はてなキーワード: ラフスケッチとは
かけている時間が違う。
高い素材を使って丁寧に下拵をして作った料理は、同じシェフの出すものでもいつもより美味い。
そんな感じ。
やっぱ金ってクオリティに直結するんだな。
なーんか一時期「金で魂を売って作った作品なんて駄作ばかりだぜ」みたいなの流行ったけどさ、やっぱ金かけた作品のほうがクオリティ高いんだわ。
多少不自由でも手間暇のかかり具合が違いすぎる。
手慣れのラフスケッチより、パトロンに金積まれて清書した絵の方が出来がいいってだけの話だけどよ。
当たり前なんだけどよ。
でもなんかそこに逆張りするの一時期流行ったせいで今でも錯覚が残ってるんだよな。
言語化して脳に焼き付けるぜ。
金をめちゃくちゃかければ良いものが出来る。
当たり前だぜ。
知恵袋にはこの絵の絵師教えてくださいという質問がよくあるけど、さすがに客観的に見てラフスケッチというのも烏滸がましい殴り書きレベルのものについて同じ質問をするのは憚られる。
「お前が書いただけじゃないの?」といわれのない言いがかりをつけられて不愉快になりそうだからだ。
しかしいかに殴り書きだろうが、たとえば俺が好きなのは密閉感のある着ぐるみマスクを被った女の子の絵なんだが、それに当てはまってる絵ならたとえ殴り書きでも貴重に思え絵師が気になるんだよな。
それ自身に関心があるというのもあるけど、むしろそのような絵を描く人が描いてる別の絵には同じ方向性ながらもっとクオリティも高いものがあるのではないかということで検索のための手がかりとして絵師が気になるわけよ。
新しい配属先
何もないところがボタンになっていてこの辺をクリックするとお知らせでこの辺が実績紹介、このデザインを直して欲しいと言われる
何を?・どう?
さっぱりわからない
どうしたらいいですか?と聞くと、今何聞いてたの?あなたもうこの仕事10年近くやってるんじゃないの?と呆れられる
凝ったイラストが描かれた巻物を見せられて要するにこういうことでしょ?と言われる
このデザインにするのですか?と聞くとこれなわけないでしょ!と言われて、これはラフスケッチ!見たらわかるでしょ!と言われる
隣に座る付き合いの長そうな人に、これは言われるまでもなくラフスケッチなのですか?どのへんで判断するんですか?と聞くと、つまりこういうことだよとイラストの上に太い筆で絵の具を乗せてく
トラバにある少女マンガの方が瞳や髪の表現が細かい、とかも一概には言えないと思うけど。
ばらスィーと高野苺、みたいに個別の作家をイメージしたら違いがあるように思えるかもしれないけど、絵柄のみでの一般化は出来ないと思うな。
トラバでは電撃のマンガと少女マンガを比べてるけど、電撃ってメディアミックスも多いからアニメ塗りに引きずられて簡素な塗り方になってたりするし。
そのサイトの少女マンガの中にも簡素な瞳や髪の塗りの物もあるし、萌え絵と少女マンガが相互に影響しあっていることが伺えるだけで、やはり簡単にこっちはこうとは決め付けられない。
ラノベの表紙とかのイラスト系だと男向けの萌え絵でも髪に力をいれる人は多い。
ラノベで比べても、男女向けの差はイケメンキャラが読者の方にアピールしてる構図とか全体のデザインとか、文脈的なものでしか判断出来なさそう。
(あとコピックっぽい塗りって、本来はNARUTOとかBLEACHとかジャンプ表紙的な塗りで、あまり柔らかいものじゃない。
コピックは発色と手軽に塗れることが売りであって、透明色を使って滲ませなきゃいけない柔らかな表現は素直な使い方じゃないと思う。デザイン関係だとラフスケッチ用の道具だし。)
ランダムに1000件ずつ抽出して比較するとかなら可能かもしれないけど、判断基準もあわせて作らないといけないしかなり大変そう。
http://www.pixiv.net/member.php?id=442855
http://www.pixiv.net/member.php?id=203832
都桜和 代表作「うらバン!」
http://www.pixiv.net/member.php?id=5188
ひづき夜宵 代表作「ピコっとチョコラ」や 艦これロシア同人誌の数々
http://www.pixiv.net/member.php?id=37274
きょうみあります。
・非文学部卒
・かといって訳書をバリバリ読んでおのれの哲学を作り上げるわけでもない
・したがって、自然科学に興味があるもののなんとなく「在野臭」を感じるものにしか手を出せない
・その結果twitterでは意味不明な戯れ言しか垂れ流せない
・twitterでは意味不明な思考実験とラフスケッチに終始する
・twitterでは自然科学あるいは「現代思想」に対する違和感の表明と謎の決意表明(ストイックなことがやりたいらしい)に終始する
・ブログでも本の要約(学部生レベル。大体訳書の要約ってなんだよ)に終始する
・地方在住
・低収入
・そのくせして妙な保守主義
・こんな人生、あまりにむなしいのでアニメをネタにコミュニケーションをとろうとする
・とはいえ、単なるアニメ好きと認識されるのもなぜか悔しいらしく、「小さな哲学者がアニメに関心を示してやってますよ」てきなスタンスをにじませる
・こんな悲惨な人生も大学院に入れば実存的にもスキル的にも救われるのに、先ほど述べたコンプのせいで入れない。学力的にも入れないんだろうけど
深津氏の http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/ とそのブコメを読んで問題が混乱してるのを感じたので書く。
ただし自分も法律の専門家ではないので,これを読んだ法律家の人がちゃんとした記事を書いてくれたらありがたく思う。
それぞれ保護の目的や保護される範囲,侵害の判定基準が異なる。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
著作権 | 創作物全般 | 創作物の公正な利用→文化の発展 | 類似性&依拠性 | 自然発生 |
商標権 | 商標(ロゴ,マーク,社名/ブランド名等) | ブランドの信用維持→産業発展及び消費者保護 | 類似性 | 登録 |
意匠権 | 製品デザイン | 意匠の創作の奨励→産業発展 | 類似性 | 登録 |
商標権と意匠権は割と似てるが,違いは商標権が商標を一つ登録するだけで(特定産業分野の)あらゆる製品についてその商標が保護されるのに対し,意匠権は製品の意匠(デザイン)が保護対象なので,製品ごとに登録が必要な点。自動車を例にとると,自動車会社のエンブレム=商標を一つ登録すると車種に関係なく保護されるが,意匠は車種ごとに登録が必要になる(自分で書いててあまりいい例じゃないと思ったが,他に思いつかないのでこのまま進める)。つまり今回のエンブレムのようなものは,意匠権での保護は難しく商標権での保護が一般的ということになる。あと商標権は登録者だけじゃなくそれを見てモノを買う人=消費者の保護も重要な目的だが,意匠権は専ら登録者の保護が目的。
1. 原案の提出
ここで問題になったのは「商標権」であり「著作権」ではない。従って侵害の有無は類似性のみに基づいて判断される。コンセプトとかは一切関係なく,見た目が似てたらアウト。但し保護目的の大きなウェイトを「消費者が誤認しないこと」が占めるので,誤認しない程度の類似なら許容される。
3. 一次修正案の提出
6. 最終版の公表
7. 最終版がベルギーのリエージュ劇場のデザイナーから著作権侵害として使用停止を求められる
ここで問題になったのは「著作権」。著作権の侵害は,類似性と依拠性(被侵害著作物を知っていて,それを真似した)の両方が立証されて初めて成立する。従って元の著作物を知らずに作ったものがたまたま似てしまった場合は,著作権侵害にはならない。佐野氏が pinterest の会員だったかどうかが問題になるのも,この「依拠性」の証明に関係してくるから。但し単に会員だったというだけでは依拠性の証明としては全く不十分。佐野氏が(一次修正案以前に)リエージュ劇場のロゴを見ていたという蓋然性が高いことを示す証拠(例えば pinterest のログ等)が必要。
他方,深津氏は「依拠していない」ことの証明として「コンセプトが違う」ことを挙げているが,これも現時点では証拠としては弱すぎる。証拠というよりは傍証レベル。まずその「コンセプト」なるものがすべて頭の中で考えられたものでしかない。つまりリエージュ劇場のロゴを見たあとでも,言い訳としてそのようなコンセプトを考えることは極論今からでもできる。「いや,このコンセプトでずっと考えてたんですよ」ということを示す物証(ラフスケッチや素案,メモ等)が出てくれば多少マシだが,それでも「見ていない」証拠としては弱い。ただこの場合挙証責任は基本的に訴えた側のドビ氏にあるので,よっぽどマズい法廷戦術をとって挙証責任を押し付けられない限り,佐野氏側は「依拠していない」ことを証明する必要はない。
ちなみにもしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたとしたら,商標権での争い,すなわち類似性のみでの争いになるため,「専門家であるデザイナー」諸氏がどれだけ「コンセプトが違うから違う」と言っても一笑に付されていたはず。もっともそうなる前に商標調査で引っかかった可能性は高いし,また類似性のみの判断になるとしても消費者が誤認するレベルかというと正直微妙だとは思う。
以上に書いたことを冒頭に挙げた深津氏の記事,特に「まとめ」の直前に掲げられている5項目と読み比べてみるとわかると思うが,2番目の「コンセプト」の話以外はだいたい同じ。2番目の「コンセプト」の話も「コンセプトが違う」ことを以て「(著作権侵害で問題になる)依拠性はない」という主張を補強する傍証としているだけで,デザイナーの専門性とかは本質ではない。
つまり,深津氏は「法律的には問題ない(はず)」と言っているだけなので,だったら「この問題の専門家はデザイナーじゃなくて法律家じゃね?」と考える次第である。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
特許権 | 自然法則を利用したアイディア | 発明の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
実用新案権 | 自然法則を利用した物体の形状や構造に関するアイディア | 考案の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
特許は機能を実現する方法や装置などの技術的手段のアイディアを保護するもの。実用新案も,特許をラスボスとした時の中ボスみたいな位置付けだと思うので,意味的には特許と変わらない。いずれも機能とは無関係な表現としてのデザインの保護とは全く異なるので,そもそも特許制度と比較してどうこうというのは筋違いだと思う。
いや、普通は
ラフデザイン デザインカンプ というように、それを書くのはデザイナー。
(それをやってくれないととなると、HTMLコーダーか、イラストレーターに分類したい。)まぁ、分類に意味はないが。
で、ソレ込みで発注していれば、たぶん、そんなことにはならなかったし、
ラフスケッチというか、鉛筆絵程度なら、発注側が書くこともあるけど・・・その辺は契約次第だからなぁ。
XXなイメージという簡単なのを発注が決め手、デザイナーがサンプルを3点作って、その中から発注者が選ぶとか、そう言う契約も有だし、ラフ切るのが発注で詳細埋めるのがデザイナという契約も有り。
それに気が付かずに、デザイナーがどこまでやるか。というのを決めずに契約したのが発注者のミス。
それに気が付いていれば、たぶん、それ混みで作ってくれるデザイナーを捜すというフェーズになって、問題なかったんちゃう?
(逆に契約上ラフを発注が切るとなってたんなら、そりゃぁ、発注側がわるいわなぁ。デザイン力無いなら、ラフから作ってくれるデザイナーGETせんと。)
まぁ、あとは、幾らだったか?というのによるね。
一般的な?大手の?Webデザイン会社なら、その辺は逆に、ここまでは、発注側でやってとか、懇切丁寧にやってくれると思うけど・・・。変なのつかんだね。
http://anond.hatelabo.jp/20081217100125
元増田に同情的なのが多いのは分かるけど、他の二人がそう悪いようにも思えない。
多分、それぞれの特技やアイデアを寄せ合って面白いものを作ろう!ってノリで始まったんじゃないかと推測してるんだけど、どうなのかな。
そうだとしたら、
(ある時は私が書いたラフスケッチに「ここは太く!ここは不要!」などの上書きがされて送り返されてきました)
なんてのも普通でしょう。元増田のラフスケッチに対して他の人の意見を乗せていく。そうしないで元増田を全肯定して進めていくなら、他の人はいらないもん。
そこで自分の負担が不当に大きいと思ったり、対案を出す時にももう少し自分に気を遣って言ってほしいと思うようになったってことなんだよね。
その想いが妥当なのかは判断付かないけど、元増田の場合、自分の職能を活かして参加しちゃったことがそういう想いにつながってる気がする。
自分の思い通りにならなくても、お金がもらえる仕事と思えば我慢できる。
普段ならこれだけのことをしたらいくらもらえるのに。
って考え始めちゃうと、しんどい気がするよ。普段ならお金を取ってやることを無償でやってるんだ、っていう想いが、変に正当性を持っちゃう気がする。
かといって辞めるに辞められない元増田の気持ちも分かる気がする。だって今辞めたら、自分の意見が通らないから面白くなくなって辞めたって思われるかもしれないし、責任感なく見えるだろうし。
他の二人は、より良いものを作ろう!っていう想いで言ってるかもしれないし、元増田がコーディングする分、他の作業をしたりアイデアを出してるつもりかもしれない。
ようは言い方と受け取り方の問題なんじゃないかな、って思うよ。
強いリーダーがいない共同企画は、お互いに敬意を持ちあって、さらにそれを逐一態度に表さないと、うまく回らないよね。ここは経験談。
まだまだ勉強不足が目立つ輩ですが、DTPやWEBのデザイン及び製作をして生計をたてています。
最近、webで知り合った人と一つサイトを作ろうという話になりました。
それは3年程付き合いのあった方から声をかけてもらったのがキッカケで、
その方と、その方の友人を紹介してもらい、3人で立ち上げることになったのです。
趣味ということなので無償で、コジンマリした場にしようということでした。
色々クリアすべき課題はありましたが、良いものができれば・と、
製作をはじめるまでの必要な人集め・企画出しにも可能な限り力を尽くしました。
私以外のメンバーは特にwebや企画や製作に慣れているという訳ではないので、
デザイン(アイディアラフ)に対し、立上げメンバー・上述の2人が遠慮なくダメ出しするようになっていました。
彼らは(ビルダーなどのソフトを使って)webページを作ることはできるようですが、
コーディングはできないと言うので、実質作業も私一人でした。
とはいえ、彼らも実現させたい希望があるだろうと、できる限り意向を汲もうとしたのですが、
途中から、製作者の署名もつけさせてもらえないということが分かり、
プレサイト完成した日に"言うだけ人間を相手にするとこちらも疲れる"という旨を相手に告げたのです。
それを言った日から、随分と幼稚な当てこすりを言われることが続き、とうとう我慢ができなくなってきました。
(ある時は私が書いたラフスケッチに「ここは太く!ここは不要!」などの上書きがされて送り返されてきました)
ダメ出しは良いのですが、修正やアイディアにも時間はかかります。
にも関わらず、遠慮なく言ってくる相手の姿勢に辟易してしまい、
積極的に関わりたくなくなってきているのです。
立上げ人以外の 他のメンバーから見れば、
私は(誘ったくせに途中で消極的になり)随分酷い奴だと思われているでしょうが、
一体何をどういって理解してもらえばいいのか分かりません。
プレサイトが完成し、私が最初に怒ったときに
"互いに持っているものが違うから、それを理解した上で発言をしてくれ"という趣旨のことを相手に言いましたが、スルーされたようです。
正直なところ、無償で作業を強いられることが(最初はよかったのですが)今の自分には苦痛で仕方ありません。
「先方との打ち合わせのための叩き台」に、なんで完全動作モデルが必要なんだ。
まだ何も仕様が固まってないうちにそんなもの作ったら、100%手直しが入って1から作り直しになるのが目に見えてる。
ラフスケッチ+基礎モデルで理解できないってのは想像力のない奴が悪い。服のオーダーで生地とデザインスケッチなり作例写真なり見て理解できないからって「取り敢えず作ってみてくれ」で出来たものに「イメージと違うから没」とか言ったら殺されるぞ。ていうか買い取れ。
いや、別に作り直しを含む工数を全部請求していいなら構わないんだけど、こういう奴らに限って作業量じゃなく完成品にしか金を払わないとかゴネるんだよね。
そういうのはまず違うから安心して欲しい。アーキテクトもインタラクション設計もUI設計もマークアップもコーディングもデザインじゃない。
そう、designには設計という意味もある。だから辞書を引いて自分がその定義に当てはまる気がするならそう自称してもいいんじゃないかと思うわけだ。
しかしちょっと待って欲しいのだが、これが「デザイナー」でなく「ナード」という名前でWebに従事してマークアップからレイアウトからスクリプトの人をまとめてdesignする者と同じ意味で呼んだとしてそれを望むだろうか?
デザイナーへの憧憬はまずファッションデザイナーにある。ファッションは上流階級、富裕層、芸能界の注目する華やかな世界での主役の一つだ。そしてスーパーカーでスターダムにのし上がったカーデザイナー。
彼らはその卓抜したセンスで社会を見つめ無限の可能性の中から最良の一つを選び出す。それは手書きのラフスケッチ一枚であったり、手で握りつぶしただけの粘土であったりする。
それを現実の形に直すのはパタンナーであり針子であり、クレイモデラーであり、プロダクトになるまで、配送の配達員に至るまで無数の人間がかしずき従うヒエラルキーがある。
「デザイナー」とは政治経済と異なる第三の社会における現代のシャーマン、神の宣託を受けた選ばれたカースト最頂点なのだ。誰もが敬意を覚え憧れずには居られないとしても当然のことだろう。
それが現代社会の構造下で適切なものかどうかは置いておくとして、だ。
高校野球で有名な教団、戦後に急進した宗教団体がある。今はかつての勢いがないそうだが最も影響力を発揮したと思われるコンセプトがある。
20世紀初頭、現代芸術がコンセプチュアルアートに傾倒する中で素人目にそれはアートと自称さえすればアートに見えるという提案にしか見えなかった。その団体はそのギミックに注目し信者たちに自分たちはアートだと言ってみせたのだ。
もちろんアートとは数千年間権力者の下にあって富と権力の象徴であり権威の象徴である。それが自称すれば手に入るのだから悪い気がしない。誰もが自分の行為すべてがアートだと称し始めた。
世間で通用する意味と辞書に並ぶ解釈可能な一覧との差を利用して僭称してみせるのがハックだというのだろうか。愚者とは何かと問われれば分をわきまえない者だと答えることができるだろう。