はてなキーワード: ポイントカードとは
1%還元で500ポイント以上で100ポイント単位みたいなクソカードは持たない(ファッション系に多い)
仲間よ。ナカマスダ!
毎回「作りませんか」と聞かれて断るのが面倒だから、作ろうかなと一瞬思ったりするんだけど
財布の中見たらTポイントカードとポンタカードと餃子の王将カードととんかつさぼてんスタンプカードとTOHOシネマズカードとツルハドラッグポイントカードとモンベルカードと石井スポーツカードとANAマイレージカード持ってました
私、Tポイントカードっていうか、ポイントカード全般持ってない。唯一持ってるのが、定食つくとスタンプが溜まる大戸屋のポイントカード。
まず、「なんでそんな勿体ないことしてんの!?」と驚かれた。彼女にしてみれば、「タダで買い物をしたお金の内の何%だか戻ってくるのに使わないなんてありえない」という感覚らしい。
そんなに順を追ってたわけじゃないけど、私は一応こんな風に説明した。
・カードをいちいち出す手間が嫌い
・カードを持ち歩く、持ち物空間の一部をカードに占有されるのも嫌
・ポイントがつくと思うと、そのポイントがつく店で買い物しないといけない、というように自分の行動を拘束される感じも嫌
ビタイチ納得してもらえなかった。
話していて分かったんだけど、私と彼女の間には、「コストの種類についての意識」という壁がある。
要は、「金銭コスト」以外のものをコストとして理解していない。
何を言っても「いや、だってお金かかるわけじゃないじゃん」と返される。ここまで価値観が違うもんなのか、とちょっとびっくりした。
ただまあ、どっちかというとそういう感覚の人の方が多いのかも知れない。私は、単に「返ってくるベネフィットが、かかるコストに釣り合わない」と思っているから持っていないだけだけど、そっちの方が偏屈なのかもな。
新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。
小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。
非常に面食らった。
まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。
なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化が存在しなかったし、他人を「金持ちだから羨む」という人に初めて出会った。
そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供の教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。
加えていうと中高一貫の女子校ではバイトが禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)
私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。
かかった学費のことを親は何も言わない。
「医学部に受かってよかった。」
それだけである。
またさらにびっくりしたのが、
どこかに遊びに行こう!となった時に
と言われたことだ。
「お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。
遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルでランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)
遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化。
そんな文化があることも知らなかった。
というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏だから節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである。
現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。
田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。
友達と遊ぶ時はテレビか雑誌で特集していた店に行き、大きくなってからは食べログの評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れたら伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセールで爆買いしてみたり。
レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。
地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードのポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである。
前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチのロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。
他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである。
地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。
小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ。
何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ。
でも私は知っている。
たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、
医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。
私たちはちょっとだけ努力するのが上手だったか、ちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ。
夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。
私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。
うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ。
「昨日、コンビニにいたね」
いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから。
東京は、何をしてもいい。
何をしても、誰も何も言わない。
近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。
早く卒業したい。
早く東京に帰りたい。
生まれ育った土地が自分には一番合っているというだけなのに、田舎と東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。
だからこっそり、ここに書く。
俺が画像見せたりした時とか
当然のように俺の携帯を取り上げて操作し始める奴なんのつもり?
「明日の予定なんだったけ?」と他人の手帳を我が物顔で拝見したり、
ポイントカードをなかなか見つけられない友だちから「ほらかしてみ」と財布をもぎ取ったり。
やってることはこれとなんら変わりはない。
それがなんで携帯なら許されるみたいな風潮が出来上がってんの?
言い訳がましく「良かれと思って」感醸し出してるけど、他人に携帯を操作されて役に立ったことなんて一度もないし。
一番酷かったのは「このスマホ壊れてるからショップ持っていった方がいいよ。(ドヤ」とスイッチコントロールが起動した状態で返されたこと。