「無心だぜ」という奴の大半は、宗教を批判し近代を信じているという矛盾。
何も信じていないんだって豪語するなら、貨幣で物が買えることも疑わなきゃダメでしょ。ったく、口だけヤローの多いこと。
「金だけを信じる」の方が、まだしんに迫った感じがする。
「誰も信じていないんです!!」
って涙目の奴は、そのセリフを口に出す相手を信じきっている矛盾。
「あっそー」
とでも言い返せば「ほら、やっぱり誰もわかってくれない。信じられない」って、どうすりゃいいんだよ。
宗教批判する奴の多くが滑稽なのは、自分が正義の味方になったつもりで「科学的でないものを信じることの不毛さ」と説く点で、お前は西洋かよ、世界の警察アメリカかよ、啓蒙してんのか?
無信仰である理由を答えられない私は時々クリスチャンと話していて啓蒙される。一方で「宗教について勉強している」と言うと同じく無信仰の人から「宗教の非科学性」と啓蒙される。
身近な戦争。でも、この戦争は大きな戦争に繋がるわけで、何を信じていきているのかっていうのは、結構面倒くさい問題をはらんでる。
そんな中「たちあがれ日本」が発足して、何が「日本」だよいいかげんにしろよ、と勝手ながら思ってしまった。俺は「国家」を信じていないのかな。
もう「日本」を強くするとか、個人的にはどうでも良くて、日本らしさや世界の中の日本もどうでも良くて、そういう国民性云々よりは、「個人」を強くして世界の中の「個人」である方向へ教育していくべきなんじゃないか。
日本語が美しい言語であることとか実はどーでも良くて、何かの言語を世界共通のものにした方が単純にスムーズなんじゃないかと思う。
ビッチ憧れの金髪の白人とも結婚しやすくなるぞ!(言語や価値観による差異がなくなると、より一層「見た目」で
というわけで結論としては、言語の統一(日本における共通語が新語のように、既存の物に手をくわえて新たに作ればいーじゃない)、貨幣に変わる価値の創造(ここが難問)、国家単位での教育の廃止(新しい価値観とそれを実現させる方法を考えねーとな)
そーなると競う気がなくなるから国が滅びる??
競うって発想がすでに近代的なんだよww