はてなキーワード: 平和教育とは
先日の選挙で立憲民主党や共産党が議席を減らした結果について、その原因を「若年層の有権者は、野党及びその所属政治家たちのことを『怒りっぽい人たち』『振る舞いや言動がパワハラっぽく見えて嫌だ』と見做して、支持せず忌避している」という仮説によって説明しようとした記事が、はてブコメントで猛烈に批判されている。
上記の記事に対して、多くのリベラル系はてブユーザーたちは、よほど腹に据えかねたのか「自民党の悪政に対しては、怒ったり反抗したりするのが人間として正しい当然の振る舞いであり、怒らないのは愚か者の証」という反発を示している。
すでに他の多くの人が指摘しているが、現在の若年層の多くは、非常に平和的で真面目である。パワハラ研修やクレーマー対策教育などの機会を通じて、現代の若者たちは「たとえ自分の側に正義があっても、乱暴な言葉や態度をとるのは良くないことである。また、悪人や間違った行動をする他人を批判する時であっても、節度を守らねばならない」と教育を受けている。中高年の集団では「悪い人間や能力が劣った人間に対しては、多少は怒鳴りつけたりするのも許される/仕方が無いことである」とか平気で言う人間がまだまだ少なくないが、そんなことを表立って言う人間が若年層の中に混じったら、よほどのDQN集団(お笑い芸人のクレーマー行為自慢を面白がるようなタイプの人間たち)でない限り白眼視されるのがオチである。したがって、上記の仮説は非常に説得力があると私は思う。
「自民党の悪政に怒らない方が異常だ!怒らない若年層はおかしい!彼らは愚か者だ!」と吹き上がっている多くのはてブユーザーたちは、おそらく日頃からリアルな若者と接していないのではないだろうか?リベラル系はてブユーザーにとって、上記のような若年層の存在は、理不尽で不愉快なことかも知れないが、まず深呼吸して心を落ち着けて、現実を現実であると認めるところから始めてみてはどうだろうか?
長年に渡ってリベラル系知識人やメディアは国民に対して「たとえ侵略を受けようと、平和憲法に殉じて無抵抗主義を貫くべきである」「戦力差があって勝てないことが分かっているのに、戦いを挑むのはカミカゼ特攻以外の何物でもない愚行である」「集団よりも個人が優先されるべきである」と説き続けてきたのである。悪政に怒らない国民、絶対多数派の与党政権に戦いを挑まない国民、我が身かわいさに声を上げるのを控える国民の出現は、無抵抗主義的な平和教育の帰結とも言えよう。今になって「怒らない/反抗しないのは間違いである」と言うのであれば、まずは「これまでの無抵抗主義を説く教育は間違いであった」「たとえ勝てないと思えても、戦いを挑まねばならない時はある」「集団のために個人が犠牲になる必要はある」と素直に認めるのが筋であろう。
リベラル系はてブユーザーたちは、現在の若年層が「もしもリベラル系の人たちが政治や行政の実権を握れば、どのような世の中になるか?」について、どのように想像しているのかを知っているのだろうか?現在の若年層は「リベラル系の人たちが実権を握った社会で『悪人』として認定された人間は、人権を剥奪される」と考えているのである。リベラル系はてブユーザーたちは「それは違う。そんなことはせず、自分たちは敵対者の人権も守るつもりである」と言うかもしれないが、そうは思われていないのである。
そして私は原爆が落ちた県の出身だが、原爆の話題はうんざりを通り越して嫌悪している。
小学生の頃から毎年原爆の日は夏休みの中登校し、暑い体育館で写真を見て被爆者の話を聞くという平和教育を受け、黙祷をする。一年で一番憂鬱な日だった。
この日が嫌で県外に進学し就職した。
県外に出て初めて、日本的には原爆の日はそんなに重要視されているわけではないのかと知った。
見るのも嫌だった原爆という字をタイピングしてるし変換できるようになった。と今感じた。
私にとって戦争=原爆で、原爆=関わりたくないものとして戦争反対なので平和教育としては成功してるのかもしれないが、子どもに自分が受けたような平和教育は受けさせたくない。
あのニュースみてもうガックリしちゃったからモヤモヤ吐き出すために書く。第一に言っておくのは、これは個人的想いであって、当然県民の総意ではないと言うこと。チラ裏だけど予防線張っとくわ。
自分は生まれも育ちも沖縄なうちなんちゅで、就職と同時に関東に来た。
地元の情報をちょこちょこと確認するために、ネットニュースで沖縄を検索して見ることが増え、沖縄の基地問題関連のネットニュースを読んだ時。
そこに出てきたコメント、それを見た衝撃を今でも忘れない。
今思えば過激なネトウヨのコメントが多くあったと思うが、それでも大多数の人が沖縄の問題を日本から遠い僻地で起きている他人事として、また基地反対派の沖縄県民を能のない異国人か何かのように扱っている様に衝撃を受けた。
国防の大事さはわかるよ、それは県民も身に染みているよ、生々しい戦争の跡が文字どおり体に刻まれているおじいおばあを見て育ったんだから。学校の校庭で不発弾が発見されることなんてざら、幼い頃から戦争・平和教育を延々と受け、米統治時代の名残を見て、米軍特権を身近に感じて、戦争とその爪痕をいやでも意識させられて生きてきたのよ
それを踏まえてのこの複雑な感情を、ちょっとでも慮ることすらできんコメントの数々。
当たり前に気分悪くなったわ。
本当にずっと不思議なんだけど、ネトウヨが普天間基地問題やら何やら、全てを「国防」と「沖縄」の問題にしてるのは何なの?
日米の不平等な関係は日本国民の誰もが知ってるだろうけど、その不平等さの実害を受けてる人間がいることをご存じない?日米の問題ではなく、国防・それを担う沖縄の問題として思考停止してらっしゃる?また、沖縄県民が戦争の被害感情で反日思想なのだと思ってる?
国防関わってんだよ。沖縄だけじゃなくて日本国民の問題に決まってんだろ。守ってもらってる上に金もらってんだから文句言うな、なんて当事者意識がありゃ出てこない発言だよ。国防関わってる重大な問題なんだから末端切り離して思考停止せずもっと身近に感じてくれよ。
あんたが日本のどこかで米兵に殺されても、米兵が基地に逃げりゃ米に守られ米兵犯罪者が正しく裁かれる保証はない、そんな現状なんだよ。個々人の安全を犠牲にして国防をとっている複雑な問題を身近に感じてくれよ。
メリットもデメリットもあることは重々承知の複雑なお気持ちだというのに、既知のご高説垂れてきて気持ちよくなる人間の多いこと。むしろ県民が米基地に反感抱く背景は、自国第一主義な右翼的考えと親和性高いと思うんだけど。そしたら「国防もやるし、日米の不平等も解決する、両方やらなくっちゃあならない」となってくれよ。米との関係維持優先の保守派だから余計なこと言うなって感じなの?日米地位協定改定訴えても、国民がそのデメリットに重みを感じてないなら当然変わるわけはないし、沖縄が個々人の安全面のデメリットを多く被る構造になってしまっているんだから、そりゃ戦前からずっと日本に切り捨てられ続けている意識変わらないよ。実際そうなんやろな。沖縄戦関連を反日とかイかれたこと言うネトウヨいるし。
沖縄の基地前で激しいデモやってるやつらの実態は正直知らん。ネットではいくらでも出てくるけど。もうしらん。
現状変える意識ないんだったらそっとしてくれ。何も論じないでくれ。
アラフォーくらいの、2ちゃんねるの創設期と大学生活が重なった世代、リアルタイムでネトウヨの誕生を観察してきた世代だと、「自分たちの受けた平和教育や人権教育は間違っていた、左翼偏向教育だった」と「気付いて」「自分で勉強して(真実に目覚めて)」愛国者が誕生した、というネトウヨ発生論が常識だと思うんだけど、(ちょうど2ちゃんねるが産まれた頃は、『ゴー宣』や新しい歴史教科書をつくる会の『教科書が教えない歴史』がベストセラーになっていた)、50代くらいで最近ネットを始めたような世代のリベラルだと、「学校で右翼教育を受けたor平和・人権教育が行われなくなった」から子供が右傾化しネット右翼が誕生したという歴史観の人がいるんだとツイッター見てて気付いた。
そういう人は、左派の教育をすれば左派の人間が育つ、右派の教育をすれば右派の人間が出てくると単純に信じているし、学校教育を信頼しているんだよね。学校教育への反発から学校で習わない「真実」に目覚めた、という構造が思い付かないみたい。たぶんその人自身が自分の受けた教育を疑っていなんだろうな。
あと、ついでに。
中学や高校でひどい左翼偏向教育を受けた!と言っている「保守」は多いんだけど、大学で左翼教育を受けた!だが自分で勉強して「真実」に目覚めたって言っている人はほとんどいないよな。中学や高校の教師よりも大学教師の方が左翼やリベラルは多いと思うし、大学の授業の方が中立性は低いのに。
きっと大学で「左翼教育」を受けても、学生は聞き流すだけで反発すら覚えないんだろうな。中学・高校で管理教育とセットで「平和・人権教育」を受けると、あとですごい反発が起きる。
ネトウヨが左翼偏向教育を受けたと被害を訴えるその本質とは、実は教育内容そのものではなく、人権を抑圧する機関としての学校で過ごしたネガティブな思い出なんだろう。
ふだん生徒をガチガチに抑圧している教師が、「在日」やら「同和」の人権を説いたところで、反発が生まれるのは当然。
ま、90年代の話ですが。
1人1フェミニズムと言うくらいにまとまりがなさそうなのかフェミニズムという思想なんだが、国家解体を目指す左翼のノウハウの集大成だと思っている。
なんでそうかと言うと彼らの論理や作戦がかつての左翼たちとそっくり。
例えばよくわからん横文字を並べてだから日本は云々言ったり、よくわからん四字熟語を作ってその図式で考えたり、思想に賛同しない人にはレッテル張って徹底的に弾圧したり、やってる事がそっくりだ。
さて、そんなフェミニズムだが、個人的にはこの思想はバラバラなのではなく、ある一つの軸があるのだと思っている。
それは、歴史は男女の闘争の歴史であり、女性はそれに敗れ、男性の不当な支配に苦しめられている
と言うものだ。
資本家による搾取、とか、そう言うのともろかぶりやんか、俺はよくこう思う。
ただ、今回巧妙なのは、社会的弱者女性を救済している(ことになっている)、と言う点だ。
もう一つ巧妙なのは、思想を体系化しないことでその根源を隠しているところだ。
かつて女性は体力的にも社会的にも弱かった。ここは誰が否定しても仕方がない。
仮に男女が分かれて体力ベースのなんでもいいがトーナメントをしたら決勝トーナメントに残れる女性はいないだろう。予選を勝ち抜く女性はいるだろうがそれも早々に敗退するだろう。
そして専業主婦であるが故に経済的にも弱かったし、女性の仕事は変えのきく単純労働がおおく、給料も安かった。
「この社会は男たちが旨い汁を吸い続けるために仕組んでいる、女たちは不当に支配されている」
男からしたらたまったものではない。家庭に対する全責任との交換によって社会的にコンセンサスの取れた立場であったのにいつのまにか不当な支配者にされている。
そして世界は男と女の闘争と言う単純な対立軸に落とし込まれ、賛成しないものは思想的な弾圧を受け、賛成しても搾取されるだけの存在に成り下がる。
女も男と同様に社会で責任を取れるように改革をしよう、法制度、働き方、人々の考え方云々変えていこう
こう言うことを言ったフェミニストを俺はまだ知らないし、実行してるフェミニストも知らない。
この辺もかつての左翼たちと同じだ。
ひたすらルサンチマンを溜め込み、社会に対する不満を煮詰めていくがちっとも改革しようとしない。もっと言うなら何が問題かなんて誰も明確にしようとしない。そして北欧は男女平等なユートピア!とか言い出す始末だ。
最近のトピックに宇崎ちゃんのポスターがあった。フェミニストが一つ気づかなくてはならないのは、男にも女にも無関心から問題意識を感じる人がいたと言うことだ。積極的にやる人から消極的な人がいたと言うことだ。これはセクハラや痴漢についても言えることだ。
女性が抑圧されている根拠はこう言った性的な認識の不一致につけ込むことでそれっぽく語られているが、その軸は男女の間にではなく、もっとグラデーションのあるものだ。
だが、フェミニズムは男女の対立がその根拠なのでこれを変えることはできないし間違っても直視するわけにはいかない。思想は無謬でなくてはならない。思想に与しないものはなんらかの形で排斥しなくてはならない。
そこで言い出したのが、名誉男性だ。これを初めて見たのは小林よしのりの漫画だけど、この時は女としての意地も思想もなく男に取り入るだらしない奴らと言う意味合いだったが、これがいつの間にかフェミニズムに同意しない女になっていた。
次に、賛同する男だ。これはフェミニストたちの勝利、成果としてアップデートされた男たちと言う称号を得ている。だが、それによって彼らは何か得られたのか?単に搾取されるだけの存在に成り下がってないか?ますます消耗品にされてないか?
興味がないといえば、消費する側だもんねと言われる
反論すれば一足度に差別主義者とレッテルばりされて袋叩きに合う
たしなめようとしても同じだ。
過去の歴史を紐解いてみたところでそんなのは信じない、嘘だ、偽書に踊らされるかわいそうな男にされる。
ここまで書いてわかるかは知らんが、手口が左翼のそれそのまんまなんだよ。
さて、かつての共産主義者たちはすっかり鳴りを潜めた。まだあるはあるようだが日常であまり見る機会はなくなった。が、その思想は社会に根付いた。
世界同時革命なんかもう実は日本では起きてると思っている。言葉的に矛盾してるが。
さらに国民をバラバラな自立した民の集まりにするために目をつけたのがフェミニズムだったと思っている。
だが、そろそろもういいんじゃないかな。今年の後半くらいから急にフェミニストたちはその思想を爪痕として残したままいなくなるか別の分野に引っ越してると思う。
次に来るのはなんだろうか。
社会と国民は分断されている。お上意識を伝統的に持ってることにされてる国民だからここはすでに乗り越えている。
労働組合のあくなき闘争によって雇用者と労働者もバラバラに出来た
男と女もバラバラだ、つまり家庭はバラバラだし、フェミニズムによって女もバラバラに出来た。
個人的には男をバラバラにするんじゃないだろうかと思っている。
要はマスキュリズムだ。フェミニズムと同じことを今度は男に対して行う。
ここで「いや俺は、私はそんなの染まってないぞ?」と思った人らは一度自分たちの行為や言動を客観的に見るといい。自分が思ってるよりもはるかに染まってるから。
マルクスは社会主義よあれと言った、マルキシズムがそこにあった
5日目、何者かがフェミニズムを広めることで男女と女は分断された、家庭は結束が緩んだ、男の家庭感はなかったからだ
6日目、何者かがマスキュリズムを広めることで家庭は決定的に分断された。男女の分断は取り返しがつかなくなり、男も分断された
7日目にあらゆる軸に基づいて完全に自立したように見える人々を見て何者かが満足した。
と言うことなのかもしれない。おー怖い。
だが、一つ誤算があった気がしている。SNSじゃない。あんなのはアカウント作りまくって数の暴力でどうとでもできる。
若者が予想以上に自立してしまい日本を出るようになった事だ。大学から先の課程に進むようになったことだ。
今後社会では国民をいかに国から出さないか、いかにモラトリアムだけ経験させるかに必死になるかもしれない。世の共産主義国家が特に気を使うのは情報だ。
ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰霊する像が、ベトナムと韓国に設置される。正式名称「ベトナム・ピエタ」は、2011年、ソウル中心部の駐韓日本大使館の向かいに建つ慰安婦像(「平和の少女像」)をつくった彫刻家のキム・ソギョン(51)、キム・ウンソン(52)夫妻が構想した。「ベトナム・ピエタ」は平和教育と市民募金を経て、2016年中にベトナムで民間人虐殺があった地域と韓国内に設置される予定だ。
キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻は1月12日、韓国紙「ハンギョレ」とのインタビューで「韓国政府は、旧日本軍慰安婦の問題について、日本政府に正確に謝罪を要求し、謝罪を受けなければならない。また、ベトナム戦争の民間人虐殺にも正確に謝罪しなければならない。今の政府は、両方とも本来の役割を果たしていない」と述べた。
何を言っているのかと思われるかもしれないし、明確な統計データを持っている訳ではないから体感に過ぎないけれど、
小中学校の教育現場に携わっていると、少なくとも小中学生の大半は左派的思想である。
何故なら、学校教育がバリバリの平和教育を行い、戦争を先導した右派批判を行っているからで、
例えば沖縄への修学旅行後、米軍基地問題の感想文やレポートを書かせれば、9割以上の児童は米軍反対の旨を記す。
では何故、それが選挙権を得る頃になると若者の右派支持率が逆転するようになってきたかと言えば、
これもあくまで推測の域を出ないけれども、学校教育以外のネット等に影響されて右派になるからだろう。
ここで重要なのは、若者が左派から右派になる動機や理由である。
左派の方々は「馬鹿な右派に騙されてるからだ!」と思っておられるかもしれないけれど、
個人的にはむしろ「化けの皮が剥がれた左派に幻滅したから」という理由が多いと思う。
実際、単純に若者が右傾化しているだけなら若者の投票率はもっと伸びてもおかしくないはずだが、
若者の投票率が低いままなのは、単純に右派にも左派にも、政治そのものに幻滅している人が多いから…かもしれない。
例えば私の場合、少なくとも高校生の頃までは典型的な左派であった。
良くも悪くも先生のことを盲信する真面目な児童だったから、ホント典型的な左派だったと思われる。
大学に入ってからも憲法9条の会などに参加したことがあったし、下手すりゃ天皇制にも反対だった。
そんな私の、学校教育を真に受けた右派と左派のイメージはと言えば、
・右派:攻撃的,戦前に「売国奴」などと罵る,街宣車等怖い,粗暴な人達のイメージ
・左派:理性的,平和思想を体現したような優しい人達,良い先生のイメージ
といった感じであった。
馬鹿みたいな話かと思われるかもしれないが、学校教育のみを真に受けてればこうなる。
右派の酷い情報も入ってくるが、右派の期待値は元々酷いものなので「やっぱり!」としかならない。
が、
左派の酷い情報は「え?あれ?私の思ってた左派と違う…」とパラダイム転換を迫られる。
例えば、先日話題になった遊戯王の作者のインスタでの投稿に「売国」というワードがあったけれど、
これは学校教育的にはいわば「忌避すべき右派」を象徴するワードであって、これを左派が使ってはいけなかった。
「独裁」というワードだって、日本のみを見れば一理あるとしても、
普通選挙が無くてデモが起きている香港や、政権批判をすれば捕まる監視社会の中国のリアルと比べれば、些か言葉が強すぎる。
沖縄の米軍基地問題でも、毅然と、粛々と平和を訴えているのかと思いきや、
実際には犯罪紛いの強硬手段や暴力・強迫行為に手を出す左派の情報が、今では飛び込んでくる。
首相の演説を妨害するレベルの「安倍やめろ」コールもそうだし、
山本太郎前議員が最高の言論機関である国会で、マイクやペーパーを奪って実力行使で採決を止めようとした光景もそうだし、
「優しい理性的なイメージだった先生が、その裏では実は粗暴で口汚く攻撃的だった」という衝撃が走る位、
左派に幻滅するに足る情報は、学校教育で培われた左派のイメージが崩れる情報は、今の時代いくらでも飛び込んでくる。
『「武力を持たなくたって、話し合いで解決できる!」と主張している人達が、
同じ国の中ですら野蛮な実力行使に出ているのに、まして違う国の言葉も文化も異なる相手を、どう話し合いで解決できるんだ』とも思われるだろう。
そうして左派に幻滅するだけならまだしも、盗人にも三分の理があるように、そのタイミングで、
学校教育では全く触れられなかった、右派の中でも比較的理性的な主張にも触れれば、今度は不良にも実は優しい側面があった的な逆転現象が生じかねない。
良き隣国だと思っていた韓国が、レーダー照射問題や慰安婦合意撤回等々の無茶を通してくる様を目の当たりにすれば、
左派の理しか教えられず、右派の毒に耐性を持たない若者が「学校教育に騙された!」という短絡的思考に走り、右派に翻っても無理はない。
もっとも、だからといって左派全てが攻撃的だというつもりはない。
これは香港のデモや、右派・左派問わず共通して頭を抱えている問題だと思うけれども、一部の攻撃的な暴徒化した勢力のせいで、
全体のイメージが毀損されるのは、一部の過激な情報が悪目立ちしやすいネット社会の問題だと思う。
呉越同舟で「一応共通の仮想敵を見据えているのに、同じ船の上で内輪もめしてる場合じゃねぇ!」
…という理由から、攻撃的とはいえ、腐っても同じ方向を向いている身内を表立って批判しにくい気持ちも分からなくはない。
ただ、学校教育という折角の明確なアドバンテージを確立できている左派は、それを活かそうとするならば、
右派以上にそうしたイメージ戦略に気を遣わなければならないと思う。
それは逆転現象を生みかねない諸刃の剣でもあるし、昨今の右傾化云々は、まさにその産物なのではないかと、個人的には感じている。
敵国がいない。
殺すのは日本。不埒な事を考えた権力者によって第二次大戦をなぞるように、外国を侵略して国民は徴兵されて死ぬ。国にマインドコントロールされた国民は自死を求められる。日本は負け続けて空襲され国土がボロボロになる。
自分たちが間違ったことをしなければ、平和で暮らせると思っている。
自分たちが殺す側に立つと思っていない。
平和教育で見せられるのは事後の廃墟だ。もしくは逃げ惑う市民たちだ。だけど、実際の戦場はニ〇三高地のように平和を愛し、敵兵と心を交わす紳士も鬼になる。
ベトナムやアフガン、イラクで心理的後遺症が残った兵士は多い。
平和教育は自分達を律するだけで、何らかの理由で発生する敵がいない。自分達は無垢で被害者にしかならないと思っている。他人や他の国も同じだと思っている。
多分、それじゃこれからはダメだと思うのだ。ふとしたことで生命線ギリギリに追い込んだり、敵意を持たれたりするのだ。ダイバーシティ的な考えがこれからは必要なんじゃないだろうか。
自分の信条に合わない企業を使わないのも、それを公言するのも個人の自由だし、まったく批判される謂われはないし
また、遊就館は濃厚な政治的メッセージを含有しているのは間違いないので、そんなところに新入社員連れて行くのはパワハラの一種だろうし
津田氏を批判する側が差別や多様性の問題を持ち出すのは取り違えもいいとこだと思う。
その上で遊就館研修批判している側が、歴史教科書問題前後に流行していた、中学高校生を韓国や中国に連れて行って「日帝の蛮行」記念館を見せたり、
「被害者」の講演を聴かせて謝罪させる教育。あっちは容認してないのか気になる。
①それらが反日プロパガンダや非中立的な曲筆・誇張を含んでいる事を同時に教えない。
②子供らに歪んだ(憎悪を含んだ)トラウマを刷り込むことを意図。心を傷つけることに鈍感。
③多くの場合侵略教育イベントを回避できない。したら白い目で見られるなどの圧力がある。
④教員が自分の思想信条を権限を利用して子供らに押しつけるパワハラ性含む。
などの問題を抱えていたのだけれど
実際初期の「ネトウヨ」の潮流を作り上げたエネルギーは、歴史教科書問題・謝罪教育世代の自分たちが受けた教育へのルサンチマンだったし
(このあたり「ネトウヨ」批判側はわりと目を背けてる。今まとめサイトに群がる「ネトウヨ」はそれの劣化コピーだが)。
これに比べれば、そういう会社と分かって入社した成人が対象のゴーゴーカレーはまだ罪が軽いのではないか。
日本の蛮行を子供に教えることは当時「正しいもの」だという空気はあったから遊就館研修よりは当時の常識の範囲内ではあるけれど