なんか「おーいお茶」の商品名が(一部の人の間で)問題になってるらしい
「おーい、お茶(持ってこい)」と言うのが妻に茶を呼びかける夫の姿だという連想らしい
現在、その(茶汲みは女の仕事的な)文脈で「おーい、お茶(持ってこい)」ってCM流したんなら
いくらでも叩けばいいけど、そうじゃないでしょ?
「自分がそう感じるからダメだ!」って言う理論なら「"置換"と言う言葉は不適切で変更すべきだ」と同じ言葉狩り族と同じですし。
https://togetter.com/li/1221958
の話。
そういう風にも取れるけど、そうじゃない風にも取れるものに対して
あたかも、男尊女卑的な使われ方しかしてなかったみたいな物言いはどうなんですかね・・・
しかも記事内の人の時制が現在に対して、修正云々の人は過去の事を言ってるんですけど
彼らはどうなれば気が済むんですか?
戦闘力たったの5か・・・とは漫画ドラゴンボールでの有名な台詞です。
サイヤ人なら戦闘力が重要な要素ですが、地球人なら一体何が計られるのでしょうか。
常識力たったの5か
学習力たったの5か
記憶力たったの5か
技術力たったの5か
思考力たったの5か
想像力たったの5か
発想力たったの5か
人間力たったの5か
挨拶力たったの5か
教育力たったの5か
体力たったの5か
世渡り力たったの5か
コミュニケーション能力たったの5か
金がないでどうやって生きていくの?
その時の贖罪をしたくて、少しでも救われたくて、ねとらぼにすがった。
辞めた理由は何よりも心が痛かった、それだけだ。
この3つには今日まで支えられて生きてきていると言っても過言ではない。
でも満足していた。
だからこそ心が痛かった。
クリエイティブの才能は持ち合わせていないが
生み出す事の大変さ・辛さ・世に出るまでの過程がどれだけ茨の道なのかを知っているつもりだ。
だからこそ心が痛かった。
「このサイトは違法サイトではないのか」「こういうサイトに広告を掲載する事は誤っているのではないか」
聞いてもらえなかった、それだけならまだ自分はあの会社にいただろう。
聞いてもらえなかっただけでなく、つらい言葉を返された。
心が痛かっただけではない、引き裂かれる衝撃だった。
あたかも『何当たり前の事言ってるんだ』と言いたげな上司の顔、今でも覚えている。
上司の言う通りだった、違法サイトに広告を掲載し、そしてお金をもらっている。
漫画を買った、映画を見た、CDを買った、Blu-rayを買った、DVDを買った、グッズを買った。
実にバカバカしいと思った。
本来行くべきお金の一部が自分を経由して、行くべき場所へ行っただけ。
上司からの言葉を受け、頭の中が真っ白になったその日は、反抗期が無かった自分にとって人生で5本の指に入るぐらい荒れていた。
幸いにも週末で土日を挟む、その事も相まってかいけないと分かっていながらもアルコールの力を借りて全て忘れてしまおうと思った。
悔しさのあまり、働いて得た給与で買ったとある作品を一冊ボロボロにした。
好きな作品のはずなのに、その時は憎くて仕方がなかった。
娯楽に使っていたお金は、自分が働いてもらったお金は、綺麗なお金じゃない。
いや、綺麗なお金なんて世の中にないのかもしれないが、他の人達より汚れたお金をもらい、それを本来いくべき場所へ還していた。
アルコールのせいも否定できないが頭痛がした。それでも涙が止まることがなかった。
自分の好きな漫画、好きなアニメ、好きな映画、入社してもらった給与で購入したそれらを創り出し世に出してくれた。
そんな彼らの努力の上にあぐらをかいた奴らの資金源になっていた、それがどうしようもなく許せなかった。
気が付くと涙を流しながらボロボロにした一冊を抱えて気を失っていた。
それからすぐ、友人に連絡をした。
すぐに次の勤め先は決まらなかったが、暫くして良い会社に拾ってもらえた。
違法サイトを見てみぬふりをしなければいけない、ただひたすらに胸が痛い。
自分が学生の時から違法サイトは蔓延っていたが、日常会話で出てくるような事は間違ってもなかった。いわゆるアンダーグラウンドな存在。
自分はそんなサイトを利用した。そんなサイトで読んだら、どんな作品でも必ず本を買った。
読んだ作品がたまたま面白くなかった、ただそれだけで次に生み出すエネルギーとして作り手を応援したかった。
放課後はコンビニでアルバイトをして、お金を稼いだ、波はあるが月に4万ぐらい。
そのお金で友人との交際費を確保しつつ、漫画やアニメのグッズ、円盤を買ったり、一人で映画を見に行ったり、娯楽に使った。
違法サイトというくくりで述べるなら、漫画村が氷山の一角にすらなっていない。
サイトブロッキングという根本的解決に至らない方法が進んでいくのだろうか。
違う、そうじゃない、違法サイトだと分かっていながらそこに広告を掲載し続ける企業を締め出すべきだ。
そうすれば収益の上がらないサイト運営者は自然とサイトを閉じていくのだから。
少し見やすいようにしてみたがどうだろうか。
ポジティブなコメントを多く頂く事が出来て、自分のやったことは間違っていたのか不安だったが、概ね合っていたようで安心した。
バズらせる事が出来たら、自分としては本望です。
違法サイトを少しでも無くすためには収入源を絶つこと、収入源を絶つためには評判を落とすことが必要だから。
辞めたらその時点で生活に必要なお金が入らない。あいにく貯金もない。
「自分は今までの間、違法サイトに広告を提供し、それで生活費を手に入れていた、好き好んでやっていない、こんな会社だと思わなかった。アダルト系を取り扱っている事は入社前に説明があったが、違法サイトの収入源の一つになっていたとは想像していなかった。」
家族からは「仮に違法でなかったとしても自分の良心が痛むと思ったなら、辞めなさい。」と大きな後押しをもらった。
「生活費はどうにかなる。それよりも自分の気持ちを大切にしなさい。」
「お前の心が痛むのは、お前の中で『誤った事をしている』と認識があるからだろ?心が死んでいく姿を黙って見ていることは出来ない」
多くの支えがあって自分は辞める決意をしたのだった。
辞めてから時間が経ち、自分の中で「過去の事」として片付き始めていた時に漫画村騒動が起き、ねとらぼの記事を見つけた。
なぜ情報提供したのか、なぜ今になって社名を出したのか、それは今も痛む心のせいだ。
今もクリエイティブな事に従事する人たち、クリエイター、アクター、すべての人を応援している。
その気持ちは変わらない。
嘘つきに他ならない。
ペーパーカンパニーで募集されていたハローワークの求人票を見て自分は応募した。
中にはしつこく迫り、根負けした人事担当が"仕方なく渡した"人もいると噂で聞いた。
それだけ精神の強い人だったのだろうと、一種の憧れにも似たものを覚えた。
「もう一つの会社はグローバ◯ネットとは別会社であり、子会社である」
嘘もいい加減にして欲しい。
グローバ◯ネットに籍を置く社員の多くはそのもう一つの別会社に当たる[株式会社エムエ◯ラボ]にも自動的に籍を置かされるじゃないか。
取引先にエムエ◯ラボ名義で名乗っていてもCCにグローバ◯ネットのドメインアドレスが入っている。
別会社で子会社?子会社の取引内容を全て検閲するのが親会社のする事?
少しでもクリエイティブ活動をする人々が正当に評価され、生活していける世の中になる事を日々願いながら、自分は自分のできる事をやっていくしかない。
自分が行った行為は会社にとって不利益を被るだろう、しかしあなた達の行為は更に大きな不利益を生み出しているんだ。
早く目を覚ませ、そしてその会社から逃げろ、好きでいるなら一緒に沈め。
記事で社名を伏せていなかったが伏せた。
身バレが怖いのではない、身バレする以前に異常な離職率なので身バレしない。
伏せたとはいえ特定できるだろうし、既に取られた魚拓から辿る事ができるだろう。
後は関与しない。
http://blog.esuteru.com/archives/9101964.html
このサイトに限らずまとめサイトは嫌いだ。早急に削除してください。
書いたのは自分だ。
ドラえもんがいないのび太くんは、一体どんな人生を送ったのだろう?
ADHDと診断されて半年が経ちまして、今社会人2年目を迎えたばかりなのですが最近限界を感じ始めている
メモをしたから平気と思っていても、どこに書いたのか分からなくなってしまったり
口頭で説明されると、つい上の空になってしまって気付けばはなしについていけなくなってしまったり
机の上や引き出しが汚くて業務に必要な書類がすぐに見つけられなかったり
会議に毎回ギリギリに行ってしまい5分前に来なさいと怒られたり
自分が今何をしたらいいかわからなくて、仕事が溜まって他の方に迷惑をかけたり
身だしなみもいつもストッキングが伝線していたり、服が逆だったりどこか抜けてしまう事が多い
1年目の頃は研修が主だったのでミスはするものの、そもそも業務量が少なかった
2年目になって、色んな方と連携して仕事しなきゃいけない機会も増えた。
でも雰囲気や周囲を見るのも少し苦手で、目の前の仕事につい夢中になってしまう。
ストラテラという薬を飲んでしばらく経つ。私はこういうものは薬を飲めばまともになれると思っていた。
だから自分がADHDであると言われた時は正直ほっとした。ずっと自分が人とどこか違うと思っていたから、その原因がやっと分かった気がして。
だが、薬は元々ー5だった所がー2になった程度で、どうしても普通の人と後少し差が埋まらない。私は長年の夢だった、普通の人間になりたいというものが未来永劫叶わないことをここで初めて思い知った。
優しい先輩は「最初は誰でもミスをする」と言ってくださるのだが、先輩と私にはADHDという違いがあり、それを思い知る度に酷く憂鬱になる。
仕事を辞めたい、最近ずっとそう思っている、けれど、辞めて違うところへ行ってもまた同じ事が起きる気がしてならない。
私のADHDの型は、ネットで見かけたのび太くん型というものに酷く似ている。
注意散漫で細かいミスが多く、片付けられなくて興味のないことや長い話には上の空になってしまう。そしていつも眠そうにしている。思いつきで行動するもすぐに飽きてしまう。そしてミスが多発して慌ててしまう……
ドラえもんのいないのび太くんは、大学受験など人生において多くの失敗をして、挙げ句の果てに自分で立ち上げた会社を火事で無くしてしまう。うろ覚えだけど、確かそうだったはずだ。
そんな悲惨な未来は、ドラえもんが来ることで改変される。ドラえもんが彼のミスをカバーすることで、のび太の未来は最終的にしずかちゃんと結婚し平穏なものへと変わる。閑話休題だがのび太の結婚前夜って優しい映画が私はとても好きだ。
だが、現実にドラえもんはいない。大学までは、特に支障無くぼんやりと曖昧な楽しみを享受して生きて来た。
けれど、社会人になってから余りにも辛い事が多く、家に帰っては眠るばかりの生活をしていると、いよいよ最近自分が生きてる意味もよく分からなくなってきた。
ADHDの特性の中には疲れ易いというものもあるみたいで、仕事の後や休日に疲れて何も出来なかったりすると、いつも自分の体質が憎くなる。
もう随分と長く生き、体も不自由になった祖母が、前に「早く死にたい」と呟いたのを聞いて以来、私は未来にも希望が持てなくなった。長く生きても幸せになれないのなら、今こんな辛いまま生きて何の意味があるのだろうかと。
ADHDであることを今まで関わった方全員に暴露したい気持ちにもなるけれど、きっと理解してもらえない、気のせいだ、誰にでもよくある事だ、そんな言葉に甘えるな……そんな風に言われそうで、私は誰にも言うことができない。そもそも仕事先に言うべきことでもない気もする。
それに、耳が聞こえないことと違って紙に言葉を書くなどの明確な対処法だってないのだから、解決法のない悩みを言ったって困るだけなのだ。
人に迷惑をかける人間なんて生きてる意味がないと自殺を考えたこともあるが、やっぱり自分だと怖くて首に縄を通せないのだ。
私は心が弱いので、いつか安楽死の制度とかが整うことを夢想するばかりだ。そしたら、長く生きなくたって済む。
1人で部屋にこもって好きな音楽を聴いたらゲームをしたり、ぼーっとするのが1番落ち着く。人と会話するといつも途中で集中が切れて、疲れて、早く帰りたくなる。
でも、そんな1人で生きる方法なんてありはしないのだ。
一体いつまで、ADHDを抱えて私は生きればいいんだろう。
ドラえもんがいてくれたらなあ。