はてなキーワード: スポーツマンとは
そこでコミュニティーに所属するためのアドバイスや、皆さんが実際に所属している職場以外のコミュニティーを教えてください。
・行ってはやめてを繰り返している
・エニタイムみたいな黙々とやるタイプのジムで、友達を作れるタイプではない
・会話って、なにかキッカケがないと始めることが出来ない。どこでも友達を作れる人は、キッカケを探すのが上手いのだろう
・パーソナルトレーナーってこういう寂しいおじさんを構ってくれる側面もあるんだろうな。でも値段が高くて手が出ないよう
・二ヶ月くらいやった
・受講者同士で適当にペアを組むトレーニングがあり、自然に他の人と話せる機会が発生してとても良かった
・でも、ペアを組んだおっさんの蹴りがめちゃくちゃ痛くてやめた
・このおっさんはいかにも爽やかなスポーツマンといういでたちで、一切の悪気なしに全力キックをかましてくるのだった。骨折するかと思った
・塾もいくつか通った。でも、自分が行ってた所だとコミュニケーションはあまり発生しなかったな
・最近サボってるので、また何かやりたい気もしている
・コーチングも調べてみたけれど、びっくりするくらい高額である。おじさんが構って貰うって、とんでもなくお金がかかるのかもしれない
・コロナが無かったら行ってたと思う
・行ったことないから完全に偏見だけど、これ系は寂しいおじさんを構ってあげる商売なのではないかと想像している
・つまり寂しいおじさんがかまってもらうには、お金が必要なのだ。とほほ
・コロナも気になるけど、めちゃくちゃハマってサイフがスッカラカンになりそうで怖い
・同様にカラオケバーとかも気になるけど、やっぱりコロナはまだちょっと気になる
・学校の軽音部みたいなノリで、ギターでセッションなんかできたらいいなって思う
・とはいえたいして上手くもないので、ジャズのセッションに飛び入り参加するみたいなことは出来ないのであった
・学生のころ楽器やってた人って、社会人になったらどうしてるんだろ
・趣味で楽器やりたい人って結構いそうだけどな。一人で黙々とやってるのか?
・興味あるけど、おっさんが一人で行ってもいいのかな……?
・マインドフルネス的な考え方が結構好きなので、そういうコミュニティーもあるのかなってちょっと気になる
・でもこういう寂しいおじさんが綺麗なお姉さんにそそのかされて、日々絵や壺を買っているんだろうな
・自分ではケチで疑り深いと思ってるけど、そんなの承知の上で転がされちゃいそう
・気をつけよう……
たとえばジャンプラなんかはイケそうな奴らガンガン公開していくわけですよ。
そうやってる中で一切そういうのせずに「つぎマン?入れたい人が入れるだけでしょ?ウチはそういうの知らんし」みたいな顔してる出版社ヤバないっすか?
ゆーて何年も次にくる言われ続けてノミネート逃してる連中もそれはそれで辛いものがあるますね。
ムスブさんとか大丈夫クラブとかお前ら別に最近急に伸びる感じになったわけでもなくダラダラずっと連載しとるだけやんけってなりますよね。
ゆーて逆に機体の超新星はもう来てるのばっか。
弾子とか追チーとか鍋弾丸辺りはコレ以上伸びるのはもうアニメ化しかないけどそういうのするタイプの作品でもなくねえかと。
バーサスはいつか来るの確実だけどまだ全然伸びてきてないから「今年の次くるで受賞させるのは青田買いが雑すぎねえか?」って感じがある。
そのうち来るのが予想できたら勝ちってゲームじゃなくて「半年後ぐらいに急激に伸びだすマンガ」を当てるゲームだろ既に。
あとそもそもの話しでジャンプ連載組はよっぽどのヤツ以外は「そりゃジャンプに載ってればね……」になるから今年のレベルのはノイズに感じる。
スケルトンダブルやいろはが半年後に大ブームになる可能性ある?ないでしょ3年後なら分からんっていうなら来年の次くるで取るべきでしょせめて。
生徒会にも穴はある!なんて一番伸びたのは作者の分身の分身が登場したときだし「もう来た」の典型だよね。
とくにある日々・ひろゆき辺りはもう伸びるべき層には伸びて刺さらん人はスルーしてる状態だろうな。
賞取ったら爆発しそうなのはアニメ化タイミングを測ってそうなゴールデンスパイラル・アンテナが弱そうなスポーツマンガ読者に知名度がまだ低そうなダイヤモンドの功罪・アニメ化見えてそうなすだちの魔王城・一般人に刺さりそうなのに掲載誌がマイナー気味なモスのいる日常・・・ぐらいだな、平和の国の島崎へはまだ話数足りないから賞とっても爆発しきれなそうだしな。
ノミネートの半分以上が「伸びるべき相手にはもう伸びてる。既に来てるしこれ以上来るのはもう厳しい」の状態なんだよなあ。
今年コイツ来てたよね大賞にでもしなよもう
どこかのインフルエンサーが、「実家が開業医のボンボンなら、全て忘れて人生楽しめばよかったのに」と言っていた。
議員までは行かないが、いわゆるエリートだ。論文も10本ほど書いている。
たまーに実家の手伝いもしている。実家からは給料出てるらしいが、自分の知らない通帳に自分の名義でお金は貯まっているらしい。
2000万円くらいの通帳を見たことはある。どうやら、自分の名義の財産も、1億くらいはあるっぽい。
多分、もう上がり目はないし、人生を楽しもうと思っている。
最近は、小説を読んだりもしている。アンソロジーでkindle unlimitedで読めるような感じ。
steamゲームも、30本に1本くらいしか楽しめない。文字が小さいと途端読めない。Civ 5ってゲームはシミュレーションでは一番人気らしいが、文字が小さくてプレイできなかった。
くだらないなと思える。
別に、生まれた瞬間、金稼げなくても、一生遊んで暮らせるだけの家に生まれたわけだし。努力する必要がなかった。
若い頃は、「非モテ辛い」とか思ってたが、辛いのは非モテではなく、「普通の人生を歩めない」ことだった。
別に、普通の人生を目指す必要もないって話だよね。そこまで責任負ったら、人生楽しめないよ自分は。
もともと「品行方正」「清廉潔白」「安全安心」「健全」「知的」「元気」「笑顔」「理想のパパ・ママ」みたいな陽のイメージで商売してた人は悪さすると許されない。
一方で、アホとかやんちゃとか胡散臭いとか変態とかキチガイとかそういうイメージの人が多少悪さしても、まあそうだよなって感じになる。
だから、健全で良い子路線で売ってたベッキーは叩かれて、いかにもゲスそうなマッシュは普通に不倫をネタにしてすぐ復活できた。
現役スポーツマンは子供の憧れという前提があるから悪さをすると叱られるけど、現役引退して黒光りした清原がクスリで捕まっても「まあそうやろな」って感じ。
ピエール瀧とかまさにそんな感じで、昔から知ってるファンは捕まるのもネタでしかないけど、ドラマに出たりCMでお父さん役やってる瀧しかしらない人はガチで怒ってて面白い。
前者のほうはピエールがお父さん役って時点で大笑いなんだけど。
だから、今後、音楽活動は復帰できて、Vシネとか映画には出れるとは思うけど、ゴールデンタイムのドラマとかCMには起用されなくなると思う。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230310/1678456800
これは日本国内だけの話だよなあって思う。はてブのコメントにもあったけどNBAやNFLは色んな奴いるし。
NFLなんてオフシーズンになるとイベントかのように逮捕、起訴祭りになるし。
欧米・南米のサッカーもそうよな。ブラジル出身の選手の素行の悪さも有名。
確かに素行不良の選手は選手生命自体短いように思う。晩年とかもうデブっててそもそも走らねえじゃん、みたいな。
そういう選手は総じて家が貧しい。確実に上流階級の出ではない。だから大金手に入ったら遊ぶ。
逆に品行方正な選手は概ね元々の家が裕福。きちんと教育を受けていて頭だって良い。
品行方正な選手は見ていて俺だって気持ちが良い。スポーツマンの鏡みたいだから。
だけど品行方正な選手ばかりが並んでいるプロスポーツの世界だと貧しい家の子たちがプロスポーツで成り上がってやる、って夢を見れるんかね?とも思う。
サッカー選手も野球選手もクラブのユースや名門私立に入学できる家の子だけがプロになれるのだとしたら教育格差と何が違う?って思ってしまう。
勉強できねーけど野球だけは!貧乏だけどサッカーで成り上がってやる!って思わせるのってやっぱり所謂素行不良、言い方悪いけど『育ちが悪い』選手がいる意味でもあるんだよな。
→優男
>まともな知能なら教わらなくても知ってるのか。
> 健常者ってすげーわ
冗談抜きにそうなるね
ドラマとか週刊誌でよく一般的に取り上げられるネタなので、下記に通じる話やね
常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、引火点・発火点を知らない or 忘却していても
『サラダ油を炒め物・揚げ物に使う=燃えにくい(引火しにくい)』を理解できるんだ
常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、化学熱傷を知らない or 忘却していても
パイプ掃除に使う強力洗剤の働き(タンパク質が溶ける)とはつまりどういうことなのかを理解できるんだ
常人は全力で保健体育や生物の勉強を拒否 or 忘却していて、熱産生の仕組みを知らない or 忘却していても
こういうのは学校で勉強してもどうにもならないことだから覚えておくといいぞ
常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、引火点・発火点を知らない or 忘却していても
『サラダ油を炒め物・揚げ物に使う=燃えにくい(引火しにくい)』を理解できるんだ
常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、化学熱傷を知らない or 忘却していても
パイプ掃除に使う強力洗剤の働き(タンパク質が溶ける)とはつまりどういうことなのかを理解できるんだ
常人は全力で保健体育や生物の勉強を拒否 or 忘却していて、熱産生の仕組みを知らない or 忘却していても
俺も、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、千葉県の船橋あたりで生活していた。千葉県はカスだ。東京まで微妙な距離のせいで、逆にオシャレを履き違えているやつらだらけ。茨城のゴミ共もいるおかげで、余計に田舎者ムードは高まっていた。特に地元の船橋民が嫌いだった俺は、三国志大戦などをやるためにわざわざ津田沼エースまで行っていた。今思うと津田沼は津田沼でゴミみたいな街だったが、船橋よりはマシというところだろうか。あと、俺はオタなので秋葉原が微妙に遠いのが嫌だった。総務線で一本とはいえ、微妙に遠い。かといって千葉のオタショップはやはり、品揃えの面で大きく劣る。飲食店は何一つとしてとりえのない、個性のない「退屈な街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があったのか覚えていない。競馬場はあって、薄汚いおっさんが娘の給食費を無駄にするために通ってきていた。市立船橋高校はスポーツが盛んで、イキリ散らした民度の低いカスみたいなスポーツマンたちが船橋を不快な街に育て上げていた。あと、船橋高校のゴミどもも、もっと渋幕とかに行けばいいのに頭いいような面してイキリ散らしながら歩いていた。自然豊かといいつつそれは小室とかいう飛び地の話で、友達がそのへんの団地に住んでいたのだが、子供心に「こんななにもねえ田舎に住んで何が楽しいんだか」と考えつつ、スマブラをやりに行っていた。俺も競馬場に通うおっさんたちと同じ、人生を無駄にするのが好きな人間だったと言えるだろう。
小学校の時は色んな道徳教育を受けた覚えがあるが、ある日、うちの親戚のおっさんが登壇して「阪神淡路大震災の記憶」を語っていた。俺は幼心に、いや、お前関西住んでたっけ?と思ったが、無事に講演は終わり、無意味な感想文などを書いた。のちに親戚の集まりで、おじさんは講演会の人が来れなくなったので代打で登壇したと聞かされた。「わかりゃしねえよ」とのことだったが、まあどうでもよかったのでそんなもんか、と思い今日まで忘れていた。俺と震災には深い結びつきがあったと言えるだろう。
高校生にもなると、俺は自由だった。エスカレーター式の東京の学校に入学していたので、誰も受験勉強なんかはしていなかったのである。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。そう。割れ厨である。エロゲや音楽を無料あるいは格安で手に入れてくれることは後輩の俺達にもすぐに知れ渡った。サブスクの走りみたいなものだ。ちなみに、その先輩は生徒会長だったので、なんか体育祭で頑張った的なスピーチをしていたことを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
震災当時、俺は秋葉原にいた。試験も終わり、余裕綽々でカードショップで萌え萌えなスリーブを買い漁りに行っていたのである。その時、震災が起きた。スリーブはあたり一面に散らばり、混乱の中、店員さんに言われ、店の外に出た。駅に行くと、そこには人が沢山いた。だがしかし、電車は動いていなくて、そこで東北で大震災があった、という情報を聞いた。
震災なんてものはどうでもよかった。ただ、俺の心配は家に帰れるかどうかだった。録画していなかったのだ。その日、放送される「まどか☆マギカ」を。深夜だしリアタイ視聴余裕という慢心があったのだ。しかも、当時は確かものすごく盛り上がる10話の放送を控えていた時で、まどかを見られるかどうか、というのは俺の死活問題であった。あと、まどマギとか略すやつは当時のオタ仲間の間ではにわかの象徴だった。
さらなるハプニングが俺に起きた。ゲームのやりすぎで俺のガラケーは充電がなかったのだ。その上、萌えスリーブを買いすぎていたせいで、財布には100円の金もなかった。コンビニで充電器も買えやしない。もちろんクレカやキャッシュカードなんて持ってなかった。電車が動く気配はない。俺は、仕方無く歩いて帰ることにした。ぞろぞろと、他の帰宅難民の秋葉のオタクたちと共に。
途中で、公衆電話を見つけたので、並んで家族に無事である旨を伝えた。だが、当時オタバレを嫌っていた俺はプライドから、録画を頼むことはできなかった。まどかマギカくらいで何を、と今の世代は思うかもしれないが、当時はまだオタ差別は著しく、まどかマギカなどという萌えアニメを見ていることがカミングアウトできなかったのだ。
数駅くらい、歩いたところで俺の体力は尽きた。帰るのがダルくなったと言ってもいい。周りの人間たちから漏れ聞こえる被害状況を聞くに、心のどこかで動くと思っていた電車も、動かないことがわかってきたからだ。俺は近くのスーパーでなけなしの金でバナナを買って、フードコートの水を飲んで飢えと乾きを満たした。まどかマギカの10話が見られるかが心配で、その次にそもそも今日、どこに泊まるんだ?という思いがあった。
ということで、俺は近くの駅のポッポ屋さんに聞いて、避難所の小学校を紹介してもらった。たどり着いたのは、夕方ごろだろうか。そこには、俺と同じ帰宅難民のリーマンが何人かいた。俺が一番若くて、寝床のマットレスを運んだり、先生たちの手伝いをした。教室備え付けのテレビで、炎に燃える気仙沼を見て「関係ねえな、明日も仕事行かなきゃ」と語っていた、リーマンのおじさんの茫漠とした表情をよく覚えている。夕飯は乾パンだった。
夜。少し冷静になって。俺は件の割れ厨の先輩のことを思い出した。学校近くの公衆電話から、まどかマギカの録画を頼むために、俺は駆けた。「大丈夫だよ増田くん。MBS版はもう放送されてるからね。違法うpされたデータ回すよ」。先輩は、相変わらず元気そうだった。俺は大いに安心して、また気仙沼の火事を見に学校に戻って、ちょっとまた先生たちを手伝い、制服のブレザーをかけて、教室で眠った。
翌日、なんとか帰宅したが、普通にまどかマギカは10話以降放送延期になった。あ、あと親戚が2人ほど死んだ。例の阪神淡路のスピーチをした親類もそこには含まれていた。
そして大人になったある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東北出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。親戚や家族が死んだこと、放射線関係で差別されたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は東京だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。俺も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。歩いて駅まで帰ったんやぞ、まどかマギカのために。と嘘をつくと、彼は気まずそうに「なんやアンタ」と呟いた。
彼は俺より少し年下だったから、もしかしたらまどかマギカのことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。劇場版から入ったにわかかもしれないし。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
俺は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った千葉はゴミクズだったと信じている。そもそも秋葉原から遠くなければ、俺も簡単に帰宅してまどかマギカの録画云々なんて悩まなくてよかったし、千葉のオタショップの品揃えさえ充実していればよかったのだ。
俺も、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、Z世代や氷河期世代両方から馬鹿にされる「最悪の世代」だと言われている。確かに、地震は俺にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まあ今になるとまどかマギカとか大した作品じゃねえな、と冷静な評価を下すこともできる。でも、震災の時にふと過ったあの感情を、たまに思い出したり思いださなかったりするのだ。リーマンってなんで震災翌日も働くねん、という。
まああれだ。震災は一時のスリルというエンタメとしては面白かったが、アニメの放送延期からわかるように日常生活に大きな影響を与えるのは間違いない。
そして、俺は思うのだ。