はてなキーワード: 新語とは
http://anond.hatelabo.jp/20140114212900
それなりに使い方も定まっていくか忘れられるかどっちかかね。
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他人が充実してりゃ、もめ事がこっちに伝播してこなくて平和ですな。
こういう事柄を指して「センスがない」と呼ぶ、そしてそれを平気な顔で衆目に晒しちゃう、その事が本当の意味で「センスがない」。
「センスがない」にせよ「それがないとダサい」にせよ、結局それが具体的にどういうありようを指しているのか、結局言ってる本人が定義できていない。
できていないままにこうやって人に開陳してしまうから、的が定まらずまともな議論に発展しない。ツッコミをくらって自分の主張もフラフラする。
「思いやりがない」でも「周囲が見えていない」でも「自己中心的」でも、ああいう状況を示す表現はすでにいくらでもある。
自力でそれを見つけられないからって、あたかも新語ぶって「センスがない」なんて無理矢理な表現をくっつけて周囲の賛同を得ようとしたところで、取られるのは揚げ足だけだ。
こういう人がネットを通してちょっとずつ日本語の感性を狂わせていってるんだと思う。
バスの入り口ふさいでる奴やスマホに釘付けでどんくさく歩いてる奴を子供が見て「大人がやってるんだから別に悪いことじゃないんだ」と思っちゃう弊害があるように、こういう文章を目にした若年層がうかつにマネしてその文章で他人をイラつかせてしまうかもしれない。
ほんと、どうしたら駆逐できるんだろう、こういう人。
この程度の短文で誤字脱字を残すのは、自分の書いたものをまともに推敲していない証拠。
それはつまり、自分を客観視する、という意識が欠如している証拠だ。
そんな人がドヤ顔で他人を糾弾とかあぶなっかしいにも程がある。
電車のドア横にしがみついてる輩や混雑する歩道をたらたら歩いてる輩がくそウザいのは言うまでもなく当然だが、この元増田もまぁ、別の意味で困ったちゃんである。
58 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2012/08/06(月) 01:19:39.29 ID:???0
【ブヒる】
についての起源はこう
「萌え豚」というよりもまず「作画を語るスレ」にて「作豚」がブッヒイイイイイイイイイイイイイイイイイって言ってた
こういう空気が同じメロンの「新番組を評価するスレ」にも伝染する
「萌え」に対して使われるようになる
評価スレでは同時に【評ーっす】などという馬鹿げた挨拶の流れがあった
(これは恐らくtruetearsラジオ「こんにてぃあ~」の挨拶に触発されて)
ニコニコ動画を見ることを【ニコる】なんていう言い方もあったがまったく流行らず
- この全体の流れを経て【ブヒる】の完成-------------------
くだらない身内のノリなので当時対立関係にあった「アニメ売り上げスレ」は特にこれらを転載しては本当にくだらないと馬鹿にしていた
しかし時を経てアフィブログ全盛を迎える頃に「売り上げスレ」を通り越してアフィブログ界隈で流行っていった(ここの展開も細かくあるけど省略)
上記の経緯以外の説明は全部ウソ
「インフィニット・ストラトス」に起因するとかステマもいいとこ
どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職王です。
で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257に
なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。
二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか
http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590
で、これ読んで思ったんだけれども。
ぼくが思うに、現代日本の若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。
いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。
「既存の価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。
むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存の価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。
「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。
もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。
ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。
ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。
でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。
だって、椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから。社会には一定水準の競争が必要である、という
命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。
それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。
やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。
「社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。
どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。
デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄りが大分前に失敗した」としか思えない。
カウンター・アクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。
少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか?
ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。
今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。
少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、
与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、
それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる
ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味、大学の名前以上に。
この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。
「価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、
実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。
ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても
「負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。
かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活のバカヤロー」よりは
スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会のモデルすらない状態で、
「価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか
そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。
つまりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。
テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な
「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど
それを差し引いても、既存の価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。
ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。
我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。
じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。
とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。
世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。
ぼくはかつて、ものすごく貧乏で大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、
その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか
僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。
例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には
一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。
じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。
とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。
こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。
「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。
もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。
そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか
そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。
官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき、価値観を共有出来るつながりがあることは
何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。
仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。
それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは
「就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。
確かに、マクロ的に考えると我々は既存の価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。
しかし新しいマクロな価値観とライフスタイルを創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。
その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、
既存の価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。
ダンスパーティーを台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。
やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで
クソじゃない社会の青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。
だから、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存の価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。
そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?
ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。
「悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。
その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。
人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機でビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。
まー、なんというか。
これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想だから、なんのあてにもならないけれど。
とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。
個人の内面のナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。
これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。
まだまだやれることあると思うんだよね、実際。
ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観がクラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。
不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100720133936 の続き。
# takashi1976takashi1976 2010/07/27 10:16 はい、僕もルールを守り、みんなの辞書の品質を維持向上させながらる多くのユーザに知ってもらう機会を与えるものだと思います。説明内容についてのガイドラインはキーワード編集・削除などの全てのルールに当たるものですよ。それと失礼ですが、「造語」・「自分が作った造語」と「自分で勝手に作った造語」を混同されているのではありませんか。新語は全て個人が作る造語から始まります。例えば、ユニークな着想で有名な今月3日に亡くなられた国立民族学博物館(民博)顧問の梅棹忠夫さんの造語で有名なものに「情報産業」があると聞きます。そこで、逆にどの点が勝手(他人のことはかまわないで、自分だけに都合がよいように振る舞うこと)に扱っていると思われる点があれば具体的に教えて下さい。具体的な理由を知って、はじめて品質・維持向上の対応ができます。お手数ですが、このあたりの説明がないと、逆に嫌がらせ目的の編集ではないかと思われてしまいます。いっしょに「はてな」を向上させましょう。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CD%BF%C5%DE110?kid=299172&mode=edit
# a-hahaa-haha 2010/07/23 14:39 失礼ですが、「造語」・「自分が作った造語」と「自分で勝手に作った造語」を混同されているのではありませんか。新語は全て個人が作る造語から始まります。例えば、ユニークな着想で有名な今月3日に亡くなられた国立民族学博物館(民博)顧問の梅棹忠夫さんの造語で有名なものに「情報産業」などがあります。そこで、逆にどの点が勝手(他人のことはかまわないで、自分だけに都合がよいように振る舞うこと)に扱っていると思われるか知りたく待っていました。具体的な理由を知って、初めて適切な対象ができます。一旦、内容を元に戻します。お手数ですが、不審に思われ削除したい理由となる点をご指摘くださると助かります。また、伝えようとしていることが現在行われている事実なら嫌でしょう。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CF%A2%C6%B0%A5%EA%A5%D4%A1%BC%A5%C8?kid=288936&mode=edit
http://anond.hatelabo.jp/20100716094426の続き。
id:a-haha個人の造語であることは間違いない。takashi1976とかいうお仲間もそういってるし。
# vironviron 2010/07/11 19:56 はてなキーワードはイアリ―同士のつながりなど記事をリンクさせる機能をも つユーザーの共有辞書であり、個人個人の見解や主張を広めるための掲示板ではないからです。登録者の造語であり、他に利用者のいない独自の用語であることが削除の根拠となるのは、「キーワード作成・編集ガイドライン」に不適切なキーワー ドの例として挙げられているからです。キーワード作成がガイドラインに従って行われるべきであることはヘルプに書かれており、規約上ヘルプに定められたルール に反することは禁じられています。造語の禁止は、はてなキーワードがユーザーの共有辞書であり、ダイアリ―同士のつながりなど記事をリンクさせる機能をも つことから導かれる妥当な規約です。かつ、キーワードが登録できないとしても日記上でいくらでも使用・解説できますしグループキーワード等代替手段もあり ます。そもそも他のブログサービスも利用できます。よって造語の削除に不当性はありません。本項目は登録者の個人的な主張を表す独自の個人的な造語であり、登録後も利用者は登録者に限られており、キーワードとして共有することは不適切と考えます。 # takashi1976takashi1976 2010/07/16 14:05 新語は個人の造語です。感性には個人差があり、不適当と思われるのならリンクしなければ済みます。 # vironviron 2010/07/16 21:22 削除理由は上述の通り。造語であることに争いがない以上、感性の個人差は問題とならない。はてなキーワードではなく、はてなハイクなどの利用を検討することをお勧めする。http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CF%A2%C6%B0%A5%EA%A5%D4%A1%BC%A5%C8?kid=288936&mode=edit
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1181350
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1181624
id:takashi1976
「無心だぜ」という奴の大半は、宗教を批判し近代を信じているという矛盾。
何も信じていないんだって豪語するなら、貨幣で物が買えることも疑わなきゃダメでしょ。ったく、口だけヤローの多いこと。
「金だけを信じる」の方が、まだしんに迫った感じがする。
「誰も信じていないんです!!」
って涙目の奴は、そのセリフを口に出す相手を信じきっている矛盾。
「あっそー」
とでも言い返せば「ほら、やっぱり誰もわかってくれない。信じられない」って、どうすりゃいいんだよ。
宗教批判する奴の多くが滑稽なのは、自分が正義の味方になったつもりで「科学的でないものを信じることの不毛さ」と説く点で、お前は西洋かよ、世界の警察アメリカかよ、啓蒙してんのか?
無信仰である理由を答えられない私は時々クリスチャンと話していて啓蒙される。一方で「宗教について勉強している」と言うと同じく無信仰の人から「宗教の非科学性」と啓蒙される。
身近な戦争。でも、この戦争は大きな戦争に繋がるわけで、何を信じていきているのかっていうのは、結構面倒くさい問題をはらんでる。
そんな中「たちあがれ日本」が発足して、何が「日本」だよいいかげんにしろよ、と勝手ながら思ってしまった。俺は「国家」を信じていないのかな。
もう「日本」を強くするとか、個人的にはどうでも良くて、日本らしさや世界の中の日本もどうでも良くて、そういう国民性云々よりは、「個人」を強くして世界の中の「個人」である方向へ教育していくべきなんじゃないか。
日本語が美しい言語であることとか実はどーでも良くて、何かの言語を世界共通のものにした方が単純にスムーズなんじゃないかと思う。
ビッチ憧れの金髪の白人とも結婚しやすくなるぞ!(言語や価値観による差異がなくなると、より一層「見た目」で
というわけで結論としては、言語の統一(日本における共通語が新語のように、既存の物に手をくわえて新たに作ればいーじゃない)、貨幣に変わる価値の創造(ここが難問)、国家単位での教育の廃止(新しい価値観とそれを実現させる方法を考えねーとな)
そーなると競う気がなくなるから国が滅びる??
競うって発想がすでに近代的なんだよww