はてなキーワード: 生物とは
こんなことを改めて説明しなければならないのは、少なくとも俺にとって、ため息をつくしかない事態なのだけど…
本当にごく一部のブックマーカーらを除いて、キモいは無害な感想だから好きに使っていいでしょう、みたいなノリの人たちばかりなので解説します。
死ね と同じようにイジメで多用されるのに、死ね と違って控えられる様子がない。
エロい と同じように、発言者の内の感覚を相手の属性にすり替える言葉であることも問題だ。
客観的評価じゃなくて主観的評価なので、評価者の物差しがわからない限り反論のしようがない。
バカでないことは証明できるが、エロくない/キモくないことは証明できないんだ。
無根拠のままに、エロくない/キモくない、と言い返すのも無理がある。それは相手の感情の否定になってしまうから。
「この部屋暑い? いや暑くないよ」
気軽に人の感情を否定する人はハラスメント気質として忌避される。
だからキモいと言われた側は一切の非がないのに、みずから悪人にならなければ突き返すこともままならない。“そっちこそどうなんだ式”の反撃をするにしても、 「自分はキモい」というネガティブなイメージを一旦は抱えることになる。
感想のテイをとった無敵ワードである「キモい」。あまりに便利なのでリベラルもフェミニストも、正義側を標榜する人々でさえ惜しみなく使う。
しかし、痛みを知る人は決して使わない言葉である。でも、使わない理由が語られることは少ない。
自分がイジメられていたと告白するのは、インターネットで獲物を待ち構える魑魅魍魎の餌になりにいく行為だからだ。
LGBTへの生理的嫌悪、腐女子への生理的嫌悪、オタクへの生理的嫌悪…
無意識のうちに差別をする人たちは、自分の感情を生理的嫌悪と称する。まるで生物の根本から来ているシグナルだから仕方ない、みたいに。
でも「生理的」の根拠なんて本当は何もないんだ。実際は、差別対象の実態を理解してないか、あるいは関心を払う手間さえ惜しんでいるかに過ぎない。
まあ俺はガキのころそれはもう厳しく厳しく、何でも制限されてきた
お菓子駄目、ジャンクフードも駄目、ジュースも駄目、ゲーム駄目、おもちゃ駄目、テレビ駄目、漫画駄目、音楽駄目、お小遣い無し、行事におけるプレゼントも無し
金にも余裕がある家なのにだ、勉強と絵のない本だけしかなかった
だから大人になって一人暮らし始めてから俺はやれなかった事を全部やってる
まずお菓子やジャンク、もうそりゃ食う、吐くまで食う、吐いてまた食う、ジュースを飲む飲む飲むたくさん飲む
一生食えよ増田が「もうやめろ、悪かったそこまで食うとは思わなかった」って止めるくらいには食べたい物を延々と延々と口に放り込む、そうしないと満たされない
新しいおもちゃも当時買えなかったおもちゃも関係なく沢山買って、全部やりきれないのにSteamやOriginのセール時にゲームを買いに買ってレトロゲームも衝動的に買って、やる、やりまくる
休みの日は電子書籍で買いまくった漫画を読み漁りCS放送やネトフリでアニメを狂ったように見る、サブスクサービスで片っ端から音楽を聴く
歳に似合わないおもちゃに囲まれ、休みに一日中ゲームして一人遊ぶ、そうしないと落ち着けない
唯一叶わないのは金、仕事の給金入った側から生活費以外を全部捧げてるから金はいつもカツカツだ
そんな俺を親は見て悲しそうな顔してた、なんで悲しむんだよ悲しいのは俺だ、あんたらの望む人間になれなかったのが悲しいだろうが、俺は「子供」を楽しめなかったことが悲しいんだ、みんなと同じことができなかったことが悲しいんだ
みんなの輪に入れずなにもできなかったんだ、今楽しんでも返ってこないんだ
もう一人自立して暮らしてる俺にまで道を強制するのか?たのむ、やめてくれ、俺は欲望に溺れて死にたいんだ
どれだけやっても満たされないから、満たされるまでやりたいんだ、満たされるなら破滅してもいいんだよ
かなりの裏付けがある科学や知識は多くの人類を救ってきたが、あくまで結果であって、救ってくれるとは限らないからね。
むしろそれらが 「ダメです諦めてください生まれの不幸を呪って死んでください。あなたは単なる生物単位にすぎません選ばれることもありません」 みたいな結論しか出さないことも多い。
一部の昆虫には孤独相と群生相というのがあって、個体の密度が高くなると
個々の昆虫の意図に関係なく個体の外見や行動様式が変化するってのがあるけど、
人間にもそういうのがあるかもしれないよね。
人種間の外見的な特徴が均質化するだとかは、異人種間の交配を繰り返すうちにそうなっていきそうな気もする。
他にも、言語なんかも今どんどん滅びていってる状態だけど、言語が収斂されていく過程で特定の発音が明瞭になるように発声器官が変化するだとか、
生物的な特徴にまで変化をもたらしていくかもしれない。
まあ上の生物的な例はどちらかというと淘汰とか進化の話であって群生相・孤独相の話とはちょっと違うかも。
文化的な面ではどうだろう。局所的に都市部の人口密度が高い状態というのは大昔からあって、
都会っぽい行動をする人・田舎者っぽい行動なんてのはまぁ昔から言われてきたわけだけど、
地球上の集団としての人間が60憶を超えて100億を超えていくと、また違ったものが発現するかもしれないよね。
PCだとか寛容性がことさら注目・重視されるようになったのも異文化との交流や衝突の回数がそれまでに比して明らかに増えたことが原因だろうし。
人と人との距離が近く(ならざるを得なく)なっていく結果として人は他者に優しく(ならざるを得なく)なっていくのかもしれない。