2007-08-10

デザイナーだって?お前がなりたいのはシンデレラだろ?

自分がデザイナーかどうか迷ってるという連中が居るそうだ。

そういうのはまず違うから安心して欲しい。アーキテクトもインタラクション設計もUI設計もマークアップコーディングデザインじゃない。

でもWebデザインって言うんだからデザイナーじゃないの!?

そう、designには設計という意味もある。だから辞書を引いて自分がその定義に当てはまる気がするならそう自称してもいいんじゃないかと思うわけだ。

しかしちょっと待って欲しいのだが、これが「デザイナー」でなく「ナード」という名前でWebに従事してマークアップからレイアウトからスクリプトの人をまとめてdesignする者と同じ意味で呼んだとしてそれを望むだろうか?

デザイナーへの憧憬はまずファッションデザイナーにある。ファッション上流階級富裕層芸能界の注目する華やかな世界での主役の一つだ。そしてスーパーカースターダムにのし上がったカーデザイナー

彼らはその卓抜したセンスで社会を見つめ無限の可能性の中から最良の一つを選び出す。それは手書きのラフスケッチ一枚であったり、手で握りつぶしただけの粘土であったりする。

それを現実の形に直すのはパタンナーであり針子であり、クレイモデラーであり、プロダクトになるまで、配送の配達員に至るまで無数の人間がかしずき従うヒエラルキーがある。

デザイナー」とは政治経済と異なる第三の社会における現代のシャーマン、神の宣託を受けた選ばれたカースト最頂点なのだ。誰もが敬意を覚え憧れずには居られないとしても当然のことだろう。

それが現代社会の構造下で適切なものかどうかは置いておくとして、だ。

高校野球で有名な教団、戦後に急進した宗教団体がある。今はかつての勢いがないそうだが最も影響力を発揮したと思われるコンセプトがある。

人生アートである」

20世紀初頭、現代芸術がコンセプチュアルアートに傾倒する中で素人目にそれはアートと自称さえすればアートに見えるという提案にしか見えなかった。その団体はそのギミックに注目し信者たちに自分たちはアートだと言ってみせたのだ。

もちろんアートとは数千年間権力者の下にあって富と権力の象徴であり権威の象徴である。それが自称すれば手に入るのだから悪い気がしない。誰もが自分の行為すべてがアートだと称し始めた。

世間で通用する意味辞書に並ぶ解釈可能な一覧との差を利用して僭称してみせるのがハックだというのだろうか。愚者とは何かと問われれば分をわきまえない者だと答えることができるだろう。

SOHOが内職詐欺に会った主婦を指すように、敬われたいと自称することで自らを貶めることになるのだ。

名を騙る詐欺師は少なくともそのリスクを受け入れる。それすらしない怠惰な愚者に必要なのは侮蔑しかあるまい?

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