はてなキーワード: 童貞とは
宿直室でぬ~べ~が鼻血を垂らしながらエッチなビデオを見ていて
ああ、やっぱり世の中にはこういうエッチなビデオがあるんだな…って思った
風俗については未だに行った事も無いしよく知らないから何とも言えないけど
「そんな大金を使ってでも行きたいか!?」という気持ちと「そんな大金を使ってでも行きたい何かがあるんだろうな…」という気持ちの両方が同性の男達にある
「好きな人以外とこんなことしていいのか」っていうのはあれ、男って言うのはエッチしたい=その相手を好きになるみたいな感覚だと思ってるからおかしな事とは思わなかった
ピュアだったから好きでもない相手だけど性欲の捌け口には使う、って発想はベルセルクとか性的な描写がある青年漫画を読むまでは無かったけど
「女/性的体験を金で買うなんてキモい」も特に無かったというか、デートの時に男がお金を出すのと一緒くらいの認識しか無かったと思う
男は女に金銭や貢物を捧げる事でデートしてもらう、って観念が昔からあったのかな?男が魅力的すぎて女の方から自然と寄ってくるって発想が無かった
風俗を一度も利用した事が無い、成人しても童貞って男は多分極少数だと思うから「一般的な男」の参考にはならないだろうなと思うけど自分はこんな感じ
中学生か高校生くらいの頃?それこそ性欲のピークだった時期くらいに一度性嫌悪になった気もするけどあれは何だったんだろう
今ではそうでもないけど、どんな人でも一度は性行為を行った事があると考えるとそれが凄く汚らわしい事のように思えてならなかった
別に焼肉に限った話では無いが、おごってもらうとなったらどうしても相手が払う金額のことを気にしてしまう
加えて、ごちそうさまでした。というタイミング等を脳内でシミュレーションしながら食べるため腹だけ膨れて、
最後も、おごってくれた人リストを編集してお返しスケジュールを組むことで頭はいっぱいである。
自分は、おごってもらうのが当たり前な立場になったことが子供時代を除いてない人間であるというのもあるが
(参照:「優生学について知りたいのに、誰にも聞けない」https://anond.hatelabo.jp/20220120142843)
つまり最近進撃の巨人でジークが主張してるエルディア人安楽死計画(エルディア人の断種)なんかは反出生主義というかもろ優生思想な訳ね
https://anond.hatelabo.jp/20220121151104
行為者(ジーク)が「対象(エルディア人)が苦しんでいるのは生まれてきたからで、生まれてこなければ苦しまない。対象の苦しみを失くしてあげよう」と思っているならそれはその対象について「反出生主義」(対象がそれを望んでいるという意味ではない)。
断種の対象を疾病または災禍ととらえて「対象者が今後生殖をおこなわなければ(対象者以外の)人類がより良いものになる」というのが「優生思想」。これは断種「されない側の視点」の話で実行者の真意がどこにあるかとはまた別の話。
まあどんなに理想的に聞こえる理屈をこねまわしても断種対象者以外のホンネは個人的な妬み恨み復讐メシウマ優越感または自分がその対象になりたくないという恐怖だったりするわけだ。そしてその行為の対象がマイノリティーの場合「対象者自身はどう考えているか」はあまり考慮されない。というか相手の立場になって考えられれば初めからそういう発想は出てこねーんだ、そもそも。
いや違うな。
それが対象にとってどういうことか分かってるから自分は嬉しいし自分にはされたくないし、でもそいつらにはそうしてもいいという理屈を小賢しくひねくり回すわけだ。「社会のタメですー(笑)」とか言って。
人間の中からケモノが顔を出せば理屈は喜んでシッポを振ってついてくる。
無意識にしろ意識的にしろホンネをゴマ化す(ヘ)理屈を自分で唱えてりゃまだいい方で人口のうち多数を占める愚民は「これは社会(国家・世界・人類)にとって良いことなんです。あなたに損はないですよ」と言われりゃさも自分は正しいことをしてやってるんだというドヤ顔で他人を踏みつけ自分の動物的な感情を充足させ、勘定は政府やら世間やら他人に回す。自分には何の才能もなく何の努力もしなくてもたまたま多数側に生まれただけで他人より優れていると思い込めるんだからそもそも文句はないが、ひょっとしたら何割かは「社会が良くなる」というお題目を本気で信じているかもしれない(それは自らの優越感を意識していないという意味ではない。社会のためはオレのため、二方三両得ってだけの話だ)。
「ミンシュシュギ」のオダイモクも愚民が唱えりゃただの多数決の独裁になる。「自由で平等」なのは多数派の間だけでそのうえ独裁者は「多数」だからそのうちの誰一人として自ら責任は取らない。「衆愚に生まれて安心安全」システムだ。
本当の「民主主義」は「多数決」とイコールではない。民主の「民」は多数派だけでなくすべての少数者ーー病人かタワキ違いハク痴外人アイの子こども年寄り男女女男童貞オタク売タその他ーーも含めて全員自由で平等でなければいけないし、民一人一人は全員が自分自身のそして社会の「主(あるじ)」として全てのことに責任を負わなければならない。代議士はあくまで民の「代表」でありその責任は最終的に民全員に帰する(だから代議士は民意に従う責任がある)し、少数者(マイノリティー)だけにババを引かせるやり方は民主主義ではない。
自分に都合がいいことを聞いた瞬間に思考を停止する低級な動物が多用したがるキメ文句のひとつににベンサム(1748 - 1832。イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者)による「最大多数の最大幸福」という言葉があるが、これは「個々人の幸福の総和を最大にするのが正しい行為・政策である」という意味で(愚民がそうであってほしいと願うような)「多数を幸福にするためなら少数を不幸にしてもいい(そうすれば幸福な人数が最大になる)」という意味ではもちろんないし「少数の不幸は多数のメシウマ」を肯定するものではない(当たり前だ。普通にサイテーである)。個々人の幸福の総和を最大にするにあたってベンサム自身は「個々人が幸福を追求できるように法律で私的不可侵領域を定める必要がある」としている。ようするに「たとえ多数派がそうすることで幸福を感じるとしても他人の私的なことに手出し口出ししてその人を不幸にしちゃいけませんよ」ということだ。たとえば自分が幸福になるために自分が結婚したりしなかったり子供を産んだり産まなかったりするのは正しいが、自分が幸福になる(感情的にも経済的にも社会制度的にも)ために他人に結婚させるさせない・子供を産ませる産ませない権利は誰にもありませんよ、ということである。
この「他人」がマイノリティーであっても当然全く同じことでたとえ「同性カップルは結婚しても子供が生まれない。税収が減る年金が高くなる国が(:読み:「オレが」)損する」と思っても自分が結婚したい時に結婚して制度上の優遇を受けられるなら他人に同じことを禁止する正当性はない。「結婚はするが子供は作らない」のは同性カップルに限った話ではないし、それでも制度上の優遇が不当だと思ったら結婚に付随する優遇措置は一律に廃止すればいいのである。少子化が問題であるなら公的な扶助、優遇措置は既婚未婚ジェンダー性指向等いかなる属性にも関係なく実際の出産または養育の実態に対して行うべきだ。
生殖というのもまた自らの生存に次ぐ(どちらかと言うと結婚制度よりもなお)私的な不可侵領域であるがこれを本人ではなく誰か他の人が「おまえは生殖してもいい。おまえはダメ。社会のタメだから(笑)」とやるのが優生思想である。特定の人たちを(未来の)社会から「居なくすれば」社会はもっといいものになるらしい。しかし居てもいい人間いけない人間を本人の都合以外で選ぶ社会はすでに民主的な社会ではない。
社会のメンバー全てに平等の権利を認めた結果として社会に何らかの不利益が生じた場合、民主的な社会ではその不利益は全てのメンバーに平等に配布されなければならない。利益は多数派だけに分配し不利益はマイノリティーだけに分配(またはその逆)してはいけない。個人の幸福の総和は全ての人の幸福を高め全ての人の不利益を削減することで得られなくてはならず、不利益を一部少数者に集約した上で「[その少数者の属性]なんてこの社会には存在していない」ことにして残りの幸福だけを勘定してはいけないのである。それが「民の一人一人全員が社会の『主(あるじ)』として責任を負う」ということである。
もちろん「民主主義」というのは人間の価値観のひとつであり宇宙の絶対法則ではないので他者に由来する不利益に対して責任を負うことを一切拒否するのも個人の自由であるが、その場合民主主義社会によってもたらされる幸福の方も全て自ら辞退するのがフェアな態度であろうと思う。民主主義社会において多数派に属することの恩恵は(本人が自覚しているいないにかかわらず)計り知れず、本来数的にもその影響力も取るに足らない少数者・社会的弱者にイジワルするためだけにその恩恵を手放すというのも到底得策とは思えないが、けだし度し難きは小人なり。生まれつき享受している恩恵というのは本人には認識できないものなのかもしれない。
ニュー・シネマ・パラダイスという映画に、村の青年の童貞を奪う、中年女性がいる。
中年の女性からしたら年下は魅力的だし、童貞を捨てたい男はいる。
女性側は認めたくないかもしれないけど、マッチングアプリの中年女性って、そういう役割を社会的に担ってるんじゃないのかな。
残酷だけど、本人は嫌だとしても、そういう存在って社会に必要だし、できるんだと思う。
婚活女性って、自分が知らず知らずのうちに、そうなってるんじゃないかな。
自分が気づいていないだけで。
毛深いらしく、センスもダサい。(自分では個性派でセンスがあると思っているのが痛い。)
彼女がいなくて(高校以来付き合ったことがなく、高校時代も未経験で別れたらしい)、マッチングアプリでもからきしモテないらしいが結婚願望は強く、子どもも欲しいらしい。でも三十路になっても、好きになった人以外とは付き合いたくなく、風俗で童貞を捨てることもしない(恥だと思ってるらしい)夢見る夢男くん。
え?ほんとに結婚する気ある?
なんで歯並び直したり、脱毛したり、センスを磨いたりしないのかマジで疑問。
マッチングアプリの女はいいのがいないので、職場で彼女を見つけたいらしいが、いや無理だろ。
それだったら人一倍努力して、自信もって堂々と振る舞えばいいのに。自分を変える努力をしないありのままの姿を好きになってもらう、ってあまりにもムシが良すぎるだろ。その精神がキモい。
取引先の一つと打合せしていると、「それはセイカンが~」とか「セイカンの者が~」というワードが度々出る。
俺のアタマの中では"性感"としか変換されず、聞くたびにモンモンとさせられていた。
そんなこんなで日々が流れゆく中、次回の打合せにはセイカン(オレアタマ=性感)の女部長が出席することになった。
30超えても童貞の俺は性感の女部長にグチャグチャにされるのかと思うと、前日から夢精が止まらなかった。
打合せ当日。
リモート打合せの出席リストに表示されていたのは「生産管理部門 部長 〇〇」という字面だった。
ちなみに、女部長はおそらく50歳前後であるとは思われるものの、ムチャ美人で聡明だった。
生管だか性感だか知らないけど、とにかくグヒャグヒャにされてみたかった。
(余談)
同じ取引先の話。
「それはカダイの〇〇が~」というワードもちらほら聞くことがあった。
課題?
その会社が扱いに困ってる課題の人物なのか?とか思ってたんだけど、どうやら「課長代理(課代)」のことだったみたい。
要するに係長のことか。