「おぢ」の検索結果(2,405件)

2024-10-07

いやいや、おじとかおぢとかいい歳した大人が恥ずかしくねぇの?

2024-10-05

安倍派にとっては自民大敗下野してくれた方がいいのでわ?

政権交代がなけりゃ第二次以降の安倍ちゃん絶対権力もなかったワケだし

一般的な支持を失ったらカルト信者の影響力が相対的デカくなるわけで

そういう支持者を抱えてるのが安倍派なわけぢゃん

2024-10-04

anond:20241004060831

おぢさんと突き合おう👊💥👊💥👊💥

2024-10-03

anond:20241003123135

そんなことより、おぢさんと正拳で突き合おう👊💥👊💥👊💥

子供の頃の安達祐実に同情するなら金をくれと言われて、

おかねをあげるから、おぢさんといいところへ行こうね、と言いたいだけの人生だった…😟

明らかに派遣おじさんと二人きりになるのを避ける派遣女子

人数少ない部署曜日シフト制で出社/テレワークを分けてる

派遣おじさん、派遣女子社員先輩の3人が出社する曜日があって自分テレワークなんだけど

その日に社員先輩が休むと絶対派遣女子理由つけてテレワークにしたり休んだりする

そうなると派遣おじさんはまだ完璧仕事覚えてるわけじゃないか自分が出社に切り替えて助けに行かなきゃならない

出社に切り替えたからといって残業代的なものが出るわけでもない

だっる

そりゃ派遣おじさん明らかにコミュニケーション能力の低さヤバいし目ガンギまってるし正直二人きりがキツイのはわかるけどさぁ

みんな同じなんだよ

別にセクハラしてくる系の有害おぢではないんだから仕事だと割り切って頑張ってくれよ

2024-10-02

anond:20241002104712

これ、りりちゃんマニュアル詐欺にあったおぢ達を数えるようなもんだからなぁ

数えきれん、としかいいようがない

anond:20241002141436

おぢさんでも近所の薬局で見つけたらつい買ってしまうわ…😟

何か景気の良い話を見聞きするたびに靴磨きの少年とかもう手遅れとか言って結局手を動かさないんだよね

順張りで十分儲かるのに

おぢいさんは保守的からしょうがないか

2024-10-01

anond:20241001131544

さすがに増田でも少なくなってきてる希少おぢ

anond:20241001104534

踏切りに監視員をつけることを義務付けておぢいさんの雇用創出

2024-09-30

anond:20240930225512

アホ汁おぢなんて言葉、どういう人生を歩んだら思いつくんだ

煽ってるつもりなんだろうけど、ちょっと生態が面白かったわ

 言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。ただ、なつかしく、顔を見たくて訪ねていっても、なにしに来たというような目つきでもって迎えて呉れます。たまらない思いでございます。  もう、どこへも行きたくなくなりました。すぐちかくのお湯屋へ行くのにも、きっと日暮をえらんでまいります。誰にも顔を見られたくないのです。ま夏のじぶんには、それでも、夕闇の中に私のゆかたが白く浮んで、おそろしく目立つような気がして、死ぬるほど当惑いたしました。きのう、きょう、めっきり涼しくなって、そろそろセルの季節にはいりましたから、早速、黒地の単衣に着換えるつもりでございます。こんな身の上のままに秋も過ぎ、冬も過ぎ、春も過ぎ、またぞろ夏がやって来て、ふたたび白地のゆかたを着て歩かなければならないとしたなら、それは、あんまりのことでございます。せめて来年の夏までには、この朝顔の模様のゆかたを臆することなく着て歩ける身分になっていたい、縁日の人ごみの中を薄化粧して歩いてみたい、そのときのよろこびを思うと、いまから、もう胸がときめきいたします。  盗みをいたしました。それにちがいはございませぬ。いいことをしたとは思いませぬ。けれども、――いいえ、はじめから申しあげます。私は、神様にむかって申しあげるのだ、私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい。  私は、まずしい下駄屋の、それも一人娘でございます。ゆうべ、お台所に坐って、ねぎを切っていたら、うらの原っぱで、ねえちゃん! と泣きかけて呼ぶ子供の声があわれに聞えて来ましたが、私は、ふっと手を休めて考えました。私にも、あんなに慕って泣いて呼びかけて呉れる弟か妹があったならば、こんな侘しい身の上にならなくてよかったのかも知れない、と思われて、ねぎ匂いの沁みる眼に、熱い涙が湧いて出て、手の甲で涙を拭いたら、いっそうねぎ匂いに刺され、あとからあとから涙が出て来て、どうしていいかからなくなってしまいました。  あの、わがまま娘が、とうとう男狂いをはじめた、と髪結さんのところから噂が立ちはじめたのは、ことしの葉桜のころで、なでしこの花や、あやめの花が縁日の夜店に出はじめて、けれども、あのころは、ほんとうに楽しゅうございました。水野さんは、日が暮れると、私を迎えに来て呉れて、私は、日の暮れぬさきから、もう、ちゃん着物を着かえて、お化粧もすませ、何度も何度も、家の門口を出たりはいったりいたします。近所の人たちは、そのような私の姿を見つけて、それ、下駄屋のさき子の男狂いがはじまったなど、そっと指さし囁き交して笑っていたのが、あとになって私にも判ってまいりました。父も母も、うすうす感づいていたのでしょうが、それでも、なんにも言えないのです。私は、ことし二十四になりますけれども、それでもお嫁に行かず、おむこさんも取れずにいるのは、うちの貧しいゆえもございますが、母は、この町内での顔ききの地主さんのおめかけだったのを、私の父と話合ってしまって、地主さんの恩を忘れて父の家へ駈けこんで来て間もなく私を産み落し、私の目鼻立ちが、地主さんにも、また私の父にも似ていないとやらで、いよいよ世間を狭くし、一時はほとんど日陰者あつかいを受けていたらしく、そんな家庭の娘ゆえ、縁遠いのもあたりまえでございましょう。もっとも、こんな器量では、お金持の華族さんの家に生れてみても、やっぱり、縁遠いさだめなのかも知れませぬけれど。それでも、私は、私の父をうらんでいません。母をもうらんで居りませぬ。私は、父の実の子です。誰がなんと言おうと、私は、それを信じて居ります。父も母も、私を大事にして呉れます。私もずいぶん両親を、いたわります。父も母も、弱い人です。実の子の私にさえ、何かと遠慮をいたします。弱いおどおどした人を、みんなでやさしく、いたわらなければならないと存じます。私は、両親のためには、どんな苦しい淋しいことにでも、堪え忍んでゆこうと思っていました。けれども、水野さんと知り合いになってからは、やっぱり、すこし親孝行を怠ってしまいました。  申すも恥かしいことでございます水野さんは、私より五つも年下の商業学校の生徒なのです。けれども、おゆるし下さい。私には、ほかに仕様がなかったのです。水野さんとは、ことしの春、私が左の眼をわずらって、ちかくの眼医者へ通って、その病院の待合室で、知り合いになったのでございます。私は、ひとめで人を好きになってしまうたちの女でございます。やはり私と同じように左の眼に白い眼帯をかけ、不快げに眉をひそめて小さい辞書のペエジをあちこち繰ってしらべて居られる御様子は、たいへんお可哀そうに見えました。私もまた、眼帯のために、うつうつ気が鬱して、待合室の窓からそとの椎の若葉を眺めてみても、椎の若葉がひどい陽炎に包まれてめらめら青く燃えあがっているように見え、外界のものがすべて、遠いお伽噺の国の中に在るように思われ、水野さんのお顔が、あんなにこの世のものならず美しく貴く感じられたのも、きっと、あの、私の眼帯の魔法が手伝っていたと存じます。  水野さんは、みなし児なのです。誰も、しんみになってあげる人がないのです。もとは、仲々の薬種問屋で、お母さんは水野さんが赤ん坊のころになくなられ、またお父さんも水野さんが十二のときにおなくなりになられて、それから、うちがいけなくなって、兄さん二人、姉さん一人、みんなちりぢりに遠い親戚に引きとられ、末子の水野さんは、お店の番頭さんに養われることになって、いまは、商業学校に通わせてもらっているものの、それでもずいぶん気づまりな、わびしい一日一日を送って居られるらしく、私と一緒に散歩などしているときけが、たのしいのだ、とご自分でもしみじみそうおっしゃっていたことがございます。身のまわりに就いても、いろいろとご不自由のことがあるらしく、ことしの夏、お友達と海へ泳ぎに行く約束をしちゃったとおっしゃって、それでも、ちっとも楽しそうな様子が見えず、かえって打ちしおれて居られて、その夜、私は盗みをいたしました。男の海水着を一枚盗みました。  町内では、一ばん手広く商っている大丸の店へすっとはいっていって、女の簡単服をあれこれえらんでいるふりをして、うしろの黒い海水着をそっと手繰り寄せ、わきの下にぴったりかかえこみ、静かに店を出たのですが、二三間あるいて、うしろから、もし、もし、と声をかけられ、わあっと、大声発したいほどの恐怖にかられて気違いのように走りました。どろぼう! という太いわめき声を背後に聞いて、がんと肩を打たれてよろめいて、ふっと振りむいたら、ぴしゃんと頬を殴られました。  私は、交番に連れて行かれました。交番のまえには、黒山のように人がたかりました。みんな町内の見知った顔の人たちばかりでした。私の髪はほどけて、ゆかたの裾からは膝小僧さえ出ていました。あさましい姿だと思いました。  おまわりさんは、私を交番の奥の畳を敷いてある狭い部屋に坐らせ、いろいろ私に問いただしました。色が白く、細面の、金縁の眼鏡をかけた、二十七、八のいやらしいおまわりさんでございました。ひととおり私の名前や住所や年齢を尋ねて、それをいちいち手帖に書きとってから、急ににやにや笑いだして、  ――こんどで、何回めだね?  と言いました。私は、ぞっと寒気を覚えました。私には、答える言葉が思い浮ばなかったのでございますまごまごしていたら、牢屋へいれられる。重い罪名を負わされる。なんとかして巧く言いのがれなければ、と私は必死になって弁解の言葉を捜したのでございますが、なんと言い張ったらよいのか、五里霧中をさまよう思いで、あんなに恐ろしかたことはございません。叫ぶようにして、やっと言い出した言葉は、自分ながら、ぶざまな唐突もので、けれども一こと言いだしたら、まるで狐につかれたようにとめどもなく、おしゃべりがはじまって、なんだか狂っていたようにも思われます。  ――私を牢へいれては、いけません。私は悪くないのです。私は二十四になります。二十四年間、私は親孝行いたしました。父と母に、大事大事に仕えて来ました。私は、何が悪いのです。私は、ひとさまから、うしろひとつさされたことがございません。水野さんは、立派なかたです。いまに、きっと、お偉くなるおかたなのです。それは、私に、わかって居ります。私は、あのおかたに恥をかかせたくなかったのです。お友達と海へ行く約束があったのです。人並の仕度をさせて、海へやろうと思ったんだ、それがなぜ悪いことなのです。私は、ばかです。ばかなんだけれど、それでも、私は立派に水野さんを仕立てごらんにいれます。あのおかたは、上品な生れの人なのです。他の人とは、ちがうのです。私は、どうなってもいいんだ、あのひとさえ、立派に世の中へ出られたら、それでもう、私はいいんだ、私には仕事があるのです。私を牢にいれては、いけません、私は二十四になるまで、何ひとつ悪いことをしなかった。弱い両親を一生懸命いたわって来たんじゃないか。いやです、いやです、私を牢へいれては、いけません。私は牢へいれられるわけはない。二十四年間、努めに努めて、そうしてたった一晩、ふっと間違って手を動かしたからって、それだけのことで、二十四年間、いいえ、私の一生をめちゃめちゃにするのは、いけないことです。まちがっています。私には、不思議でなりません。一生のうち、たったいちど、思わず右手が一尺うごたからって、それが手癖の悪い証拠になるのでしょうか。あんまりです、あんまりです。たったいちど、ほんの二、三分の事件じゃないか。私は、まだ若いのです。これからの命です。私はいままでと同じようにつらい貧乏ぐらしを辛抱して生きて行くのです。それだけのことなんだ。私は、なんにも変っていやしない。きのうのままの、さき子です。海水ひとつで、大丸さんに、どんな迷惑がかかるのか。人をだまして千円二千円としぼりとっても、いいえ、一身代つぶしてやって、それで、みんなにほめられている人さえあるじゃございませんか。牢はいったい誰のためにあるのです。お金のない人ばかり牢へいれられています。あの人たちは、きっと他人をだますことの出来ない弱い正直な性質なんだ。人をだましていい生活をするほど悪がしこくないから、だんだん追いつめられて、あんなばかげたことをして、二円、三円を強奪して、そうして五年も十年も牢へはいっていなければいけない、はははは、おかしい、おかしい、なんてこった、ああ、ばかばかしいのねえ。  私は、きっと狂っていたのでしょう。それにちがいございませぬ。おまわりさんは、蒼い顔をして、じっと私を見つめていました。私は、ふっとそのおまわりさんを好きに思いました。泣きながら、それでも無理して微笑んで見せました。どうやら私は、精神病者のあつかいを受けたようでございます。おまわりさんは、はれものにさわるように、大事に私を警察署へ連れていって下さいました。その夜は、留置場にとめられ、朝になって、父が迎えに来て呉れて、私は、家へかえしてもらいました。父は家へ帰る途中、なぐられやしなかったか、と一言そっと私にたずねたきりで、他にはなんにも言いませんでした。  その日の夕刊を見て、私は顔を、耳まで赤くしました。私のことが出ていたのでございます万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々と美辞麗句、という見出しでございました。恥辱は、それだけでございませんでした。近所の人たちは、うろうろ私の家のまわりを歩いて、私もはじめは、それがなんの意味かわかりませんでしたが、みんな私の様を覗きに来ているのだ、と気附いたときには、私はわなわな震えました。私のあの鳥渡した動作が、どんなに大事件だったのか、だんだんはっきりわかって来て、あのとき、私のうちに毒薬があれば私は気楽に呑んだことでございましょうし、ちかくに竹藪でもあれば、私は平気で中へはいっていって首を吊ったことでございましょう。二、三日のあいだ、私の家では、店をしめました。  やがて私は、水野さんからもお手紙いただきました。  ――僕は、この世の中で、さき子さんを一ばん信じている人間であります。ただ、さき子さんには、教育が足りない。さき子さんは、正直な女性なれども、環境於いて正しくないところがあります。僕はそこの個所を直してやろうと努力して来たのであるが、やはり絶対のものがあります人間は、学問がなければいけません。先日、友人とともに海水浴に行き、海浜にて人間向上心必要について、ながいこと論じ合った。僕たちは、いまに偉くなるだろう。さき子さんも、以後は行いをつつしみ、犯した罪の万分の一にても償い、深く社会に陳謝するよう、社会の人、その罪を憎みてその人を憎まず。水野三郎。(読後かならず焼却のこと。封筒もともに焼却して下さい。必ず)  これが、手紙の全文でございます。私は、水野さんが、もともと、お金持の育ちだったことを忘れていました。  針の筵の一日一日がすぎて、もう、こんなに涼しくなってまいりました。今夜は、父が、どうもこんなに電燈が暗くては、気が滅入っていけない、と申して、六畳間の電球を、五十燭のあかるい電球と取りかえました。そうして、親子三人、あかるい電燈の下で、夕食をいただきました。母は、ああ、まぶしい、まぶしいといっては、箸持つ手を額にかざして、たいへん浮き浮きはしゃいで、私も、父にお酌をしてあげました。私たちのしあわせは、所詮こんな、お部屋の電球を変えることくらいのものなのだ、とこっそり自分に言い聞かせてみましたが、そんなにわびしい気も起らず、かえってこのつつましい電燈をともした私たち一家が、ずいぶん綺麗な走馬燈のような気がして来て、ああ、覗くなら覗け、私たち親子は、美しいのだ、と庭に鳴く虫にまでも知らせてあげたい静かなよろこびが、胸にこみあげて来たのでございます

2024-09-29

男のルッキズムエイジズムおよび恋愛克服指南

単純な性欲解消法

風俗以外での単純な性欲解消法は、筋トレして痩せ清潔感を手に入れ、それで女性セックスすることである

ここで問題となるのがルッキズムエイジズムだ。

この2つの価値基準に沿ったモノ(いわばマテリアル)は短期間では獲得できない。

モテの "専門家"

ルッキズムエイジズムは、全体から見ればそう多くはないが、絶対的な数で見れば多くの男たちが何年も何十年もしのぎを削っている分野だ。

彼らはいわば専門家だ。専門家素人簡単には勝てない。当たり前の話だ。

そして、一見すると彼らはなんというか、すごく「バカ」そうに見える。幼稚なように見える。

だがそれは相手言語能力しか見ていないためだ。

そうではなく、非言語コミュニケーションをとくに観察すべきである

これは「ノンバ」と呼ばれており、ナンパ用語の中でも最も重要な考え方だ。これが欠けていると、徹底的にモテない。

だが彼ら "専門家" もまた、愛に飢えている。女とやりまくり気持ちよくなりまくり、のその先は何か。虚しいだけだ。

まあ虚しいにしても、まずはやりたいのであれば真似をしてもいいとは思う。

しかし覚えておいてほしいことは、非モテと「モテ専門家」は、究極的には同じだということ。その「モテ」の先には、動物的な喜びしか存在しない。

個人的意見では、今日ではそもそもこの男の「モテ」という概念が転換しているような気はする。

ちなみに女のモテは「不特定多数男性からアプローチを受けること」ではない。これは「穴モテ」と呼ばれて女性社会から侮蔑対象になり、凄まじく屈辱なのだ

そもそもセックスしたいだけではないはずだ

女はよく「セックスしたいだけなら風俗行けばいい」というが、これは男にとっては単なる侮りとして解釈されるだろう。

そういうわけではなく、商売女ではない女とやりたい男は「愛されたい」「認められたい」「尊重されたい」が本音だろう。

だったら努力しろという話だが、これは逆であり、「努力する価値」を求めているのだろう。

努力するほどの価値がある女」が周りにいない、ということが問題かもしれない。

所有欲と支配欲の克服

所有欲と支配欲、これは人間なら誰でも保有している。男だけではない。

「良い女を大量に保有したい」という考え方が「性加害欲求」として表現される。

これは「性的モノ化」としても言われている。フェミニズム文化では有名だ。

フェミニズムは誤解されがちだが、根本は真っ当で深い哲学に根ざしている。フェミニズムとは、プラトンへの挑戦でありニーチェへの挑戦であり、女性の体への挑戦である

女はこの「性加害」「モノ化」にきわめて敏感である。これは男が考えている以上に遭遇頻度が多いのだ。

普通の男ではない、偏差値30クラスの男が世の中には多い。そういう男からトップ層まで全員が「モノ化」してくる。

小さい頃からまりに大量に浴びせられすぎて、さながらテレパシーのようにそういうふうに見られていることがわかってしまうわけだ。その男本人よりも。

こうした「プチ性加害」は、保育園幼稚園から始まる。下手をすれば赤ちゃんのころから。この「女」という言葉も加害の意味を帯びている。家畜のような扱いを彷彿とさせるわけだ。

「なんだぁ?そんなものたか言葉じゃないか」ではない。ここに、男と女共通する言葉の基盤が全く異なるという驚愕事実がある。

もし、同じ言葉で話していると思っているのに、その言葉が示す対象全然違ったとしたら、それは会話できているようで会話できていないのだ。

まるで日本語英語で会話をしているかのように、まるでアンジャッシュコントかのように、会話できていないのだ。

(いわばこれまでの文明全体が「喜劇」とでも言いきってもいいかもしれない。ずっとコントしてたとも言えるな)

弱者男性犠牲者である

言葉の基盤が違うという無理解が、無意識にモノ化を生む。いわば弱者男性も前時代社会女性も、どちらも既存社会通念の犠牲者である

そして、その社会通念が根本からひっくり返っているという、ゲームチェンジしている状態現代だ。

とくにコロナ以後、経済停滞などが発生し、希望が無くなったことによるのか恋愛に逃げ込む人間が増えた。それゆえ恋愛は熾烈な競争になり始めた。恋愛だけではないが。

弱者男性は「権利が奪われた」と思っている。これは既得権益喪失だろう。怒りや苦しみはわかる。

だが、女性からすれば「その権利本来女性が得るべきものだったのに、昔からずっと奪われていたものだった」と思っている。だから、相容れない。

ミサンドリスト必要以上に奪おうとしているが……

具体的な解決

前提知識シェアできたところで、具体的な解決策についてもシェアする。

まず基本的清潔感などを身につける。これは生活習慣も含める。なるべく金で解決したほうがよい。この外見の向上は元が微妙であれば微妙であるほど効果的だ。

筋トレもしておく。

それから女性システムを把握する。女性向け映画を見るとか女性向け漫画を見るとかするといいだろう。それによって女性言語を獲得する。

「なんだそんなもの」と思ってはいけない。それこそが非モテの根源だ。

また愚痴は老けを促進する。おじさん、おぢ、老人、ジジイ、さまざまな形容があるが、愚痴本質他責である他責人間は成長しない。成長しない人間がおじさんなのだ

男向けのポルノなどは見ない方がいい。あれは女性観を「所有」「性加害」側に倒すものだ。そのようにできているのだ。そうしなければ動物的な興奮が得られないからだ。

やりたきゃ実在女性でやるべきだ。

それからだが、同世代女性バカにするとうまくいかない。彼女らは「本当のこと」を言っていることが多い。

罵倒のようでいて、「それじゃモテねえの当たり前だろ」と厳しい事実を言っていることが多い。あまりにも厳しすぎるが……

謙虚気持ちになって本気になれば、まあコペルニクス的転回を迎えるだろう。

だが本当に恋愛したいのか?

自分のほんとうの問題は、恋愛なのだろうかと考えたときに、おそらく恋愛ではないはずだ。

恋愛弱者であるという状態は、異性にその責任押し付け、本当の問題から逃げているだけなのではないかという考えもある。

もしそちらが問題ならそちらを解決すべきだろう。そうすると不思議なことに恋愛もうまくいくものだ。どちらが先にうまくいくかの違いであろう。

どうしても恋愛を最優先で解決しなければならないのであれば、そちらに全精力を注がなければならない。今はそれぐらい熾烈な争いなのだ

おわりに

ここまで伝えてわからないならもう知らんぞ。

ちなみにこれは男だけの話ではない。

非モテの女もそうであり、真逆にしてみればすべて当てはまる。

俺は弱者女性が嫌いだよ。

anond:20240929094253

それもまたニッポン風景として映そうなヤツぢゃん

色んなドラマがあるというか

ヤンキーネタよりもずっとドラマチックなオチだった

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