はてなキーワード: YMOとは
私はコーネリアスのファンである。小山田圭吾本人には特別な関心は寄せてはいないが、ライブには多分3回ぐらいは行ったかもしれない。日本人ミュージシャンとしてはかなり好きな方だと思う。いじめの件は知っていた。ロッキンオンジャパン?のインタビュー記事は家を探せばまだ何処かにあるかもしれない。クイックジャパンを含め他の記事は読んでなかったので、障碍者にもひどいことをしていたのは知らなかった。
2人組になってからのフリッパーズは「態度の悪い生意気でお洒落な悪ガキ」路線で売っており、インタビュワーを小馬鹿にして煙に巻いたり、露悪的な事を言ったり、そういう記事が元々多かった。フリッパーズが解散して、小沢健二が「オザケン」になって冷笑的な態度を引っ込めブレイクしていた時、小山田圭吾が小沢健二について「レコードラックの中身がずいぶん変わっちゃったんだなと思った」みたいなコメントをしていたのを覚えている。多分あのコーネリアスのインタビューはその頃の記事じゃないかなと思う。
ファンとしては小山田圭吾の権威主義みたいなものが深まっていくのを危ういなぁと少し思っていた。YMO近辺やオノヨーコにかわいがられるようになり、海外の有名ミュージシャンとコラボし、その後NHKにも関わり始めた影で、いじめの記事はずっとネットでくすぶり続けていた。ミュージシャンとして大物になって、だんだん表舞台に近づいて行った。今になってみると某歌舞伎役者みたいな執念を若干感じる。親を絶対に超えてやるみたいな恩讐のような拘りのような感触。成功したミュージシャンだというだけではなくて、もっと大っぴらに社会的な成功っぽい何か。
とにかく表に出れば絶対に非難されるのは目に見えていた。オリパラの仕事は受けるべきじゃなかったし、非難されるのも、辞任も当然だと思う。多分ずっと心の中で後悔していたのは嘘じゃないんだろうと思うけど、謝るきっかけも無く(謝るとしたら相手に謝るべきだし、それを世間に公表するのもなんだか変な話ではある)、いつかみんな忘れてくれるんじゃないかという期待と甘さもあったんだろう。弱い人間だと思うが、いじめなんてするやつは大体そんなもんだ。
ひとつ引っかかっていることがあるとすれば、記事を書いたインタビュワーが完全に他人事なことだ。小山田氏の謝罪文でも少し触れられているが、恐らくあのいじめの記事内容には相当フカしが入ってるんじゃないだろうか。「完全な嘘でなければ真」だと都合よく解釈して、とにかく面白おかしく針小棒大に書くのが商業メディアだ。20年以上前となれば今以上だ。(ちなみにWEBメディアは経験上完全に嘘の場合もある。)よく知らないけど、今でも日本の音楽メディアってあの雑誌界隈一強なんじゃないのかな。今インタビューで実際に語ったことと記事の内容の差異を明確にすることは、今後の仕事の事を考えると小山田氏側からは出来ないだろう。もちろんそれも保身ではある。でもメディア側ががそれを良いことにさらっと済まそうとしてるような気がして、あんまりいい感じはしない。元々あんまり好きじゃない雑誌だけど。
わざわざこんな駄文を書いたのは、いじめへの義憤にかられた人がずいぶん世の中には沢山いるんだなと思ったから。小山田氏に言いたいこと言って(家族とか周辺を叩いている人は暇なのか?)、一息ついたら、学校や会社や家庭で自分の嫌いな人、苦手な人、いじめにあってる人、いじめている人に目を向けて欲しい。その場で起こっていることに立ち上がって抗議をしろとは言わない。後で一言こっそりメールでフォローを入れるとか、全然関係ない天気の話やテレビの話振るとか、飴ちゃんあげるとか、なんでもいいから小さいアクションをして欲しい。いじめてるやつもいじめられてるやつも結局あんまり大差はない。(小山田氏も今まで他人をいじめた分と同じかそれ以上の思いを今は味わってることだろう)あとあなたが誰かの事を「使えねー奴」「空気読めない奴」「うざい奴」だと思ってるその感じ、傍から見るといじめっぽくなってることが多々ある。気を付けて欲しい。せっかくいじめが良くないという機運が世の中で高まったんだったら、少しでもいじめを減らす方に世の中変わって欲しい。そうでなければ小山田氏も救われまい。言いたいのはそれだけです。
小山田圭吾のことははっきり言ってよく知らない。
古い人間なので、YMOの2010年頃?のライブでギターを担当してたり、高張幸宏のMETAFIVEでかっちょいいカッティングギターを弾いていたくらいしか本当に知らない。
そんな縁遠い私でも、今回の件は強烈なショックである。別にいじめられた経験があるわけでもないけれど、公開された過去の記事内容があまりにも酷すぎで、読んでて涙すら出てきた。
ほとんど無関係なのに、一生、表に出てこないで欲しいと思うくらいである。
だが、タイトルのケヴィン・スペイシーは、そんなに知っているファンではないが、ユージュアル・サスペクツ以来、人気映画は何作か見ている。中でも最も好きだったのは交渉人で、あのサミュエル・ジャクソンへの交渉電話をいきなり切ってしまうシーンには痺れまくった。L.A.コンフィデンシャルで「ロロトマシ」との言葉を残して死んでゆく刑事を演じたあれも素晴らしかった。だが、今から四年前、MeTooムーブメントに巻き込まれる形で、大ヒットドラマのハウス・オブ・カードを降板、ハリウッドから追放されてしまった。ケヴィンは過去の少年への性的暴行疑惑発覚の際に、ゲイであることをカミングアウトしたことが最も大きな理由で強烈な反感を買ったのだけど、被害者の告訴取り下げがあったり、また別件で訴えられたりとよくわからない状況に発展しているそうである。
ま、比較する対象はいくらでも他にあるわけだが、それでもオリンピックを辞退しない小山田と、ハリウッドを追い出されたケヴィンと、この差・違いは何なのかと。正直、個人的にはケヴィンの場合「え?それだけで?」と思わなくもないが、小山田の場合、全く弁解の余地なしと思うほど酷い。過去のことだと糊塗できるような話ですらない。みんなが言う通りパラリンピックもある。本当に、辞退がないなんて考えられない話のように思う。
だってケヴィンはハリウッドを追い出されたんだよ? たかがそれだけのこと、とは断言しないけれど、それでもこの違いは何なの?としか思えない。
12分割をさらに分割するとか、12分割以外というのは民族音楽にもあるわけだけど、
音楽理論を破壊再構築する現代音楽的な発想を面白く解説してたと思う
小山田氏の件で悪く言われてるけど、YMOも音楽理論の破壊と再構築をやってたみたいだし
ディープパープルのジョン・ロードだって半音ずらしの不協和音好きだし
ノンダイアトニックコードがないとドミナントモーションというか、
既存の音楽理論が、聴ける曲はこう作れ、という既成概念を作っているわけで、
それを敢えて壊してみるというのがまずあると思う
で、壊すととても聴ける曲ではなくなってしまう、壊すことが目的化しているからだけど、
それはまた新しい音楽理論だと思うんだよね
「ジャジャジャジャーン!ジャジャジャーン!みてーのあるじゃん?」ぐらい分かりやすいとまあなんとかなるんだわ。
使われ方が有名な奴も楽で、たとえば「掃除の時間に流れるやつ」「なんか戦闘用のヘリが飛んでくるときの」「デジモンの一個目の映画のマンションのアレ」とか。
そういうのじゃなくて「フンフンフンフフンフフンみたいな?」っていう自分でも何いってんだコイツなのが無理。
「エヴァで聞いたことあんだけど……」とかだと何択あるのか分かんねーし。
んでこれがYMOなのかクラフトワークなのか分からんテクノとかだったりしたらもう人間の声帯でなにをどう再現すりゃいいかわからんし完全に終わりじゃん?
でも本当に終わりなのか?
俺はそれが知りたい。
ガイナックス、つまり庵野秀明とかのオタクが宇宙戦艦ヤマト世代だったはず
コミケで女性が森雪とかうる星やつらのラムのコスプレをするようになったのもあの世代の気がする
自分の中でもオタクというのはDAICONフィルムのようなイメージがあった
つまり、エンタープライズ号とか、宇宙の戦士とか、カニみたいな金星人とか、ゴジラやガメラ、ウルトラマン、ダースベイダー、ストームトルーパーとかだった
自分は小学校時代は周囲がジャンプを読む中、ホビージャパンや朝日ソノラマの宇宙船、ファンゴリアを読むのが楽しみだった
そういえば、マイ・ケミカル・ロマンスの「I'm not Okay」のPVはそんな出だしだった気がする
https://www.youtube.com/watch?v=dhZTNgAs4Fc
あー、トラウマが蘇るなあw
あれをチャンスだと宅八郎が考えたのは間違いないと思う
後に暴露されているように、宮崎勤の部屋にあったポルノ雑誌は記者が部屋の奥から探し出して見える位置に置いたものだった
スナッフネタもあるギニーピッグは宮崎勤以外にも多くの人がレンタルビデオで借りるなどして観ていたはずであるが、宮崎勤事件以降同様のケースを聞かない
また、ギニーピッグには多くの比較的知名度のある芸能人や俳優が出演していた
今で言うなら、怪談新耳袋や本当にあった怖い話、世にも奇妙な物語、トリハダなどの類である
そもそも、宮崎勤はそんなにホラーやスプラッターが好きだったわけでもないようだ
テレビでは宮崎勤の部屋にあったウルトラマンの切断技のシーンだけを集めたビデオを取り上げ、ウルトラマンの切断技が猟奇趣味に繋がったと煽り立てた
当時はインターネットなど存在するはずもなく、映像マニアは郵送でVHSのビデオを交換し、ダビングし合っていた
宮崎勤はポルノやウルトラマン、猟奇趣味というより、映像の収集に執着していたようである
つまり、部屋中に敷き詰められたビデオはほとんど観ていなかったとさえ考えられる
全巻そろえることが目的であって、読むことが目的ではないようなものである
ドラマなどの全話収集を目的に執拗にダビングを要求してくるくせに、宮崎からはネタを提供しなかったからである
また、宮崎はコミケに参加していたが、それは当時はワープロもなかったため代行で文字を清書する担当があったからである
ここまで書いてみても、自分の中のオタク像と宮崎勤はあまり被らない
何をオタクと定義するかによるが、鉄道オタクとか広く考えるなら彼は映像収集オタクではあったのだろう
小林よしのりが公開討論を断っているように、宅八郎は売名行為にいつも必死だった気がする
彼はブラウン管の向こうの視聴者が観たいキモいオタクを演じることを考えた
それがマジックハンドや紙袋を持ち、森高千里のフィギュアを持ち歩いては舐め回すオタク像だった
学校では漫画やアニメが趣味というだけでDQNに後ろから蹴られるようなことが起こった
今になって自分以外にも被害者が全国に大勢いるということは、それだけメディアの影響は大きかったのだろう
宇宙戦艦ヤマトやうる星やつらがそういったブームをもたらした一因であることは否定できない
ヤマトやうる星がなければガンダムもイデオンもマクロスもない、エヴァだって今はなかっただろう
ヤマトや高橋留美子作品だって、元々は手塚治虫だったり、その元々は田河水泡ののらくろだったりする
しかし、Aは駄目、とルールを決めるとき、A#やAbはどうなのか?A'はどうなのか?
それから、Aが駄目ならBやCも駄目になるし、Cが駄目ならDもEも駄目になるんだけどいいの?ということはよくあるわけだ
その線引きや人権との兼ね合いはこれからも人類が滅びるまで永遠に議論されるべきテーマなのだろう
逆に言うなら、今すぐ答えが出るようなものでもないし、拙速に求めていいものでもない
これからもエンターテイメント作品等とそれに対する規制は永遠に議論されるべきであり、文系的には文化の研究にもなる話と思われる
マクロスのプロトカルチャーだのデカルチャーだのではないが、思想や宗教が異なる者同士の交流は異文化交流と言えるだろう
個人的に思うに、宅八郎はそういった文化の衝突を売名行為に利用し、議論の余地をぶち壊すことを扇動した人物だった
オタク評論家と称している割に、教条主義が嫌いと誤魔化して、エンターテイメント作品に対する知識も浅く、オタクにしては薄っぺらい印象があった
というか、当の本人も売名のためにオタク評論家を名乗っているだけで、オタク文化自体にはあまり興味がなかったように思える
それより、YMOは単なるインテリであり、ヒカシューやプラスチックスをテクノ歌謡と持ち上げるとかの方にご執心だったようだ
YMOのメンバーの学歴から考えればそう感じてもおかしくない気もする
しかし、宅八郎はそういったコンプレックスよりも、とにかく天邪鬼なことを言って目立ちたい、売名したいが優先している嫌いがある
公開処刑だのストーカーだのオウム擁護だのも、とにかく逆張りで目立ちたい、他人のひんしゅくを買って目立ちたい気が満々だったようにしか思えない
https://www.wasteofpops.com/entry/2020/08/24/000000
なんか難しく考えてるけど(考えたいのかな)、めっちゃ簡単ですよ。
若者が増えて、マーケットのヴォリュームゾーンが移って、シーンが新陳代謝して・・・・・・っていう健全?なサイクルが壊れてるわけです。
実際、90年代に振り返った60年代と比べて、2020年に振り返る90年代って変化小さくないですか?
相変わらず、サザンユーミン山達YMOフォーク勢がいて、ビーズドリカムミスチル宇多田林檎JPOP勢がいて、ジャニーズがいて。
90年代当時からCD買ってた30代40代50代くらいがいまだにマーケットの中心(※中心ってだけでそれしかないわけではない)なんです。
なんで供給もそこ狙いが多い。人口の多いし、可処分所得も多い。
(僕の今のプロジェクトの想定顧客イメージは、40才独身子供なしサラリーマン男、です)
マーケットのヴォリュームゾーンがCD買う層=だからCDがまだ売れる。
BIG3ダウンタウンウンナンナイナイボキャブラがいまだに一線。
これも一緒だと思うなあ。
もうひとつ、ちなみに。
演歌勢がいよいよポップスやフォークや色物に軸足移したり氷川きよしはじけたりしてるのは、演歌のマーケット層だったところがいよいよ(文字通り)死に絶えそうだから、です。
(追記)
伝わってないけど。。。。
音楽がかわってないわけじゃない。
でも今のメインなマーケットの層は、それを求めてない。
マーケットが動いてないだけ。