2024-01-13

ケイティペリーラストフライデーナイト踊ったら泣いてしまった

子どもの頃から夢や目標がない人生だった。

幼稚園七夕のお願い、大人になったらなりたいものがなくて全然書けなくて、友達の真似をしてバレリーナって書いた。見たこともないのに。

貧乏な家だった。

金の話で両親、祖父母喧嘩が絶えない家だった。

中学生の頃、勉強はそれなりにしていたが将来の夢が全く浮かばなかった。

志望校も浮かばなかったか教師に言われた通りにした。

落ちた。勉強に身が入ってなかったから当たり前だ。

私が落ちたことで家庭の雰囲気さらに悪くなった。

父が自殺した。

その一年後に祖父が死んだ。

母親から暴力はどんどんひどくなった。

早く家を出たかった。しかし中卒で働ける程の能力がないことは分かっていた。

すごく運がいいことに自宅から通える範囲国立大学があった。人生で1番ラッキーだった。

そこに入った。

から金は出せないと言われたので奨学金貧乏世帯向けの補助も使った。

東京に出て働くのが夢になった。

早く家を出て自立して生活たかった。

大学生活は楽しかった。

あんなめちゃくちゃで、楽しくて、危うくて、エネルギーの溢れる生活はもう訪れないって、35歳の今ならわかる。

2011年地震内定が消えた。

私の東京進出の夢は途絶えた。

その頃ケイティペリーラストフライデイナイトを夜の研究室でよく流していた。

研究室ケイティペリー流しながら卓上コンロを使ってよく鍋をしていた。

不安もあったが本当に楽しかった。

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