はてなキーワード: Fランク大学とは
幼稚園から高校のころまで田舎に住んでいたが、少なくとも幼稚園入園から中学卒業までいじめを受けていたような気がする。
というのも、田舎だと幼稚園の人間関係が中学校、下手すれば高校ぐらいまで固定された状態だ。
そんな状態では一人をスケープゴートにし続けて集団の結束を図るということが行われる。実際にそのターゲットに自分が選ばれた。
だけど、どんなことをされたかを思い出そうとしても思い出せないというか、頭が強く締め付けられるような感覚になって思い出せない。そのうち動悸とか眩暈もしてくる。
ただ「怖いことがあった」「(親や教師の言うことに逆らうと/従っても)ひどいことになる」という感覚だけがこびりついている。
ついでに親や教師の言うことには服従していた。なぜなら教師の言うことに逆らうと恐ろしい目に合うからだ。だからといって従っても同年代から恐ろしい目に合うので世話がない。
高校まで大体そんな状態だった。大学進学の際、誰も来なさそうな遠い田舎にある無名の小さなFランク大学に進学を決めた。
推薦入試も「同級生に進路が知られて襲われるのではないか」という疑念がぬぐい切れず受験せず、センター試験利用一本という一番楽な方法で受験した。
あと、進学先が特定されないようにダミーでそこそこ名が知れたマンモス私大に合格したり、架空の大学の合格証書(今考えると有印公文書偽造でガチ犯罪)をこれ見よがしに机に置いたりと偽装工作を繰り返した。
しかし同じ学校に通っていた人間が同じ大学に進学してきた。その瞬間目の前が真っ暗になった。
同じ学校の人間が地元の連中を引き連れて自分のところに「お礼参り」に来てひどい目にあうのではないか。その恐怖が大学時代続き、半分息を殺しながら生活し続けた。
結局大学院進学の時にようやく地元の人間から完全に縁が切れた。とはいえ大学院に在籍していた時も「また地元に引き戻されていじめてきた連中におびえる生活をしなければいけないのではないか」という疑念もぬぐい切れなかった。
その恐怖のせいでM2後期のころには精神がボロボロになった。一応お情けで修士号は貰い、フニーターや雇われ研究員になったりもした。
しかし意識的か無意識か地元の人への恐怖心はぬぐい切れず、結局精神が完全にイカれてしまった。
最終的にうつ病だの○○病だのという診断は降り、色々書けないようなイリーガルなことをしながら小銭を稼いで食いつないできた。とはいえ別件でトラブルに巻き込まれたせいでなけなしの小銭も吹っ飛び無一文になった。
このあたりに関しては色々後ろ暗いこともあるので込み入ったことは書けないということは許してほしい。
両親は経済的理由から自分を実家に引き戻したがっている。ただ、地元に戻ったら同級生に襲われるのではないか?また酷い目に合うのではないかという恐怖はぬぐえない。
その恐怖から十数年間必死に逃げ続けてきたが、地元への強制送還というかたちで逃げる手段がなくなったなら恐怖のあまり精神が完全に無になってしまう。
実家のある地域の閉鎖性を鑑みた場合、どこかで地元の同級生にあう可能性は高い。そんなことになったらと考えただけで全身が凍り付きそうになる。
ついでに親にこのことを話しても「それはお前が劣った人間だからだ」と糾されるのがオチだ。そもそもいじめっぽいことをされていた時期ですら、学校を休むという選択肢はほぼなかった。
なぜなら学校を意味なく休めば長田百●子がやってきて「お前を施設に連行していじめ倒す!」みたいなことになりかねないからだ。実際自分が小中学生のころはそういう番組が頻繁に流れていた。
そういうさらに恐ろしい目に合わないためにも、親の期待する優等生を演じるしかなかった。だから親も本当は信じられないというか、自分にとっては恐怖の対象でしかない。そのほかに信じられる人間もいない。
一度認知行動療法を受けようとしたことがあったが、「自分のことについて考えよう」というテーマが出た途端頭が締め付けられるような感覚に襲われた。動機もした。
それは「お前が酷い目に遭っているのはお前が全部悪い!お前は劣等だから酷い目に遭って当然!」ということを眼前に提示されるからだからだ。
実際「自分がいかに卑劣で極悪な人間か」「自分はおぞましいことをしながら生を貪る自己中心的な外道だ!」「自分に比べたら凶悪犯罪者の○○なんて聖人君子」ということはずっと考えている。
逆に自分をほめることは「悪徳の栄えの一丁目」でしかないと思っているため、絶対にしないよう心掛けている。
もうぼろぼろなので「あと2年ぐらいでお迎えが来そうだ」とも薄々感じている。お迎えが来る前に自分の苦しさの正体がなんであるのか?ということを詳しく知りたい。
PTSDなんだろうかね?
余談
子供の声を聴いただけで動悸が止まらなくなったり、全身が硬直したりするのだが、これも学校での酷い経験があったからなんだろうかとふと。
通わなくてもいいらしいし。
ない。
マジで試験なしで入学できた。書類出すと入学許可証がきて、コンビニで金を払って終了。
入学はもう2年も前のことだから記憶は曖昧だけど、地味にビックリした。
いや、いいんだけど、学生証が届く前から専用ポータルサイトから授業が聞けるってのが変な感じで、じゃあ物理カード要らないんじゃね?
っと。
入学手続きじゃなく別のことなはずだけど、なんかの証明書発行で現金書留か郵便小為替が必要になったりして、今時マジで?って思った。
もう書いちゃったが、そんなわけでテレビみなくてもネット配信がある。
iPhoneからだとSafariしか対応してないのが不満。それにテレビにミラーリングも出来ない。
大学の教科書って、普通の本屋で買える本(と言っても漫画と週刊誌と小学生のドリルくらいしか置いてない俺の町の本屋にはもちろんないが)なイメージだったけど、全教科とも授業に合わせて製本して出版してるみたい。
テキストを一回読むか、放送を一回みるかのどちらかで単位認定試験は受かる程度になる。
後述するが、カンニング放題なので、テキストで勉強したほうが「たしかあの辺に書いてあったな」ってなるので有利だと思う。
試験が基本的に自宅なのでカンニング放題だし、テキストから逸脱した問題がでない。
カンニング放題なんだから、もう少し応用問題にしてもいいと思うけど、意外と平均点が低い。みんなカンニングしてないのだろうか。
易しいとはいえ、科目が多いとスケジュール的にきついから、働きながら4年卒業はかなり大変だと思う。
シラバスっていう冊子に授業の内容が書いてあって便利。
単位認定試験がカンニングし放題で事実上ザルなので、単位認定がレポートの科目はおすすめできない。特に、なんとか入門、基礎からのほにゃららって科目は総じて簡単。数学化学物理はほぼ高校の授業以下。これで大学なら単位としていいんか?って感じだけど、すっかり中年の衰えた脳みそにはうれしい。
あと、内容が似たような科目がある。例えば、身近な統計と統計学は覚えなくちゃいけない数式は一緒で、試験の難度だけが違う感じ(といってもカンニング放題だし問題ない)。
独断でいうと、文化芸術系の科目はは聴いてて面白いが、試験もレポートも嫌い。
情報系の授業は、高校でやってない数学記号が出たりして面食らうけど(計算するのはコンピュータだからなんてことはないのだけど)。
officeのサブスクが安いんだけど、3月更新固定だし、Amazonとかで値下げ時を狙えばそんなに差額はない。iPadはたいした値引きじゃない。
Windows派はLenovoの学割でx1carbonだね。
映画や美術館は興味ないけど、そんな数百円ケチってどうすんだ?って感じ。
教養学部だし。
httpとhttpsの違いとか、チコちゃんに聞かれそうな小ネタをたくさんしれる。
そんくらい。
まだ、2年しか在学してないし、もうオッサンだし、卒業後就職に役立つかとかは知らん。
あと、面接授業っていう実際にF2Fでやる授業に行って、若い女の子拝もうと思ったんだけど、思ったよりジジイババアばかりだった。
看護学部に進学した友達がいるんだけど、その子が大学入ってから激変して困惑してる。
この前卒業してから半年ぶりくらいに会ったんだけど、なんだかこちらを馬鹿にしたようなというか、看護学を高く見てそれ以外を見下しているような言動がかなり多かった。
看護実習の大変さは分かるんだけど、あなたには絶対にできないよwみたいなことちょっとカチンとくるんだよね。
彼女の大学はいわゆるFランク大学なので、受験を楽した分大変に感じるだけ(今までまともに勉強してこなかったから)なんじゃないかと思っているんだけど……。
看護学部に進学した友達がいるんだけど、その子が大学入ってから激変して困惑してる。
この前卒業してから半年ぶりくらいに会ったんだけど、なんだかこちらを馬鹿にしたようなというか、看護学を高く見てそれ以外を見下しているような言動がかなり多かった。
看護実習の大変さは分かるんだけど、あなたには絶対にできないよwみたいなことちょっとカチンとくるんだよね。
彼女の大学はいわゆるFランク大学なので、受験を楽した分大変に感じるだけ(今までまともに勉強してこなかったから)なんじゃないかと思っているんだけど……。
評価システムの違いは個人個人にとっての難しさの順には影響してこないと思うんだ
Fランク大学よりは司法試験の方が難しい、勉強に時間がかかるということは多分ほとんどの人間にとってあてはまることで、それ以外の微妙な比較についてもおおよそ全ての人間にあてはまるような順序付けがあると思う。資格A、B、入試C、D、Eがあったとして、その難しさが難しい方から順がA→C→B→D→Eであるという事実は99%の人間にあてはまるみたいな。ごく一部の人の中では相性の問題で一般にはちょっと勉強すれば誰でも受かるような試験が難しくて、難関と言われるような資格が簡単みたいな場合は1%未満という感じ
現行の制度では高校卒業程度の学力(能力)を本質的に証明するためには大学に進学する必要があるから。
日本の高校には卒業試験がなく、また、卒業に必要な単位認定は非常に温情のこもったガバガバ基準で行われている。
これは不寛容方式で大量の高校中退者を出してしまうと格差社会化や社会不安に繋がるという現実的な要請があるからだが、結果として高卒者が本当に高校卒業程度の学力を持っているか判らなくなってしまった。
「大卒が何かと有利な割に大学で学んだことが仕事で活かされていない」といった話はよく聞かれるが、社会や企業が求めているのは実のところ高校卒業程度の学力を持っていることの証明である。
なので、本当に大学レベルの専門知識を求めている企業は修士卒の学生を採る。高卒と同じように学部卒が本当に学部卒レベルの学力を持っているか判らないからだ。
修了の認定が甘々だとこのように余計なマージンを挟まなければならなくなってしまい、ある種の非効率が発生している。
ツイッターなどで時々「無駄な大学が多い」だの「高卒者でもまともな職にありつけるように」などといった言説が声高に叫ばれるが、無駄な大学が多いのも高卒者が軽く見られるのも卒業認定の信頼性が低いからだと考えられる。
ところで、俗に言うFランク大学はセンター試験の得点に関係なく入学できるため高卒程度の学力は証明できない。大卒であってもより上位の大学と比べてあからさまに不利なのはそのためである。
しかし、それでも大学に通わせられる安定的かつ良好な家庭に育った子息であるとの証明にはなるのでただの高卒よりは若干信頼される。
端的にまとめると、高卒者にはブランドがないのだ。ブランドがない者は軽く見られる。
結局、上記で述べた不信感を一掃するためには厳格な卒業試験を設けて高卒のブランディングを図るしかない。
しかし「おれは大卒にもひけをとらない優秀な高卒だ」とツイッターなどで口角泡を飛ばしている人たちのうち何割が、こういった種のペーパーテストをクリアできるのかは極めて疑わしいところではある。
仮に数Ⅲや基礎ではない方の物理・化学など一部の選択科目を除くとしても、数ⅡBや物理化学基礎をまともに理解して卒業した高卒者がどれだけいるというのだろうか?
この提案はごくひとにぎりの「優秀だが大学には行かなかった高卒者」にまっとうな評価を与える代わりに、大量の高校中退者を生む能力差別的発想でもある。
私立大学等経常費補助金
私立大学・高等専門学校などの教育と研究条件の維持向上、学生の経済負担の軽減、経営の健全化を目的に交付される、国からの補助金。教職員の給与、教育・研究の経費に当てる一般補助と、生涯学習時代の社会人教育、学習方法の多様化などの特定の分野や課程に対応する特別補助とがある。私学助成金。
私学助成の充実:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002.htm
Fランの問題
奨学金が支える「Fランク大学」の葛藤と不安1300万円のハンデを負って通う価値はあるか:東洋経済
https://toyokeizai.net/articles/-/115203?display=b「日本の大学経営が、奨学金という名の借金で支えられていることは、まぎれもない真実。パチンコホールにサラ金のATMが設置されて批判を浴びましたが、今の大学はこの状況と重なる部分がある。大学に進学したかったら奨学金を借りてこい、というのですから。何とも気が重いことです」
日本学生支援機構の遠藤理事長が言う、「奨学金の貸与にふさわしい教育サービスを提供すること」の必要性をもっとも実感しているのが、われわれFランクの大学です。「少人数で、面倒見がいい」ことを大学としても掲げているけど、こんなことは経営の大前提なんですよね。
学生には「勉強する意味」から教える必要がある など高等教育として意味をなしていない
大学教授は教員。大学は専門家を育成するところ
1. 高等教育と呼べる質がないことは明白なのに税金が投入されている大学の存在は問題 anond:20190216104925
2. 研究拠点としては機能していて、研究結果をちゃんと発表していたり、企業と協業してたりはするが、教員としての自覚がなさそうな先生方が多い。潰して研究開発法人にしたら?
↓
↓
■学校教育法 第3条、第8条及び第142条の規定に基づく「大学設置基準」
第十四条 教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。
学ぶ意味から理解する必要がある高等教育に適さない学生の存在は問題ではあるが、教育を放棄する教員の存在も同じくらい重大な問題
あと、SNSやメディアで大暴れしている方々とか、専門外に言及してる方々とか、いい加減なんとかしませんか?
なお日本の研究者数は主要国中第3位
企業が研究者数全体に占める割合57.4%、大学等が38.0%、非営利団体・公的機関が4.6%と、企業が約6割
人口当たりの研究者数は、日本が52.2人(2016年)で、韓国が70.5人、ドイツが48.7人、英国が44.4人、米国が43.0人(2015年)、フランスが41.7人(2015年)、中国が12.2人である
大学等の研究者数 を人口比で算出した場合は、英国を下回り、ドイツ、フランスと大差のない状況
https://www.stat.go.jp/info/today/119.html
https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2018/RM274_22.html
研究開発法人とは
国立研究開発法人とは、日本の独立行政法人のうち主に研究開発を行う法人で、個別法によって定められたもの。
独立行政法人通則法の一部を改正する法律(平成26年法律第66号)によるもので、2015年(平成27年)4月1日より施行された。
科学技術に関する試験・研究・開発にかかわる業務を5~7年の中期的な目標・計画に基づいて行う。 https://www.jst.go.jp/link/agency.html
■改正前の研究開発法人はこうだったら良いよね懇談会(平成22年) :文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/gijyutu/015/gaiyo/1292055.htm
○大学にはないような独創性、国際性、自由度を強く保障する研究体制を構築し、人材の厳格な評価、国際公募の実施を行うべき。一方、若手人材に対する助言機能の充実、また彼らに雑務をさせないことなど、研究開発法人には優秀な次世代エリート研究者を育成するシステムが科学技術振興国との差別化の観点で必要。
○研究開発法人は、民間企業の研修員を受け入れることなどにより、研究開発関係者の育成に対して積極的に貢献するべき。
○研究開発法人には、科学技術を国民につないでいくこと等の重要な機能がある。
○若手研究者がいきたがるような、輝くような研究開発法人が必要。輝いているところには資金も集まる。いい人材を引っ張り合うような競争、売りを作り出すようにすることが必要。
なおそれなりの給与は貰っているように見えます
7 . 記者 822
9 . 歯科医師 757
16. 技術士 572
18. システムエンジニア 550
今の仕事に多大な不満を覚え、自分を変えてみようと行動して見ることにした
たくさんの本を読んだ、とも呼べない冊数だけれども、なんとなく読書会で出会った人たちが言いたいこと、伝えたいことは分かった(ような気がする)
人生は既に100年時代に突入していて、老後にもらえる年金だとか、今までに稼いだ貯金だとかじゃまともな生活は送れない
自己防衛おじさんが言っていたことをネタとして笑う人は多いが、その本質を深刻に考えている人はどのくらいいるだろうか
少なくとも、会社という組織に所属して給料をもらい続ける、そういった生活をすることに対するデメリットの数は計り知れない
あと40~50年も同じことをし続けるのか、顧客と会社に板挟みになって、毎日頭を抱えながらやれ「責任」だの「実績」だのを求められる
それなのに、生涯年収は1億にも達せず、老後抱えている貯金額はおそらく1000万も無い
幸せな生活ってなんだろう、どうすれば人生を楽しく過ごせるんだろう
考えても考えても、わからない
帰ってくる言葉は、「本を読み続けろ」「自分で考えろ」そんな言葉ばかりだ
答えを教えてくれなんて甘えたことは言わない
けど、あの人達は結局、自分達より劣等とされている人達をあざ笑いながら自分の立場をアピールしているだけではないだろうか
行動したくても、できない人は多い、だからみんな不満を抱えて生きている
みんなまともな頭をしているなら、みんな積極的で挑戦的な行動ができるなら、日本にはこんなにも暗いイメージが寄り付いていないはず
たった少数の「勝ち組」達が、できない人間に対してあたかも「できるようになる方法」を伝授している「ように振舞る」
なんなんだこれは
こういった文句すらも、「自己責任」や「やる気のなさ」の一言で片づけられる
あぁ正解だとも、そういう「勝ち組がダメな人間とレッテルを張る者たち」でこの国は構成されているからな
Fランク大学とか、大して儲かってない中小企業とかに努めている人間みんなそうだ
分かってんだよそんなこと
当然じゃないか
頑張る方法を知らないから、どうすることが最善なのかわからないから
いつまでそんなことを繰り返せばいい?読み続けた先に、答えはあるのか?
ただ、一つだけ確かなことがある
仕事はAIに乗っ取られ、アジア諸国にも乗っ取られ、求められる仕事はクリエイティブでセンスの求められるものだけになる
ますます無能には人権がなくなる、居場所がなくなる、人として生きる「価値」がなくなる
そんな世界が待っているんだ
本はある程度読むと「絶望」を感じるようになるらしい
ただ俺は、本をある程度読んだ結果「絶望」を感じているわけじゃない
「どんだけ読もうが、どんだけ努力しようが、それでも幸せになることは無い」という事実に絶望を感じている
なぜなら、今世の中にありふれている「正しい努力をしない人間の一人」であることを自覚しているからだ
この書き込みを読んで、今からでも危機感を覚えて活動しようと思った人はどのくらいいますか?
具体的に、どういう目標をもって、どういう行動をするか本気で考え、それをずっと「継続」させることはできますか?
・・・結局、誰も本気で考えようなんて思わないだろう
考えたところで、正解を導き出せる人間は極僅かだろう