仰心が薄れるのは、技術や経済が発展した国では珍しくない。資本主義の晩期は、特にそれが顕著だ」
けれども、それが何で俺たちと似ているって話になるのかが分からない。
生活教にも信者がいるらしいが、あれだって大半が面白半分ネタ半分でやっているだけだ。
「不思議だと思ってな。そんな我々が、こうして初詣といって神社に参拝するのはなぜだろう、と」
ウサクの言葉に俺たちはドキリとした。
確かに、そう言われてみると変な話だ。
そんな非合理な慣習を、俺たちは何の疑問もなく受け入れている。
「初詣に限った話ではない。夏祭りなどでは神社などの宗教施設を使い、自治体含めて多くの人間がそれを後援している」
宗教の自由があるとはいえ、いつだって“自由”はリソースとの相談だ。
俺たちはそのリソースを宗教的なことに割いているって意識が今までなかった。
「なるほどな、ある意味で俺たちは宗教にどっぷり浸かってるわけか」
「なーんか……変な感じ」
俺たちは軽く身震いした。
上手くいえないが、ゲーム画面が暗転したら自分の顔が映った時みたいな感覚だ。
「改めて考えてみると、何とも奇妙な社会だな」
ここにカジマやタイナイがいたら、陰謀論だとかに繋げるだろうな。
「ん~、確かに。アニメや漫画とかでも、登場人物たちが神社とか行くシーン多いよなあ。葬儀も大抵は仏式だし」
そう思っていたら、誰かが藪から棒に喋りだした。
バイト仲間のオサカだ。
昔々、あらゆる世界には神様がいて、とにかくそいつの言うことには黙って従えという時代があった
父親だったり村の偉い人だったり、もちろん大学の教授もそうだった
医師の方針には絶対服従だし、演出家が灰皿ブン投げてきても文句ひとつ言えない
なんなら昔は本当に神扱いされてた一族のゼニの使い道にすら、今や堂々とケチをつけられるようになった
今でも日曜の朝にやたら偉そうにしている神様がいるが、たぶんそのうちいなくなるだろう
もちろんそれはいいんだよ、そういう世の中の方がいいに決まってるんだから
でもそれはみんなが例外なく裸にフラットになることであって、学術の権威にしたって同じはずだ
既存の権威を軒並み破壊しておいて、なぜか自分たちの権威だけはそのまま残る、そんなわけないだろう
引き続き偉そうにし、黙って言うことを聞かせられ、おまけに税金も好き放題に使える、そう思う方が間違いだし思い上がりってもんだろう
青少年時代。絶対的な、神のような存在がいたならば、縋りたくなるのかもしれない。
それとも単に流されていただけかもしれない。
逃げ出すことをしなければ、洗脳され、崇拝し、盲目的になり、排他的になる。そうしてますます絶対感が増し、信仰心が高まる。
私は神のことを信じられず、けれどとある理由から逃げることも出来なかったので、そのコミュニティに身を寄せていた。
神からは集中攻撃に遭い、背後からは信者に刺される。そんな日々だった。
結果という形で力を持っていた私は立場が低いわけではなかったので、一人で異分子派として居座っていたけれど。
むしろ表面上は私と同じように振る舞う人間が多かったように思う。肩身が狭い中、彼らは仲間だとは思っていた。
一度、事件が起きた。
実に晴れやかな気分だった。荒れた土地の整理は面倒だなあと思ったけれど。
裏腹に、困ったのは信者たちだ。
流されるままに生きてきた彼らは、憐れな程に狼狽え、悲しんだ。
やがて、神を戻すべきだと立ち上がった。
そう。真の異分子は私だけだったのだ。
これには裏切られた悲しみよりも、面白さの方がやって来た。
まず初めに鎖国して、国交を断裂した。卒業まで半年の頃だった。
ニセモノの異分子たちは、正式に神の信者になる者と、異分子ですが?という顔をしてこちら側に来た者に別れた。
私は卒業してから一度だけ礼儀として挨拶に来たが、それ以降そのコミュニティに顔を出すことをしなかった。
信者や、ニセモノの異分子たちは、仲睦まじく傷を舐め合うような関係を保っていたようだけれど。
解放されて少しして、神が死んだと連絡が来た。
重大なそのニュースは、後輩である信者の、恋人から知らされた。
どうでもいいと思って聞き流した。
けれど、少しだけ連絡のとっていた信者に確認したところ、連絡が来ていないというのだ。
信者の後輩が私の友人でなければ、私も知ることは無かっただろう。
使える僅かなツテで、各地に散っている信者に連絡をしろと伝えた。
お前たちの神なのだから、最期は見届けるべきだ。私は見届けないけれど、役目を果たしたのだから十分だろう。
もう奇跡の復活はない。
何も出来ない愚かな信者だけを残して。
ヒト「うわ?! マジ? よっしゃそうかー、そんなら試したろw」
ヒト「ほなな? 岩出して、岩」
カミ「は? 金とか女とかやのうて? ええけどナニすんねんww ほい」
ヒト「うわ岩出てきた?! マジで? めっちゃスゴ、俺試すとか失礼な事言ってて殺されるんちゃう?」
カミ「コロシましょうか?」
ヒト「いやいやいや、やめてやめてw 殺さないで」
カミ「では、殺しません」
ヒト「良かったー。もうできればずっと死なないようにして欲しいわ」
カミ「そうしましょうか?」
ヒト「いや待って。その、非常に失礼かも分からんのですけどまだ正直信じられへんのですわ。取り敢えず誰にも持ち上げられない、ハンッッッッッッッッッパなく重い岩出してくれへん?」
カミ「はいどうぞ」
ヒト「…意外に小さいな。あ、確かにビクともせえへん。……んでこれ、もっと重くできます?」
ヒト「やってくれま――、あちょっと待って? 地球より重くなったりとかしたら滅亡しそうだからそういうのなしで。――で、とにかく重くして? 貴方にも持ち上げられないくらいね」
カミ「いいですよ? はい」
ヒト「できたん? ……ホンマに? マジで?」
カミ「できましたよ?」
ヒト「ええの?」
カミ「何がですか? なにも問題ありませんよ?」
ヒト「いや、ちょっと試すみたいで申し訳ないけどそれ持ち上げてくれへん?」
カミ「ああ、はい」
ヒト「あー、持ち上げちゃった! 持ち上げちゃったかー。あー…、残念ですが、はいあなたウソツキでーす。嘘つき確定ー。全能じゃありませーん」
カミ「……? いや持ち上げたじゃないですか」
ヒト「違いまーす。わ た し は 、持ち上げられない岩を出してくれって言いましたーww」
カミ「持ち上げられない岩でしたよ?」
ヒト「持ってるやないですか、今!」
カミ「持ってますよ?」
ヒト「持ち上げられない岩じゃなかったんですかー?ww 貴方偽物けってーいw」
カミ「ニセモノでいいですよ?」
ヒト「いや本物でしょ?」
カミ「ええ、本物でもいいですよ?」
ヒト「どっちやねん」
カミ「どちらでも? 全能ですから」
カミ「いいですか? 貴方が持ち上げてくれって言った瞬間に、私は持ち上げられない岩を持ち上げられる岩にして持ち上げました。言う前までは持ち上げられなかったんです。そして、全能ですから貴方が偽物になって欲しいと言えば偽物にもなれるんです。もう一度持ち上げられない岩にしましょうか?」
ヒト「ああ、そういう事か…。でもなんか釈然とせえへんな
そや、ほなら持ち上げられない岩を持ち上げてみて? どんな方法でもええから」
カミ「いいですよ? 色々な方法がありますけど…、どうします? 分身してその内の一人が持ち上げられないとか、量子的重ね合わせで持ち上げていると同時に持ち上げていない状態にするとか、私が岩の上に四つ這いになって地球の重力をなくすとか――」
ヒト「なんやそれ? トンチなん?」
カミ「そりゃ全能ですからw 頓智もありますよ? どうします?」
ヒト「なんかおちょくられてる気になってきたわ」
カミ「おちょくりましょうか?」
ヒト「なんでやねん! っつうか出来ん事あらへんのかいな! ホンマになんでもありかいw」
カミ「ありませんよ? 全能ですから。ただし、できない事があるようにしろ、と貴方が言うならそれもできます」
ヒト「よーし、ならやってもらお。……せやな、そんなら、全能じゃなくなって! 早い話、カミサマじゃなくなってくれ!ww」
元カミ「はい、できました」
ヒト「……マジで?」
元カミ「マジで。」
ヒト「そんならえーと、どないしょ。き、金とか出してくれへん?」
元カミ「できるかアホ」
ヒト「え? いまジブン、なんなん?」
元カミ「元カミサマ、ですね。全知全能じゃないんで私にもよく分かりません」
ヒト「ちょっと待って、とりあえず戻ってくれへん?」
元カミ「できませんね。もう全能じゃないんで」
ヒト「……え?」
元カミ「……え?」
ヒト「神は死んだのか?!」
元カミ「オマエが死ね言うたんやろうが!」
「どーもー、ありがとうございましたー」
あまり熱心に活動していたわけではないけれど、真面目に信じていた。
神はいると信じて疑っていなかったし、教団内で嫌な事があっても、「人間は不完全だから」と思って気にしないようにしていた。
とはいえ、ずっと違和感というか、形容のできないモヤモヤはずっとどこかにあったし、それは年々膨らんでいくばかりだった。
なぜ何十年も信仰している母親は他の信者の悪口ばかり言っているのか
どうして父はいい歳をして急にキレるのか
そもそもなぜ両親は仲が悪いのか
噂話ばかりしている信者
いじめみたいなことをしている人も見かけたし
エホバの証人になったら、こういったものが手に入ると小さいときから教えられてきたけれど
実際わたしの育った家庭はどこか歪んでいたし、人生の目的なんてずっと分からないまま
「信者ではない子は一年の決まった日にしかプレゼントがもらえないけれど、エホバの証人の子どもは理由なしにプレゼントをもらえます」
みたいなニュアンスのことが教科書みたいな本に書かれていたが、誕生日やクリスマスの代わりにプレゼントをもらったことなんて一度もない
コートも買ってもらえなかった
塾も行けなかった
どうして今まで信じていたんだろう
やるせない
解釈一致してこんなに苛ついたの初めて!私にこんな感情があることを教えてくれてどうもありがとう死ね。
それでもこんなとこにこんな文を書かなきゃなんないほど苛ついてムカついて押し寄せる感情が追い付かない!
以下、経緯。
そこで神文字書きと仲良くなった!正確には仲良くなりかけた。
そこな君、クソDMは好き?私は嫌い。
多分神文字書きは10000%善意だったけど私に届いたときにはもうそれ悪意だったから。
神文字書き、神なのにクソDMを寄こしやがった!私はそれを読んだ瞬間アカウントを消した。垢消しね。
内容としては、私が書いた文章に対する感想だった。私には要らぬ添削に見えた。
ああそうですよ。私が勝手に善意のDMを悪意のDMと受け取っただけですけど?
それでもムカついたもんはムカついたんだよ!だって私、書きたいとこしか書かない主義だし。
上記の神文字書き、もちろんTwitterではブロックしてた。
でもやっぱ神文字書きだからさぁ、いろんな人がそいつの文章を絶賛するわけ。
私だって昔はそのうちの一人だったからわからんでもない。でもそいつ人格破綻者やぞ。
ブロックしてから久しくそいつの文読んでなかったからさぁ、はて今はどんなもんよと覗きに行った。
う~~わ長っ!文章なっっっっが!!クソ~~全部読んでやる。
メッッッッッッッッチャ解釈ド一致!!なんでだよ!!!神格破綻者のくせに!!!!
神はどう思ってっかわかんねーけど、私はいつも「周囲の人間と解釈が合わねえ!」って思ってる。
解釈が合わないのは私のせいじゃない。周囲の奴らが頭おかしいだけ(世の中、自身のことをそう思ってる人間ばっかだよ)。
だから神に会ったとき運命感じたもん。私と同じこと考えてる存在だ!希少だ!!
一生ついてく。そう思ったのに。
私、性懲りもなくまた神のいるジャンルでアカウント作っちゃったの。垢分けね。
だって原作がどうしようもなく最高で、それを二次創作で昇華したくなっちゃったんだもん。
もちろんアカウントを作った時に神はブロックした。もう二度と話したくない。
でもたぶんまた文章見に行っちゃうなぁやだなぁクソなげぇのに面白いから続き読みたくなっちゃうし。
神、嫌いなのにどうしようもなく解釈が好き。
二人はセックスしないと思ってるのに腐女子の"性"で自然にセックスの流れを作れるとこも好き。
原作では性生活の描写なんて無いのに(少年誌だからね)、推しが週2、3で抜いてると思ってるとこも解釈一致で好き。
考えてること全部好き。原作の距離感保ったまま二次創作できる神が好き。
私も同じ解釈だよ、神だけじゃなくて私もいるよ、そう伝えたい。
しかし私はクソDMがこの地球上の何より嫌いだ。誰だって自分の創作活動のスタンスに横槍突っ込んでくる奴なんか嫌いに決まってる。
だから私は今日も神の文章を見ては自然とブクマボタンに指が伸びるのを理性で止めている(腐女子だから「最高!」って思うのとブクマボタン押すのを条件付けてしまってる)。
神にピクシヴのアカウント割れてんだよな~だから無理。ブクマしたくても無理。
捨て垢なんかもっと嫌!神格破綻者のブクマ数増加に加担する気はない。
神のことは死ぬほど嫌いだ。でも私が死ぬのは解せないので神の方に死んでほしい。神は死んだ!
でも神の生み出す文章は私にとって希少も希少、滅多に無い解釈一致文章だ。