はてなキーワード: 莫迦とは
男女逆だったら炎上してましたよ?は虚構新聞を叩くならアンサイクロペディアも叩けよと同じくらいアホ
「イケメンが必要」アンケートをこれみよがしに叩いて見せて「ほらほら私ちゃんと女も叩いてますよ」ってアピールするのは簡単。昔はそういうことしちゃう傾向もあったけどそんな行動、アンチフェミはいちいち見てないし見てたとしても都合が悪くなりゃ忘れるか意図的になかったことにする。
「Aを批判するならBも批判しないのはダブスタだ」的なアレはネットでは百年前に永遠に終止符が打たれた議論なので、莫迦だと思われたくなかったら思い附いても言わないようにしましょう。
Aを批判するならBも」式のロジックがダメなのは、「オタクのダブスタを批判するならエセフェミやはてサやネトウヨや自民党や共産党や(中略)を批判しないのはダブスタだ」って意見に意味がないのを見ればわかる。普通に無理だろそれ
ダブルスタンダードと謂うのは、普通は作為相互を並置して一貫性の欠如を批判するもので、作為と不作為を並置したら一貫してないのが当たり前なので、仮に情実や利害関係が動機でもそんなのはダブスタって言わないんだよ、そもそも一貫させようがないんだから。
http://takeiteasy.hatenablog.jp/entry/2013/11/22/195745
で、どっちの記事もそれを鵜呑みにするはてなブックマーカーがいるので、はてなはバカばっかり。
「増田は○○を知らないのかな?」で始まり「角度とか」で締める。
最近になってアイマスキャラの口調を取り入れ、芸の幅を広げつつある。
「異議あり!」「ダウト」「莫迦か?」などと前置きしてめちゃくちゃな反論をする人。
もともとは角度の人と同一人物だったのではないかと疑われたこともあるが真偽は不明。
使い勝手が良いフレーズなので現在では他の増田も使っている模様。
「むきゅー」と鳴く。
見出しに無理やりな回文を仕込んだりする。仕込まないこともある。
その日の朝食とデトックスウォーターを書いてから、水曜日でなくても「すいすいすいようび~今日も頑張ろう!」で締める。
「過去の記事を読みたいんだけど」と言う人が多いけど、だから「デトックス」キーワードを辿れって言ってるだろ!
増田の中での存在感は薄いがブックマーカーからの知名度は高い印象。
× 間違った言葉
○ 正しい言葉
みたいな感じで誤字を訂正してくれる人。
他の増田に絡んでトラバツリーが無駄に伸びる原因になる人。草を生やすのも得意。
相手を「低能」と馬鹿にするのが特徴で、「低能君」または「低能連呼君」と呼ばれて増田たちに親しまれている。
「おちんちんしゃぶってあげますね」と言ってしゃぶってくれる人。いや本当に存在するんだって。
なるほど、これはためになる。莫迦はだれなのか。
【社民党のおバカ党首 福島みずほ】 お前は何のために政治家やってんだ?
http://yamatokamikaze.blog129.fc2.com/blog-entry-155.html
http://www.tamanegiya.com/fukusimabaka.html
また出たバカ民主党議員・桜井充、民主党はどいつもこいつも本当にバカだな。
http://ameblo.jp/haruharu195/entry-11507322034.html
http://ameblo.jp/femiqueen/entry-10018848796.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nijimikan7th/46452444.html
http://sunrise-sunset.seesaa.net/article/256660613.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zone0358/10149776.html
幾らかの感情すらからも離れるからこそ、救われるのではないだろうか。
「あなたは何のために救ったのですか」
自分を満たす為などと泥を吐く。
「我欲を綺麗に見せるのはやめたらどうですか。あなたは取繕いと同情誘いばかりです」
救う事で救われるなど、思うべきではなかった。
あなたを救うべきではなかったのかもしれない。
「手を差し伸べたわけじゃないのですよね。
あなたは僕が足掻いている様をみて、それを救う振りをして。
僕にあなたを映して悲しんだり喜んでいたりしただけです」
……自分は、酷い事したのだろうか。
希望を見せては奪うような事を。
「薄平い贖罪なんてしないで下さい。
あなたはこの期に及んでも、自分可愛さが抜けないだけなのですよ」
「……あなたが何様だとしても、救いようのない莫迦なんだとしても。
例えあなたの手が目を逸らす様な色に染まっていても尚
それでも、そうだとするならそれは救われたという事ではないのでしょうか。
あなたは救われようと思って手を握り、希望を持ったのではないのですか。
ある日の事でございます。教授様は大学の教授室を、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。右手に持つティーカップは、玉のようにまっ白で、その中の紅茶からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。教授室は丁度お茶の時間なのでございましょう。やがて教授様は窓際に御佇みになって、窓を蔽っている木々の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この教授室の窓の下は、丁度大学の実験室に当って居りますから、水晶のような窓ガラスを透き徹して、実験室の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。
するとその実験室の底に、陀多と云う男が一人、ほかのポスドクと一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。この陀多と云う男は、データを捏造したりフォトショップで加工したり、いろいろ悪事を働いた万年ポスドクでございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が動物実験室を通りますと、小さなマウスが一匹、廊下を這って行くのが見えました。そこで陀多は早速捕まえて、解剖しようと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうそのマウスを殺さずに助けてやったからでございます。
教授様は実験室の容子を御覧になりながら、この陀多にはマウスを助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男をポスドクの境遇から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をしたカゴの中に、教授様のマウスが一匹、美しい銀色の尾を垂れて居ります。教授様はそのマウスの尾をそっと御手に御取りになって、玉のような窓の隙間から、遥か下にある実験室の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。
こちらは実験室の暗室で、ほかのポスドクと一しょに、浮いたり沈んだりしていた陀多でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しいウェスタンブロットのメンブレンのバンドが光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただポスドクがつく微な嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまなアカハラの責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが万年ポスドクの陀多も、やはりトランスファーバッファーに咽びながら、まるで死にかかった蛙のように、ただもがいてばかり居りました。
ところがある時の事でございます。何気なく陀多が頭を挙げて、暗室の天井を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色のマウスの尾が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。陀多はこれを見ると、思わず手を拍って喜びました。この尾に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと万年ポスドクの境遇からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、アカポスに就く事さえも出来ましょう。そうすれば、もう実験室へ追い上げられる事もなくなれば、暗室に篭る事もある筈はございません。
こう思いましたから陀多は、早速そのマウスの尾を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。
しかし実験室と教授室との間は、何万里となくございますから、いくら焦って見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中に、とうとう陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、尾の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。
すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた実験室は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しいウェスタンブロットのメンブレンも、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、万年ポスドクの境遇からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。陀多は両手をマウスの尾にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、マウスの尾の下の方には、数限もないポスドクたちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断れそうな、この細いマウスの尾が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の万年ポスドクへ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、ポスドクたちは何百となく何千となく、まっ暗な暗室の底から、うようよと這い上って、細く光っているマウスの尾を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、尾はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
そこで陀多は大きな声を出して、「こら、ポスドクども。このマウスの尾は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。
その途端でございます。今まで何ともなかったマウスの尾が、急に陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ教授室のマウスの尾が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
教授様は教授室の窓際に立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて陀多が実験室の暗室の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり万年ポスドクからぬけ出そうとする、陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の万年ポスドクへ落ちてしまったのが、教授様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし教授様のティーカップは、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白いティーカップは、教授様の右手で、ゆらゆら水面を動かして、その中にある紅茶からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。教授室ももう午に近くなったのでございましょう。
高校の卒業からほとんど一週間も開かずに、就職先の研修で僻地へと連行された。
研修は中高帰宅部で鳴らした私には、厳しくもあり新しい世界でもあった。
早朝の山道マラソン、莫迦大声での返事、社会人心得の座学、扱う商品の説明―――
いちばん怖く、威張り腐っていて嫌われていた指導員があったが、
今となって思えば、入社数年の若造が嫌われ役をやらされていたのであろう。
何より驚いたのは厳しい研修心得の中、17,8歳であった我々に
「喫煙は自由である、但し、決められた場所と時間を守れ」との一節があった所だろうか。
隠れて喫われて施設に迷惑がかかるというのもあったのだろうが。
その企業には3年世話になって辞めたのだが、10年経った今、ふと株式をみると
当時の倍は下らない数字になっていた。
私は文章を書くことができない。
文章だけではない,大抵のことも満足にすることができない。
オズの魔法使いは何回も見たし,台風の日黒い犬のぬいぐるみ(但し冷たい)を抱いてベランダに出てみました。勿論そんなことはしません。
オズの魔法使いはL.Frank.Baumが遺したもので童話ではない。だから何も教訓等がなくてもいいのだけれども余りにも魔女が理不尽ではありませんか。
西脇順三郎を知らないと言ったら父から嘲笑と哀れみの視線を戴いた。
もし生物がより優れた子,より強い子を後世に遺そうと生殖/繁殖を続けるのであれば私が生まれた意味は ないので は。
私は以上の通り脳が足りないのでいくら莫迦にされても構わないけれども「厨二病」という言葉はやめた方がいいと思う。
「マジキチ」「厨二病」「パネェ」と安易に利用され過ぎるせいで本当にマジでリアルに気違って半端なく思い込みの激しい人の希少性とその素晴らしさが薄れてしまうから。 ね。
そういえば家に帰ったドロシーは幸せだったのか。
利己の正当化を延々と喚き続けることをあなたは「議論」と呼んでいるのですか。なるほどね。
「言い立て続けさえすれば言い分が通るかのような態度」「はっきり言って莫迦のすることです。子どもの駄々捏ね以下です」「阿呆らしくて騒がしいばかりなの」
あら御免遊ばせ。あまりにも無益で無意味なことを書いては議論に参加しているつもりになっている方が居たので、つい口を出してしまいましたの。
その人の記事は愚痴ばかりです。愚痴をぐちぐちと聞いていても何にも判らない、何の益もないのです。内容ってものがまっっっっったく含まれていない。
他人の言葉の引用と繰り返しです。伝わってくるのはひたすら「私は非常識な人間にまみえてビックリしています」これだけ。
こんなこと一度言えば済むことです。それをしつこくねちっこくいつまでもいつまでも、まるで言い立て続けさえすれば言い分が通るかのような態度。
はっきり言って莫迦のすることです。子どもの駄々捏ね以下です。その人がビックリしたから何だというのでしょうか?
歴史街道 2011年5月号はノモンハン事件(ハルハ河戦争)でしたが、なんか読み終えたあとすごく気持ち悪い読後感が残ったのだが、どうしようもなく、うまく言語化できずに二週間ほど過ごしたが、最近「http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08j02.html#01749」を読んで、ようやく、なんとなく言語化できるような気がしてきた。
敵の圧倒的な戦力の前に、日本兵達は決死の覚悟と高い練度で驚異的な善戦をしてみせ、空でも陸でもソ連軍におおきな被害を強いた。そのまま戦い続ければ勝てる戦いだと現場では理解されていた。しかし、しかし、日本は負けた。なぜなら、現場を遠く離れた軍の上層部や政府が愚かだったり、スパイに騙されていて、正しい判断ができなかったからだ。悪いのはすべて軍上層部や政府であり、奮戦した現場には何の落ち度もなく、むしろ被害者といってもよいほどだ。そのうえ、そんな莫迦な参謀たちや、政府によって、日本国国民たちは騙されて、おおきな被害を被った。
なんかさー。これって、いま世間をぐるぐる廻ってる話と同じじゃない?
悪いのは全部愚かでやることなすこと失敗ばかりの「奴ら」であって、現場で奮戦している人間には何の罪科もなく、我々国民は一方的に騙されて被害を被った被害者なのだ。
でも、そーじゃないよな?
軍の方針を決めていた「奴ら」や、政府の「連中」はきっと実際はそれなりの超エリートでそんなに愚かじゃなかっただろうし、彼らが決断したのは酒に酔ってたからとか、誰かに騙されたとかそういうことじゃなくて、国家の方針を真剣に考えて決断した結果だろうし、スタンスだって遊び半分でやってたわけじゃなくて、それぞれが持てる能力を持って状況に取り組んでいる国家指導者であったりするはずじゃないかい? 「現場で奮戦している人間たち」の多くは前々から、放置していてはいけない問題点に気付いていながら、なにも言わなかったものが大勢いたはずだし、我々国民だって完全にイノセントではなくて、国の振った旗を大歓迎で追い掛けたたり、得意げに人に語ったりしてたはずじゃないのかいね。
ノモンハン事件に関する記事に、どうしても嫌悪感を覚えたのは、それと同じ。
自分たちは悪くない。悪いのは全部上の連中。上の連中は何も考えてなくて失敗ばかりで、おかげで自分たちは貧乏くじを引いたのだ。
それってさ。新橋の飲み屋で酔っぱらって、ただ上司の悪口をいって、ふらついて駅員を怒鳴りつけてる酔っぱらいか、自分たちは一方的に嘘に騙されていた完全な被害者なんだぜー、とかYoutubeで得意げに謳っちゃうのと同じじゃない。
日垣隆(T-Higaki) (hga02104) on Twitter
それでよいのだ!RT @inosenaoki 作家に生活がかかっていることはあたりまえ。すべてては鍛練と才能。それで突破すればよいのだ。覚悟をもって、なによりも独自のメッセージを伝えてほしい。
どこがよくねーんだよっ。RT @DaDa_724 よくねーよ
表現に優劣はある。あたりまえだろ。
さてと、深く考える習慣のない莫迦を相手にストレス発散したので、10キロばかり50分で軽く走ってきます。朝食後、15時まで書き下ろし。港までまた5キロ走って、今度は夕陽を見に瑠璃の島へ。
だからキミは何を描いてきたの?
私には必要ありません。
ホンモノの莫迦みっけ。
現代国家に、殺人の自由も強姦の自由も、ない。プレスの自由はアメリカが修正憲法で掲げたが、表現の無制限の自由など、どの国だって認めていない。
ピカソが数秒で描いたデッサンを見たことがありますか。これは人類の財産。貴方のような、という断定は敢えてしませんが、下劣なロリコンがヨダレを垂らして30時間かけ描いた四歳女児の性器絵は最低。
おまけ
学生時代のイタズラです。買った人も勉強になったと思いますよ。予想する力がついてRT @T_Arata 作家ともあろうお方が読み手の楽しみを奪う行為を嬉々として白状するとは…。RT @hga02104: 学生時代から…なぜこいつが犯人かを該当ページにメモして古本屋に売ってた(笑)
相変わらず新聞の読者欄にはネゴトが多い。今日の朝日の片山幸子とかいう莫迦の投書は実に愚かだ。
車椅子の祖母を連れて回転寿司に行った。テーブル席を希望したら混んでもいないのに一番奥の席が案内される。介助で行き来するのも大変だったし、災害でもあったら避難も大変だ。店はもっと客の安心を考えて欲しい…
正直頭がおかしいとしか思えない。
なんでテーブル席希望は出せて入り口付近の席希望は言えないのか。「入り口だとじろじろ見られるので奥にして欲しい」とか「入り口はなにかとばたばたしてるから奥にしてくれ」という障害者だっているだろう。
というより、そもそも「希望を出す」という語りかけを障害者サイドがやめてどうするのか。現在障害者が社会で個々問題にあたったときどう考えるのか、がおおむね認知されているというのならともかく、実際そうなってない以上、障害者ならではの要求をみんなが察することなど不可能だ。そして健常者と障害者を平等に思えば思うほど扱いも分け隔てなくするほかない。障害者だからと特別扱いするのが常に通るのなら店もそうするだろうが、実際はそうも行かないはずだ。そこで彼らが語りかけを止めてしまえば、障害者の声はいつまで経っても認識されない。
常に理解を求め続けろ、語りかけろ、それが障害者の務めだ、というのではない。特別にテーブル席に着きたければそのときはそう言え、特別に手前の席がいいならそのときはそう言え、というだけのことだ。マックでピクルスを抜くのと大差はない。
彼があなたを莫迦にしているように見えますが。
だから、埋まらないのでしょう。
最初から全てがそうだったとは思いませんが、
もう今はそういう関係ですね…。
なんかtwitterが何日か前からうまく見られなくて、2ページ目以降が見られない。つまりtwitterの発言ひとつが見られてもその人がそれを発した文脈がよくわからなかったりする。
なのでこれも「どういう流れでこう発言したか」がよくわからないでいるのだが、なにせあまりに意外なのでちょっと驚いた。
自分が重症心身障害児の母親になったとき、自分の受けてきた出産前教育の不備に気がつきました。お産は正常産だけでないという事実に、妊娠出産の時期からできるだけ遠いときに触れることが大切だと思いました。(後略)
子供のころから学校で何人もの「莫迦」を見てきたし、今でも(あまり乗るわけでもない)電車の車内でアナウンスの真似をする「莫迦」はしょっちゅう見る。実際にいるのを知っている以上、精神的な障害でだけ言っても「生まれつきの障害者は結構な数いるのだろうなあ」という想像は簡単にできたし、ちょっと考えを進めれば、「脳という臓器に障害があるものが結構いる」→「脳以外の体の場所、どこかに障害があるものはさらにいるはず」としか考えられない。「お産は正常産だけでないという事実」は、少しでも周りを見て少しでも考えれば、あるのだろうと「絶対にわかってしまうこと」だと思っていた。しかも妊娠中の数ヶ月、「腹の中の子供はどのようなものであるか」は最大といっていい関心事のはずだろう。「お産は正常産だけでないという」可能性は頭をわずかでもよぎらないものなのか。
いや、そもそもこの人の周りには障害者は全然いなかったのだろうか。それとも、簡単にできる類推が「事実はそうでない」と思えるようなことでもあったのだろうか。
ところで、昔は「お産は正常産だけでないという事実」はもっとわかりやすかったはずだ。なにせTVをつけていれば小人プロレスだってやっていたのだから。小人プロレスに文句を言って放送をやめさせた人はおそらく「障害者のため」を思ってそう働きかけたのだろうが、それは回りまわって「障害者の親のため」の、当然あるはずの知識を奪っていたことになる。