はてなキーワード: フルコンタクトとは
世の中からいじめや喧嘩やいざこざが絶えることは無い。私なら、子供にはそういうことへの耐性と対処の術を学んでもらいたい。創作からも、歴史やノンフィクション作品からも、子供自身の経験からも、子供には争いへの心身両面での対応策を身につけてほしい。
フルコンタクトの格闘技はやり過ぎにしても、武道の一つも習わせておきたい。そうすれば、子供は少なくとも格闘への自身の向き不向きを知るだろう。格闘に向いていると子供が気付いたなら、数年は継続して習うよう励ましたい。そうすれば以降の人生で肉体的な喧嘩の火の粉は降りかかりにくくなるし、降りかかってきた火の粉は払いのけやすくなる。逆に、子供が自分は格闘には向いていないと気付けば、格闘せずともやっていける方向を自分自身で探ろうとするだろう。
無菌室で育て続ければ、その部屋の中で育てている間は菌に感染することは無く、菌に感染して病を得たり死んだりすることは無いかもしれない。しかし部屋から一歩出れば色んな種類の菌がいたるところに存在する。様々な菌への耐性もつけず、対処の術も知らずに無菌室で大事に育てられた人間は悲惨だ。
WTテコンドーが日本に入ってきた詳しい経緯は分からなかったが、全日本テコンドー連盟の沿革を見ると、1981年の設立とされていて、初代総裁は高橋信義となっている。
どのような人物なのだろうかと思って調べてみると、新日本義人党という右翼系暴力団の二代目組長の名前が出てくる。
調べてみれば、義人党というのはかつて上野・浅草を拠点として存在していた暴力団で、ドヤ街・山谷で日雇い人夫の管理を行っていたり主な資金源として手形詐欺と薬物の密売を行っていたりしたが、92年頃に解散しているとの事だ。
義人党を率いた高橋三兄弟(信義氏は三男)は韓国と太いつながりを持っていたフィクサー児玉誉士夫を師として仰いでおり、児玉の実働部隊として活動していた。
この事から、義人党は韓国や政界にパイプを築いており、日本テコンドー協会は高橋総裁の退任後に自民党の親韓派議員達が歴代会長を務めていく事になる。
一方、在日本大韓民国民団は独自に在日韓国人子弟の為に在日本大韓テコンドー協会を設立して韓国人師範を招聘している。
また、防具空手鷲会の塩谷巌(財団法人東興協会理事長)は空手指導者として招かれた韓国で空手を指導すると同時にテコンドーを学んで日本に持ち帰り、日本テコンドー協会とは別にテコンドーイーグル会を立ち上げている。
更に90年代にはニューカマー系の韓国人師範達が日本に渡って各地に道場を開くなど、80年代初頭から90年代にかけて様々なルートを通して韓国から日本にWTテコンドーが流入してきた。
それゆえ、今日に至るまで日本のWTテコンドーが統合と分裂を繰り返している。
一方、ITFテコンドーを日本に持ってきたのは朝鮮総連副議長や北朝鮮の最高人民会議議員を歴任した経歴を持つ「さくらグループ」の全鎮植社長だった。
韓国からカナダへ亡命して北朝鮮に渡っていたITFテコンドーの創始者である崔泓熙総裁に直接頼み込み、崔泓熙の高弟だった朴炡泰を日本に招聘すると、在日朝鮮人空手家をテコンドーの指導員候補として自身の会社に雇い入れた。
この時、さくらグループのテコンドー事業の責任者を務めていた黄進は高名な空手家・姜昌秀(日本名:中村日出夫)の道場で指導員を務めていたが、テコンドーに転向している。
また、同時期にさくらグループに入社して朴炡泰に師事した極真空手出身の河明生はITFテコンドー初期の師範として活躍した後にITFテコンドーから独立してJTAテコンドー(フルコンタクトテコンドー)を立ち上げ、日本独自のテコンドーを追求しプロ格闘技の世界に多くの選手を輩出している。
右翼・ヤクザ・日本・韓国・北朝鮮・民団・朝鮮総連とその始まりを見れば非常に多様性にあふれる日本のテコンドー界。これは中々どうして決して一つに統合されない訳である。
格闘技は大好きだった。自信のなかった自分を救ってくれたのは格闘技だった。フルコンタクト系の空手を10数年続けてきた。
結局強くはなれなかったけれど、練習は自分にとっての修行だと考え、真摯に向き合ってきた。
先生に恵まれ、稽古仲間にも恵まれた。とても充実した時間を稽古の中で過ごすことができた。
K-1を見るのも大好きだった。道場では、フランシスコ・フィリヨ選手に稽古をつけてもらったこともある。ニコラス・ペタス選手には何度も手取り足取り教えてもらった。ものすごく楽しかった。武術家で、プロの格闘家でもあった彼らは、自分にとってのヒーローだった。憧れの対象だった。強くなりたくて、彼らの動きを見て、自分なりに研究しもした。結局、強くはなれなかったけれど、かけがえのない貴重な時間を与えてもらえた。
さて、中国武漢発の新型コロナウイルスが世界中に惨禍を撒き散らしている昨今、こういう状況下でK-1という一大イベントが開催された。やってはならないことだった。国に責任を押し付ける人々も多いけれども、それは子供じみた理屈だ。大きなイベントの主催者は、興行が不可能になる事態もあらかじめ想定して、中止のオプションも持っていなければならない。今回のK-1開催は、巨大な感染源を作る恐れが大いにあるなかでの、極めて危険な行為であり、多くの専門家が身を削って対策を練り、実行に移し、大勢の人々が感染を食い止めようと重ねてきた努力を無にするおそれのある非常に危険な行為だった。
主催者は、己の経済的得失と日本人全てが負うことになるリスクを天秤にかけ、己の利得を優先させたのだ。
K-1に出場した選手たちのなかには、誰がなんと言おうと格闘技は素晴らしいんだとか、こういう時期だけれども格闘技でパワーを得て帰ってほしいなどと、アドレナリンが頭に満ちたような言葉を発して盛り上がっていたようだが、端から見ていてばかにしか見えなかった。
彼らのように強くなりたいと思って努力を重ねてきた自分なのだが、なんだか冷めた。
落ち着いて考えれば、しようがないのかなとも思う。格闘技しかやってこなかったような人たちなのだ。極端に視野が狭い。特定の分野だけに限定した思考を重ねて来た、一種の天才たちなのだろう。視野の狭い思考しかできないというか、あえてそうなるように努めてきた人たちなのだろう。一般的な想像力に欠ける。そうでなければ、他人の頭部を思い切り繰り返し打撃するなど、できたものではない。
殴り合いや蹴り合いに強くなるよりも、もっと大切なことがあるのだ、ということを今回のコロナウィルス禍は私に見せつけてくれた。

https://deepmind.com/research/alphago/alphago-vs-alphago-self-play-games/
いやあ、スゴイ。衝撃。これはカケツも泣くわ。
碁だけではなく、大げさに言えば、ヒトとは何か、人「間」とは何なのかを問い質されているかのようだ。
碁がわからない人にもなるべくわかるように書くとですね。
普通は、というか今までの人間の常識では、いきなり接触するのではなくて、少し間をあけて近づくのが常識。
一間とかケイマとか。
そういうのがない。いきなりフルコンタクト。(Games 1の10手目、12手目ナニコレ?)
それから、関心があちこち飛びまくる。
普通は、というか今までの人間の常識では、とりあえず局地戦を何らかの形でまとまらせてから次に行くんですよ。形を作る、というか。暫定的な結論をつける、というか。
ここは実利を与えるけど、その代わり外向きの厚み、勢力はもらうよ、とか。とりあえずどっちの石もすぐには死なない形にはする、とか。石通しの繋がりは確保しておく、とか。
それが全然お構いなし。
戦いの真っ最中に、全く別の場所で戦いを起こす。で、そこも途中で放置して次に行く。で、思い出したように前の戦いに戻る。と思えばまた放置。
それを繰り返すので、今まで見慣れた形がほとんどでてこない。わけがわからない。どっちが勝ってるのかさっぱり不明。
で、格言っていうのがありまして。だいたいこういう考え方でやれば間違いないよ、みたいなやつ。
「ツケにはハネよ、ハネにはノビよ」とか「もたれて攻める」とか。
全部無視。
この格言っていうのは、何となく理屈じゃなくて感覚的なもので、しっくりくるところがあるというか、少し碁がわかってくると、モノの道理というか、「道」というか、そういうものに感じるようになっているんですよ。今まではそうだったんです。
水は低いところに流れて行く、みたいな感じで。物理でいうとエネルギー保存則的な。細かい経過はともかく、最終的にはそうなるんだよ、という大きな流れがあるように感じてたわけです、我々人類は。
嘘だったんですよ。まあ、全部じゃないですけど、かなりの面で。
人間の感覚なんて全然あてにならない。ということをAlphaGo先生は、つまり神は我々に教えてくれたわけです。
そういう人間の感覚っていうのは、最適解ではなく、次善の策なんでしょうね。わからんなりに大コケしないためにはこうしておけばそんなに間違いではない的な。
で、これまではその感覚をより体得している人が強い。達人。仙人。そのレベルの戦いだったわけです。
それが突き詰めれば、穴だらけだった、と。
で、これをもう少し拡大解釈すると、人間社会にも適応できる可能性に気づくわけですよ。
つまりですね。
空気を読みつつ、間合いを取りながらの人間関係は決して最善のコミュニケーションではない、とか。
一つのことを形にまとめる前に、その時々でもっとも重要と思うことにあれこれ同時に手を出していくというやり方の方が良いかもしれない、とか。
多分、高次元の能力を持った人はそれが良いんでしょうね。実際そんな気もするし。
いろいろ手を出す、と言っても、脈絡無いわけでは無いんですよ、ホントは。遠いところで実は関連があって、今手を出しているところも、実は遠い場所での事柄とうっすら関係している。だから、ここはあえて結論を出さずに、先に別の事業を進めておく。その進捗具合によって方向性を変える、という柔軟性がいるんでしょうね。
それで、やっぱり違うと思えば、これまでの労力は無視して大きな投資もあっさり捨てる。サンクコストは気にしない。
さらに敢えて踏み込んで例えると、
理解できない能力の者から見ると、パーソナリティ障害だったり発達障害、ADHDみたいに見えることもあるんでしょうね。
もしかしたら、発達障害的な特性って能力さえあるなら最適な行動様式なのかもしれないですよね。
まあ、あってるかどうかはともかく、そんな様々な由無し事を、問い直し、突きつけてくるだけの衝撃がAlphaGoにはありますね。
そらカケツも泣くわ。
で、なぜこのような人の常識を問い直すようなことが、チェスや将棋でなく、碁で起こるかというと、それこそが碁というゲームの奥深さ、面白さだと思うわけです。
で、それに目をつけたGoogleは本当に正しい選択をしたと思います。
柔道の危険性はデータを持って示されているが、武道は柔道を含んだままいまだ必修として続いている。
たとえ必修でなくても部活動としての柔道は変わることなく続いていくだろう。
しかし、柔道と言うのはデータを示されるまでもなく、それどころか部活動としてやるものとしても危険すぎる競技である。
主にそれは、近代までに日本で発展した人を打ち倒すための技術を競技化したものを指し、剣道を筆頭に、柔道、空手道、弓道、居合道、合気道、相撲道などを含む。
武道は、特に二つのカテゴリーに別れ、一つは演舞を持って競い合うもの、相手を敵とせずに的もしくは協力者を持って自分の技術を示し合う競技である。これには弓道や居合道、剣道や柔道の型などが含まれる。
もう一つは実際に敵を相手とし技を仕掛ける格闘技に類する競技である。剣道、柔道、空手、相撲などが含まれる。
前者の安全性は比較的高いものである。当然武器の目指す先が人ではない、もしくは打ち倒す目的ではないため、人を打ち倒すための技術を用いても危険性は低い。
一方で後者の危険性は高い。人を打ち倒す技術を人を打ち倒すために使うため、当然のことである。
後者の中で、柔道と相撲は主要武道の中でも特に危険な競技である。
その理由は、この二つの競技にはプロテクターが存在していない、ということに尽きる。
剣道であれば、慣れ親しんだ防具が思い浮かぶことだろう。
空手は、生徒であれば直接殴りあうフルコンタクト式ならプロテクターは必須であるし、寸止めであってもプロテクターをつけるのが普通だ。
武道でなくとも同じ格闘技のアマチュアボクシングは、ヘッドギアと大きなグローブの義務がある。
一方で、柔道と相撲にはプロテクターと呼べるものは存在しない。申し訳程度、柔道にはたたみがあるだけである。
しかし、中学高校で一般的な、スプリングの入っていない、床に敷いた畳と言うものは当然硬く、危険性が大きい。
締め技関節技等の制限が行われたとはいえ、戦前から一切変わらない安全基準で行われるスポーツと言って良い。
敵の攻撃から体を守るのは基本的に自らの習得した防御技術だけと言う競技だ。
ところが、その柔道、相撲の部活で競い合うのは、お互いに未熟な児童生徒学生たちである。
運動で体が熱くなり、試合や乱捕りで敵対すれば興奮し、普段よりも無茶な状態で無茶な技をかけることが多くなる。
プロテクターが存在しない柔道や相撲は、失敗した時に守ってくれるものは何一つなく、その時点で怪我が確定するといって良い。
柔道は投げ技で、相手の体を畳みにたたきつける打撃を行い、関節技で骨を痛め、締め技で意識を奪う競技。
相撲は張り手で叩き、投げ技で土にたたきつけ、押し出して土俵から落とす競技。
体験的な話で不正確だが、中学高校の柔道の試合では、1つの大会で必ず1人以上のけが人を目撃する。
大相撲で怪我をしていない力士だけでとった場所が近年存在しただろうか。
考慮すべき安全と言うものが、武道の伝統という言葉で覆い隠されている。
剣道は竹刀を作り、防具を作った。空手はプロテクターを取り入れた。柔道は本来着ていた防具を脱ぎ捨てて、身を危険に晒した。相撲は裸である。
当然プロやオリンピックといったレベルのものを変えるべきではないかもしれない。
しかし、そのアマチュアもしくは学校レベルの段階において有効に使えるプロテクターを考案すべきだ。
空手にはいくつも流派があって、有名なのは極真や正道会館といった直接身体に拳をあてるフルコンタクト空手だけど、僕が入門した近所の道場は寸止めルールの伝統派だった。
あれは小学校に入学する前だったのか後だったのか、ともかくそのころやってたアニメに影響されて始めたのははっきり覚えている。
そんな理由で始めた空手だったからそれほど熱心にやってたわけではなくて、最初のころは練習時間に居眠りして怒られたりもしたけれど、なんとなく惰性で続けているうちにそこそこは強くなって、試合なんかにも出るようになった。
当時の小学生の試合は男女の区別がなく学年で分けられてただけだったけど、中にはとても強い女の子もいた。
その子は僕が通ってたのとは別の道場の先生の娘で、その地区では何度も優勝している実力の持ち主だった。
試合はトーナメント制だったのでお互い勝ちすすめばいつかは当たることになるのだけど、僕はなぜだかいつも早い時期にその子と当たって毎回負けていたので、小学生のころは一度も入賞したことがなかった。
中学3年のとき、地区大会の型の試合で初めて準優勝して全国大会に出れることになった。
長年の努力が実を結んだ、なんてことではなくて単に高校受験のために選手層が薄くなっていたのだ。
全国大会出場者は地区の本部道場で強化合宿をすることになっていたので僕もそれに参加し、同じく参加していた彼女とそこで初めて話しをする機会があった。
僕のほうは何度も彼女に負けていたので当然覚えていたのだけど、彼女にとってはトーナメントを勝ちすすむなかで当たった相手のひとりでしかない。
記憶になくても不思議はなかったのに、彼女のほうから「試合で何度も当たったよね」と言ってもらえたのは嬉しかった。
決して可愛くはない彼女が、そのときはすごく可愛く見えた。
高校1年の終わりに引越すことになって、通っていた道場に行けなくなったときに僕は空手を辞めた。
彼女のこともたまに思い出すことがあるくらいでしかなかったのだけど、今日(日付でいえばもう昨日になっているが)20年ぶりに偶然再会した。
再会といっても向こうはまったく気づいてないだろうし、第一本人かどうかも確かじゃない。
近所のドラッグストアでレジ打ってる女性の顔になんとなく面影があり、レシートに打ち出されていた名前が同姓同名だっただけだ。
確かめたいとも思うけど、確かめたところで意味がないことでもある。
次にその店に行ったとき、もし彼女がレジに立っていたら僕はどうするんだろう。
話しかけてみるだろうか、知らないふりをするだろうか。
どちらにしても後悔しそうな気がする。