はてなキーワード: 胎動とは
受動喫煙してしまった。洋酒入りのケーキを食べてしまった。インスタント食品を食べてしまった。食べ過ぎてしまった。栄養が足りない食事をしてしまった。レバーを食べてしまった。まぐろを食べてしまった。チーズを食べてしまった。動きすぎてしまった。運動不足になってしまった。太りすぎた。仕事を頑張りすぎた。ゴロゴロしすぎた。ヨガをしなかったから体が固くなった。ヨガをしたらお腹が張った。骨盤ベルトをしないで生活してしまった。お茶を飲んでしまった。つまづきそうになった。雨の日に足を滑らせそうになった…
毎日の小さな失敗を数え上げては不安になる。お腹の子に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ごめんね、ごめんねって謝る。検診で一週間分くらい小さいと言われれば、ああ私のせいだ、ごめんなさいって思ってしまう。胎動が少ないと不安になる。私が子どもに苦しい思いをさせてるんじゃないかって。お腹が張っても申し訳なく思う。私がストレスを感じるからいけないんだ。ごめんね。
ここまでの妊娠生活、決して楽をしてきた訳ではないはずだ。正直妊婦ってこんなに大変だって知らなかった。吐きづわりは言うに及ばず。初期は布団から吐き気と動機と息切れで、立ち上がることもできなかった。50センチ移動するので精一杯だった。安定期に入ってもずっと具合が悪かった。精神的にも落ち込んだ。でもなんとか妊娠後期に差し掛かることができた。
それなりに頑張ってきたのに、その頑張りよりも至らないところばかりが目についてしまう。
将来のことを考えるときも同じだ。妊娠してから、仕事が前ほどできていない。でもこれからずっとその状態は続くのだろう。自分の自由に使える時間もなくなった。これもずっと続くのだろう。いやもっとなくなるだろう。少なくともあと20年は。自分の存在理由みたいなものだった仕事が満足にできなくなる。でも働かなければならない。中途半端で無能な仕事人間になって、自分の人生もなくなってしまう。そもそもちゃんと復帰させてもらえるかわからない。保育園も入れられるかわからない。何もかもが不安だ。何も信じられなくなる。
こういうネガティブな思考も、子どもに会えたらその喜びで消えるのだろうか。いやそもそも子どもは本当にちゃんと無事に生まれてきてくれるのだろうか。私はちゃんと産めるのだろうか。無事に育ってくれるのだろうか。私はちゃんと育てられるのだろうか。今度はそんな心配で頭が一杯になる。
不安と心配で頭が一杯になると、お腹が張る。切迫早産気味と言われれたことを思い出して、また申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ごめんね、私がネガティブ思考でストレスを感じてしまうからだ。ごめんね。
自分の母親のことを思い出す。神経質で心配性でキレやすい人だった。私はいつも母親にごめんなさいって思いながら生きていた。そしてそれは幸せなことではなかった。
だからこそ私は明るくて心の強い母親になりたいのに、毎日ますます暗くて弱い人間になっていく気がする。こんなお母さんでごめんね。
強くなりたい。明るくなりたい。前向きになりたい。そのためにはどうしたらいいんだろう?
心も体も疲れきって、もう動けない。誰かに助けてって言いたいけど、誰にも言えない。分かってもらえない。私が悪いのは分かってるんだけど、じゃあどうやって変わればいいのかわからない。
http://anond.hatelabo.jp/20150429005010
アニメーターが貧乏なのはアニメ市場に金が入り込まないから。その理由は機械との競争が現実化しつつあるから。
言うまでもなくこの機械とはインターネットとモバイルのことだ。AIではない。
インターネット上には、表現したい欲求を持つ誰かによる無償のコンテンツで常に溢れかえっているし、
モバイルにはフリーミアムな見かけ上は無償のコンテンツが溢れかえっている。
アニメの市場が拡大しないのは、こうした無償のコンテンツと競い合うはめになっているから。
そしてアニメーターの低賃金は、無償のコンテンツの供給過多によるデフレーションによるものだから。追い打ちとしてグローバル化にともなう賃金の均衡化もある。
これはインターネットの性質からすると必然であり、対岸の火事と思っているおまえらの食い扶持だっていつこうなるかわからない。
これにやがてAIによって自動生成されたコンテンツが加わる事になる。
そしてそれらはコピーされフォークされ低コストにあるいは自動的に改変され情報生産コストは限りなくゼロコストに近づいていく。
kawangoはコンテンツは出し惜しみしろと言ったが、人間の欲求(消費したい/表現したい)がこれを許さない。
コピーや改変によって無償の富が溢れかえるのはインターネットの本質なので、アニメ業界を潰せみたいな考えを推し進めると
やがて情報に関わる全ての市場は無償の富か自動化されたシステムに代替されていくんだろうし、CGMをうながす機械やコンテンツを生成する機械を専有する資本家や事業者が富を独占するんだろう。
というか市場というもの自体が一種の人工的なシステム(機械)なので、我々はもうシステムを制御しきれず支配されて駆逐されつつあるといっても良いんではないだろうか。
その胎動みたいなのが、アニメーターみたいなコンテンツ生産者の貧困なんだと思う。
言えるのは、労働法のようなルールは、テクノロジ由来のこの動きに比べ動作が遅すぎるので無力だし、ナイーブに市場原理に任せて潰せはディストピアまっしぐらなので間抜けだということ。
やるべきことは、自動化されすぎた世界における富の分配というグランドデザインを早急に議論し検証し実装することなんだと思う。
そうしないと強いAIなんかが現れるよりずっと前に、世界は貧乏人で溢れかえるだろうし(すでにニートは6億人くらいいる)、貧乏人の中から出現するinsaneな人々が暴れまわる暴力の時代が出現すんだろうね。
なにを馬鹿なことをと思われるかもしれないが、僕ははっきりと主張したい。
もちろんママの方が大変だ。妊娠、出産の不安からくる心の問題だけじゃない。
お腹はどんどん大きくなるし、ホルモンバランスだって変わる。身体だって大きく変化するわけだから、マタニティブルーになったって当然だ。
でも、パパだってマタニティブルーになることはある。なったっていいじゃないか。
パパだって不安なのだ。立派な父親にならないと!だとか、ママの支えにならないと!だとか、日々そんなことばかり考えているのだ。
30歳の新米パパ
今でこそ、胎動を感じることができるので、赤ちゃんがちゃんと生きているという証拠があるから安心できる。
しかし胎動を感じるまでは、いつ心臓が止まってたっておかしくないわけで、いつも夫婦ともに死んじゃっていないか不安なわけです。
近いうちに検診に行くのだけど、もし万が一のことがあったら・・・・・・、と夫婦共にナーバスになってしまって、
お互いにイライラしたり些細なことで喧嘩することがほんと多かった。
2月頃の定期検診の一週間前。
パパもママも共にマタニティブルーになって、いつものようにほんと些細なことで喧嘩してしまったのでした。
喧嘩に疲れてお互いふて寝していたら、深夜二時くらいに妻が僕を起こす。
顔面蒼白で、唇をふるわせながら妻が枕元に立っていた。
どうしよう、トイレに行ったら、少し血が出た。
妻はか細い声でこう言った。
僕は体中の血の気が一気に引いていくのを感じた。
とにかく、妻には明るく接する。そしてうそをつく。
大丈夫大丈夫。ちょっとくらいの出血無いなら問題ないってネットに書いてたから。
でも念のため心配だから、病院に電話してみるね。24時間受け付けているみたいだから。
でも知識としては知っていた。この10週から20週の間の出血はまずいということを。
気が動転していて病院の連絡先の紙が見つからない。ネットで検索しようと思ってもキーボードをうまく叩けない。
スマホの音声検索を使ってようやく病院の電話番号を調べだし、連絡する。
優しい女性の看護師さんとお医者さんが電話に出てくれた。きわめて落ち着いた対応だった。
お医者さんが言うには、この週数での出血は心配なので、救急車の必要はありませんが、明日一番で病院に来てくださいとのこと。
妻には、心配だとかそこらへんのことは伏せて、とにかく明日の朝一番に空きがあるので、仕事休んででも一緒に病院に行こうと伝える。
とにかく妻を安静にさせないと。
妻の手を握って添い寝をして、とにかく寝かしつけることを優先する。
大丈夫大丈夫だから、ほんとに危険なら救急車を呼ぶようにお医者さんから言われるはずだから。
根拠のないことをさも正しいかのように妻に言って聞かせる。
初めは妻も不安で胸がいっぱいという風だったけども、30分すると、少し安心してくれたのか、ようやく寝息が聞こえ出す。
ここから、パパの眠れない夜が始まるのだ。
頭の中でぐるぐる回る後悔、自責の念。
どうして喧嘩なんてしてしまったのだろう。僕が真っ先に謝ればよかった。つまらないことで意地を張る必要はなかった。
ほんのスプーン一杯分の優しさを持てば、喧嘩なんかならなかったんだ。
妻はマタニティブルーなんだ。体の異変と心も不安を抱え、イライラしたって当然だ。
身体は何一つ変わっていない旦那が妻を支えるべきではなかったのか。
妻は何一つ悪くない。
僕が赤ちゃんを殺したのだ。
横になっても目をつぶっても眠れない。頭の中から後悔と自責の念が離れない。
早く朝になって欲しかったが、いっこうに時計の針は進まなかった。
僕はどうにかしてこの不安を断ち切るために、起きあがってスマホでいろいろと調べてみる。
しかし、僕の期待とは裏腹に、出てくる記事は怖い内容のものばかり。
この時期の出血は心配ですと言う産婦人科医の記事。流産したママさんたちのとても悲しい体験談。
ここで不思議なことが起きた。
えー助けてから助けるに変わってる!!
男前すぎるだろ!!
その文章を読んだとたん、なんだか少し不安が解消された気がした。
とにかく今悔やんだって結果は変わらないので腹をくくろう。
そうこうしているうちに夜が開けた。
そんなこんなで朝一番に病院に行ったのですが、検査の結果異常なし。赤ちゃんの鼓動も正常で、エコー診断委も異常なし。子宮の状態も全く異常なし。
まさかGoogle先生がインターネットの英知を使ってなおしてくれたのか?
これからパパになる予定がある人は是非読んでいてほしいことなのだけど、
やっぱりパパだってマタニティブルーになる。なるのだけども、やっぱママの方が負担は大きいわけで、支えていかないといけない。
そうしないと後悔しても後悔しきれないことが起きてしまうかもしれない。
妻にだけは当たらぬよう、喧嘩はしてもすぐパパが謝ることを心がけるべきだなぁ、とつくづく思いました。
あと病院の連絡先は書き出して冷蔵庫に貼っておくことと、Google先生は時として男前の発言をしてくれること。
それが今回の件で学んだことです。
相変わらず父は自分の仕事がいかにうまくいっているか、お金の心配をしなくていいかを語り(実際には事業の借金まみれなので現実から目をそらしたいのだと思う)、母は父の愚痴をこぼしつつ私がかすがいだと話していた。
私もいい年なので自分を理由に別れないと言われてもうれしくはなく、むしろ母は母の幸せを追求すればいいと思いつつ、まぁ実際に別れる気などないのも理解できるので、親孝行と思い相槌を打ちながら聞いた。愚痴がやんだころに母に産んでくれてありがとう、と伝えた。
母は流産を繰り返しており子どもはあきらめかけていたこと、妊娠を気づく前に転倒したけれど私が無事に産まれてきてくれてよかったと過度に感情的になりながら語り、産まれてきたときの感動をうったえた。「産まれてきてくれてありがとうー!」と思ったそうだ。
正直ちょっと過剰で、この人私を愛しているのか、娘を愛している自分に酔っているのかわかんないな、と苦笑した。母は前者だと思い込んでるけどね。
私は今妊娠していて、もうすぐ産まれるのだけど、なんだかまだ実感がわかない。初期は出血が多く切迫流産となったので、もし流産したときのために過度に期待しないように心がけていたからかもしれない。「流れてますね」と言われてもショックを受けないよう、常に気を張っていた。
妊娠がわかって夫が私に触れなくなったことも、結婚式の準備をしていたのに、妊娠がわかり延期になったこと(もしかしたら中止)も、「赤ちゃんがいなければ…」と思うきっかけになったかもしれない。
難関資格に受かったので、年齢的に転職するなら今かもと準備を始めていたのに、妊娠をきっかけにそんなのどこへやら、むしろ切迫流産で仕事を長期休むことになったのでキャリアプランがよくわからなくなってしまったのも、「赤ちゃんがいなければ…」と思うきっかけかもしれない。
それでも心拍を確認できたとき、手足が動いてるのを見たときには嬉しくて診察台で涙を浮かべた。胎動を感じたときにはふよふよと動くおなかに触れて笑ってしまった。
夫と大げんかして離婚と中絶を真剣に考えた後、やっぱり産みたいとも思った。たとえ夫と別れることになったとしても、産もうと思った。
私は自分が出産したときに「産まれてきてくれてありがとうー!」とは思えないだろうし、猿かエイリアンのような赤子の顔をかわいいとは思えない気がしている。産んだ後も泣き続ける子どもにイラつくかもしれない。
もしかしたら手を上げることもあるかもしれない。
それでも私なりの愛し方で、子どもを愛するのだと思う。それが子どもに伝わるのかはわからないけれど。
そのとき夫が隣にいて、支えてくれたらいいなと思いつつ、夫の好物をつくっている今の私は、不満を抱えながらも幸せなのかもしれない。
旦那をただの男から父親にしたければ腹と一緒に張りつめてくるパイ乙に顔をうずめさせてやって胎動を毎日感じさせてやればいい。
キモ過ぎだろこれww
これから生まれてくる子のための乳をなんで大人の男のために使わなきゃならんのww
http://anond.hatelabo.jp/20140418200132
妻にとっては里帰りは楽ができていいが、
まず4カ月も旦那ほったらかしにしてたら何しでかすかわからない。
里帰りしてる間、半分ぐらいの男は女と遊ぶ店に行ったり風俗いったりしてる事実(知らないのは女だけ)。
実際男にとっては本当に俺の子供かどうなんかわかんねーからな。
自分の子供なのに妻母に「あの~、抱っこさせてもらっても、いいですか?」とか聞く始末。
妻にも「汚い手洗ってきて」「ちょ、ちょっと危ない!」とか言われてるうちにおむつひとつ変えられない旦那に育つ。
旦那をただの男から父親にしたければ腹と一緒に張りつめてくるパイ乙に顔をうずめさせてやって胎動を毎日感じさせてやればいい。
生まれる寸前のギンギンに膨らんだ腹は凄いパワーを放ってるからそれを当ててやれば男はひとたまりもない。
大抵の男はテストステロンの分泌が止まって赤ちゃん言葉になって子育てモードになる。
その代り妻は大変だ。できれば、退院の後の産褥中は妻母に来てもらえれば一番いい。
出産は自分たちの家族主体で行うのがよい。妻実家にまかせっきりは最悪だ。
育児出産の話題で盛り上がっているけれど、まさに私も今、2人目妊娠中だ。妊娠8ヶ月。
望んで作った念願の子ではあるのだけど、最近「この子が障害児だったらどうしよう」と不安で仕方ない。
夫は40歳だし、妊娠経過は順調とは言えなかった。切迫で2度入院し、途中で私の持病が悪化して薬を飲んだ(もちろん、胎児に影響はないことになっている薬だけれど)こともある。
胎動が激しい子なのできっと健康な子だろう……と思っていたのだけれど、自閉症児は胎動が激しいという説もあるそうだ。
もしこの子が障害児だったら、私自身は甘んじて受け入れるとしても、上の子がどうなってしまうのだろう。進学、就職、結婚、全てに影響が出てしまうはず。
夫に相談しても「考えすぎだ、きっと上の子同様健康な子が産まれてくるよ」と言われてしまうのだが、本当にノイローゼになりそうなくらい悩んでいる。
今から、障害児の補助金とか施設とか調べては、暗い気持ちになっている。
こういう時、誰に相談すればいいのだろう。
市役所に行っても、いざ障害が判明してから来てくださいって言われるだろうし、産科の医師に言っても今は無事に産むことだけを考えてくださいって言われそうだし。
カウンセラーは若い頃に相談したことがある(人間関係で悩んで引きこもりになっていた時期があった)のだけど、何を話しても「それは大変だったわねー」を繰り返すばかりで何の解決もしなかった覚えがある。
これ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162
ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。
ホメオパシーは電波な医者が編み出した電波な理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。
今のように、ベルリンの壁を分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室や会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者の浄霊などに効果があります。)
症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈。
何かに似ていると思いませんか?
非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。
エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。
一方ホメオパシーの始祖であるドイツの医師、サミュエル・ハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。
はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。
ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療を勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。
ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素や水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。
ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。
ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパスが元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。
同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。
ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。
のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!
おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。
かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。
1830年からのコレラ大流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシーの最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリの社交界に招かれさえもして、幸せな晩年を送ります。
しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナーな代替療法の一種に零落していったのでしょう。
ですが、第一次世界大戦終戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。
ああ、それ割と普通だと思うから心配しなくてOK
だってまだ会ったことないし、お腹大きくなってきてるとは言え妊娠の実感もよく沸かないし。
ていうか、妊娠した実感ってなに?って感じだし。
胎動も、あ、なんかいるなって感じだし。なんていうの?他の生命体が体の中にいるっぽいみたいな感じだし。
うん、やっぱりまだ会ったことなくて話したこともない人に愛情とか、そっちのが不自然!
愛情が出てくるのは産んで顔見て毎日世話してそのうち反応するようになって、そうこうしているうちに、だよ。
産まれてきても、可愛がる自信がない。親にかわいがってもらった記憶もない。
だいたい、自分の子供なんてロクでもない人間になるにきまってる。私の遺伝子を持っている上に、私に育てられるんだから。悲劇この上ない。まともな親のところに産まれたならば、まともな人生が待っているのに。ホント、可哀想。子供は親を選べないなんて。
ヱヴァンゲリヲンのその後
ドクマへと投下されるエヴァ6号幾。胎動するエヴァ8号幾とそのパイロット。
セントラルドグマに幽閉されたリリスはその本来の目的である「物語」生成をはじめた。
ADAMを捕食したゲンドウ
リリスから生まれたエヴァ初号機は綾波レイ(碇ユイ/リリスの魂)と、碇シンジ(18番目の使途/リリン・人類)を体内に取り込み「神」へ続く階梯を昇る。
リリスは「物語」生成により因果律を支配し、時空間に多元宇宙を発生させる。
最終目標リリスを撃破する為にエヴァ初号機もセントラルドグマへ。
そこへ立ちはだかるEVA6号機と渚カヲル、月の裏側の地中深くの遺跡から発掘されたEVA8号機とメガネ。
超絶最終進化形態に差延し続ける碇ゲンドウの三つ巴の戦いの果て、全てを「捕食」する事によってエヴァ初号機は「巨大知性体リリス」を破壊するに至った。
「これで、全て終わる。リリスが発生させた「物語」は多元宇宙内で無限の物語と登場人物の役割を変異させながら、様々な形象を持って「君と僕のセカイ」を数多の数生み出してきたが、「君と僕のセカイ」の、全ての始まりを断ち切った事で劇終し、僕(シンジ)は救われる」
シンジを巡る「物語」は収斂したものの、リリスの暴走によって、多元宇宙はそのままとされ「重力変動源」やら「光の国」やら「蟲と話す少女」程度なら可愛いもので「シュバルツシルト境界面を割ったり」「多元宇宙の先の神」とか「天使」とか「妖精」とか「炎髪灼眼」やら「魔法」とか「FSS」とか「ハードボイルド・ワンダーランド」とか「浮虜記」とか「古事記」とか「日本書紀」とか「聖書」と「カエサルの物語」なんかが生まれた。
でも、その全ては「巨大知性体リリス」の記号的限界に直面している事が後に解明された。それらは東洋の島国に棲む少数民族が太古の昔に使用していた「言語」で書かれていたそうな。。