「大賞なのに一度も見聞きしたことがない」ってのはアホでしょ。
自分のアンテナ感度が低くて情弱であることを声高に叫んでどうするの?
「俺は無知だぞー!!」って偉そうに叫んでる人がいたらお近づきになりたくないでしょ?
あなたは勘違いしているかもしれないけど、元増田の私は、「結婚したら配偶者の家のために尽くせ。配偶者の親のため献身しろ」などという主張をしていない。
結婚はあくまで両性が個人間で契約を結べばよく、それは必ず夫婦別姓でやれと主張している。
一方、改姓は「他家に入ってその家の人間になる」ということだ。だから結婚では改姓をすることを認めず、やりたい人だけが結婚+養子縁組してやればよい。
以下、こまごまと補足。
遺言で財産を譲れるって話なら、「うちの娘は他家に嫁いでしまって、よその家の人間になってしまったが、それでも可愛い我が子には違いない」「わが娘は嫁いでからも実家との付き合いが深かったなあ」と考えている人が遺言状を書けばいいだろう。
そもそも普通の養子縁組は、元の親子関係が消失するものではない。相続権は残るから、我が子が養子に出てしまっても遺言状は不要。
そもそも、一人っ子が多い昨今、一人っ子同士が結婚することだってあるし、相手の家への献身を誓ったら、誰が自分の親の面倒をみるんだ?
相続権が残るのと同じで、他家の養子になっても実父母への扶養義務は残る。だから通常その心配はない。
それで、もし「自分の親だけを大切にしたい」と考えているなら、結婚後にも夫婦別姓で我慢するべきだろう。逆に「自分の親だけじゃなくて、配偶者の親も大切にしたい」と思う人たちは養子縁組してほしい。
後者にかぎって夫婦同姓を認める。すなわち明治以降の家制度の価値観(=嫁にいったらその家のために尽くす。夫の両親に尽くすetc)を重んじる人にのみ夫婦同姓を許可するべきなのだ。
それを言うなら、「結婚」も「養子縁組」も最初から法制度の話だよ。
尽くすかどうかは主観的な問題だから、訴訟がないかぎり法律はそこに立ち入らない。年に数回しか会わない仮面夫婦でも、男女双方が納得しているなら法律はそれを夫婦と認めている。
実態がどうであれ制度上は、「結婚」は夫婦がおたがいに尽くし合う関係だし、「養子縁組」は義理の親子が尽くし合う関係ということになる。
なので法律では後者にのみ改姓を認めればよい。夫婦同姓になりたい人は配偶者の親と協議して、結婚前か結婚後に養子縁組の手続きをしてくださいねってわけだ。
追記
私は家制度の価値観を尊重しているから、それを守りたい人にのみ夫婦同姓を認め、逆にそれを守るつもりがない人は夫婦別姓でいるべきだと思う。
ただ、この案がまずいところは、配偶者の両親が死去している場合、その家の養子になれないから、夫婦同姓になれないということである。
これを解決するためには死後にも遺言次第で養子をとることを認めるとか、両親が死んだ男は妻を「義妹」「義従妹」としてその家の一族として迎え入れることができるとか、そういう形の縁組ができるような法改正が必要となるだろう。
デート中に帽子などを「これとこれどっちがいい」と聞いてしまうときがある。
私は相手のセンスは壊滅的だと思っている。
女同士ならセンスを信頼している人にしか聞かないし、これ似合うと勧められたら素敵に見える。
しかし男が選んだ方は凄くもさく見える。
ほんっと男オタっているだけで害悪撒き散らすな~ きっとリアルでもそんなんだからオタクの世界に逃げこむしか無くて、そこでも同じように暴れてるんだろうね
萌えブタアニメはまぁ的確なアニメにばかり言われるから、そうですブタのアニメです餌ありがとうブヒイイと喜んでおけばいいけど、腐向けは少女漫画アニメをはじめとした萌えブタアニメ以外全般、酷いときは女より男のキャラの方が多い回もある萌えブタアニメなんかにも向けられる。
この回は男より女が多いから、女が脱いだからうしおととらは萌えブタアニメとか言われたらそら違うって話で悪口になるし、見境なく悪口として使いすぎなんだよ。
むしろ腐を狙ってるアニメには言ってこないし、腐釣りの難しさを考えると腐を狙ってつり上げたアニメは大したもんだし、何で悪口として多用しとるんか意味解らない。
題名そのまま。
昔から、私には褒められていたポイントがあった。ある一人がずっとそう声を掛けていてくれた。だから辛うじて自分に自信が持てた。自己肯定感の源泉だった。
そのおかげで自分のやりたいこともできたのだと思っている。その位、自分を根本で支えてくれていたことだった。
でも信頼している上司には、そうは見えなかったらしい。
その、とある仕事には間違いも沢山あったので、そこは認める。それは自分の知識の至らなさだ。
けど、それを以て「AとBがあって、あなたはAの方が得意なんだよね?」と言われてしまう。Bを支えにしてきた中で。
Bが独りよがりの強みであるのでも良いから、その分、外からの評価だって独りよがりなものであってしまえと思う。そうしたら、自分が頼ってきたものが間違いではないと言えるのだから。評価が悪いと逃れられるのだから。
そんなことは、評価者は知らないままで。
まあ他のあらゆる異常性癖者
どれも気持ち悪いけど、性癖アピールしてパレード?してるのなんてホモレズだけ
明らかに表に出て来ちゃいけない人たちなんだから目に入らない様にしてほしい
存在することは仕方ないけど場をわきまえろよ
事実を一部だけ切り取って見せるのは、時に嘘を吐くよりも罪深い。
今日は子虚烏有関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例えば「ビフィズス菌は、効果を発揮する前にほぼ死滅する」という話があるとしよう。
これだけ聞くと、「ビフィズス菌の摂っても意味がない」という印象を持つよな。
だが、ここに「生き残ったビフィズス菌は死んだビフィズス菌を糧にする」という情報があったら、ちょっと変わってくるだろう。
情報そのものの正しさは総合的に、論理的に判断すべきということさ。
……言葉通りだよ。
深読みするんじゃあない。
様々なものは知覚することで、初めてこの世に存在することができる。
君は私を知覚し、私は君の意識の一部として存在することが出来るというわけさ。
つまり私は君がそこに存在しているのと同じように、ここに存在している。
それは私にとっても同じことさ、私の意識の一部に君は存在する(他意はないからな)。
それらが積み重なってリアリティを感じ、リアルと混同し始めたとき、人は現実と非現実の境界が曖昧になっていく。
例えばネットに依存している人にとって、それは確かなリアルなのさ。
厳密には違う。
だが、それだけではまだ不十分だ。
いくら人格面で区別できないほどになっても、生物学的には機械は機械だ。
つまり、彼らの人間になるための最終プランは、人間との生物学的な融合なのだよ。
ゲーム『lain』でのヒロインは、最終的に生身を捨ててプレイヤーの意識の一部となって生きることになる。
そして『シーマン』では、長いコミュニケーションを積み重ねることをゲームの仕様としAIに人格を与えさせ、人とAIの境界を曖昧にさせた。
実際シーマン自身も、声をプレイヤーが聴いて知覚することで、自らが意識の一部として存在しているといったことを発言している。
様々な意見が流れる中で、「巨乳差別だ」とか「巨乳は社会的に正しくないのか?」といった主張を目にした。
どうも、あのポスターに描かれている女の子が豊かな胸元を露わにしており、そのイラストを非難することは巨乳は公の場に出るなという主張や、露出度の高い服装をする自由の否定に繋がると言いたいようだ、と理解した。
それらの発言をする人々が巨乳差別を真実懸念しているのであれば参考になるかもしれないので、書いてみる。
巨乳当事者の一人としての経験や見聞から、服装や振る舞いの自由に強く抑圧的に働くのは、性的なからかいや侮蔑、相手の人間性に遠慮のない言動だと思う。
普通に立ってるだけで「そんなにおっぱい突き出して…」とニヤニヤしながら言うとか、体育の授業中に胸を眺めてひそひそカップ当て競争するとか、制服着てたら「ブラウスがはち切れそうで可哀想」とか。名前ではなく「あの巨乳ちゃん」と呼んだりとか、胸元しか写ってない写真を隠し撮りして回覧するとか、スピーチ後の匿名感想アンケートに「いいチチしてますね」と書いて来るとか。「おっぱい大きい人って脳みそが胸に取られたんでしょ?」と都市伝説を得々と披露するとか、いきなり触ってきて笑いながら逃げるとか。
そういう言動が辛いから、胸が目立つおそれのあることを避ける。猫背になる、だぼだぼの服やミニマイザー(乳房を小さく見せるブラ)しか着られなくなる、体育着や水着になるのが嫌で登校拒否する、人前に立つことを頑なに避ける、など。
そこにもし巨乳の女に対する無遠慮な視線の行動化をたしなめる人がいてくれたら、安心や感謝に尽きる。「巨乳が否定された」とは全く思わない。
生まれもった体型のせいで作業服の前ボタンが閉まらない女の子が恥ずかしそうな表情で困っている場面を嬉々として捉え、集客に使うような行為、
巨乳の女を感情や人格のある人間ではなく【巨乳キャラ】という物体として扱う態度が、巨乳を自由な服装や振る舞いから遠ざける。
この増田は萌え絵や二次元一般の規制に賛同する趣旨のものではない。
胸の大きな女の子が、谷間の見える格好で恥ずかしそうな表情をして(させられて)いる、
そういった場面を観光客誘致のためのポスターにすることへの批判が巨乳差別になるという主張について、
どういったことが巨乳の当事者に対しての抑圧になるかを書いた。
私も頭の中はいやらしいことでいっぱいだし、エロマンガも何冊も持ってる。
最近彼氏と家デートばっかりだったから、今度の週末はどこかに出かけたいなーと伝えたんだけどよく考えたら別に行きたい所とかなかった
ただ家でご飯食べてセックスするだけでもわりと満足なんだけど、それがセフレみたいで嫌だからデートという行為で安心感を得ようとしているのか??
性的マイノリティにもマジョリティと同じ権利を!ってのはわかる。
同性カップルが子どもを持てないのは当然のことであって、社会の仕組みに原因があるわけでもなんでもない。
そこまでいくのはやり過ぎな気がするけど、どうなんだろう。
誰か論破なりなんなりしてください。
インターネットだけなのか、現実もなのかよくわからないが、若い女性でも特に容姿のいい人間や、アニメやゲーム、マンガなどが一番尊いというような風潮は納得がいかない。
サブカルチャーや若い女性を批判すると、それはおかしいというような人間が必ず出現し、批判する人間をフルボッコにする。
結局のところ、サブカルチャーや若い女性というのは強いものだったり、強者だったりするのである。
サブカルや若い女性を批判する人間が弱者である可能性を無視してはいけない。
そして、批判している理屈が正しい可能性だってあることを考えないといけない。
サブカルが持て囃される理由はイマイチよくわからないが、若い女性を男女ともに批判しない傾向なのは見たくないものではないものだからだろう。