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はてなキーワード: 法学者とは

2020-08-13

anond:20200813203221

「見ない自由」の権利正当性について、定量化は難しいと思うなあ。

これは主張している権利妥当性と人数によって、人権とか社会慣習として認められるかになると思う。

権利人権に関わっていれば、少なくても保護しようとなる気がする。そのへんは裁判所法学者が決めると思う。

2020-06-03

anond:20200531195042

法律科学は違う。科学結論が一意に決まる」って意見も、言いたいことはわかるが賛成できないな。

科学だって世のことわりの全てを明らかにしているわけじゃない。まず仮説があって、検証して、それで「たぶんこうだろう」って学説確立されて、それが通説になっているだけ。過去研究の蓄積から、正しいと「思われる」理論を探す作業。新発見でそれまでの通説がひっくり返ることもあるし。

法律だって同じ。過去何千人もの法学者たちが意見を交わして判例が積み上がってきて、正解がわからないなりにシステム確立してきた。

その知識の集積をガン無視して、素人感覚で「ラブドール被害者いないじゃん。だから適法規制とか違法とか言ってるやつは感情的。頭おかしい」みたいなこと言い出すの、科学的知見をガン無視するエセ科学信者と変わらんでしょ。被害者がいないもの全部適法にしたら、例えば飲酒運転とか賭博薬物とか全部適法になって日本の秩序崩壊するぞ。

で、単に法学を知らないのはいいよ。仕方ないよ。これから勉強すればいい。

問題は、そんな基本的なことも知らない・わからない連中が「ぼくのかんがえたさいきょうのらぶどーるほうりつろん」を開張して、同レベルのアホ共がそれを持ち上げて、バカなくせに他人バカにし出すところ。そしてバカから自分がてんで間違っていることにも気がつかない。救いようがない。

2020-03-16

anond:20200316153857

いやそれがちゃんとした法学者新書で読んだ情報だ。

まあ確かに他の裏付けがないから、らしい、と書いたんだが。何根拠だったかまた読み直して原典あたってみようかな。

2020-03-12

なぜ人を殺してはいけないのか

「いけない」って部分が雑すぎるから議論がややこしくなる

「なぜ人を殺したら法的に罰せられるのか」だったら法学者とかがスッと答えてくれるだろうし、「なぜ人を殺したら責められることが多いのか」だったら主観問題なんで議論する意味がない

これを言って粋がってるガキはバカ 

2019-12-07

法学の楽しさを書くよ!!

楽しさの一つは、論理をこねくり回してるところだよ!

体系立った理論論理トレースしていくのは楽しいよ!

理路が整然とするのは面白いよね!

かつての法学者といったら、当代切っての天才秀才達だよ!

そんな人達が生涯かけて考えた理論だよ!

それを学ぶのがつまらないわけないよ!

しかしたら、それを自分が少しだけ進められるかもしれない、となったら尚更だよ!

続いて、各分野の面白さのイメージを書くよ!

まずは憲法学

70年以上改正のない「不磨の大典」だよ!

それにもかかわらず、いまだに次から次へと新たな議論が生まれるよ!

近年(?)でも、「これまでアメリカ流に解釈されてきた最高裁判例は、実はドイツ流に解釈した方が上手く説明できるのではないか」というコペルニクス的転回めいた説が有力に唱えられていたりするよ!

アメリカ流とドイツ流をミックスさせる説もあったりして、学説カオス面白いよ!

条文にあまり内容がないから、解釈自由度が極めて高いも魅力だよ!

憲法というと一般人には縁遠い存在にも思えるけど、例えば今年の司法試験憲法問題では「フェイクニュース禁止法が制定された場合憲法上の問題点」が問われたりしているよ!

次に民法学

120年ぶりの大改正来年から施行されるというアツい法令だよ!

その条文数は1000以上!

解説本が30巻近くかけて解説したりするよ!

1条1条にそれぞれ生涯をかけて研究をした学者がいると考えると途方もないよ!(注1)

日常的に行われている経済活動が法的に説明できたりするよ!

次は刑法学!

刑法学の面白さは、なんといっても緻密な論理だよ!

いくつかの基礎的な考えからあらゆる論点での解釈を導く様は、さながら数学公理系を思わせるよ!

数学ほどの論理の厳密さはないけど、そこにまた面白さがあるよ!

ピタゴラスイッチ的な犯罪を想定したりもするよ!

ちなみに、トロッコ問題の様々なバリエーションは、正当防衛緊急避難で全て結論が出せるよ!

法哲学

マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」の世界だよ!(注2)

正義とは何か」「法とは何か」といったことを論じるよ!

法学部法科大学院を出ただけで、きちんと研究をしたわけじゃないし、資格試験のために勉強してた側面も強いけど、個人的イメージとしてはこんな感じだよ!

あとは、訴訟法もあるし、法制史学とか、比較法学、法と経済学とかも色々あるよ!

(注1)

実際は、深く研究される条文は偏ってるよ!

一方で、「こんな法律あったんだ?」ってレベルのどマイナー法律にも研究者がいたりして、法学世界の広大さを感じることがあるよ!

(注2)

同書が扱う分野は法哲学以外にも及んでいるよ!

anond:20191201042646

2019-11-19

anond:20191119044558

法学者ではないだろ。

研究者の道に挫折したが業界/学界に延々寄生し続けていたやつ。

anond:20191118202007

九大で自殺した法学者ドイツ語翻訳とかも請け負っていたらしいが、それでは食えなかったわけでな。

anond:20191118184931

わかりやすくて良いんだけど参考文献とか付けてほしいなあ

そっくりそのまま信じ込むっていう恐れが解説系にはつきまとうからこそ参考文献や主な法学者名前とか挙げておいてほしい……まあこれはインターネット解説記事全般に言えるんだけどさ

先行研究とか出せとは言わんので。まあタダでやってくれてることに文句つけるのもさもしいけどさ(タダで匿名からこそ余計に信憑性担保してほしいというのはある)

2019-11-18

ヘイトスピーチ表現の自由に含まれるか?

ヘイトスピーチ表現の自由に含まれるか、について説明するよ!

結論

定義によるよ!

不特定人を対象とする差別的表現が、憲法21条の『表現』に含まれるか」という点については、日本法学者は概ねみんな、含まれると整理しているよ!

不特定人を対象とする差別的表現について、これを規制する法令表現の自由侵害して違憲となるか(その制約が正当化されるか)」という点については、説が分かれているよ!

定義

一口に「ヘイトスピーチ」といっても、使う人によって定義は様々だよ!

ここでは、さしあたり「不特定人を対象とする差別的表現」と定義するよ!

特定人を対象とするものも含めれば、より広い定義になるし、ヘイトスピーチ解消法の定義採用すれば、より狭い定義になるよ!

表現の自由に含まれる」や「表現の自由範囲である」、「表現の自由として保障されない」の意味多義的だよ!

大きく、①当該表現類型が、憲法21条の「表現」に含まれるか(保護範囲保護領域]に含まれるか)、②当該表現規制する法令表現の自由侵害するものとして違憲となるか(規制正当化されるか)に分かれるよ!

保護範囲について

日本法学者の多くは、保護範囲に含まれると考えているよ!!

ちなみに、アメリカでは、広義の表現行為actionまたはconduct)と表現expression)とに分けたり、行為保護されない言論保護される言論とに分けたりした上で、ヘイトスピーチ行為保護されない言論として、合衆国憲法修正第1条の保護を受けないという説も有力だったりするよ!

もっとも、保護されない言論範囲はどんどん狭まっているし、保護されない言論についても一定憲法上の保護が及ぶという説もあるよ!)

違憲性について

法学者の間でも、広く合憲だとする説から、およそ違憲だとする説まで百花繚乱だよ!!

同じ論者でも、近年のヘイトスピーチの激化を踏まえてか、意見が変化したりするよ!

ちなみに、ヘイトスピーチ解消法には、同法上のヘイトスピーチ法令上は「本邦外の出身者に対する不当な差別的言動)について、その禁止すら定めてないよ!

2019-11-03

anond:20191103085433

法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。

ポルノやり玉にあげる検閲は、性差別暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別暴力を行う男性層は全く異なるからだ」

これソースある?捏造じゃねーの?

常識的に考えて「本やメディアを求める男性層と性差別暴力を行う男性層は全く異なる」わけないだろと思うんだが。

日本フェミニズムの死

昨今の『自称フェミニスト』の発言を見る限り、残念ながら日本フェミニズムは完全に死んだ物としか思えない。

そもそもフェミニズムとは『不自由だった時代女性解放』『性的自由を求めた自己決定権』を求めたいわゆる『自由を求めた人々の運動である

しかし、今日本で唱えられている主張はやれ『アニメ漫画規制しろ』だの『公共的な場所に性を想起させるものを置くな』だの、真逆の主張を続けている。

これは、日本で唱えられているフェミニズムが全て『ラディカル・フェミニズム』(急進的女性主義なのだが、これが一般的イメージの『女性に優しい社会を作ろう』というものと全く違く、それどころか真っ向から敵対している主義であるのが原因である

『ラディカル・フェミニズム』の最終的な目標は『結婚や家庭自体廃止』や、『男性社長役員廃止』『男性向け性的サービスの完全根絶』等『社会の根幹的な物自体改革』が目的活動である

しかし、海外ではこの主張は全くと言っていいほど受け入れられていない少数派、それどころか海外では主流の『リベラルフェミニズム』とは真っ向から対立している集団である

なぜ、海外では受け入れられないかというと、この『ラディカル・フェミニズム』の主張者の多くが『キリスト教原理主義団体』や『白人主義』等の胡散臭い団体所属しているからだ。

何故、普通な真逆差別主義者が『フェミニスト』を名乗っているかというと、内容をすり替えて行けば自分たちの主張を通しやすくなるため、その下準備として『女性』をシンボルに掲げているに過ぎないからだ。

(例:性的アニメ漫画は見ていて不快から自粛しろ黒人は見ていて不快から自粛しろor性的な物が公共の場にあると問題が起きる⇒〇〇教の物が公共の場にあると問題が起きる)

そのため、『ラディカル・フェミニズム』の主張者は『問題が起きる前に撤去しろ』『表現思想自粛しろ』という主張は行うが、実際に風俗営業を行っている女性賃金向上や男性の家庭への参画(いわゆる主夫)、風俗営業を行ってる女性への職業あっせんなどの現実問題への活動は全く行っていないのが特徴だ。

何故なら彼らor彼女らの目的は『女性解放』ではなく『自分差別しているもの排斥簡単に行える社会』の実現であり、その足掛かりとして女性を利用しているに過ぎないからだ。

では何故日本だけはこの『ラディカル・フェミニズム』がやたら根付いてしまっているか、というと日本奴隷として扱われた時代が無いため『白人主義』への嫌悪感が少なく、宗教観が薄いため『キリスト教原理主義』を唱えられてもピンとこないため、そういった胡散臭い団体隠れ蓑としてピッタリだからである

また、いわゆる『純血主義』が根強い国でもあるため、『自分と異なる物は徹底的に排除したがる』という国民性も『ラディカル・フェミニズム』にはプラスに働いてしまっている。

要するに『自分理解できない得体のしれない物は差別排除しても問題ない』という発想が根底にあるため、過激言動や行動が容易に取れてしまうのだ。

いじめ問題もこれが根底にあるが、本題ではないためは割愛する)

さて冒頭で『日本フェミニズムは完全に死んだ』と言ったかというと、かつて女性自由を求めて戦った『女性解放運動』は今主流となっている『ラディカル・フェミニズム』の真逆であるリベラルフェミニズム』の運動からである

かつて政府社会から規制されていた『表現自由』や『性の解放』を求めて運動していた人々の名だけ借りて、今は『表現規制』と『性の抑圧』を求めて運動しているのが今の日本フェミニズムなのである

現在フェミニスト活動が活発になればなるほど、日本過去差別的な社会に戻っていくだろう。

いや、既に一部は戻っているのかもしれない。

長々と書いたが、フェミニストの大好きな『海外フェミニスト意見』を持って締めくくりたいと思う。

法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。

ポルノやり玉にあげる検閲は、性差別暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別暴力を行う男性層は全く異なるからだ」

この言葉意味をよく考えて『何を守りたくて活動しているのか?』をもう一度よく考え直してほしい。

2019-10-13

anond:20191013105411

そしたら、日本アートイスラーム親和性があるって理論批評家イスラーム法学者でっち上げさせて売り込めばいいだけ。アート外交ツールになりうるってことをこの国は理解するべき。

2019-07-28

anond:20190728005714

横だけど、Wikipediaによると「法学者今村力三郎は(中略)量刑不当も冤罪に含める見方を示している」

2019-05-27

ツイッターみていると学者を全部業者に書き換えたくなる

もう学者さんの一部は「学者」じゃなくて「業者」みたいな人ばかり目立つし変えたらいいわ

文学者→文業者哲学者→哲業者法学者→法業者社会学者社会業者

理学者→理業者工学者→工業者、農学者農業者医学者→医業者薬学者→薬業者

2019-05-18

日本刑事訴訟では無罪推定原理が働く。その辺を歩いていて警察に突然連れてこられた全く事件関係ない人間でも、被害者確信的にこの人ですと連れてこられた人間でも、同じように裁判を受け、同じ権利を擁する。(尤も、逮捕要件は厳格なので前者である場合違法だが)

自分が突然お前は犯罪者裁判にかけるなどと言われたら理不尽が過ぎるだろう。言われもない罪でいきなり犯罪者扱いを受けるのだ。これは立派な人権侵害だ。

仮に、全くの関係ないところからではなく何かしらの事件現場の近くを通りかかっていて、それでいて何らかのの手違いで逮捕されたとする。そして裁判が行われた。裁判の時点ではこいつは罪を犯していない、それが前提となる。無罪ではなく、犯した罪を確定させるには証拠必要だ。しかしその証拠というのも明らかなものでなくてはならない。この場合にお前は犯行直後の現場にいた、という証拠が出される。およそそれは事実である。だが近くにいたというだけで犯人扱いされたらたまったものではない。だからたまたまそこにいただけではないか“,“呼び出しを受けたのではないか“,“本当に犯行の直後だったのか“など、その証拠に疑問があるのならその証拠根拠としては弱いものになる。「疑わしきは被告人利益に」、その証拠に疑問がないと言えなければ、被告人にとって有利に働かせなければならない。もちろんただ近くを歩いていただけで、犯行目撃者がいるだとか証拠から指紋採取されたなどの証拠もない。立証はできなかったので、そのまま無罪になる。何もしてないのだから当然といえば当然だ。

だが現場の近くにいた、その証拠だけで認められたらどうなるか。言われもない罪を与えられ不利益を受けることになる。何もしていない人間が罪を与えられる。それは刑事罰だけではない。ひとたび報道がなされれば私刑にも近い社会制裁だって加わる。世間はどうみるか。仕事は、生活は。これで後から無罪でしたなどと言われそう認められて、賠償等の形で補填がされたところで周囲の目や生活が元通りになるわけではないし失った時間は手に入らない。受けた評価は消せない。

そしてなにより、刑事訴訟刑罰というのは公権力個人に対して罰を与えるというものなのだ。何よりも慎重にならなければならないものである公権力が際限なく個人を罰せられるようになることの恐ろしさは戦中をみれば分かるだろう。罪刑法定主義というのはここからくる。刑法というのは、もちろん国民がこういうことをしたら罰せられますよという罰の品書きであり、それにより犯罪抑制する効果等もあるが、一方で国家公権力はここに書いてあること以外のことで国民個人を罰してはいけないという、公権力に対する抑止力としても働いている。

それは憲法規定されている。

ここまでは何もしていないのに疑惑を投げかけられた人間を例にとってきたのだから、当然の話をしているようにも思われる。

だが、こうした手続きや前提の話はある程度容疑が固まっている相手でも同様なのだ。仮に自白していてもそれだけが証拠になることは無い。

また証拠があったところで刑法に書かれた罪名と要件が揃っていなければ不当な権利侵害に当たる。

条文にあるから必ずしもそうなるとは限らない。例えば窃盗罪の条文は「他人財物を窃取した者は、窃盗の罪とし(10年以下の懲役又は50万以下の罰金に処する)」要は人のもの盗んだら罪になるよという話だ。では、他人財物とは何か、窃取とはか何か、というのが条文の解釈の話になり、要件にあたる。

ここの条文の文言がどう要件に当たるのか、それは長年法学者法律家が常に議論している問題である。おおよその基準最高裁判所判断した基準が用いられる。(最高裁じゃなくても下級審で決めた判断が使われることはままある)。

未遂罪なども行動のどこから未遂なのか、学術議論は尽きない。その中で裁判では基本は裁判例が基準になる。

そして基準となるその要件判断の中に該当しなければその罪には問えないのだ。窃盗でいえば物を盗んだからと言って必ずしも窃盗罪になるとは限らない。もちろん他の罪に該当することだって大いにある。

盗んだのなら窃盗でいいじゃないか、罪をやったと本人が認めているなら有罪でいいじゃないか

これは違う。司法がアバウトな基準判決を出したら、それは公権力による不当な権利侵害になってしまうのだ。世論がなんと言おうと、司法国家権力である以上決められた裁量以上のことはできない。法律ではこうなっていてそのためにはこういったことが必要で、満たしていないけども被害者可哀想からお前は有罪だ。

あるいは、どう頑張っても今の法律司法制度のもとでは無罪から無罪にしたけど、世間がうるさいからやっぱり有罪にするね。

これは一番やってはいけないことだ。

この間、秋田県警条例の条文上の“公共の場で“という文言に校内が当てはまらないとして立件を見送った。

立件とは裁判以前のことだ。裁判を起こしても無罪になってしまう恐れが高いのなら前述の通り裁判を起こすことにはデメリットが多い。

ここで批判すべきは県警ではなく、条例問題であろう。

ここでずっと例として罪がないのに裁判がされたらという仮定を書いてきたが実際は相当の証拠がない限りは起訴はされない。勿論、今回のように全くのシロって場合は少ないだろうし、不起訴理由証拠がないから以外にも有り得る。そういった件については課題でもある。

最近頻発する性犯罪被害とその裁判における無罪判定。これに怒りを覚える人々がいてもおかしくはない。犯罪が行われ被害者精神肉体的苦痛等の不利益を受けていながら刑事罰がなされない。納得いかないのも当然だ。

ただ、裁判の中身もみず、裁判に関する前提を無視してに性犯罪無罪=不当であるという短絡的な批判をしている人もいるのではないか。過度に感情的批判もあるような気もする。過度な批判を見ると、性犯罪は全て有罪しろ無罪判決は取り消せとでも言うような意見すら散見される。

様々な論点批判はあって当然であり、知識がない人間が口を出すなという問題でもないだろう。

ここまで知ったような口で色々書いてきたが私自法律を多少かじった程度に学んでいる人間だ。

だが、学者専門家も論じているようなものを、経緯や前提をも知りえないで批判するのは論点方向性が違ってきてしまうのではないか

小林弁護士ツイッター発言批判されているが、私は彼の発言内容を否定できない。

非難するとすれば、表現方法についてである

多分法的知識や前提を丸無視した感情論だけの批判を見ていれば嫌気もさすし、勉強もせず法について語られれば専門家からしたら悩ましいことだろう。

だが、過度な感情論から起こる一部の行動を目にして発したのが自身感情に任せた言葉を選ばない表現だったのはよくないと思う。

生物学化学理解してない一般人が、1歩間違えば命に関わる民間療法提示して、医師医学知識あるもの科学的根拠をもってそれを制しようとするのを、これを認めないのはやぶ医者だ、医者にとっては知られたら医者が儲からいから止めてくるんだ、あいつは知識が遅れている、等の批判をしてきたらもう知ったことじゃないとも思うだろう。

からと言ってじゃあせいぜい病気になってくださいねなんて嫌味を言うのは大人げのないことだろうし、死んでくださいなんて不謹慎なこと医者は言うべきではない。

弁護士だって法律知識があるからと言って、法を知らない人相手上から目線になっていいわけではないだろう。

全てが全て無罪になることはなければ、全てが全て有罪になることも無い。また特定犯罪にだけ忖度がかかっているということもないだろう。当然、処罰規定が甘いだとか、要件に疑問があるという声は上がるべきだ。しかし本気で考えていくならどうしてそういう規定になっているのか、どういう背景なのか等を調べるのは自然なことだと思う。

犯罪者人権は要らないとかって真面目に言うならちゃんともたらす結果についてとか、何故憲法保障してるのかとか調べるのも大切だと思う。

刑事罰が認められるのは他にも有責性と違法性が必要なんだけど今回は割愛

あと刑事はそういう証拠を認めさせるのが厳格なものから認められないことがあっても、民事では両者間のやりとりで事実が認められればいいだけなので勝てることはあること。

ここまで書いておいて色々間違ってたらごめんね

2019-05-17

anond:20190517102201

人権人権いってるけど犯罪者逮捕・投獄などの人権侵害をうけるのはあたりまえなんでそこにつっこみたいなら法学者に言ってどうぞですね・・

それを男性全員で引き受けろなんてだれもいってないんで一人で勝手に突っかかってるのがおまえ

正当な理由なく暴れて他人迷惑掛ける人はキチガイ

以上

2019-05-12

anond:20190511210945

著作権32は「引用無罪(公正さや目的ももとめてるが基準なし)」っていってるだけで、さっき書いたような「出典かけ」とかの具体的要件はなんとこれもインフォーマルにも「判例法」によって定められている業界慣行のようなもの。ちなみに、正しくは「引用元出典を書く(区分が明瞭)」「一字一句かえない(正当目的性、著作物改変の罪が別条に存在するため)」のほか、「主客逆転しない=地の文の方が多く引用部分を超える主張やオリジナリティがある」の全部で3つの要件があるとまとめられることが多い

https://pf.bunka.go.jp/chosaku/chosakuken/naruhodo/answer.asp?Q_ID=0000304 著作権大元じめ文化庁

なお法学者引用説明させると判例もってくるからとにかく長い(しか判決文以上のオリジナリティがない)・・

  

著作権32の中(またはそこで引用する政令などの中)でもっとわかりやす

文章著作物引用するときは出典をしっかりかけ、一字一句かえるな」とか

タイトルなどの恣意的でない要約は著作物引用ではないのでもともとやってよい(タイトル著作物でない判例あり)」ってこれからみんなで決めたらそれが新しい正義になるよね

現状はバカが「引用無罪」を拡大解釈して改変でもいいとこどりの趣旨改変でも何でもやりたい放題やる(「判例法?しったことか!」)から問題タネしかなっていない条文

から論文かくひともわざわざ32条なんか調べたりしないのもある意味正しいよね、同じ無法者として

 

いつ自分他人もうっかり著作権侵害するかわからない世の中でよくみんな平気で「執筆」してるなぁって思います

昔は出典なんかかかないほうが侵害指摘されないからやり得だったけど

今ならとくに文章ならテキスト検索ですぐバレる

インターネット時代引用無罪活用したいなら影像文章音楽ジャンルごとにしっかり基準を整備すべきなのでは。

2019-03-01

anond:20190301154806

憲法学者でもなければ法学者でもない以上、現状社会でなされている妥当判断を支持するよ。

憲法学者でも法学者でもないのに、法律以上の規範オタク押し付け表現の自由を奪うんですかぁ?

あきらかにおかしいと思わない限りはね。

結局、お気持ち特定カルチャー差別する抜け道をこうして残してある

2019-02-15

anond:20190215150340

なるほど。流石に憲法関連の勉強はしてるんだなあ。

いかにも法学者が言いそうな感じもするし。

2019-02-09

anond:20190209093025

逆に考えるんだ

じゃあどうすれば法律を完全に「殺す」ことができるか?

法の改正廃止ではなく、現行法を無いことにする方法

その法律の条文が載ってる印刷物を一冊紙一枚残らず燃やす

さらにその法律の条文が頭の中に入ってる裁判官法学者弁護士その他を全員殺せば

労働基準法? そんな法律日本には存在しませんよ」と言えるかも知れない

しかし、いったい日本全国津々浦々の書店図書館個人蔵書から千万焚書して

何百万人の司法関係者法学部卒の一般人虐殺せねばならぬか

こんなもん机上の空論やろ?

言うてみれば「円の価値」も似たようなもんやな

べつに日本銀行が「このお札は一万円分の価値がある」て保障してるわけではない

日本国民の皆が「一万円分の価値がある」て思い込んでるから流通してる

皆が「10円分の価値しかない」と思い込んだらジンバブエみたいになる

2019-01-05

anond:20190105020924

日本同性結婚が認められていない現状が違憲であるかどうか争った裁判はまだない。

ただし、憲法24条1項に「両性の合意」「夫婦」という文言があることから憲法学者の君塚正臣は、同性結婚憲法の想定されたものではなく憲法問題と認められずに棄却されると推測している[3]。

自身同性愛であることを公表している市民活動家明智カイトは、司法関係者の間に「憲法改正しなければ、同性婚は法的に成立しない」という意見があると述べている[4]。一般社団法人平和政策研究所によると、憲法は「結婚が男女間で行われることを前提」とし「同性婚を認めていない」とする解釈が「現在憲法学界の主流派解釈であるという[5]。過去には青森県憲法24条の規定理由同性婚の届出が却下されたこともあった[6][7]。法学者植野妙実子は憲法24条を根拠同性婚違憲論を唱え[8]、憲法学者の八木秀次憲法規定は「同性婚排除している」と主張し[9]、弁護士藤本尚道も「明確に『両性の合意のみ』と規定されていますから、『同性婚』は想定されていないというのが素直な憲法解釈でしょう」と述べている[10]。法学者辻村みよ子憲法24条の規定が「『超現代家族』への展開にブレーキをかけうる」として同性婚合法化障壁になっているとの見解を示している[11]。

一方で、憲法学者の木村草太は、憲法24条1項は「異性婚」が両性の合意のみに基づいて成立することを示しているにすぎず、同性婚禁止した条文ではないと説明している[12]。弁護士の濵門俊也は、憲法24条で規定されている「婚姻」には同性婚が含まれず、憲法同性婚について何も言及していないため、同性婚法制化は憲法上禁じられていないと考察している[13]。また、憲法第14条を根拠同性婚を認めるべきだという見解存在する[14]。セクシュアル・マイノリティ問題に取り組む弁護士行政書士司法書士・税理士社会保険労務士などで構成するLGBT支援法律家ネットワークは、2015年12月、「『憲法24条1項は同性婚否定していない』というのが憲法趣旨や制定過程を踏まえた正しい解釈です。したがって、日本同性婚制度をもうけたとしても、憲法24条1項に違反することにはなりません。日本憲法同性婚制度禁止するものではないということは、憲法学者、民法学からも有力に唱えられているところです」とする意見書を公表した[15]。

2018-10-11

anond:20181010203532

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

フィールドワーク統計後者理系的な手法が通じそうなんで、査読方式とかガンガン理系様式を取り入れていけば(もうそうなってるかもしれないが)いいと思うんだが。


政治学キャリアパスの話(昔はこうだったみたいな話のレベルで軽く聞いたことあったけど)勉強になった。

でも彼ら今まさに、一部の一般国民どころか国会議員レベルから軽んじられてるからなあ。御用学者反政権メディアで重用されてる人もいるんで発信力は大きいけど、肝心の法改正憲法改正の試みがひどい低レベル議論で行われているようとしているように見える。それは法学者の言ってることがどこか信頼に支えられていないところがあるせいで、話は聞いてもらえるけど究極的には信じられてなくて、システム系の専門家サマータイム支持率を反転させたような説得力を持たないせいなのではとか思ってしまう。過渡期といわれるが今後変わっていけるのだろうか。それとも政治のことは学問では上手くいかないと諦めるしかないんだろうか。


ジェンダー論でもまともな学者もいるの知ってた。こういう学問悪用騒ぎの時、高みから呆れた眼差しでみてるのどうなんだろうな。ニセ科学に対する理系の反応も似たようなとこあるし、そっちのほうが実害出てるから問題かもしれないけど。ただ法学政治学社会学教授、話聞くとコネ採用多すぎるよとは思う(優秀な人もいるけどあいつは駄目って話もかなり聞く)。理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。


物理学は2つに分けるなら実験系と理論系だと思う。前者は実験装置があってなんぼで、後者数学世界。扱う対象で言えば物性物理学宇宙素粒子物理学だろうか。物性物理学は手の届く物質を扱う学問化学と近接している。


所詮増田だしとは思ってるんだけど雑語りが過ぎたことは反省

2018-10-10

anond:20181010045052

それが査読論文があれば互いにいろいろやり取りして論文の質を高める工夫をしてるらしいよって話になる。

査読論文はあるって言ってんだろ……私の分野だと,最近の若手で査読論文なしで任期なしのアカポス就職してるひとなんて見たことないわ.

英語論文があれば、仲間内の人じゃない人からも読まれたり評価したりされてるらしいよってなる。

全てのひとが外国語論文を書いてないわけじゃ当然ないよ.私の友達にはドイツ語論文持ってるやつもスペイン語論文持ってるやつもいるし,私の先輩はIF高い国際英語誌に何本も載せてるし,日本で大規模な国際学会も開かれたりしてる.私も外国語論文は持ってます.当然そういうの持ってた方が評価は高くなりますねー.

大部分の学者ちゃんとやってると私は思ってるよ。でもその知識アカデミアに入らない国民には理解しようもないし、還元されようもないなら、あいつら何かよくわかんないけどサボってんじゃないかとか、税金かける価値ほんとにある?とか言われてても擁護しようがないじゃん。

日本語で学術出版してる(し,概説書とかも書いてる)んだから知識還元されてるでしょ.市井読書家たちは現代思想文学法学人類学歴史学社会学学術書を読んでるわけ.あなたは読んでないかもしれないけど.学術言語としての日本語の重要性,ってそういうことだよ.私たち母国語で色んな分野の最先端研究を読めるの.最近だとアウトリーチ評価されるからアカデミアの外で色々啓蒙活動的なのはやってるよ.SF作家法学者のトークセッション参加したけど面白かった→https://www.youtube.com/watch?v=RQsdc_6MGNA

それができなければ〇〇論文誌の論文は毎年学会で全部ちゃん議論してます(その結果もまとめてあるのが理想)って表明するとか(日本語できる人でいいんだが)外国学者もっとポスト招聘してうちの学会オープンですってアピールするとか面倒臭くても何か工夫をしないといけないと思う。

主だった学会学術誌には当然査読があるので(特集論文とかだと査読なかったりするかもしれない.のでふつう投稿論文読もう.たいてい査読がある),そういうのをお読みになれば.『社会学評論だって査読つきだろ,というのはあちこちで指摘されてたよね? しょーじきこんな当たり前のことを何度も繰り返すのマジ徒労でしかないんだけど.日本文学研究とか日本研究とか東アジア研究とかなら外国人の研究者や留学生普通にいるし(何度も言うようにこれらの分野では日本語が国際語なので),外国人の客員研究員を継続的に受け入れてる研究所もある.現地の研究者と共同で英語の論集作ったりしてる(査読はしてないかも).人文系での外国研究者との共同研究の一例として,ちょっと古いけどこんなのとか→http://hdl.handle.net/2115/39022

世間から知られないと,理解されないと評価されない! と言ってるけど,あなたが知らないし理解もしてないだけでは.

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