はてなキーワード: 生存権とは
宇髄天元の嫁三人がピンチになり、一人は宇髄によって救助されたが、あとの二人は堕姫の帯に取っ捕まったまま。そこへ伊之助が駆けつけて、嫁二人と善逸を助けようとするが帯が手強い。
そんな修羅場に、宇髄が颯爽と華々しくド派手に登場。
宇髄の嫁の一人が呆然状態でモノローグ。その内容を聴いてへぇってなった。
宇髄の嫁三人組は宇髄に依存しているところがあって、強い男万歳って感じだ。だが、かれらの故郷、忍の里では、女は男に力で劣るので生存権がない。命を捨てるのは最低限の努力だったという。
だが、宇髄は嫁三人達に生きろという。宇髄にとって最優先は嫁三人の命だと。死なないことを約束させる。
ゴリッゴリに家父長制的価値観に満ちている鬼滅ワールドの時代は大正。現代よりもずっと昔の話であり、男女の平等は遥か遠い話。生きる権利すらない女達が一人の強い男によって生きる権利を付与される。まだそんな段階の話なんだなあ。
強いといったって、宇髄は柱最弱という設定なのも興味深い。
うーん
ゾーニングするしないに関わらず、萌え絵の存在そのものが「女性(や児童)の生存権を脅かす暴力の空気」「男性が女性蔑視を内包した空気を社会に作ること」に加担しているかが
萌え絵規制の最大の論点だと思うんよね、反差別を掲げるオタクの中にも萌え絵自体がそれに加担しないという声もあれば、加担するという意見もある
で、「萌え絵は差別には加担しない」とか「そういう消費をしないようにすればいい」といった意見は、そういう空気を作り出す事に加担してるどころか
欧米、特にヨーロッパの難民を見ていると、難民先(ドイツ等)に対して、職や自国民と同等の権利をあてがえ、一方で自身の信教にも配慮しろ、という主張が散見できる。
自分自身、難民になったことは無いし、難民の知り合いもいないという前提で発言するけど、一日本人的な主観としてはこれは傲慢だと思う。郷に行っては郷に従え。ヨーロッパにも似たようなことわざがあるよね。
人道的な難民キャンプを作ってくれれば、そこで生活します。衣食住も標準的なものを提供してもらえれば構いません。その上で、我々も代表者を選出し、国際社会に向けて我々が無事に帰国できるようアピールします。
って主張するのが、本筋だと思うんだよなぁ。
こう言うと先進国の傲慢だと思われると思うけど、難民ってのは自国で迫害されて、生きるか死ぬかで逃げてきている(っていう定義な)んだから、仕事などプラスαの権利の前に、まずは生存権の保障を要求し、難民先もそれに応えるべきだと思う。
いきなり働かせろ、就労ビザをよこせ、ってのは、その国に住む人のみならず、その国で審査をパスして就労ビザを得た外国人に対しても、大変傲慢な主張なんじゃないかと思う。
お前が難民になっても同じ主張をするなよ、って批判する人もいるかもしれないけど、それはなってみなければ分からない。
ただし、仮に他国の税金で養ってもらう立場になるのであれば、それは当然の権利として受け取るのではなく、その国の納税者に感謝するとともに、その国のルールに従って権利を享受したいと思う。
政治の首がすげかわっても行政担当してる官僚とかが変わらないならあまり変化は起こらないんじゃないのと思うんだけど違うのかね。
過激な人が総理大臣になったらその国民に害をなしそうな方針にも官僚は完全に言いなりなんだろうか。
そこは頭がいいんだから命令に遵守するふりをして、実際は「いいように」その方針を行政として実行するにとどまるんじゃなかろうか。
うろ覚えだが江戸時代でも何円(通貨単位には突っ込むな)以上盗んだら死罪という法律があったものを心ある奉行はそれより1円分少なく盗んだということにして死罪を回避させたという話があった。まあ現代でもそういうふうに総理大臣が横暴な政治を行おうとしてもその具現化を担う行政官は融通効かせるんじゃないですかねって話。
話は変わるが弱者がマイノリティーだとすれば、量で決する政治制度は弱者には危険だと思う。
まあ荒唐無稽な仮定なんだけど高卒以上は年収が500万に達さない場合その分だけ補助金が支給される、高卒未満が最終学歴の状態で成人した人は死刑になるように憲法改正から行っていくという考えの政党ができたらどうなるだろうか。
中卒の割合は2%だからこの政治方針により害を被るために積極的にこことは別の政党に投票しようとする層もたかだか2%前後ということになってしまう。
もし相対的強者にこのような弱者を思いやる心の者がいなければ簡単に議席3分の2以上の議席をとれてしまうかもしれない。
国民投票も余裕で過半数を超え無事弱者の生存権が無視されるように改正、死刑執行、なんて結末も理屈ではありえてしまうわけなんだよな。
過半数とか3分の2とか、そういう量を基準とする議決の仕組みを政治に導入しているのは本当はよくないと思うんだよな。
まあそうなってもミャンマーみたいに心ある警察官のボイコットが始まるかもしれないんだけど。
何が言いたいかというとこういう制度下でしかもろくに思いやりある人がいなくなっちゃうと、たとえば中卒という括りで弱者を定めた場合は2%=300万人とかが該当するわけだけど、つまりそのときの弱者の定め方次第で最大3000万~4000万の相対的弱者の命が積極的に奪われるような社会が実現しかねないってことなんだよな。
これを人数としてものすごく多いと思うのも結局主観でしかないんだろうけど、主観で済む規模なのかなって引っかかりもあるわけで…。
「失業したり、子供ができたり、病気になったり、災害に見舞われたりしてもちゃんと生きていけるシステムをつくってほしい」
って、めちゃくちゃおかしな事を言っているのに気付かないのかな。
何故そこに子供を並べる?他は避けようとしても避けられない不慮の出来事だけど、子供だけは違うよね?
子供は「できる」ものではなく「作る」ものです。自然発生的に子供ができると本気で思っているなら小学校の理科からやり直せよ。
なんでこう、その気がなくともどこからともなく子供が沸いてくるかのような認識で語る人が多いのか。
「失業したり、病気になったり、災害に見舞われたりしてもちゃんと生きていけるシステムをつくってほしい」ならめちゃくちゃ同意するし
「子供を作ったり、海外旅行したり、高級ブランド品を買ったりしてもちゃんと生きていけるシステムをつくってほしい」でも同意するけれど。
施策を始めたときは20代、30代の接種率が飛びぬけて悪かったのかもしれないが、増田のおかげで下駄をはかせる必要がなくなったことに気づけたのかもしれない。
いずれにしても、増田の目的は果たせたし、増田のおかげで摂取できるようになれた40代、50代はいたわけだから、俺から見たらこの質問状は成功だったと思うよ。
よくやったと自分を褒めてやるべきだ。
もちろん、市役所に謝らせるのがゴールだったら、徹底追及してやる!となるべきだろうけれど、40代・50代の生存権を確保するのがゴールだったらこれで目的を達したと思うべき。
NHKかなにかの討論番組で「いい政策なんか出したら官僚に勝手に使われちゃうじゃないですか!」と言っている人が周囲から、「え?なんで?使われていいじゃん?使ってもらうのがゴールなんじゃないの?」と言われていたのを見たことがある。政府を攻撃することを目的とせず、みんなでよりよい社会を作ることを目的にしようよって思う。