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2024-04-04

anond:20240404103033

子宮頸がんワクチン副反応については話が全く逆だな。

きちんと専門家が神経障害と診断しているのに、患者すら診ていないバカメンタルと騒ぎ立てて裁判で負けたりしている状況。

https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2018/182111/201818001A_upload/201818001A0014.pdf

年子宮頸がんワクチン接種後に局所疼痛、関節痛、発熱などが継続し、その後運動障害不随意運動てんかん感覚障害思考能力の低下、学校への登校困難などが報告されている。HPVワクチン関連神経障害の症状は多彩だが一定の傾向を示し、脳内自己免疫的な慢性炎症が原因であることが示唆された。疫学的にはワクチン接種数の減少にともなって新規患者発症もみられなくなっており、同様の症状で新規受診する若年女性は明らかに減少している。治療免疫吸着療法(IAPP)が最も有効だったが、難治例や無効例もみられており、依然として治療必要とする患者存在する。

2022-04-04

コロナワクチン副作用不随意運動が生じた大学生ニュースを見た

そのニュース見て人いる?

健全だった人が不随意運動になってしまうのはキツいよな

映像で見て俺は子供ワクチン打たせないことに決めたわ

2021-09-04

初めて救急車に乗った

40代KKO男性ワクチン接種のため有給休暇を取得。

雨の中自転車地元の接種会場に向かい9月3日11:00~の予約でモデルナ2回目接種。

順調に接種を終えたが、15分の待機中に右手が小刻みに震え出した。注射したのは左肩のはず?

心拍が120くらいまで上昇する。看護師さんが血圧を取ってくれて通常100前後の数値が168とやや高い。

同時に接種した人が会場を後にする中、体調が落ち着くまでしばらく休みたいと伝える。

看護師さんに深呼吸をするよう促されて、一旦は落ち着くが、今度は顎の震えが止まらず歯がガチガチと音を立てる。

やがて不随意運動が開始。数十秒に一度体のいろいろなところが電気が走ったようになり、体がベッドから飛び上がってしまう。

医師が来て呼吸やSPO2の値、蕁麻疹の有無、両手両足の動作など問題ないことを確認

アトピー性皮膚炎に悩まされているが他には特に持病なし、このような現象は初めてと伝える。医師の話によると、

アナフィラキシーショックなどの心配はないが、接種会場では検査ができないため設備の整った病院での検査を勧められる。

移動に備えて車椅子でお手洗いへ。看護師さんに押してもらい、どうにか一人で用が足せた。

戻ってベッドに横たわると不随意運動がひどい。はじめはタクシーをお願いしたが、

医師看護師アドバイスに従いキャンセルして救急車をお願いする。

自分意思関係なくいろいろな筋が動く。ベッドから飛び上がったり、おなかの近くの筋が動くと

ウ!とかヒ!とかフ!とかハ!変な声が出る。薬の注入に備えて生理食塩水ルートを取られる。

救急車より前に救急隊が到着。必要情報効率よく集める様子はプロフェッショナルでかっこいい。

勤務先で数日前にコロナ患者が出たが自分は前日の抗原検査で陰性だったことを伝える。

搬送中も痛みなどは無く、不随意運動も落ち着いたり急にひどくなったり訳が分からない。

病院にはすぐに到着。外が見えないので地元だけれど搬送ルートが分からないのが残念。

病院到着後にも手や目の動きの確認血液検査心電図異状なし。CT検査前に

心因性可能性が高いという結論に達したらしく〇〇(失念)一発キメれば大丈夫っしょ!

みたいな話を横でされたあと鎮静剤のようなものを打たれた。不随意運動が続いているので

ミイラのように体を固定されてCT検査問題ないですねとの医師言葉のあと眠くなり、

救急部屋の隅のベッドでウトウトする。

目が覚めると救急センターの医師看護師は別の患者に掛かりきりになっている。

自分はいつの間にか症状が収まっている。歩行動作問題なく、帰宅許可が出た。

受付でそれほど安くない(約\10k)支払いを済ませ、電車で接種会場に移動、自転車を回収して、

薬局で処方された鎮静剤(睡眠剤)をもらってそのまま日が暮れる前には家に帰れた。

普段はあまり関わることのない世界だけれど、医療従事者の方の仕事に本当に頭が下がる思いでした。

増田で書くのもアレだけれど、大変お世話になり、どうもありがとうございました

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(9/4 22:07追記

発熱で寝込んで起きたら、備忘録代わりに書いた増田にたくさんブックマークが付いていてびっくり。

ブクマで1getした人が書いています創作ではなくフェイクも特に入れていません。

生理食塩水ルート」はお医者さんや看護師さんが話してたのでそのまま使いました。

自転車を回収した後は家へ直帰しました。(ミス修正しました。)

支払いは健康保険使ってこの金額でした。KKOオッサンには割と大きめの出費なので、

frothmouthさんご紹介の「予防接種健康被害救済制度」調べてみようと思います

その他ブクマ/コメント大変に参考になりました。どうもありがとうございました。

2021-07-11

吐き気と戦う

ものを食べたのが良くなかったのか、吐き気で目が覚めた。

なかにはまるで消化されていなさそうな異物感。震えがきて、身体が吐く準備を始めている。

吐いた方が楽なのだろうが、あの不随意運動疲労感や舌の奥の痛みを思うと、避けたい気持ちの方が強い。

幸い消化薬を買ってある。そういえば最近、苦しくなることが多かったんだ。ここしばらく涼しかったが、今日はとても暑かった。夏負けで胃が弱っていたのだ。

馬鹿なことをしたなあ、その上に寝る前の空腹時なんて最悪だった。しかし落ち込むと悪化する。慎重に深呼吸して、汗がにじむ身体を落ち着かせる。

苦しさに集中しないよう、しかし興奮しないよう、ただ意識を逸らすためにだらだらと書く。

少し目を瞑ってみる。吐かずに済むといいな…。

2021-05-31

反出生主義と神とフロイト

まとめ


デカルトから始まる近代的自我

デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。

あらゆるものを疑ってかかったとしても今思考している自分のこの思考自体存在否定できない。

よって思考している自分存在している。



自我というもの存在確立したデカルト三段論法西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我存在規定できるという点だった。

でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在証明する時代要請があったのだけれどそれについては後で触れる。

フランス革命と神の死

時代は流れてフランス革命が起こり国民国家誕生する。国民国家誕生すると神が死ぬ

どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈正当化されてきたのかということを説明する必要がある。

王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。

神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民支配する権利がある。



中世神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、

彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要公共事業として神の存在証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。

ところが、王が打倒されて国民自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。

これがいわゆるかの有名な「神は死んだである

そして神に変わったもの国民自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対ものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。

これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。

神と反出生主義になんの関係が?


神が存在すると反出生主義は成り立たない。

なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。

これには同意意志確認も入り込む余地がない。

神様が決めたことだから仕方がないのである

なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。

フロイトによる無意識発見


更に時代は進みフロイトが登場する。

フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析手法全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。

フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神科学まな板の上に載せたこと」それ自体

2つ目は今回話題にしたい「無意識発見」。

フロイト夢分析過程人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去トラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。

患者自身自分理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。

これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我コントロールしているとされていたのだから

フロイト無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。

あの映画オチヒロインは忘れていた過去トラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。

これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、

犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか

梅干し写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。

映画映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラ写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。

こういう感じで無意識人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。

フロイト原始的欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識概念さらに発展させていった。

不随意運動からエス

表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。

たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。

心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいいから鼓動も不随意運動には入る。

呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているとき随意運動意識していないとき不随意運動といえる。

表層意識には上らないのでこれらも無意識だ。

ところで人間意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。

脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞代謝とか。

さらさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。

さてそうすると、どうなるかというと、人間自分意識自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間活動の大部分は無意識コントロールしていることになる。

意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。

ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから

ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかい名前をつけた。

なんでコギトが間違ってるのか


意識ではなくエス人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。

「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。

反出生主義は全てを理性で説明しようとしすぎる


反出生主義の理屈を雑にまとめると、

「生きるのは苦痛である苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである

「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」

「よって生むのは無責任であり生むべきではない」

理屈の通った三段論法に見える。

しか人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。

第一登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識存在しない。つまり無意識である

無意識相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論無意識エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。

で、重要なことはその「エス自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである

今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。

精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子排出だって不随意運動なのでこれらはエスである

胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識自我もない。

だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である

それらはエスであり、自分自身である


それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。

自意識肥大化


自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルト呪いがとけていないのだと思う。

「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。

生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓勝手に動いている。

体中の細胞栄養を取り込んで代謝をせっせと行っている。

どう見ても肉体は生きようとしている。

やっていることと言っていることが違う。

でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかいかである

自己境界定義自我から少し広げることをおすすめする


自己定義自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。

エス定義自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。

流石にそこまで悟ることは難しいが、自己定義自分不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。


哲学やっとこうぜ


若いうちに哲学やっとくといいよ。

2021-01-05

anond:20210105095818

何歳ぐらいなんだろう

不随意運動精神的な不調は更年期障害の症状でもあるよ

2020-11-19

支配できないので支配される人々

 支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。

 人が誰かから支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由収束することになる。要は、自分自分支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理からまれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 自分支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり自分の行動原理根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである

 無論心臓の鼓動とかの不随意運動支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄理解し、その認識の背後に回り、メタ視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的行為範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である

 例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。

 そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり肯定すること、否定すること、無視することの三つである

「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定立場安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。

 ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分悪人存在糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分正義を愛するからウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。

 と、こんな具合に色々自分の行動の理由仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考リソース自己反省に割かれることによって、脳の処理能力総合的に減退するのである判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。

 そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理コントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理コントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分コントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである


 というわけで、人はナチュラル自分支配することを諦める。人は、自分支配せずに、自分を把握せずに、自分理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。

 それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為からである。よって、人は自分コントロールすることを諦める。

 人は自分支配することができない。だからこそ、誰かが自分支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日地球は回る。幸いなるかな、水は流れる

支配できないので支配される人々

 支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。

 人が誰かから支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由収束することになる。要は、自分自分支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理からまれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 自分支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり自分の行動原理根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである

 無論心臓の鼓動とかの不随意運動支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄理解し、その認識の背後に回り、メタ視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的行為範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である

 例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。

 そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり肯定すること、否定すること、無視することの三つである

「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定立場安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。

 ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分悪人存在糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分正義を愛するからウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。

 と、こんな具合に色々自分の行動の理由仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考リソース自己反省に割かれることによって、脳の処理能力総合的に減退するのである判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。

 そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理コントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理コントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分コントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである


 というわけで、人はナチュラル自分支配することを諦める。人は、自分支配せずに、自分を把握せずに、自分理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。

 それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為からである。よって、人は自分コントロールすることを諦める。

 人は自分支配することができない。だからこそ、誰かが自分支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日地球は回る。幸いなるかな、水は流れる

2019-08-31

かわいそうと思われたくない論

パラリンピックの「障害者でもがんばれば健常者並になれる」というお涙頂戴の筋書きが気に食わない。ハイテク義足で健常者の世界記録をなぎ倒して行くのが見たい。みたいなツイットを1か月前くらいに見かけた。

あと増田で2週間前くらいに「なんで障害者をかわいそうと思ってはいけないのですか?と大学講義質問が出たら静まり返った」ってのも見かけたんけども。

かわいそうと思われるのってそんなにイヤか?

ていうか、かわいそうと思われるおかげで補助金もらえてハンディキャップを穴埋めして健常者並に近付くことができる(合理的配慮)のであって、かわいそうと思われたほうがオトクじゃね?って思うんだが、違うのかな。

ハンディキャップがあるにも関わらず、見た目が健常者なのでかわいそうと思われないせいで穴埋めされることなく、しかも見た目のまま健常者並を求められてキツい思いをする軽度精神疾患系の障害者とか、内科系持病持ちとかなんかも、たぶんそう思うんじゃないのかなぁ。

自覚症状のない精神疾患だと「病気を疑って医者に行く」という動機付けにもならなかったりもして、治療改善されないままになり、ますます孤立する。社会的地位が高くて普段生活で注意や進言を受ける機会が無い人間とかね。

と、発達障害者の端くれから、かわいそうランキング低みの見物をする増田であった。

障害は、客観的に短時間判断が付くものばかりではないですからね。

足が無い、腕が無い、というのは分かりやすいから、すぐにかわいそうと思われやすいんですよ。

警察ですら補聴器つけて自転車に乗ってる人を「イヤホン外せ」と捕まえて、説明すると逆ギレする事件が絶えないようですが。これ何年も前から問題になってるのに全く改善しないですね。全国の都道府県警どうなってるんだ?

視覚障害で杖を持っていても全盲けが視覚障害でなく、「部分的に見えないエリアがある」「部分的エリアしか見えない」とかマチマチだそうです。杖もってて全盲イメージするのに「見えてんじゃねーか」ってキレられたりするケースがあるようです。いや、知らんがな。

「かわいそうと思われない」ならマシなほうで、むしろ「私の気分を害したお前のキモさが悪だ」と毎日disられ指さされるのがデフォというか。不随意運動チック症とか、吃音統合失調症独り言)とかは。

そら当事者疲弊して、誰かとコミュニケーションしたくなくなるし、苦手になるし、下手になる。

吃音テーマにしたマンガがありましたね。

すでにかわいそうと思われていて十分に支援を受けている人はそれが維持されて行ってほしいと思うし、かわいそうの享受が足りてない人のために、目に見えないものを知り、想定の範囲が拡大されていってほしい。


たぶんアレだよね、マズロー欲求段階そのものをなぞっているのだと思う。

補助金が出たり支援者がいる程度のかわいそうランキングの高さがある身体障害者は、埋め合わせによって健常者並の暮らしに近付くことができる。なので生存欲求の次の段階「承認欲求」を求め始めて、それが欲求不満なのかと思う。

しかし受けられる支援が少ない障害者は、承認欲求よりも根源的な生存欲求安全欲求すら満たされていない人がボリュームゾーンなのではないか

そもそも欲求の段階が違うのではないだろうか。

から「かわいそうと思われたほうがオトク」と考えるんじゃないかな。

メンタルパラリンピックって無いんですかね。

欲求段階が違うからそれどころじゃないか

障害は見た目が9割」という話なのでは

2019-05-04

姪「(ビュッ!!)あっー、おじちゃんごめんなさい!」

ぼく「いいよいいよ、次から気をつけようね」

ぼく「(ビュルッ!!!)」※紙パックを強く握る

ぼく「あーあー、ごめんね、これは姪ちゃんジュースの飛散に驚いた結果生じた不随意運動から仕方ない、分かるよね?」

姪「(泣)」

紙パックはちゃんと角をもてよ、角を。小学生でも分かるぞ。

2018-07-14

おい、夏でもくしゃみは出るぞ!!!

くしゃみというのは気道に入った異物を強制排除する不随意運動である

したがって、季節に関係なく出る

俺は花粉症持ちだが、夏でもハウスダストなどに接すれば簡単くしゃみが出る

漫画ドラマでは、風邪兆候、あるいは水に落ちたなど寒い思いをしたとき表現として、人物くしゃみをするというのをよく見る

本当に寒さだけでくしゃみする奴なんておるのか?

冬期にくしゃみが出やすいのは寒気よりも乾燥ほこりっぽいせいじゃね?

これが粉塵の多い場面でくしゃみをするという表現ならば違和感はないのだが

2018-03-10

anond:20180310185556

そっか

かに気分が落ちるとすぐ死にたくなっているので飲んだほうがいいのかも

でも手先を使う少し繊細なことをしているか

不随意運動や手の震えが出たらその時点でもう死んだも同然なんだよなあ

いつもいつも怖くなる

2016-01-05

「マジイキ」の定義

「○○ニーでマジイキすると日常生活に戻れなくなるのでおすすめしない」といった内容の記事シリーズが、少し前に界隈を賑わせた。我々オナニスト協会としても斯様な知見が広く世に伝わることを悦ばしく思うが、先人の執筆者たちはやや書き急ぎ過ぎていた印象を受ける。つまりは『マジイキ』の定義論がなおざりにされたままだったのだ。そこで本稿では、我々オナニストにとってマジイキとはどういう状態であるのかを明確に定義しておきたい。

マジイキの要件

「マジイキした」と述べるためには、下記の3つの要件を満たさなければならない。

1.持続性

マジイキとは最低でもオーガズム絶頂期)が30秒以上持続する状態を指す。男性一般的射精時にオーガズムに達するが、射精のものの持続時間10秒にも満たず、射精後は不応期(俗にいう賢者モード)に移行してしまう。ゆえに上記要件がある以上、射精及び男性器の使用によってマジイキするのは不可能である

アナニーないしサイニー開発の背景には、オルガスムの持続時間向上の意図がある。またユメニ―では「夢見状態における体感時間」と「現実空間における体感時間」との差異を利用して、主観的により長くの快感持続を得ることを目的としており、これもマジイキ指向ひとつである解釈できる。

注釈アナニーでは肛門を用い、サイニーでは催眠音声を用いる。ユメニ―では明晰夢を応用する。この他に、乳首を用いたチクニ―、瞑想を用いたメイニーなどが存在する。また、はてな匿名ダイアリーなど文章を書くときの陶酔感のみをもって絶頂する手法増田ノニーと呼ぶ。

2.連続

マジイキでは、複数回絶頂体験を獲得することを目的とする。通常、男性であればオルガスム射精時の1回のみであるが、マジイキオナニー原則として射精を伴わないため複数回絶頂を得ることができる。

例えばアナニーにおいては、下部骨盤筋群の筋収縮を人工的に引き起こし、オルガスム時の不随意運動を擬似的再現することによって、何度でも絶頂することができる。サイニーにおいては催眠音声を用いて、大脳辺縁系のものコントロール化におき強制的絶頂を与える。催眠音声のなかでは「100回の絶え間ない絶頂体感させる」商品なども出回っており、マジイキニストの精神と肉体の限界が試される。

余談だが増田ノニーにおいては、ブクマひとつ獲得するごとに1回絶頂することができる。

3.快楽

そもそも論として、射精によって得られる快楽などたかが知れている。もしも射精が無上の快楽体験であるとするならば、男性麻薬中毒者やアルコール中毒者は存在し得ない道理で、世の中はもっと平和だったに違いない。すなわち射精によってマジイキするのは不可能であり、射精時の絶頂所詮ドラッグ以下のものである推定される。

社会を脅かす危険ドラッグ撲滅のためにも合法的なマジイキノウハウの普及が待たれるのであり、そしてマジイキ時に得られる快楽は確実に、射精時の10倍を上回るものであることを保証する。つまり、マジイキの真価は、快楽の持続性と連続性に加えて、快楽自体の大きさにある。

例えばアナニーにおいては女性オーガズム再現によって射精を上回る快楽性を手にし、サイニーにおいては催眠によって性感帯の感度を何十倍にも上げる。ユメニ―では「現実」という認識のリミッターを外すことで非常識的な次元を超えた快楽を手にすることができる。また、増田ノニーも言ってみれば「自己催眠」の延長線上にあり、人間本来持ち合わせている「承認欲求」と「自己陶酔感」を性的快楽に変換している。

まとめ

マジイキニストのなかには「まだ射精で消耗してるの?」などと自己優越感に浸って煽る者も存在するが、我々協会としては全人類は等しく(老若男女、人種門出を問わず)マジイキの権利を有していると信じているし、またこの権利は何人にも侵せない、不可侵神聖ものである

科学の発展したこんにちの世の中でも、野蛮な性犯罪が後を絶たず、心の底から嘆かわしく思う。もしも人類みんながマジイキの正しい手法を知り、自らを慰めることができるようになれば、このような性欲が他者攻撃へと転ずる卑劣悲惨事件は防げるのではないか。また薬物やアルコール、あるいはギャンブルへの依存も防げるのではないか。無論、それが理想論に過ぎないことを知っていても、私は「マジイキ」が世界平和にすることを願ってやまない。

参考

http://anond.hatelabo.jp/20151223021454

http://anond.hatelabo.jp/20151226132550

http://anond.hatelabo.jp/20151224204014

http://anond.hatelabo.jp/20151223201827

一連のマジイキシリーズ協会としては、正々堂々と「おすすめします」と言い切って欲しいものだ。

2015-05-16

渋谷の空に

映画好きの俺がはじめて出来た彼女初デートに選んだのは、やはり映画館だった。

初めてのデートでドキドキしながら映画館に入った。

上映開始して数分。

いきなり山場は訪れた。

突如便意が来たのだ。

普段便秘気味でうんこは週一なのに、よりによってなぜ今うんこ

さらにかなり柔らかめっぽい・・・

だがトイレには行ってはいけない。

なにしろ初デートだ。

うんこなんて行ったら嫌われる。

額に汗が流れる。

肛門を思いっきり閉める。

幸運にもうんこはすぐに奥に引っ込んだ。

安心して映画意識を戻す。

しかし、30分後再び山場が来る。

俺は両サイドの肘掛けに腕をかけ、鍛えあげた前腕で思い切り自分の体を床方向へ引きつける。

肘掛けがミシッっと言ったが便意は全く変化がない。

額には大量の汗。

脇も背中パンツびっしょりだ。

スネから汗がだーっと流れる。

自分のスネから汗が流れるのを感じたのは初めてだ。

ついに全身が痺れだした。

不随意運動により、耳やまゆげが自分意志とは反してピクピクし始めた。

心臓が痛い。

背中が痛い。

直腸にある便を少しでもS状結腸に寄せようとかなり体を左に傾けて鑑賞することになった。

映画の内容は全く頭に入ってこない。

面白いと思われる場面で彼女が笑っていても俺は全く笑うことは出来なかった。

ついに映画は終わった。

やっとだ、やっとトイレに行ける。

やっと刑期を終えた。

なんて嬉しんだ。

ショーシャンクの空にエンディングのように、俺は天を仰ぎたかった。

「いや、もうすぐだ、あと数歩だ。でも駄目だ油断しちゃダメだ。2時間待てたんだ。あと数歩なんて余裕だ。」

壁にもたれながらあと数歩という時、

ガキが持っていたポップコーンの甘い臭いが襲ってきた。

俺はその匂いに頭が一瞬おかしくなり、肛門の力が緩んだ。

「ブホシュ」

と、コーラメントスを入れた時のような音を立てて直腸から吹き出した。

また気合を入れ直しトイレまでこぎつけた。

便器に座る。

俺の体から世界中の全てのパワーが解き放たれたように思えた。

「うおおおおおおおおおおおおお。」

うんこってこんなに気持ちいいのか。

今までしたどんなオナニーよりも気持ちいい。

再び全身がしびれた。

呼吸が荒い。

意識が遠のく。

快感が収まらない。

髪の毛は真っ白になっていた。

真っ白になった俺からなんともきれいな茶色うんこがありえない量便器に溜まっている。

人が一回に出す量とは思えない量だ。

それから何分経ったのだろう。

デート中だったことも忘れてしまっていて、今度は違う意味で汗が流れた。

かろうじてうんこジーパンにまでは染みていなかった。

パンツゴミ箱に捨てトイレを出る。

俺はズル剥けを悔いた。

ジーパンに今度は亀頭が擦れて痛いのだ。

彼女がいない。

「先に帰るね」

と、彼女からスティーブ・ジョブズが考えた機械メッセージが残されていた。

渋谷の空を見上げた。

もう俺からは何も出なかった。

 
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