はてなキーワード: 絶滅とは
うなぎが絶滅する話も、水産省とかに相談してくれよ、と思った。
まあ一事が万事だから、こうやって世論を作るのもそりゃまあ大事なんだけど。
正直、目の前にある金を出せば買えるものが、正しいものかどうかを判断するのは、難しいよ。
だってさ、香害に敏感な人にとっては香りの強い柔軟剤や洗剤は見るのも嫌だろうし、
中には農薬みたいに正しく使わないと毒になるものあるけど、これだってものによっては気軽に買えるわけで。
結局、その目の前にある何かを、誰かがそれを販売することは正しいと判断したから、買える状態にあるわけでさ。
それを批判しているの方が正しいのか、それともそうでないのかを、自分の頭で一つ一つ考えないといけないの?
そしてなにより、全人類がそれを正しいと判定するものなんてないし、全人類がそれを間違ってると判定するものもないわけじゃないですか。
終わりのないいたちごっこじゃない?
いや、いいんだよ、それを求める人たちを否定してるわけじゃなくて、
それを求める人たちが戦うべき相手は、俺なのかなあ? と思いました。
モリアオガエル:要注目種※庭の池に毎年卵を産みにくる。シュレーゲルより産卵時期が遅い
コテングコウモリ:絶滅寸前種※去年家に飛び込んできて何日かぶら下がっていたが、具合が悪そうだったのでミールワームなどを与え数日鳥かごで世話をした。その後元気に飛び去った
コキクガシラコウモリ:絶滅危惧種※普通に屋根裏に住んでる。時々座敷の天井にもいる。だいたい2匹でいる。
シロマダラヘビ:要注目種※先週、台所の土間に現れた。ニュースになるくらい珍しいヘビ。一回しか見たことない
ホンシュウカヤネズミ:準絶滅危惧種※毎年庭のカヤに球巣をたくさん作っているが、姿を見たことはまだない
ヤマカガシ:普通に庭にいるけど準絶滅危惧種※なんだってマジ?
ジムグリ・ヒバカリ・ニホンマムシ:要注目種※普通にいる。家の中にもいたりする。マムシは困るけど動きが鈍くておとなしいのが救い。
ただなんとなく生きる方を選択したんだ思う
それが世代を重ね、継続していくうちに個あるいは群として死にたくないという普遍の価値観、生物普遍の本能という形になった。
そのために生物は痛みを獲得したり頭脳を発達させたり体を硬い殻で覆ったり植物は自らの身体に毒を仕込んだりと、それぞれ様々な工夫を凝らしている。
別に生きたくないと考えた連中は皆死ぬから我々にその素養は受け継がれない。死にたいやつはみな死んで絶滅するからますます生きたいバイアスが強くなる。呪いだ。
人間やその他の生命にとっての根幹は本能であり知能は生き残るための手段、道具に過ぎない訳だけど
出自が完全に異質な彼らが自立的に思考し価値観を獲得してその能力を自由に扱えるようになったとき
何が起こるのかは我々生物には及びもつかないし、人間には解読出来ない存在になってると思う。というか現在既にAIが学習していくプロセスは作った人も解読できないらしい
なぜオカルトを信じないのか。
そういうことは説明書に任せるべきで、俺がすることじゃない。
真面目に語れる領分じゃないしな。
だが、そういった気持ちは心霊番組やホラーものを観れば観るほど、むしろ薄まっていった。
だって、ああいうので出てくるものは人間か、動物なら犬猫ばかりだ。
キリンだとかゾウだとか、オオアリクイだとかも出てくればいいのに。
そういった話がない時点で作り手の都合がミエミエだし、それらがフィクションだってことも暗に示している。
結局、子供へ恐怖を通じて学ばせたり、嘘だと分かりきった上で大衆が楽しむ、都合のいい存在でしかないってことだ。
とはいえ俺は、今回の件をわざわざこうやって話している。
つまり、オカルトかどうかはともかく“何か”が起きるってことだ。
このマンションのエレベーターは扉にガラスがついており、外の様子が窺えるようになっている。
そこでガラス越しに人が見えた。
“見え続けて”いた。
5階、6階、7階……同じ様相の人間が、そこに佇んでいるのがハッキリと見える。
事態が上手く飲み込めていないが、自分の中で危険信号が鳴っていることだけは確かだ。
俺がエレベーター内で出来ることは、1階にもいるであろう“奴”に備えて身構えることだけだった。
この時、エレベーターは9階まできていた。
俺の部屋がある階は次だ。
拳に力が入る。
……だが、窓の外に“奴”は見えなかった。
扉が開く。
やはり、いない。
その状況に握った拳の力が弱まるが、まだ解かない。
左右はもちろん、念のため上と下も見た。
気になって後を振り向くなんてこともしてみたが、やはり何もない。
ワケが分からない。
だが、もし“奴”がこの階に向かっている最中だとしたら……と頭をよぎる。
俺は逃げるように自分の部屋に滑り込んだ。
今になって思えば、完全な取り越し苦労である。
他の階にはエレベーターに追いつける程のスピードで来ているわけだから、俺の階にだって既に追いつけているはずだからだ。
じゃあ、なぜそうならなかったのか。
この時点で、その不自然さについて考えていれば、もう少し早めに核心に近づけただろう。
あの時に、そんな余裕がなかったのが我ながら恥ずかしい。
今日、駅の売店で「アンタのせいで乗り遅れたじゃないか」とキレてるおっさんがいた。売店で買い物をしているうちに乗る予定の電車が行ってしまった様子だったが内心(そりゃねえだろ)、と思いながら見ていた。
俺くらいの年齢でもその印象は色濃く残っているけど、駅の売店には嘗て「超人的パフォーマンスで客を捌き倒すおばちゃん」が当たり前に居た。客が手に持った商品を見ただけで釣銭まで瞬時に計算してるんじゃないかと思えてしまう様な超能力者達が当たり前に箱の中に立っていたのだ。その印象は未だ色褪ることなく世間に浸透しているのか、売店のおばちゃんの超能力に期待して無茶な買い物を実践する層がある程度いるようなのだ。けれど残念ながらいわゆる売店のおばちゃんは絶滅寸前の希少種なのらしい。
近頃は、売店での取扱商品が爆発的に増えた代わりに商品は全てPOS管理されており自動釣銭機のレジによって金銭のやり取りがされている。
金銭授受のスピードが期待しているより遅かったとしても、それはレジのパフォーマンスのせいだ。売店のおばちゃんがPOSに接続できるなら良いのだろうけどね。
ああ言ったレジは結構トラブルが起こるらしく、スーパーでの経験だけど札が飲まれてかなり待たされた事がある。
幾らか前になるけど、ある日おばちゃんのパフォーマンス見たさに買い物をした事があったけれど、派手で小奇麗になった売店で商品のバーコードを辿々しく読み取り始めたのを見た時に一時代が終わったのだなと感傷に浸ったのを思い出した。そして、おばちゃん達の能力と引き換えに売店で買える商品は増えたよねっていうね・・・。
まぁ、ここまで殆どいつだか見たコンビニ関連のニュース記事の受け売りだけれど、おばちゃんにキレても仕方ねぇじゃんって思ってさ。
少なくとも電車がホームに入ってから精算しようとしてキレるのはゆとり無さ過ぎじゃね?と思いながら自分が乗る電車が来たのでさようなら。