はてなキーワード: 漁師とは
でも建物がいくつか崩れ、道路が崩れるくらいで、半年もすれば元に戻るんだろうなと思っていた。
でも、テレビを見ているうちに、どんどん状況が悪くなっていき、多くの建物や車が津波に流された。
その映像を見ている自分の顔が鏡に映ったとき、僕の顔は笑っていた。
心ではざまーみろという気持ちしかわかず、可哀想なんていう気持ちは微塵もなかった。
黙って何も喋らずにいることが唯一の自己表現になっていた自分にとって、
今回の震災は何よりの薬だったのかもしれない。
物資も届かないまま、死んでいく住人たちの姿を見るのが本当に楽しかった。
汚染された土地の農家や、汚染水が海に放出された漁師、家族が行方不明な人間たち、
気がつけばこの人たちのなんとも形容し難い顔を笑いながら眺めるのが日課になっていた。
増田に被災した兄とのやりとりを記したエントリがあったけれど、
あのお兄さんの気持ちはうつ病患者の気持ちを端的に表しているような気がする。
特に、他人から何らかの攻撃を受けて鬱になった人間にとっては。
責める気力もなく仕事を辞め、自分をひたすら責めて自殺未遂をした。
本当なら殺してやりたいくらい憎いけれど、何もできない。
そんな自分の状況に、今の被災者の人の気持ちは近いんだと思う。
今回の震災で自分を鬱に追い込んだ人間が死んだ人もたくさんいるはずだ。
鬱の辛さは簡単には他人に理解してもらえない。
反論や攻撃する気力もなく命を絶った人もたくさんいるだろう。
でも建物がいくつか崩れ、道路が崩れるくらいで、半年もすれば元に戻るんだろうなと思っていた。
でも、テレビを見ているうちに、どんどん状況が悪くなっていき、多くの建物や車が津波に流された。
その映像を見ている自分の顔が鏡に映ったとき、僕の顔は笑っていた。
心ではざまーみろという気持ちしかわかず、可哀想なんていう気持ちは微塵もなかった。
黙って何も喋らずにいることが唯一の自己表現になっていた自分にとって、
今回の震災は何よりの薬だったのかもしれない。
物資も届かないまま、死んでいく住人たちの姿を見るのが本当に楽しかった。
汚染された土地の農家や、汚染水が海に放出された漁師、家族が行方不明な人間たち、
気がつけばこの人たちのなんとも形容し難い顔を笑いながら眺めるのが日課になっていた。
増田に被災した兄とのやりとりを記したエントリがあったけれど、
あのお兄さんの気持ちはうつ病患者の気持ちを端的に表しているような気がする。
特に、他人から何らかの攻撃を受けて鬱になった人間にとっては。
責める気力もなく仕事を辞め、自分をひたすら責めて自殺未遂をした。
本当なら殺してやりたいくらい憎いけれど、何もできない。
そんな自分の状況に、今の被災者の人の気持ちは近いんだと思う。
今回の震災で自分を鬱に追い込んだ人間が死んだ人もたくさんいるはずだ。
鬱の辛さは簡単には他人に理解してもらえない。
反論や攻撃する気力もなく命を絶った人もたくさんいるだろう。
迷惑をかけることとそれを悪し様に扱うことは、まったく違う。
ありがとうがいいたくなければ言わなければいい。逆に手伝ってありがとうと言わせてやればいい
過去に人が救えなかったなら今生きて救いを求めてる人を救えばいい。
どうせこういう人間は、過去に戻ったとこで何が起きるか判っていても誰も救えはしない。
頑張れは、たしかに苦痛かもしれないが全てを失いなお頑張ってる人もいる
じゃあ頑張ってという言葉が励みになる人は誰一人としていないのか?
何で個人のためにそこまで考えなければならない。お前はこういう眼にあったことがないから?
火災保険にもまだ入ってなかったから何もかも失ったでも俺はネットが出来るまでやってきた。
因みに親とは20で決別して戸籍も別頼る人間も織らず3ヶ月ダンボールですごしたけど自慢にもならない
でもそういう全てを失ったものだけが言えるというなら言わせてもらう
因みに会社も解雇されましたw火事起こすような起こしてないけどそういわれたなのがいると迷惑だからって
でもさそういう時頑張らないでいつ頑張るの?復興とか馬鹿じゃないの?自分の生活を頑張れって意味でしょ
例の原発から半径数十キロの距離に住んでて、第一次産業が壊滅的打撃を受けているという類のニュースを聞いてばかり。
福島の住民の関心の大部分がこの話題に集約されてるんじゃないかとさえ思える。
「福島の漁師」との電話なのに、原発の話題がないのは最初不思議だったが、よく考えてみれば「頑張りたい人」じゃなければ海がどうなろうが知ったこっちゃないな。
そりゃ、今年は出荷制限がある分東電やら国やらが金を出してくれるんだろう。
(そういう意味では、本当の意味で悲惨なのは出荷制限がされないであろう西部の会津あたりかもしれない)
今年はいいとしても問題はその先なんだよね。
仕事でほんの数件行った先が農家だったりしたけど、「今年は作らんねえべ」と言う人がいた。
(一方、未だ方針が定まらない中トラクター?を稼働させている人もいたから個人差は当然ある)
数年経っても、ただの客が原発付近の農作物を信じることなんてできやしない。
浜通りの内陸部に家があったから、家は無事だった自分は「正直、不幸になってくれたら嬉しい」とまでは思わないけど、「頑張れ」という人には是非これまで通り観光地として福島を利用して欲しいし、再来年あたりにはこれまで通り福島でつくられたものを食べてほしいね。産業を保護するために高いリスクを背負ってくれたのなら、これほど嬉しいことはない。
頑張ろう、頑張ろうって言うけど、
家が流されたんだよ?
おまえ、ちゃんと分かってるの?
超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、
あの帰る家がね、全部流されたんだよ。
俺、もう、家ないの。
今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、
全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。
おまえ、家ないのに頑張れる?
服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。
よし、頑張ろう!って思える?
すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。
ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。
いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。
おれ、船、なくなったんだぞって。
多分、漁師はもうできないと思ってる。
もう、なーーーんもない。
どう考えたら、今、頑張れるんだよ。
ちょっとでも頑張れる何かが、今、俺たちにあるのか?
「いや、今はこっちで頑張るから、おまえらは1年ハワイでゆっくりしてきな」
とか言われたい。
「おまえらが帰ってくるまでに片づけとくから。家も建てとくから」
毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。
流された人を何人も見た。
顔見知りも流された。
その頭にある映像を何回も思い出す。
そのたび、津波がこうくるって分かってたら、あの人を助けられたかも、とか。
時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかった、とか。
1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。
俺、1人で逃げてきたわけ。
誰も助けなかった。おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。
もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。
4日目にやっと町に行っていいと言われて、
ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。
蓋をしたい。見たくない。
町を見ると、死にたくなる。
こっからは、もう、どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、
家だって、もう、二度と持てる気がしない。
何も希望なんかないよ。
「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、
ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。
家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。
そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。
地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。
どう見たら、この状況が大丈夫になるのか、胸倉つかんで聞いてやりたい。
でも、怒る元気もない。やる気もない。
数日たったら「元気出して頑張って!」とか言って、
自分たちの家に帰っていく。
「何か、できることある?」
何を言っていいかわかんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、
「正直、不幸になってくれたら嬉しい」
と言われた。
俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」
と言われた。
東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら、
頑張るよ。その人の歌なら聴く。
知らないやつに、馬鹿みたいに「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、
今は正直、消えてほしくなるよ。
募金は嬉しいよ。で、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、
町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。
と。
モズの早贄をご存知だろうか?
モズという鳥が、カエルやトカゲなどを木の枝にさしておいて、保存食にするといわれている。
だが実際はそのまま食べられなかったりして、木の枝にカエルなどが刺さった状態で発見されるというわけだ。
それはとても大きなカエルだった。ウシガエルほどの30cmぐらいのサイズがあっただろうか。
葉がすべて落ちたとても大きな古木にカエルがまるでモズの早贄のように枝々に実っていた。
実っていたというよりは、ひもののように干されていた。
内蔵をひらいて魚の干物のように干されていた。
ボクはそれを地元の漁師の案内で見学に行ったんだ。どこかの村の風物詩らしい。
漁師は聞く。
その真意をはかりかねて、次の言葉をまつ。
「もしー、亀に餌をやったらわしはお前さんを逮捕しなきゃならんのだ。」
そこに住むキサラギは、小さな小学校の前で雑貨屋を営んでいた。店の前をほうきで掃除をしていたとき、この町では見ないようなパリっとした服装の男が現れた。
男は、大手ブランドのロゴが入った看板を指さして、「事務用の机とイスを探しているんだが」と言った。
キサラギは、その男の足元から頭の先までを怪訝そうに眺めた後、ひとこと言った。
「あいにく、在庫を切らしていてね。すまないが他を当たってくれないかい」
男は、「また、気が変わったら、呼んでくれ」と一枚の名刺を置いていった。
名刺には、「神羅カンパニー総務部備品係 宝条太郎」と書かれていた。
キサラギは、このときこの唐突な訪問者に対して、どのような感情を持って接すればいいのかわからなかった。
昼ごはんを食べていたとき、近所の服屋のおばちゃんが駆けこんできた。
「作業着が200着も売れたんだよ。前金で!」
一年の収入を一度に得たおばちゃんは、大金を目の前にして、正気を失っていた。
この噂は、この小さな田舎町をあっという間に駆け巡った。
本屋では、たくさんの雑誌が定期購読され、肉屋では、測量工事の弁当が定期契約された。
酒屋では、贈答用のワインが大量に発注され、タバコ屋でも、タバコの注文が大量に入った。
しかも、どの店でも前金だ。言い値をふっかけても、この街に突如してやってきた男は嫌な顔ひとつせずに金を置いていった。
町は突如としてやってきた「神羅景気」に湧いた。
おこぼれにあずかろうと、急に軒先に看板を出す者さえも現れた。
酒場では、漁師たちがあの男と盛大な宴を繰り広げる日が続いた。もちろんすべてあの男のオゴリだ。
キサラギは、嫌な予感を感じていた。こんなことがこの町に起こるはずがない。
ひと月ほどの時間が流れ、また、男がやってきた。
「顔を覚えてほしいと思ってね」と男は言葉少なに店を出ていった。
この男の行動が気になったキサラギは、そのあとをつけていくことにした。
男は次々と町内の店で前金で大量の注文をしていった。神羅の本店で使うのだろうか。異様な光景だったが、男の申し出を断る人はいないようだった。
買い物を終えると、男は町の長老の家へ消えていった。
キサラギもそのあとを追い、物陰に隠れ、男と長老の様子をうかがった。
男は長老に言った。
「この町の海辺に魔晄炉を作らせてください。お礼はうんと弾みますよ。これであなたの町での地位も安泰だ。」
「すぐには返事はできん。少し考えさせてくれんか」と、長老は男にいった。
「それでは、前向きなお返事を待っています。」
と、ひとこと言い残すと、男は長老の家を出て行った。
男が去ったあとで、町の重鎮たちが長老のもとへ集まってきた。
「神羅がやってきたのは、魔晄炉のことか」と重鎮のひとりが長老へ詰め寄った。
「これはこの町にとって願ってもない機会かもしれんが」と、長老はつぶやいた。
「これができれば、仕事がない冬にミッドガルへ出稼ぎへ行くこともなくなるし、悪い提案ではないと思うが」
「そうじゃ、そうじゃ。若い人も町へ残ることができるだろうし、ミッドガルから人もくる。」
「この申し出を断ったら、この町が注目されることはもうないだろう。」
「魔晄炉は動かし始めると1000年もの間、それを見守り続けねばならない。魔晄炉に何かあったときは、我々は運命をともにすることになる。何代もの子孫にかかわることを我々だけで決めて構わんのだろうか。子供や孫たちはわしらの決めたことをどう思うのか…。わしには分からん。」
重鎮たちの意見はまとまったが、神羅がこれくらいのことで諦めるはずはない。
魔晄炉のためにこの町が背負う十字架はあまりに大きすぎる。キサラギは、この小さな田舎町の行く末を案じずにはいられなかった。
あんま知識のない俺の認識といめーじを正直に書く。多分一般人の認識なんてこんなもん。
風評被害が一番怖い。泊の知り合いがいるので。漁師廃業だし。今も福島の野菜の話きいてクソがと思っている。Twitterで「だってこえーもん、正直広島だって未だに行きたくねーよww」と発言したやつがいて、普段ゆるふわ系の子が「実家広島だけど、うちのばあちゃんはなー」と説教し始めてびびった。気持ちはわかる。
北海道のあの並んでる奴はかっちょいいよねー。ヨーロッパでは結構普及してるとか聞いた。世界的にはじわじわふえてる。日本だと風が弱い事よりも、台風の時耐えられないのが厳しいらしいよ。北海道なら台風ないからな。
設置コストが安くて、耐久性もあって、一箇所壊れても分散型だから稼動可能なのがいいよね。補助としては優れてるイメージ。
日本の日照時間じゃどうなのーと思ったけどそんなに悪くないらしい?土地さえ確保できれば超クリーン。原料も珪素系でありあまってるので、製造を含めても環境への影響や資源の問題が少ない。でも土地ー
雪積もる土地だと冬の間役に立たない気がするんだけどどうなんだ。
宇宙空間で太陽光発電は、世界はいまそれどころじゃなさそうだからあと数世紀はむりだろ。
http://www.himawari-net.co.jp/ こういうのとか太陽光をうまくいれる建築デザインで地下施設等で日中はできるだけ照明に電気つかわないようにできないの?
日本の日照時間じゃ発電には無理だろうけど、家庭単位でお湯にするやつはまあまあいけるんかな。
ぺルチェ素子の逆で温度差を電気にできるらしい。高温に耐えられるようになれば夢がひろがりんぐ?温度差ってことは、すごく寒い所の地熱とか、すごく寒い所のごみ焼却とかを電気にできるようになるのー?
採取さえ出来れば、今ある火力発電所にそのまま使えて、化石燃料より二酸化炭素もでない。しかもこれが使えるなら日本は世界でも有数のエネルギー自給大国になれるだけの埋蔵量があるらしい。俺の生きてる間には使えるようになってほしい。
でもなんか政府の見通しがアホすぎて、お金のかけ方が下手で採掘技術がうまく開発進んでないらしい?
温泉業界が反対するから無理だろ日本じゃ。俺も温泉好きだから温泉に影響あるならやだな。でも温泉出てないところならアリじゃね。
あれって赤道付近か逆にクソ寒いところじゃないとむりだよな。日本には関係なさそー
日本には発電に使えるほど激しいところがなかった気がする。あればよかったのに!
十分ダム作りすぎだからこれ以上作らなくていいよ。電力を位置エネルギーにして事実上貯めておけるのはえらい。
化石燃料尽きそうだしなー。天然ガスかメタンハイドレートならいいんじゃね。
これがあると、家庭単位で節電志向の細かいコントロールができて、電力の無駄が少なくなるって認識でおk?
日本の電力会社は変な方向に技術発展しすぎてるらしい。だからいまさら方向転換できないんだと。海外じゃアメリカ欧米は当然、中国でさえスマートグリッド導入に運んでるのに。携帯なみにガラパゴスじゃん。ワロス。どうするんだろ?
コメついてたので。俺は自転車であいぽんを充電できるやつの購入を結構マジで考えてるんだけど。発展途上国じゃ手回しや足回しで携帯の充電してるらしーぞ。
先月31日の午前4時30分頃、埼玉湾の沖合い約60㎞付近で操業していた、漁師が仕掛けた定置網に巨大なイカが掛かっていたことが
漁師が所属している南川越漁業協同組合(本所:南川越市)への取材で分かった。
同漁協が調査を依頼した専門家によると定置網に掛かっていた巨大なイカは小説のモデルになったとされる「ダイオウイカ」であるという。
巨大イカを見た、同漁協の担当者は「日本海側で打ち上げられた例は聞いたことがあるがまさかこの目で見るとは思わなかった」と驚いた様子で話していた。
同漁協が「ダイオウイカ」の扱いについて協議をしていた今月1日の午前中から「かわいそう、イカちゃん食べないで」、「身を以て環境破壊を示したイカちゃんを食べるなんて許せない」、「同胞を食べるなんて、言語道断、断固とした処置を行う」などいった内容の電子メールが多数、同漁協宛に寄せられており、既に3万通を越えている。同漁協は真意がよく分からないものも多くあるが「ダイオウイカ」は塩辛く食べられる種類ではないと聞いている、研究機関に譲り渡すことがすで決まっているのでもう送らない欲しいと困惑した様子で取材に答えていた。(毎朝新聞 2010年12月4日朝刊)
『ザ・コーヴ』(The Cove)のことです。
かわいいイルカさんたちが殺されるなんて許せない!毎日そんなことばかりを考えていました。
そんなとき、おもいがけなく日本熊森協会のことを知りました。
これじゃね?
私たちのかわいいイルカが殺されるのは、漁師さんたちが魚を獲るためです。
これは、熊が街中にエサを取りにくるのと似ていると思いました。
熊森では、熊が街中に出てこなくても済むように、どんぐりを運んで餌付けをしているようです。
ということは、漁師さんがイルカを殺さなくて済むように、漁師さんたちに現金を与え続ければイルカは守られるはずです。
これは、さっそく日本海豚海協会を立ち上げるべきだな、そう思って動き出そうとした矢先に、こんどは別のニュースが入ってきました。
尖閣諸島のアレです。
痛ましい……
中国が尖閣諸島にちょっかいを出してくるのは、熊が街中にエサを取りにくるのと似ていると思いました。
熊森では、熊が街中に出てこなくても済むように、どんぐりを運んで餌付けをしているようです。
ということは、中国さんが尖閣諸島にちょっかいを出さなくても済むように、中国さんたちに十分な現金を与え続ければ尖閣諸島は守られるはずです。
一筋縄にいかないのは分かってるし、そう簡単じゃないんだろうけど。
もう面倒くさいから北方領土と尖閣諸島と竹島の問題をハッキリしようよ。
国際裁判だかを使ってさ。
グレーのまま曖昧にして、お互いが権利を主張をしてるからモメるんだよ。
個人的には一応どれも日本の領土だと思ってるし、大抵の日本人はそう信じてると思うけど、
それはお互い様なんだろう、きっと。
ハッキリさせようよ。
第3者的立場の国々からも勘違いされるくらい、相手国は手ごわいんだよ。
傍若無人に色々しかけてくるんだよ。
愛国心という名のもとに盲目的に人様の国の国旗とか踏んだり燃やしたり平気でするような野蛮な民族ですよ。
なんで屈するの? 黙ってるの?
当事国だけでモメてるならまだしも、他国にまで勘違いされたりバカにされる状況とか・・。
恥ずかしいわ。
あの漁師また来るって言ってるじゃん。
どうするの。
また捕まえるの?
で、また圧力かけられたら解放するの?
色々簡単じゃないんだろうけど、もうハッキリしたらいいじゃん。
そしたら、とりあえず相手の態度に怖気づいて腰ぬけな対応はしなくて済むんじゃない?
民主党じゃムリ?
じゃー、どうしたらいいのだ・・・。
その土地がいらないとでも誤解されるような対応するんだったら、もう最初からあげてくれ。
最悪相手国のものでも良いよ、なったらなったで。
しょうがないよ、そうなったら。
なんでこんなくだらない問題をずっと引きずるの。
とりあえず、なんかイライラするなー。
※まとまりないと思います。 ごめんなさい。
有名なコピペだけど、忘れないように貼っておく。
#
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。 すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、
もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に
魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな
村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンの
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、
日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」
土曜の午後という多くの人が見ている時間帯に、地上波中継で「わかりやすいゲーム」で
勝てた事の意味というのはとても大きかったと、日本チームの勝利に心から酔いしれた。
ただ、Twitterなんかを見ていると、素人の自分でもいくつか答えられそうな話題があったので、ちょっとそれらをまとめてみようと思う。
(技術、戦術については、それっぽく話す事もできるが自分には無理)
ラウンドロビン後半戦に向けて、観戦者にとって何かの足しになってくれれば幸い。
(2/23 多くの皆様にお読みいただきありがとうございます。お礼を兼ねて続きを書きましたので、よろしければご覧ください。)
ずいぶん話題になったあれだが、別に意味もなくかっこつけて「Yeeeeees!」と叫んでいたわけではない。
ハウス(サークル)の中央に、その後ろにある石を弾いて散らす事なしに自分の石を持ってくるには、
投擲時の力(ウエイトという)を弱めにして、スイープ(ブラシワーク)で距離を調節しなければならない。
「Yes」というのは、石の進路を掃いて距離を伸ばすためのかけ声で、弱めのウエイトであそこまで
石を伸ばすには、通常2人で行うスイープを3人にして、さらにいつもよりもハードに行う必要があった。
(中国女子チームは、必要とあれば4人全員でスイープする。これは見どころのひとつ。)
であればこその、「激しくスイープしろ」という意味の指示を、自分がスキップになったつもりで
行っていたのであって「近年のテレビ的な過剰なキャラクターづくり」「我を失った絶叫」というわけではない。
各局のテレビ報道、今日のスポーツ新聞なんかを読んでも、その辺に触れた記述はなかったのが残念だった。
「Yes」「Yeah」「Yap」が「スイープしろ」(ストーンをまっすぐ、遠くまで)
「Clean」が「ごみ、ほこりをはく程度の軽いスイープ」(髪の毛一本でストーンはあらぬ動きをする。)
「Whoa」が「スイープするな」(ストーンのウェイトが強い、あるいはもっと石を曲げたいとき)
「Hurry」が「全力スイープ」
となる。だいたいどの国も英語のコールをするけど、これから日本が試合をするロシアはロシア語のコールをする。
「Hurry」は小林源文の漫画の読者ならおなじみの「Давай」(ダヴァイ)になる。
これも別に装っているのではなくて、カーリングというのはそうしなければならないと要求するもの。
世界カーリング連盟のホームページにある「THE RULES OF CURLING(PDF)」の冒頭には
「The Spirit of Curling」というのがある。ルールブックの冒頭にあるくらいで、ルールの上位概念というか、
法律に対する憲法のような存在だと理解すればいいだろう。これを引用する。
Curling is a game of skill and of tradition.
A shot well executed is a delight to see and it is also a fine thing
to observe the time-honoured traditions of curling being applied in the true spirit of the game.
Curlers play to win, but never to humble their opponents.
A true curler never attempts to distract opponents, nor toprevent them from playing their best,
and would prefer to lose rather than to win unfairly.
Curlers never knowingly break a rule of the game, nor disrespect any of its traditions.
Should they become aware that this has been done inadvertently, they will be the first to divulge the breach.
While the main object of the game of curling is to determine the relative skill of the players,
the spirit of curling demands good sportsmanship, kindly feeling and honourable conduct.
This spirit should influence both the interpretation and the application of the rules of the game
and also the conduct of all participants on and off the ice.
日本カーリング協会の公式訳や、Wikipedia日本語版の訳などもあるが、こういうのを置いておくとid:dankogaiが嬉々として訳しそうな気もする。
ともあれ、ここで述べられているのは「カーリングの伝統」であり、これは「守るべきもの」として謳われている。
その中に「A shot well executed is a delight to see」とあり、「Curlers never to humble their opponents」とあり、
そして「This spirit should influence the conduct of all participants on and off the ice.」とまとめられて
いるからには、「マイナースポーツとしてのカーリング」を解説する上で、そこから外れた態度を取る事はありえない。
あれは小林さん個人の信条やスタイルというのを超えて、「あのスタイルでなければカーリングの解説にはならない」、
「あの解説スタイルそのものがカーリングのメタ的な解説である」ということを示しているわけだ。
個人的に、ゴルフとよく似たこの「プレイヤー自らが審判である」という意識は興味深い。
同じスコットランド発祥のスポーツ、スコットランド人の気性と関係するのだろうか。
長野五輪で日本男子チームが多少注目されたのを覚えている人がいるかもしれないが、男子はもちろんやってる。ただ、日本代表が出てないので放送してない。
#ちなみに長野の時のスキップ、敦賀信人さんは今でも現役のカーラーで、日本カーリング協会強化指定チーム「Iceman」のスキップ。
#当時は少年の面影が残る20歳でしたが、今では立派な漁師の貫禄が身につきました。
ただ、NHKはインターネット中継で男子の準決勝(26日)と決勝(28日)を生中継してくれるので、興味があればぜひ。
男子と女子の差は、ストーン投擲時のウエイトの強さと、スイープの強さにはっきりと表れる。
つまり、膠着した場面をハードヒットで打開できる可能性が高いので、より積極的かつ攻撃的なゲームが見られる。
トリノ五輪男子決勝でカナダのマーク・ニコルスが見せたショット。石を二つ動かして目的のストーンをテイクアウトし、
かつその他の石を動かさない、これは単に力を乗せるだけではダメで、コントロールが必要になる。
このウエイトを乗せかつコントロールすることが女子では難しい。
バンクーバー五輪の日本対イギリス戦の8エンド、イギリスサードのジャッキー・ロッカートの1投目を小林さんが
09年男子カナダ選手権で、カナダ男子最高のスキップ、グレン・ハワードが見せた一投。
やや長いので、時間のある人向け。上の動画のグレン・ハワードのチームと、チームハワードと並び立つカナダ屈指の強豪、
ケヴィン・マーティンのチームの対戦。バンクーバー五輪には、チームマーティンがチームハワードを破って出場している。
けっこうこの疑問は多いんだけど、いくつかの観点から答える事はできる。
まず、昔の全日本女子バレーチームのように、日紡貝塚や日立の強さが抜けているような状態なら、
単独チームをそのまま代表にしたほうがチームの熟成の意味では優れている。
ただ、個人的にはこれは皮肉だなと思うのだけれど、チーム青森はもちろん単独チームではあるのだけれど、
ある意味では「選抜代表チーム」であって単独チームの強みを活かした熟成があるのかというと、個人的にはちょっと、
と見える部分がある。
カーリングにおける熟成というのは、それこそ10年単位のものなのであって、2002年のソルトレークの日本代表だった
「シムソンズ」も、彼女たちが中学生のときに結成された10年来のチームだった。
トリノ五輪時のチーム青森が、どん底に落ちそうになりながらも復調したのは、シムソンズ以来の長い信頼が、
また、長年にわたって「シムソンズ」「チーム青森」の最大のライバルだった「チーム長野」(Pictic)にしても、
これも最終的には10年以上の長きにわたってひとつのチームを組み続けたというのが大きい。
そこへいくと、今のチーム青森は、最大でも目黒萌絵と本橋麻里の5年であって、後のメンバーはトリノ五輪後の加入。
そんなにチームとしては熟成されていない。
もちろん、他の国内チームとは比べものにならない手厚い支援体制の下、長期の合宿も組んで補ってはいるけれど。
チーム青森の「選抜チーム」としての特徴は、あまり年の離れていない複数のスキップ経験者がひとつのチームに
なっているというところにある。これがなかなかチームとしての意思決定に大変なところがある。
とりわけ、トリノ後の最初の一年は、ほとんどキャリアに差がなく、嗜好する戦術がそれぞれ全然違う目黒、本橋、
山浦麻葉の3人の息が合うのにかなり苦労した。
スキップの目黒のショットのときには、副スキップの本橋がショットの目安となる位置を指示するのだけれど、
それが二人で相談したときと全然違う場所に指示をするものだから、慌てて目黒がもう一度コートを逆戻りして
再確認して無駄に時間を浪費したりとか、そんなことを世界選手権の試合の中でやったりしていた。
その辺はだいぶ改善されてはいるのだけれど、今でも目黒と本橋の息があってるかといえば、必ずしもそうじゃないような。
本橋の投擲の時に、スイーパーに対する指示が目黒と本橋で正反対のことがしょっちゅう試合中にある。
これは、実況を見ているときに注意してみると面白いと思う。
スイーパーも困るだろうと思うが、当然ながら目黒に従うわけで、そしてだいたい目黒があってる。
ちょっと話はずれたのだけれど、かように高レベルの選手になればなるほど、チームとして熟成させるのは難しい。
スコットランド(イギリス国内3協会では最強の協会なので五輪ではイギリスとして出てくる)は世界選手権では
選抜チームを組むのだけど、大会中に息が合わなくて選手が帰国して残りの試合を3人で戦った事もあった。
(ルール上は認められている)
だから、同年代の選手で組むときは10年以上の長い信頼関係を結ぶか、若くて優秀な選手を入れるときは
圧倒的なカリスマを持ったベテランと組む、というのが強豪チームの常。
チーム青森はこのどちらでもない、「常設チームながら選抜チームっぽい」ところが面白いのだけれど、
つまりサッカーのような代表チームを組まないのはこのため。
実はこの疑問に対する答は共通で、要するに「エリート選手として競技を続ける環境が日本にない」ということに尽きる。
2005年から今年までの6年間で、女子カナダ選手権を4回優勝、1回準優勝し、世界選手権で金1、銀1と、
現在のカナダ最高のカーラー、ジェニファー・ジョーンズのチームが初めてカナダ選手権を取ったときの、その最後のショット。
wikipedia英語版の彼女の項目では「The Shot」(カーリング史上最高のショット、くらいの意味だろう)と書かれている。
#恐ろしいのは、このチームが五輪代表選考会で敗退してしまうカナダの層の厚さなんだが。
さて、この見目麗しいスーパーカーラーJJの職業は弁護士だ、と聞くとなんだその漫画に出てきそうな嘘っぽいキャラクターは、
と思うんだけど、だいたい強豪国の女子選手は、収入のある自営業であることが多い。
地域社会におけるスポーツクラブ単位での活動ということも合わせて、そういう時間を自己管理できる職業だからこそ、
カーリングにおいて技量を磨けるということはあるのだろうけど。
ひるがえってわが国のことは今更説明するまでもないけれど、アマチュアスポーツのエリート育成は学校の部活動と実業団スポーツに
頼ってきた中で、マイナースポーツのカーリングを支援する企業などこれまであるわけもなく、就職したり結婚したりすれば必然的に
女子選手は第一線を退かざるを得なかった。
ソルトレーク五輪のあとで、シムソンズが20代半ばのカーリング選手としてはまだまだ青二才の年代で解散を余儀なくされたのもそのためだった。
ちょうどその頃、多分に偶然ではあったのだろうと思うけど、2007年に世界選手権をやるということになった青森市が、
どうせやるなら地元から、ということで、シムソンズの中で現役続行を希望した小野寺と林を引っ張ってきた。
カーリング競技を行う事を前提として職を得る、と言う事自体が当時としてはとても珍しい事だったのだけれど、
それにしても「青森市の嘱託職員」という立場の二人の月給は、およそ月給と呼べる額ではなかったらしい。
そんな環境でさえ、まだ恵まれていたといえるのは、ライバルのチーム長野(Pictic)を見ればわかる。
こちらは、「就職も結婚もあきらめて」アルバイトで生計と強化費を捻出して、五輪出場権をかけてチーム青森と
長年にわたって戦い続けてきたわけだ。
とくにトリノ五輪の後は、職という安定した身分でも強化体制の違いでも青森に圧倒的な差をつけられながら、
それでも互してきたこと自体が奇跡的ではあるのだけれど、最後には息切れしてしまった。
(結局チーム長野は、中心となる3人に加えた、4人目のメンバーを固定できなかった。これが大きかった。)
ともあれ、今のチーム青森は、「エリート選手としてカーリング競技を行うこと」を前提として職を得られた、
自分の知る限りにおいて日本女子では初めてのチームではないかと思う。
(もちろん、実業団単位で組まれた女子の強豪チームもあったけれど、「仕事のウェイトの大きさ」が圧倒的だった)
天才少女が、カーラーとして全盛期を迎える30代半ばから後半まで、ひとつのチームを組み続けたまま、エリートとして
競技を続けられる状態自体がこれまでなかったということ、それが日本チームが欧米のチームに比べて圧倒的に若い原因である。
今、技術や戦術面で、素人ながらに見ていても海外のチームと比べて足りないように見える面があるとするなら、
それは競技生活と練習にかけてきた時間の差でもあるのかもしれない。
そして、だからこそこういう環境のある青森に、北海道から選手が来る。
もっとも、だからといって、北海道が選手を取られてばかりで手をこまねいているとか、青森県が他県から
引っこ抜いてくるばかりかというと、そうではない。
北海道では、一年間通して使える専用カーリング場が2012年に、初めて札幌市にできる。
北海道で、大人の女性が職を得ながらカーリングを続けようと思えばやっぱり札幌が一番有利だし、
その札幌に専用のカーリング場ができるのは、これは北海道のカーリングの悲願でもある。
青森県は、本橋が在学していた明の星短大を有する明の星学園が、青森明の星高校にカーリング部を作っているし、
まだまだ歩みはゆっくりだけど、ジュニアからの強化を図っている。
やっぱり、いずれは青森県のカーリング場で育った選手をチーム青森に入れたいんだろうね。
(追記)
目黒と山浦の二人が青森県下で有数の企業に入り、近江谷が高卒で非常勤ながら市役所勤務というのは、
官民一体の就職支援といえると思う。
30近くなって青森に加入した石崎に、これも契約社員ながら職が斡旋されたというのも、近年の就職事情を考えれば
やはり支援の賜物だと思う。
#チーム青森のメイクがきれいなのは、木浪学園の指導と支援によるもの。のはず。
本橋のNTTLSとの契約は今年の6月まで。彼女は実質的にプロカーラーと言っていい立場。契約は延長されるのだろうか。
トリノの後もそうだったんだけれど、カーリングがあれだけ露出していたのに、それが普及・強化につながらないのは、
トリノの後で「カーリングを体験してみたい」という問い合わせが施設に殺到して予約半年待ちなんていうニュースが
少なくとも、通年で使える専用のカーリング場というのはまだない(上記の札幌の施設は、その意味でも大きい)。
#岡山や福岡で、共用ながら通年カーリングができるというのは意外のようにも思う。
なんでまあ、「実際にプレイする」のは一番だし、なにより楽しいのだけれど、いかんせんまず場所がないし、
上手くなるのに練習が必要なのに練習もろくにできない、となると、なかなか草の根の強化は難しい。
となると、まずはお金なのかなあ、手っ取り早いのは。
チーム青森単位でも、日本協会単位でも、いろいろ募金をつのってはいるので、調べてみてください。
五輪以外でも世界レベルの試合を見てみたい、という人もいるだろうね。
海外遠征中のチーム青森の試合なんかも、有料だけどストリーミング配信で見たりする事ができる。
#と言いたいところなんだが、日本のテレビ局が放映権を買うためにリージョンブロックがかけられる。
#日本戦でさえ全部放送しないんだから、解放しろと思うんだけど。
生で見たいとなると、3月6日から10日まで北海道北見市常呂で今年の日本選手権が男女共催で開催される。
簡単に行ける場所ではないけれど、北海道・オホーツク観光を兼ねて行ってみてはどうだろう。
チーム青森の帰国後国内初戦だしね。
本当の意味で日本女子のカーリングの強化、ということになると、チーム青森に互す実力と体制を持った
チームが複数出て、国内で日本リーグを毎年行えるくらいのことができればいいんだろうけど、それは
ここ数年レベルでは望み薄。これまで青森と覇を競ったチーム長野も、代表決定戦の敗戦以降は
活動しておらず、少なくとも日本代表を狙うような活動は当面休みっぽい。
だけれども、女子に関してはジュニア世代でチーム青森を追うだろう優秀なチームが複数あるので、それを紹介したい。
(カッコ内は全国大会に出てくるときのチーム名)
2009年度の日本カーリング協会強化指定チーム(B代表相当)で、2009年日本選手権準優勝。
バンクーバー五輪代表決定戦にも進出し、BS-TBSでも取り上げられた目下一番の注目株。
スキップの吉村紗也香さんがかわいいと、そっちでもちょっと話題になったりする。
今年の3月で常呂高校を卒業した後は、4月から全員が札幌国際大学に進学してカーリングを続行。
北海道を拠点としてチーム青森に並ぶ強豪チームを作ろうという北海道の期待も背負う。
同じ常呂の同じ高校3年生でも、全国に名前を売ったのはこちらのチームが早かった。
2006年、中学2年の時に日本選手権に出場すると、予選リーグではチーム青森に続く2位。
決勝トーナメントではチーム長野に完敗して3位に終わったけれど、小さい身体で大人と互角以上に
渡り合い、テレビカメラの前でも物怖じせずに話す肝っ玉とか、個人的には期待していた。
高校に入ってからはWINSに抜かれた感じもあったけれど、それでも常呂町のリーグでは
海千山千のおじさんカーラーの中で上位に来るように、実力はある。
今日まで開催されていた北海道選手権でも優勝したし、地元開催の日本選手権でWINSとどちらが上位に来るか楽しみ。
昨年12月の日本ジュニア選手権では上記WINSを破って優勝し、今年2月の高校選手権でも優勝。
毎年軽井沢で開かれるアジア唯一の国際競技大会「軽井沢国際」には今年ジュニアながら
日本代表として出場して4位。
そんな僕は、大学を卒業後、上京し一人暮らしをしながら仕事をしている。
母が病気になった。
命に別状はないものの、僕は心配で心配で、なぜ東京に就職をしたのだろうかとさえ思った。
ウチの家庭は、父が遠洋漁業の漁師をしており、母が全て弟と僕の面倒を見て育ててくれた。
そんな父は、世間知らず
母は遊ぶことをせず、兄弟二人を育ててくれた。
恥ずかしながら、父と母の強さを知ったのは、社会人になって2年目くらいのこと。
それまで、世間知らずの父を嫌い、真面目過ぎる母を誇りに思ったことが無かった。
しかし、仕事をして一人で生活をしてみると、自分が小さな頃から、両親にどれだけ大切に育てられてきたのかを実感するようになった。
今は、両親を、すごく誇りに思っている。
たぶん、就職するのが1年遅れていたら、母のことを思い、僕は東京で仕事をすることを選ばなかったと思う。
就職する際に母は、ただただ心配だけしてくれていた。
「使い捨てられるんじゃないの?」
と言われたのを覚えている。
今でも、母に電話をすると
「心配しなくて大丈夫」
と言う。
ものすごく心細いはずなのに、いつもそう言う。
自分の性格は母の性格にとても似ているから分かるのだが、母は人に心配をかけるのがとても嫌いなのだ。
「忙しいんだから無理しなくていい」
とも言う。
そんな、事情もあり、並の覚悟で東京で仕事をしているわけではない。
同期になど、負けられていられないので、仕事は頑張っている。
母の強さに、少しでも近づくために頑張って仕事をこなしている。
やはり、母は強い
少なくとも普通に読めば
漫画を描く為のツールをパクって来てる=漁師なら釣り竿や網を、猟師なら鉄砲や罠を、プログラマならパソコンや電気を盗む行為だってわかるだろ。
いや全然わからないのだけど。
漫画にたとえている「仕事の成果物」は有体物? それとも 無体物?
ペン・インク等にたとえてる「成果物を作るための仕事道具」は有体物? それとも 無体物?
構図・話の展開にたとえてる「成果物その物の内容」は有体物? それとも 無体物?
変なたとえしないでここらへんをハッキリさせてほしい。
有体物を盗んだんなら盗まれた方もすぐわかるし簡単に刑事事件にできるはず。
そうじゃないってことはすべて知的財産の類?
ところで、公開されている知的財産物は、所有している有体物みたいに独占することはできない。
表現(著作権)やら審査登録された新規アイデア(特許権)とかごく一部について保護されるだけ。しかもその保護期間すら限定される。
少なくとも普通に読めば
漫画を描く為のツールをパクって来てる=漁師なら釣り竿や網を、猟師なら鉄砲や罠を、プログラマならパソコンや電気を盗む行為だってわかるだろ。
表現(作品)の内容自体をパクる以前に、表現するための道具をパクってるんだから。
そこに全く触れず
構図や物語のプロットについて、世間に公開された著作物(市販品など)を参考にしてもなんら問題はないよ。
間違った方向に潔癖すぎる病気を発症しているらしい。
と言うのは誤読以外の何物でもない。
漫画家で例えるなら、漫画家・アシスタント一同、「読者に良い漫画を届けたい」という理想は一致していたと思う。
でも、そこで使ってるペンが、インクが、紙が、誰の物かなんて、誰一人気にしていなかった。
店先に並んでるペンを拝借してきて、隣の家からインクをこっそりとってきて、それで漫画を描いて、「良い作品描けたな!」と満足してるような状態。
「ここの構図が決まればもっと面白くなるのに!」というシーンでは、躊躇なく他の漫画からトレースしたり、「ここ話の展開がもっとダイナミックなら!」というシーンでは他の小説から話をパクったり、そういうことを平気でやってた。
漫画家にたとえてる時点で、漫画=仕事の成果物 ペン・インク等=成果物を作るための仕事道具 構図・話の展開=成果物その物の内容 と切り分けて考えられる。
ちゃんと読めば、違法、またはそれに近い行為をやりつつ仕事をすること、あるいはそれに疑問を感じない会社に嫌気がさしてたわけで、著作権云々の話ではないことがわかる。最後の一点だけを捉えて著作権の話に展開させるのは、完全な誤読。
最低な映画でした。
あれだけの映像を撮っておいてあそこまで退屈に編集できることにも驚きましたが、それよりも自然を冒涜する残酷なアジア人vs自然を守る優しい白人という構図にゲンナリしました。わざわざご丁寧に「アジア人による残酷なフカヒレ漁」というフィクションシーン(しかも本編においてこのシーンがフィクションだという説明は一切ない)を入れちゃって、ねぇ・・・。オーシャンズはドキュメンタリーと謳っていますが、わざわざヒレを取られて苦しむ作り物のサメを作ってアジア系の役者を雇って漁師を演じさせてそしてこんな意図的なフィクションシーンを作り上げてしかもこれがフィクションだという説明はエンドロールにほんの一瞬だけって、これはドキュメンタリーではないです。
いやぁ、冗長で退屈で下手っくそな編集で底の浅い胡散臭い宗教チックなナレーションでクラシックもどきのウンコBGMが煩いだけなら「最低な映画」とまでは言わないけれど、フィクションであることをほとんど隠してのアジア人フカヒレ漁シーンにね、もうね、ほんと酷いやり口だな、と思いました。
それにしても、試写会であんなに人がいっぱい寝てるの初めて見たわ。
■オージー「鯨食ってる日本を国際法廷に引っ張り出そうぜwww」
ttp://souryoku.blog88.fc2.com/blog-entry-270.html
欧米「鯨の油はランプに使える。肉?イラネ。捨てるよこんなもん。」
日本「鯨油はもちろん、肉その他の部位も活用する。ありがたいものなので神社に祭る。」
↓
欧米「どうやらイエローモンキーはこのヘンテコな肉を食うらしい。捕ってやるから買えよ。開国しろよ。」
↓
日本「欧米が来たせいで一気に鯨が居なくなってしまった・・・」
↓
欧米「鯨なんかよりもっとうまいものあんぞ。牛やるよ。食えよ。」
日本「牛も食う。魚も食う。鯨も食う。食料の供給先は多様なほうがいい」
↓
反捕鯨「ジャップ野郎、ムカつくわ。鯨捕るな。魚食うな。牛食え牛。売ってやるよ。」
日本 「あんたらの牛ヤバすぎ。脳がスポンジじゃん。買うのやめるわ。オレたち魚も食えるし。」
↓
日本 「むしろ最近は増えている。(オマエラが居なくなったからな。)てか増えすぎて魚が減ってるぞ?」
↓
日本政府の捕鯨の一番の目的は何ですか?オーストラリア政府、グリーンピース他か...
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110803096
本当の目的は…水産資源を守り、日本の食糧資源を確保することにあります。
食糧自給率の低い日本ですが、幸い漁場には恵まれていまして、海からの食糧供給はある程度望みが持てます。
科学的でも論理的でもない捕鯨禁止を看過すれば、他の水産資源も捕鯨問題と同様の事態になりかねず、
今でも自給率で問題がある日本の食糧資源は、さらに他国に頼らざるを得ないことになります。
つまり有事の際、食糧を日本に販売しないという政策を他国に取られれば、内容に関わらず言いなりにならざるを得なくなるわけです。
# 本音で言うと、関係者は捕鯨再開で日本の文化を守る云々という非現実的な夢など見ていません。
外交上、著しく不利になりかねない食糧問題の象徴が捕鯨で、日本政府として絶対に譲れない問題なのです。
国際外交をモラルを持った賢人が集まって決めているような幻想を持たないで頂きたい!(当然、経験者です)
捕鯨問題は日本の高度経済成長を疎ましく思った勢力が、人種差別的な反日キャンペーンを張ったことから持ち上がりました。
別に日本人が野蛮な人種であることを世界にアピールできれば、捕鯨でも何でも良かったわけです。
さらに水産の資源問題で圧力を掛けて畳みかければ、世界トップレベルの技術力を持ち、世界最大の日本の水産市場に大打撃を与えることができるかもしれません。
日本の貿易黒字の増大を憎む人々が、日本経済を脅かそうと放ってきた問題だったわけです。
当然国内の大反発が予想されたのですが…工業製品の輸出で利益を受けている人々が問題を大きくしたがらなかったため、
国内世論が割れ、水産庁は国家が一枚岩となっての効率的な手を打てず、漁業者は一方的に損害を受けました。
200海里経済水域なんて、今では当たり前に思われているかもしれませんが、これも日本を標的とした世界の国家間の取り決めです。
それでなくても、捕鯨問題を持ち出されるだけで、日本としては諸国にODAをばらまかざるを得ないのです。
もし今まで看過すればどうなったでしょう?10年以上前にマグロが制限を掛けられていたはずです。
英語で魚のことをプアミートと呼びます。
他国では、魚が食べられなくても肉を食べればいいや…程度の扱いなのです。
魚を食べる社会の底辺の人々のことなど知ったことではありません…と。
文化的な側面も考えてみて下さい。
ペリーが黒船で来航し、日本に開港を迫った理由は捕鯨基地が欲しかったからですよ。
当時の女性のスカートに鯨の髭が使われていたのです。肉は海に捨てていました。
これにより鯨資源は減少しました。
また、敗戦直後の日本人にタンパク質を提供するために、漁師さん達が命懸けで捕鯨を行ったのです。
歌のサビの一部にもありますが「生きて帰らん、望みは持たじ」です。
ちなみに、捕鯨問題で国内がごたついた際、漁師さん達からは「裏切られた」と水産庁は責められました。
捕鯨問題の最先鋒であるアメリカでは、絶滅の危機にある北極鯨を捕鯨問題から外し、現在でも捕鯨しています。
一方で、資源として増えすぎ、他の水産資源を減らす原因となっているミンク鯨などは、捕鯨が許されていません。
あまりにも不公平で異常である状況にお気付き願います。
捕鯨問題が持ち上がった時点で、減少している鯨資源に関しては、日本政府としては保護の立場を取らざるを得ませんでした。
減少している種類は、保護すべきという立場ですし、領土問題が中国,韓国,ロシアとの間にあるため、
EEZ(経済水域)が事実上設定できない(相互乗り入れ海域)と、資源保護に関して頭を抱えています。
でもですね、こと水産問題に関しては、この国は本気で取り組んでいますよ?ODAの内訳でも見てみればよいです。
さしあたってはマグロですし、次は中国を叩くために、サメのキャンペーンが張られますよ。
FAOも国連も一切活動していない海域、しかも私達が水産資源管理庁の頂点にいる、そういう国で、のうのうとサメの漁獲量が減っているグラフなどが発表されるのです。
日本を支持した大臣の首がすげ替えられ、協力者が失踪する…外交戦の裏側です。
盲目的に他国の宣伝を信じ、自分自身の首を絞めることに荷担しますか?