はてなキーワード: ワンルームとは
田舎の古いタイプの親や公務員やってる親なら怒るかも知れんけど
郵送できた手紙に支援出来ませんって親にサインして貰って終わり
一緒に暮らすとストレスと言うのは重大に受け止めるべきだと思う
生活保護を受けさせないようにする動きはあるけど権利なので気にする必要なし
心と生活を立て直す方が先
ただ、生活保護を受けさせないようにする動きなどからもわかるように、
為政者/権力者のお気持ち次第で変わることに自分の人生を預けてはいけない
あくまで、心と生活を立て直すための、一時的なものとして使わんとダメだね(その間に資格を取ったり、戦略を練る)
住む家は生活保護で上限が地域ごとに決まってるのでその予算内になるよ
夏休みの宿題で「お母さんと弟と市民プールに行ったけど休みでガッカリしたことが1番の思い出です」って作文に書いたら、お母さんに「なんで?」と怒られた。
そりゃそうだ。車の免許がないから行くところは限られていたけど、夏休み中、お母さんは電動でもなんでもない自転車の後ろに弟を乗せて、まだ自転車の運転に慣れない私に「車!」「赤!」と声をかけながら、サマーランドやら母方のおばあちゃん家やら、いろんな場所に連れてってくれた。それなのに、1番近場での1番楽しくなかった思い出を書かれたら怒るに決まってる。
私としたら「楽しかった」だけじゃつまんないかな〜と、おませなつもりで書いた作文だったけど、他の子たちの「帰省」や「初めての海外旅行」の思い出と一緒に、「仕方がないからモスバーガーを食べて帰った」思い出が夏休みの文集に綴じられているのはたしかにおかしくて反省した。
思えば、お父さん、お母さん、私の3人で借家に暮らしていた頃から、お母さんの自転車の後ろに乗って、保育園、大きなダイエー、よくしゃべるオウムがいる近所の家、いろんな場所に行った。しばらくすると弟が生まれて、父方のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らす新しい家に引っ越した。
保育園に通い始めるようになった弟と補助輪付きの自転車さえ乗れないどんくさい私を乗せたお母さんの自転車は、買い物や保育園の送り迎えの道中よくすっ転んでいた。最初のうちは弟と一緒に「ウワーーーン!」と泣きわめいて「ごめんね」とお母さんに謝られていたけど、そのうち「あっ、倒れるよー」と予告されるようになり、「はーい」と上手に受け身をとって、助けてくれる通りすがりの人に「だいじょぶでーすありがとございまーす」と返せるほどになった。
弟がぽっちゃりしてきた頃、私は後ろの席を卒業し、坂道で自転車押したり、良きタイミングで弟に「降りて歩け」と指示したりする裏方に回った。そのうち自転車に乗れるようになり、お母さんの良きパートナーとして行動の範囲を広げていった。
私がピチレモンを買うようになった頃、アウトレットモールがある南大沢へ電車でよく行くようになった。と言ってもアウトレットモールは素通りで、目的は南大沢駅から30分くらい歩いた場所にある激安洋品店「タカハシ」。貧乏ってわけじゃなかったけど、コールセンターのパートを始めたお母さんのお給料が出ると、私と弟の服を買いに3人で駅からてこてこ歩いて行っていた。
服に興味のない弟の機嫌をとるために、駅とタカハシのちょうど半分の場所にあるモスバーガーでよくお昼ご飯を食べた。市民プールが休みだったあの日もたしかタカハシに行くことになって、モスバーガーに寄ったんだった。
私が小学校の卒業を控えた頃は、母方のおばあちゃん家ばかりに行くようになった。そんなある日、お母さんに「家を出ようと思ってる」と伝えられた。その頃、お母さんは私の部屋でご飯を食べたり寝たりしていて、いわゆる家庭内別居状態だったからあまり驚かなかった。お母さんの元気がなかったし、その方が良いと思っていたから、聞いて安心した。
「お母さんとお父さん、どっちと一緒にいたい?」と聞かれて「もちろんお母さん」と答えた。「弟はお父さんと仲が良いし、お母さんのお給料じゃたくさん食べさせることができないから、一緒には暮らせないと思う」と言われて「そうなんだ」と返した。その日の夕方、2人でスーパーに買い出しに行ったとき、お母さんに「中学生になったら髪染めていい?」と聞いたら「髪を染めたいならお父さんと暮らしなさい」と返されて、どっちもやだなと思った。
それから私が中学校に入学するまでの間、お母さんはこっそり家を出る作戦を練っていた。お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、弟にバレないように荷物をまとめたり、アルバムから私と弟の写真を何枚か抜いたりと忙しそうにしていた。
準備が整って、ついに出て行くことになった。最後まで「本当にお母さんと一緒でいいの?」と聞かれて、大事なことをたくさん伝えられて、「大丈夫」「わかった」とたくさん返事した。さみしい気持ちより、緊張でいっぱいいっぱいだった。
夕方、タカハシで買った洋服とか、夏休み中に撮った写真とか、いろんなものをお母さんの自転車に積んで、よろよろと倒れそうになりながら、母方のおばあちゃん家に向かって押して歩いた。お母さんの自転車でいろんなところに行った思い出はこれが最後だった。
それからいろいろあって、私はお父さんに引き取られた。中学生の間は弟と一緒にワンルームのお母さん家に週末泊まりに行ってた。うれしい気持ちが裏目に出て、お母さんの前で弟とよくケンカをしていたら「お母さん悲しいな…」と言われてしまって2人でシュンとしたこともあった。
だんだんペースがあいて、外でしか会えなくなって、病気がちであまり会えないって聞いて、ひさびさに会ったら「お母さん、対人恐怖症になっちゃったんだ」って手を震わせながら私たちと話してくれて、その姿を見るのがキツくて、会うのが辛くなって、今は連絡も取らなくなってしまった。何やってんだろう、私は。
最近よく「母親になったとき子どもに同じことをしてあげられるかな」って考える。お母さんがお母さんとしてしてくれたたくさんのことを思い出して、幸せな気持ちになる。今なら1番楽しかったことだけを書いた良い作文が作れそうなのに。何やってんだろう、お母さんは。
30代前半の女。
ちょっとした出来心で「エロいサービスのあるマッサージ屋」に行った話。
お客さんの口コミを見ると「あんな事までして頂けるだなんて」「忘れられないサービスでした」「気持ち良すぎて今でも夢見心地」等と暗にエロいマッサージが受けられる事が伺える。
決心をして電話をかけるととあるマンションの一室を指定され、扉を開けるとマットだけが置かれたワンルーム。
まずはシャワーを浴びるように言われ、その後マッサージが始まるのだが、始めは普通に首や背中周りを指圧される。
それが次第に腰周りや鼠径部を刺激するようになり、気付けばセックスしていた。セックスのテクニックも可もなく不可もなく、という感じ。
「本当は5,000円だけど1,000円で良い」と言われて支払ってマンションを後にした。
数日後、すんごい後悔が襲ってきた。
あれだけ後悔したのに、この可もなく不可もないセックスの事をたまにふと思い出す。
周りに友達もおらず親戚もおらず、ワンルームのマンションで、趣味はゲームというような生活をずっとしてる。
貯金はなにかあったときのために300万ほど。まぁこれでも心配。
まぁ偏差値もそこそこあれば入れるような大学だから、そんな奴らの初任給なんてどんぐりの背比べですわな。
そんで順調に昇給・昇進してきて、特別目立った昇給昇進するような奴らもいないけど、
実家暮らしの奴らは「金が余ってしゃーねーわ」と軽自動車を乗る俺を見下し、店も高い店じゃないと男のランクがとか言ってきやがったわけ。Twitterみると「今月も天井」とかいってガチャ自慢してる。
そいつらが今がんばって実家から出ようとしてるのよ。30弱にもなって。
そいつらを飲みに誘うと今までコース2万ぐらいの店じゃないと価値が無いぐらい言ってたのに、5000円ぐらいの店選んで「いや~、本当に美味しいのはこういうとこだよね」とか言い出す。
精々してるよ、俺。
ま、それで俺の生活が変わるわけでもないんだけどな。
一度大規模災害で被災してからというもの、めちゃくちゃ準備しているわけではないざそこそこ防災意識がある自分がいろいろ試して出した結論は「一人暮らしの食事備蓄はローリングストック一択」だった
五年保存水?乾パン?災害用アルファ米?そんなものをダラダラ置いておく場所など都内の貧乏ワンルームにはない ちなみに金持ちで広い部屋に住み、置く場所があるならそういった防災セットを買っておくのも手だと思う
入れ物はおすすめは無印のポリプロピレン頑丈収納ボックス大、なければ衣装ケースでもクーラーボックスでもなんでもいい
それに2リットルの水とかお茶とか普段飲んでる飲み物を3本以上、普段食べてるポテチとかせんべい、飴とか好きなお菓子を3袋以上、レンチンするご飯6パックぐらい、自分の好きな缶詰、ふりかけやインスタント味噌汁、そして最後に普段使ってる醤油、塩、砂糖をいれる
以上
で、次の日からそこのストックから出して出した分だけ買って新しくする、そうするとやたらと高い保存食など買わなくても食べ慣れた好きなものが災害時に食べられる
意識高い防災マンは青汁やら野菜ジュース、氷砂糖だのもいれればいい
被災してわかったが、いくら今の非常食は美味しくても普段食べてないものを食べてるだけで気分が落ちる 非常食を食ってるという事実が辛い
病気の時とかもある程度の備蓄があると助かるので、一気に買って来ると辛いから買い出し行く時余分を買ってゆっくり買い揃えていくといいぞ
年収200万くらいから始まって、やっと700万まで到達したから豪華な暮らしはしなくとも
それなりに間取りはほしいし、それなりに美味しいものは食べたいし、趣味にも金を使いたい
仮にワンルームに落として吉野家行って趣味も我慢するって生活に変えたら
それなりの貯蓄で老後を迎えたとしても「俺の人生なんだろう」って思うってのは予想できる