はてなキーワード: 右から左とは
大学へは電車通学。田舎から都会に出る所要時間は片道2時間。一限がある日は6時台の電車にのるため5時に起き、帰りは田舎の路線のため本数が減って待ち時間込み20時でようやく最寄り駅に着くことはザラにあった。
長い時間、スマホをいじるのにも飽きるようになり、読書をはじめた。頭はそれほど良くないので知識は右から左へと流れていったが、本の内容は面白かったという思い出は残ってる。あれはあれで贅沢な時間だった。ただ電車で読書をするためにブックカバーをじっくり雑貨屋さんで探すのもあの時しかできない贅沢。
ある日の帰り。とっぷり夜も更け、二人がけの席の奥側を専有し壁に持たれ付きながら電車に揺られていた。乗り換えで一次目がシャキっとしたのも束の間、すぐ睡魔が忍び寄ってきてうとうとおしているお、中途停車した駅から男性が乗り込んできた。目も瞑って俯く中、隣に座ってきたことを気配で分かった。
そうして、何故か脚を密着してきた。ぴったりと。
この電車は田舎の路線。19時台となれば乗車数は減る。どうして席ががら空きの中、隣に座ってきたのか。なるほど、こんなこともあるのかと半分覚めない頭で思った。二駅ほどで降りる。寝たフリをしておこう。
ようやく最寄り駅へ到着。すみません、と小声で喋りながら外に出た。駅でボーッと顔としてはFXを溶かした時のような顔で少し突っ立った。なぜ足?
翌日、友達に笑い話として喋ったらめっちゃウケた。足くっつけられたけど、冬暖房に最適と言ったら大ウケした。
その最寄り駅のすぐ近くには会社がある。今はそこで働いてる。それだけ。休日数とお賃金が良ければどうってことないのだ。決めつけは良くないしな。
TwitterにAI絵師が批判される形でトレンドに入ってるみたいだから便乗して甘えた再投稿をします
最初期ならまだしも(ていうか最初期の段階でだいぶグレーだったし学習に使う絵の著作権問題とかもあるけど敢えてそれはここでは置いとく)今はだいぶ使うの楽になってるわけで
そんなもんで生み出したお手軽な物を貼り付けながらAI技師とかAI絵師とかプロフに載せるのこれだいぶ恥ずかしくね?イキリが凄くね?
つーか「師」を付けるなよ
AIが作ったもの右から左に流してるだけのお前がなんの手本になれるんだよ
寧ろお前がAI様についていってるだけなんだから表現としては絵師や技師じゃなくて「犬」が正しいだろ
今の状況でAI使いながら絵師とか技師を名乗るのはもうすまんがだいぶキツイ、ていうか痛々しくて面白い
どういう気持ちでやってるんだろうなあれ
最初期ならまだしも(ていうか最初期の段階でだいぶグレーだったし学習に使う絵の著作権問題とかもあるけど敢えてそれはここでは置いとく)今はだいぶ使うの楽になってるわけで
そんなもんで生み出したお手軽な物を貼り付けながらAI技師とかAI絵師とかプロフに載せるのこれだいぶ恥ずかしくね?イキリが凄くね?
つーか「師」を付けるなよ
誰がAIが作ったもの右から左に流してるだけのお前がなんの手本になれるんだよ
寧ろお前がAI様についていってるだけなんだから表現としては絵師や技師じゃなくて「犬」が正しいだろ
今の状況でAI使いながら絵師とか技師を名乗るのはもうすまんがだいぶキツイ、ていうか痛々しくて面白い
どういう気持ちでやってるんだろうなあれ
https://togetter.com/li/2064492
たまたまふらっと寄ったネカフェで自分の席に行こうとしたらアフロ田中シリーズが目の前にずらっと並んでて、「この作者どんだけアフロこすんねん」って思ったのが最初。
なんかよくわからんけど右から左にかけて田中くんが成長している様を眺めていた。
ちょっと気になったからウィキペで調べたら結構長いこと続いている漫画で映画化ドラマ化もされている結構有名な作品だったことを知った。タイトルだけ見たら80年代後半の学園わちゃわちゃ漫画みたいなノリだけど連載自体は21世紀から始まっていることを知って驚いた。
後になって「誰も消防車を呼んでいないのである」の元ネタがこの漫画のシリーズであることを知った。
ウィキペでうっすらと高校卒業したり就職したり放浪の旅に出たり結婚したり子供が生まれたりしていることを知った。
そしてとうとうさっき、ついに田中くんはマイホームを購入することをtogetterで知った。
手取り年収350万だから、ボーナス込みで額面で大体550-600くらいだろうか。野原ひろしとあんまり変わらんな。というかクレヨンしんちゃんだか島耕作だかをなぞっていってるような形になっていた。
ボーナス払いとか昇給とかをまるで考慮していない絶望具合が、絶賛衰退中のジャップランドのthis is 世相って感じで哀愁が漂っていた。
独自取材しない。自分で調べない。発表されたものを右から左に流すのが仕事になっている。
なぜか?
間違いがあれば自社や記者の責任問題になる。炎上リスクもある。深堀りすればするほど、一記事あたりにかける時間が増えるのでコスパが悪くなる。
②リターンが低い。
なぜなら、独自性が高いほど間口が狭まりマニアックになるから。
ゆえに、「完成したプレスリリース」「企業や役所の発表」を右から左に流す方がニュースバリューが高い。
暇空騒動が最初報道されず、次に右倣えで報道され出したのはこれが理由。
結論を言えば、ごく一部を除き調査報道やジャーナリズムに使うリソースは存在しない。
昔(明治〜昭和)は無能でも動く身体さえあればいくらでも働き口はあったようだ
威張るだけの体育教師、工場の作業員、書類を右から左に流す事務員、領収書を貼り付けるだけの経理、書類のコピーを取って整理するだけの会社員、、、
そういう人たちでも一家の大黒柱になり妻を専業主婦にし家族4人を食わせていた時代だった
でも最近はそういうことしかできない人は無能のレッテルが貼られ社会から排除されるようになってきた
だが本当にそれでいいのか。
今は高みの見物しているそこの諸君たちもいずれIT化AI化の波に飲まれ
「無能」の水準になっていくはずだ。
別の言い方をすれば、無能の水準が上がってきているとも言える。
簿記の知識しかない経理も、労基の知識しかない総務も、接待営業が得意だった営業も、綺麗なパワポを作るだけの企画職も、
ここ10年でシステムに代替され無能になってきつつあるのを実感しているんじゃないだろうか
そうなった時ギスギスした社会になっていくのは目に見えている。
今こそ、
僕と彼の行っていた大学は近くに名のある寺があり、そこに文豪や歌舞伎役者や芸能人の墓があった。
彼は雪深いところから進学のために上京してきたが僕と幾人かの家にこもりがちな友人を作った他はその寺をうろうろとしていたようだ。
僕は何度か彼のうろうろに付き合って道道に彼の今日の訪問先の説明を聞き、かの有名な誰それがまでは面白く感じていた。
しかしいざこの墓石の下にその人の骨があると言われても大して楽しくはなかった。
野球選手やプロレスラーだか格闘家だかの墓となると僕はもうさっぱりわからないので、そうなんだ、へえ、そうか、はあん、などと相槌を打ちつつ右から左に流して歩いた。
彼はそこそこに稼げるアルバイトを見つけてから国外にも足を伸ばし、あちこちの墓の写真を撮っては内輪の会話にアップロードしていた。
四年になりめでたく内定ももらって日がなだらだらしていた頃、僕でも知っているような高名な哲学者の墓に行くと彼が言い出した。
しかしその墓のある国は少し思想や治安が日本と異なり、またその場所自体が割と政治的係争のあるところだった。
僕は友人と飲みに連れ出してやんわりと今回は危ないのではないかと言ったが、意に介してもらえなかった。
彼は日本人が物見遊山では行かないような国の名前を出して今までもあそこやどこそこに行って大丈夫だったと言う。
僕は彼の素気なさに、酒が入っていたせいか日頃の色々が積もっていたせいか苛立ち、怒りを爆発させてしまった。
店の中で大声を出して友人に雪の降る店外に連れ出され幼児のようにぶんむくれた僕はそのまま地下鉄に乗って帰った。
それが彼と会った最後だった。
スーツを着て内定式に出て多忙な日々を過ごし慣れた頃に結婚し程々に幸せを理解してきた頃、彼の訃報が舞い込んだ。
彼は雪深い故郷の病院でお母さんと従弟に見守られて息を引き取ったそうだ。
僕は物見遊山を口実にして妻を旅行に連れ出し、最終日に日帰り温泉に行かせてひとり彼の墓を参った。
彼の骨はその墓石の下にある。
しかし大して楽しくはなかった。
彼はまだあの哲学者の墓の前にいる、僕はそういうことにした。