はてなキーワード: ロールシャッハとは
昔は「ヴェノムってなに?」状態が普通だったのに、今では大多数の人が知っているのは何気に凄いことだと思うんだ。
そもそも俺がX-MENやマーブルヒーローを知ったのはCAPCOMの格ゲーからで、当時は知名度が低く、一部のギークかゲーマーぐらいしかアメコミのキャラクターなんて知らなかった。
それが今や多くの日本人が知っていて、スパイダーマンはもとよりキャプテンアメリカ、ハルク、ソー。それにサノスまで知ってるんだから嬉しくなってくる。
それでもたまにDCと混合してる人も居るんだけど、それはご愛敬。
個人的にはウォッチメンをもっと多くの人に知ってほしい。原作は漫画としては初めてSFのビッグタイトルを受賞しているし、ロールシャッハがとにかくカッコいい。
ネットばっか見てる人なら少なからず「自分って発ッ達なンじゃねェーの?」と一度は思った事があるのではないかと思う。
自分も大分前からそうだった。あまりにお粗末な集中力とダラけようはなんらかの障害なのか、あるいはシンプルに怠け者なのか。障害ならなんらかの対応が必要だし、怠惰なら特別な薬などないから根性でどうにかするしかないと、今思えばゼロ百的な悩みを抱えていた。
そこの所のはっきりとした線引きをメンクリで与えて欲しかったのだが、初診で受け付けてもらえるのか分からんし、どこもgoogleレビューは最悪だし、何かと理由をつけて病院には行かずにいた。発達障害の存在と、それがどうやら身近なものであるという事を知らなければ余計な迷いは生まれなかったものを……
大学で色々あって(平たく言えば留年した)相談室に行く運びとなり、その流れでキチガイ判定試験を受けた。診断狙いで敢えて「かまして」やろうかとも思ったが、模試でカンニングするようなものだし本質的な解決にはならないので真面目に受けた。
結果は詳しく思い出せないが、ナントカ傾向だのナントカ状態だの歯切れの悪い答えだった。いわゆるIQも出て、トータルで言えばまともらしいが、一点だけボコッと低い能力があった。そういった場合に得てして発ッ達認定がもらえるらしい。(詳しく知りたい人はWAIS-Ⅲで調べればいくらでもネットに情報が転がってます)自分が欲しかったのはネットでよく聞くアスペだのADHDだのとハッキリとした病名か、あるいは異常ナシ。まともですというバシッとした答えだったのだが、まともなのかまともじゃないのかという二元論的な悩みが余計複雑化しただけだった。
取り敢えず検査の結果と相談室の紹介状を握りしめて大学で聞いたメンクリの予約を取った。googleレビューは例に漏れず低かった。
初診では大学の相談室で聞かれたのと同じような事を一から説明し直し、その後数回に渡りまた別の検査を受けた。質問内容がド直球に「忘れものをよくするか」のような項目ばかりの検査もあったが、ここも一応正直に答えた。複数受けた検査の結果は何れも回答内容から考えて極めて意外性のないものだった。発達気味。根暗。抑圧的。内向的な分嫌ほど自覚している。採血もあったが至って健康ですの一言だった。何が悪ければどう精神に影響するのかすら分からない。聞けば教えてくれたんだろうけど。
あとウォッチメンで有名なロールシャッハテストも受けた。ハナからオカルトじみてるなと思い期待はしないものの、モノとして知っていたので興味はあった。が、何にも見えないシミを「強いて言えば何に見えるか?」と執拗に聞かれ、やっと終わったと思えば今度はなぜそう見えたか聞かれ、いや直感的に……と言っても「具体的にどの辺りがどう見えた?」と詰められるのは苦行だった。
これら検査山盛りセットは良い金ヅルに過ぎなかったのではないかと未だに思っているが、ともあれ結果を踏まえ、念願の薬を出すかという話に辿り着いた。無論同意。最初に相談室へ行ってから半年ほどかかった気がする。
薬を飲み始まる前には既に半期の成績が出て、今までに比べたら遥かに前進していた。以前の終わった生活を引きずりつつも、基本的に授業を真面目に受ける。ルーズリーフはどうせ失くすのでPCでノートを取る。レジュメは曜日、授業ごとにファイルを作りPCで管理。といった当たり前を真面目にやるのは案外継続できた。それでも単位をポロポロ落としてはいたが、その後薬を飲み始めてからは2学期連続でフル単だった。
まともに大学へ通う事に慣れ、授業を受けるリズムが出来ていたからなのか、あるいは薬が効いていたからなのかははっきり言って分からない。授業を受けるというある種受動的な場面以外に、能動的な作業をしようと思うと相も変わらず中々集中は続かず気力も低い気がする。目下重要な就活についてもだ。
待ちわびた薬を飲みながらしばらく過ごしてみて、少なくとも自分にとっての一つの答えが得られた。性格と障害などはっきりと線引きできるものではない。その境界にこだわるよりも、何を為すか、自分には何ができるかを模索するのが重要なのだ。具体的なものは何も指し示してくれないが、しかしきわめて当たり前かつ重要な答えだと思う。(大変失礼ながら、明言はしないがハッキリ障害と言える程度のものもあるとは思うが……)
もちろん、診断を受けて薬を飲んだら生活が劇的に改善されたという人もいるのだと思う。コンサータを飲んだらバキバキになって人生変わりました、みたいな話はネットにいくらでも転がっているだろう。真偽は知らんが。しかしそれにしても、この性格と障害が曖昧であるという意識は重要なのではないかと思う。これに気付けなければ、発達障害かは微妙だけど実は鬱かもしれない、自律神経失調症かもしれない、HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……といくらでも別の可能性にすがってしまうのかもしれない。
まあマジで無理だと思ったら変に迷わずさっさと病院予約した方が良いと思いますね。別にもし何かしら診断が下ったとして、その瞬間に「健常者」から「障害者」へ身体が変化する訳じゃないんだから。
ハルオサンのエントリーを見て自分も同時期にWAIS4を受けてたのでレポ。
もちろん了承。
今までの人生うまくいかないことがいろいろあったが一番問題なのは就業だ。
正社員経験はなく、バイト、契約社員、自営業、派遣社員と転々としてきた。
小田急サラダ油事件のニュースを見ていて「容疑者は仕事を転々とし」のところで、自分も当てはまってるなって思った。
大阪の心療内科ガソリン放火事件は、孤独に苛まれたら自分もこうなるかもって人ごとじゃなかった。
親を頼ってなんとか生きてきたが、もうすぐ限界がくる。
本題に戻る。
僕の場合はWAIS4とロールシャッハテストの2回に分けて行われた。
正直に言うとどれも楽しかった。
クイズ番組に参加しているような感覚で「やってやるぜ!」って挑めた。
それなりに手応えもあったし、これで「発達障害」って言われたら逆に困るなーって思いながら一回目が終了。
その日はめちゃくちゃ疲れたので泥のように寝た。
二回目はロールシャッハテストで、まずこの検査ってまだ現役なんだって驚いた。
十枚の絵を見て何に見えるか答えて、二周目になぜそう見えたかを答える。
wikipediaを見て知ったんだけど、心理テストにありがちな
実際、自分の答えがどういう理屈で結果につながったのかさっぱりわからない。
やっぱりというかなんというか発達障害というほどではなかったが
四つの指標のうち「処理速度」という項目だけが明らかに低かった。
今でも「処理速度」というものがあんまり理解できていないのだが
僕は燃費も悪いし容量も少ないのにアクセルはベタ踏みしかできないって感じだろうか。
全体としては「処理速度」の数値が他の数値と20~30程度の差があるだけ。
総合数値では平均的。
それでこんなにうまくいかないの?って驚きはあるが
納得感の方が強いし、簡単にいえば腑に落ちた。
今後、苦手を避けて得意を生かせるかどうかかなり不安はあるが
苦手なことがはっきりしただけで少しマシに取り組める気がする。
「生きづらい」ってワードが流行っているが自分でそう思ったことは一度もない。
ただ「うまくやれなかった」っていう喪失感があるだけ。
ちなみに保険が効いたので5000円くらいで受けられた。
それは君が世の中を作った訳ではないからです
そして、君が世の中を作ったとしてもやっぱり君は世の中に納得出来なくてクソと呼ぶのです
神が作ったとしても神の作った世の中は完璧とはいえないし、完璧であるかどうかを矮小な人間風情が理解できるはずもないので、やはり矮小な人間は超人たる神が作り出した世の中というものをクソだと認定するのです。
例えそこに無宗教だという愚か者が入ってきたとしてもです、それが先頭を走っていようと最終的にもっと傍若無人な存在がチンパンジーがタイプライターでシェイクスピアの作劇を描くような確率で世の中をまともらしくしたらしめても
やはり、世の中はクソと思うものなのです
大体、クソというものを下に置きすぎなのです
人間はなまじコンクリートや鉄を使いこなせた他人がいたばかりにクソとかいうものが不潔で不要なものだと断じてしまうのです
ですが、クソというのは人間に必要なものです。生物に必要なものです。
肥料もなければ野菜は育たず、異臭がしたりクソの形がわからなければ体調の良し悪しもわかりはしないのです。
そして、仮にクソとかいうものがなくなっても、我々は目ヤニや耳垢、身体から出る垢、瘡蓋に至るまで不要な存在だと認定するのです。
血を封じていたりするから瘡蓋はまだ有用性を認識しやすいのですが、垢に至ってはその新陳代謝が産んでいるものを理解できなければ体から出てくるベタつき、または粉です。
その点、クソというのは捻り出すもので、その苦労の結果出てくるのがあの現代社会での利用価値が汚染にしか無いと思わしき異臭を伴った粘着性の物体です。
それ故にクソというものは不要なもの、目の上のタンコブ、障害、侮蔑の表現として嗜まれているのです
ですが、そうして世の中に対してクソだと言っているとするなら
やっぱり世の中はクソだという言葉は正確ではあるのです
神が齎したもうた異臭を伴う粘着性の汚染物質は、その観点を変えれば利用価値のあるものなのだから
だから、世の中はクソなのです。
そう、世の中というクソはある観測者にとってはとても利用価値のある存在で、もう一方の観測者にとっては現状で手に余る有害な存在なのです。
そうして考えてみるなら、世の中というもの自体は多数の観測者によって成り立ってるものだから、それがクソで無益なものになったり、それがクソで植えた野菜の栄養となったり、それがクソでイカれた武士の傷を塞ぐ存在となることもあるのです。
そうして世の中がクソだと気付けた人はイカれた武士道プレイヤー達が自分達のポジティブライフにクソを塗りたくってる様子を見て発狂するのです
俺はこんなクソを塗りたくるような真似はしないぜ!と言いながら目の前に置かれたクソを前に罵詈雑言を述べることしか出来ないのです
そうしてクソに対して猛弁を奮って唾を飛ばすことでクソを臭くて冷えたビチャビチャにさせるのです
クソを目の前にしてクソだクソだと言うだけで一生を終えるのです。
私はなるべくのこと、このクソを肥料にするか、メタンガスが誘爆を引き起こすまでになんとか利用するかを考えてはいるのですが
まぁ最近では自分のケツに付いたクソを拭くことすらままならなかったりするので、トイレットペーパーに付いたロールシャッハテストを眺めながら
えんがちょと呟くのでした
Twitterで話題になっていた「同人女」に関するマンガを読んだ。面白かった。
大分流行に遅れてしまったけれど、このマンガにまつわるエピソードを語りたい。
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176?s=20
まず、「面白かった」、というのは「ギャグマンガとして面白かった」という意味だ。
ラストもその執念がちょっと空振りする感じ(うまくいえないけれど)がギャグ的に楽しかった。
Twitterで流れてきてサクッと読め、クスリと笑えるマンガとしては最高のバランスだ。
わたしは、これを「ギャグマンガ」として読ませていただいた。作者さんのファンになった。
Twitterで巻き起こったこのマンガに対する「語り」は、別次元に発展し、
同人女たちが共振し、ときには己の古傷を語りだしたありさまは、魔法で裁判にかけられた人みたいだった。
特に、わたしがタイムラインで見た「おけけパワー中島」への「心乱され感」がすごかった。
といった嫉妬・憎悪方向への共感があったことに驚いてしまった。
特に、
といった、冷静と情熱のあいだ、みたいな言及が、私にとっては恐怖そのものだった。
おけけパワー中島は、悪くはないのに人の心を乱す……?
ヒトノキモチ、ワカラナイ……コワイ ……
同人に参加する多くの人はアマチュアで、「作品が好き」という気持ちが昂ぶった帰結として、
「大金を使って本を出す」という狂気の趣味だ。意味がわからない。
この愛に狂った感じが心地いい。
結婚や出産・昇進、病気……理由は様々だが、自分では本は出さなくなった人もいる。
同人活動も生身の人間がやっているものなので、対人・金銭トラブル等の噂は耳にするものの、
基本的には「自分が作品に狂っている活動」を粛々と行っているように思えたので、
こうした「他人へのイラつき」みたいなものをカジュアルに表明されるのに驚いてしまったのだ。
私にとって「おけけパワー中島」は、初読のときには「神作家のフォロワーに一人はいる軽いノリの人あるある」程度だった。
私の経験でも、ものすごく上手な同人作家さんはなんとなく気軽に話しかけづらいものだが、
たいてい一人は非常に仲の良い人がいるので、楽しそうだな~と思いながら眺めているのが常だ。
もしリアルの友人が同じことしていたら
「ちょっとストーカーっぽい思考だから、しばらく同人から距離おいたら……?」と言う。
もしくは、
「そんなに仲良くなりたいんだったら、まずは挨拶とか萌え語りとかしてみないとスタートラインに建てないんじゃない? 」と言う。
七瀬さんは仲良くなりたいわけではなさそうなので、地雷を踏み抜きそうだなとも思う。
でも、千と千尋の神隠しで、「カオナシ」が千尋に金を差し出して気を引こうとしているのを眺めている気持ちになってしまう。
クソデカ感情の一方通行現象は、同人誌の中だけでお腹いっぱいだ。
「人に認められたい」「人に見られたい」というのは、ときには苦しいものなのではないかと思う。
承認欲求というのは自力では解決できない側面があり、努力で100%解決できるものではない。
"地獄になりやすい欲求ランキングトップ3(私調べ)"なので、
趣味である同人に持ち込むととてもじゃないがやってられないだろう。
そんなこじれた感情は、思春期で経験して割り切っていてほしいものである。
七瀬さんに対しては、「相互フォロワーになることと、pixivのブクマを超すことだったら、後者だけに絞れば?」とも言うかもしれない。
ブクマ数は努力という自分の責任になり、他人をコントロールしようという衝動から逃れるすべだとおもうからだ。
そんな価値観を持つ私は、
おけけパワー中島に心を乱される同人女の人とは、仲良くなれないと思っていた。
でも、そうではなかった。
Twitterで仲良くしてもらっていた人も、実際に経験していたようだし、
その気持を表明できる程度には、よくある話なのかもしれない。
いや、もしかしたら心を乱されないほうの人が少数派なのだろうか?
おけけパワー中島みたいに、「悪くはないのに人の心を乱す」存在はいくつもバリエーションがあるのかもしれないし、
わたしも、人知れず、誰かを傷つけたり恨みを買ったりしているかもしれない。
コワイ。
「おけけパワー中島」は、同人女のロールシャッハテストみたいなものだった。
彼女を見て何を感じ、何を語るか。それはその人の価値観や経験が色濃く反映されているのだろう。
もちろん、物語への没入能力が高い人は経験ないことにおいても”共感”ができるので、
実際に経験をしたことがなくても「おけけパワー中島に心を乱されるのあるあるだよね~」となるのかもしれない。
「おけけパワー中島」によって、
【価値観が異なる世界をまた一つ知ってしまった】という単なるカルチャーショックである。
カルチャーショックの対処方法は「そんな世界もあるんだな」って割り切ることしかない。
本作含め『ダークナイト』とかもネタバレしてるんで嫌な人は読まないでね。
オッスおらメンタル壊した歴ありの発達障害&ナルコレプシー持ち!
どうにかこうにか大学出て何だかんだ正社員で10年ぐらい働き続けているよ!
壊したメンタルの治療のために飲んでた薬が身体的依存性がある(切らすと離脱症状でゾンビみたいになる)おかげで
あとナルコ用の目覚まし薬も社会人に擬態するためには欠かせないね!!
最近の悩みはこの状況下でメタボ肥満で肝臓がイカレ始めていること!トシだね!
慌てて有酸素運動してるけど、走ると膝を壊すから室内バイク買って漕ぎ始めたら
ケツに蒙古斑も真っ青なアザができたよ!!
アメコミは全然詳しくないよ!バットマンもダークナイト信者だったって程度のニワカだよ!スーサイド・スクワットは観てないよ!
「『ダークナイト』の主役はバットマンやぞ」とかそういう細かい話はおいておく。
アーサーは結局作中ではジョーカーにはなってないし結局今後もなれないんじゃないかとしか思えない。
だってアーサーは(自分に都合のいい)妄想が現実レベルの彩度で日常生活に融合してくるような病気と、
自分の意のままにはならない、投薬があんまり効いてないっぽい発作を持ってて、
それを差っ引いても"普通に振る舞う練習"(サントラの曲名のひとつ "Learning How To Act Normal")をやっちゃうタイプじゃないか。
作中の走ってるシーンは冒頭の1回を除けば全部「何かから必死こいて逃げ出す」場面ばっかりの人間じゃないか。
人の考えの裏をかくことができて当たり前、必要なら自分で自分の死体に化けてのおとり役もこなし、
メイクオフすればあの傷もちの顔でありながら市民に溶け込める、溶け込む方法を考えて実行できる。
ジャック・ニコルソンのジョーカーでもいい。
元が泣く子も黙るギャングの一員だ。人の顔に酸をかけて焼くくらいのことは簡単にするし、
毒入り化粧品だのを自力開発できる程度には気が狂っていても頭が回る。
アーサーには無理だ。
通りで仕事してるだけで殴る蹴るの暴行に会ったことのある人間、
人混みに溶け込むどころか人から注目(しかも白い目の)を集めてしまう人間には無理だ。
嘘つきランディや地下鉄の酔っぱらいや「母親」はブチ殺しても、
小人症の同僚ゲイリーはわざわざ鍵開けて逃がしちゃう人間には無理だ。
おいおい公式サイト様ともあろうもんが安い飛ばし記事みたいなこと言ってんじゃねえよ。
「いやこれ『ダークナイト』演れそうなガチ本命のジョーカーに利用されてる替え玉やろ説」とか
「ガチジョーカーがアーカムで暇つぶしにぶっこいたホラ話やろ説」とか
「『ジョーカー誕生』っていうのはアーサーがジョーカーになったってことじゃなくて
ミームあるいは概念としてのジョーカー的ななにかの発生のこと説」とか、
しかし「単純にアーサー=ジョーカーだろ、覚醒できてヨカッタネ説」、テメーはだめだ。病気なめんな。
もうね、「やめてください死んでしまいます」って感じ。いや茶化さんとやってられんわ。
あの笑い者感、笑いのツボずれてる感、シリアスをシリアルに変えるドジっ子☆属性の笑えない感がリアルすぎて笑えない。
看板ドロボーのクソガキおっかけてて途中で滑ってこけそうになるシーン、
「看板弁償しろや」言われて路地裏でダストボックス蹴っ飛ばしてて滑ってこけるシーン、
「そこ出口専用やで」シーン、
「僕たちは『ジョーカーのような人間はこうして現れるのかも』という物語で、
コミックスで言う"スーパー・ヴィラン"の男をリアルで愛すべき人間として描きました。
だから皆さんには、彼の味方でいてもらえればと思います。これ以上は無理だ、というところまで。
映画が始まる時点では、彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。
その花に、あなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。
どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」
とのことだが、「味方」というのが単に肯定者って意味じゃないのなら、
こんなん延々「ダメだアーサーよせそっちはダメだ行くなやめておけあああああ」ってなりつづけてまうやないですか。
そして「わたしたちは、なぜ『ジョーカー』のようなダークヒーローに共感を抱くのか」みたいなタイトルの記事に逆に引いてしまう。
いや、ワタクシが発達で(おおむね寛解したとは言え)メンがヘルってるから過剰に感情移入してしまってるのはわかってるが、
それはそれとして人が殴る蹴るされたり笑い者にされてたら
ああ痛いやろうなつらいやろうな嫌やろうな仕返ししたいとか思うやろうなって思わんか?健常者ってサイコパスでは???
まあともかく映画としては傑作なんじゃないでしょうか。2回も観たので3回目はもういいです。過剰摂取です。
ぶっちゃけ巨悪でもエネルギッシュな『ダークナイト』ジョーカーに癒しを感じるくらいには消耗したわ。
あとなに?ニューヨークって素であんな治安悪いの??コドモ笑わせるくらいよくない??
『ジョーカー』にここまで同情的な見方してしまってると身近な人間にバレたくないけど
(ジョーカーに同情的でない人間から「ジョーカーに同情的な人間だ」と思われること自体に、
この映画のこと考えてると上記みたいなことが延々頭から離れなくて家事とか勉強とかがはかどらないから。
自分とアーサーの相違点を頑張って挙げてけば100コくらいは何とか挙がると思うが、
自分が今この瞬間アーサーでない理由は「運」以外なんも無いなというこの感覚がしんどくて、いったん頭から追い出したいから。
「アーサーがジョーカーしないif」ルートを一生懸命想起しては破綻させてる自分の脳ミソをちょっと休ませてやりたいから。
>最後の方のテレビカメラの前で演説ぶってるシーンとか、車の上に立って観衆に応えるシーンとかも、どっかで失敗したりしないかハラハラしながら見てた。
わっかるー!!
物語的に超大事なクライマックスシーンだからまさかそういうやらかしは発生しないだろうと思いつつ、ここで発生したらマジで目も当てられないぞあばばばばばってなりながら観てました。
>舞台はゴッサムであってニューヨークじゃないしマジモンのニューヨークよりは治安悪く設定している
ちょっと検索すれば掃いて捨てるほど「ゴッサムとはニューヨークのあだ名の一つ」的記事がヒットしたのと、
ニューヨークの映画館では上映開始日に警官出てくるレベルの厳戒態勢取られたってニュースと、
あと自分が観たときには白人の大学生だか若い社会人だかって感じのグループも来てたんだけど、終わって帰るときにテリブルテリブル言ってたってのが妙に印象に残ってて、
「え、そんなリアリティあんのこの荒れっぷり…ヤバない?」と思って書きました。
良かったー現実にはあそこまでじゃないんだね!
いきなり看板パクられる気の毒すぎるピエロとかは居ないんだ!!
って思っとく!
アーサーがこれからどのようにジョーカー活動ができるというの??
社会に対して戦争を仕掛けるのは簡単なことじゃない。いっぺんやらかした後ならなおさらだ。
バッツの誕生までもたないだろ。
例えば「最後の精神病院のシーンこそが時系列的には一番最初で、カウンセラーを半殺しにして拘禁まで食らったが福祉削減もあって退院、のち本編の流れ」とか考えてみることはできる(アーサーの本質は両手に手錠状態で血の足跡を作って踊ることができるタイプの人間説)が、
血の足跡をつけて踊る人間を、定期的にカウンセリングに通って投薬を受けて仕事行って母の介助して暮らす人間に変えるための何らかの処置が病院によって行われたと考える必要が出てくるので整合性を欠く(そんな都合のいい処置あるかオイ?)。
ただ、もしそうならジョーカーは見事アーカムから合法的に脱獄を果たし晴れて野放しになったというオチで背筋が薄ら寒くなれるのでステキではある。
そう、アーサーにダークナイトの主演が演れないとしても、ダークナイトではない別のやつでもいいからジョーカーの物語を演れるポテンシャルが欲しいし、