はてなキーワード: 理解力とは
どこで他の増田と読みましたの?他人の増田転載する時は転載って書いてるぞ。書いてないのは全部ワイ
とりあえず『どういう立場の人間の尊厳も尊重すべきという思想の元に現行社会制度が立脚している』を理解出来ないって割と深刻なことだと思います
→ それについては以前こっちに書きました https://anond.hatelabo.jp/20230122083219#
でもいつもの増田は学歴・知能コンプもあるみたいなので、ここが理解出来たことは非常に良かったですね
ここはマジで1億回くらい噛み締めて日々生きてもろて。マジでやりたきゃ誰でもテレワーク出来るから
併せて、これも1億回くらい噛み締めてもろて
『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
あとコンプが強い人は、頭良い/悪いの意味や学歴の意味を捉え間違えているみたいなのでそれについても以前書きました
→ 『賢い』とは、"賢くあろう"という信念及び態度のことであり、性質(Character)や能力(Ability)そのものことを指すことはまずありません。自称理性的と同様だね
→ オーバークオリフィケーション(overqualification)という概念。日本のオーバークオリフィケーションの割合は31%、OECD加盟国の中でオーバークオリフィケーションの割合がもっとも高い国
オーバークオリフィケーションみてーな感じでツッコミ入れてほしいなら気が向いた時に付き合いますけど、流石に口語を書き連ねている時と同じスピードでは返信できませんわね
まぁそれはともかく、日本は豊かな先進国だから頭悪くてもなんとでもなるし、すべては運、そして何事も「求めよ さらば与えられん」やで
論拠じゃなく意見
メンがヘラっている単純事務か大昔に仕事やめたっぽい(まったくアップデートされていない)売女メンタル増田には、
その他引用も論拠じゃなく「ビジネス上の自由」についての意見で『相手に不快感を与えない=醜形恐怖症の発想』の論拠は1つもなしどころか、清潔感に関する意見ですらない。
馬鹿だから論拠と意見の違いがわからんのもしゃーない、その程度の言語能力と理解力でテレワークができるなんて豊かな時代だよな。
技術に対する理解力あってマネジメントスキルキチンと発揮できるなら理系だろうが文系だろうがどうでもいいんじゃないの?
他人がオレより稼ごうが稼ぐまいが、俺自身が食いつなぐことが出来ればそれでいい。
そんなのは人余りの時代に採用側が楽するためだけの足切り要素でしかない。
仕事を長く続けてりゃ管理職スキルが身につく訳でもないし、管理職側に技術に対する基本的な理解力は必要だが詳細な技術力なんか必要ない。
歳を取ったらマネージャとか言う思考停止してたらこれから先どんどん人が足らなくなるよ。
若いやつらは右肩下がりで減っていて、転職市場で今一番ダブついてるの40〜50代なんだから。
その世代を末端の労働力として囲わないとまともに労働力確保なんか出来ないよ。
ただ、その世代は晩婚化が進んだ現在ではまだ子供が独り立ちできてないことも多くて、必要な給与水準が末端の労働力としては高すぎるとかはあるんだろうな。
家庭持ってる40〜50代は大変だけど、この世代は独身者も多いだろうから、せめてそういう層だけでもキチンと末端の労働力として確保しとかないと、これから先どんどん末端の労働力が足りなくなるよ。
まぁ、オレがまさに独身で管理職適正のない40〜50代だから思いっきりポジショントークではあるんだが、でも実際問題そういう時代になってると思う。
エンジニアのキャリアパスとして「末端のエンジニアとしてスキル向上すればある程度給与向上が見込める」というのがあってもいいと思うんだが、10社ぐらい色々渡り歩いてきた限りでは見たことないな。
今の会社にもないから、今のままだと危ういなと思うと同時に「まぁ、独身だし最悪はどうにでもなるか」という気持ちもある。
外国からいくら奴隷を仕入れたくても国策の円安が続く限り呼び込める数なんかたかが知れてるし、手元にある腐りかけの資産を有効活用するところから始めればいいのに。
そしたらオレが嬉しいのに。
1,元増田と君が「清潔感はルッキズム」って書いてるからって、それに同意した文章を書かなきゃいけないわけではない。
「書いてあることを理解せずに反論してるから読解力ないよね」に対して「俺は元々こういう主張をしてる」はマジで噛み合ってなくて理解力のなさをメチャクチャアピールしてるんだよね。
2,清潔っぽさの話に「衛生状態」の話し始めるのは読解力がない。
「相手に不快感を与えない=醜形恐怖症の発想」って考えやばすぎる、ビジネスマナーや面接対策とかそういったことに一切触れずに今まで生きてきてるんか?
この記事で言うところの「めちゃくちゃ上手くて心に響く歌手」って既にいくらでもいるんだよね(本来は超難しいことなんだけど だからその「いくらでもいる状況」がおかしいっちゃおかしいんだけど)
本文で例示されてる欧米のスターは勿論そうだし、日本国内でも、なんなら今年の紅白歌手に絞っても、まずMISIAがいて、Superflyがいて、JUJUがいて、miletもいるし長屋晴子もいる、ベテラン演歌勢は言わずもがな、挙げてくとキリがない
この飽和状態で今さら別にAdoにそういうポジションを求めてない、というか、まぁそれはそれで「いい歌だね」ってなるんだけど、新規性がないから「別にMISIAでもいいじゃん」ってなっちゃう 自分はね
>> だから、歌や演奏が、難しいゲームを攻略しているように聞こえてしまう。自らの腕を証明するために、曲中にわざと難所を仕掛けているといったら意地悪でしょうか。 <<
これさ〜クラシックでいうところのパガニーニやリストみたいな「自分の演奏スキルが高すぎるから、自分が上手く弾ける範囲内で曲を作ったら超絶技巧曲ばっかりになっちゃった」に似てるんじゃないかな
Adoの「踊」も「唱」も、King Gnuの曲も、確かに技巧的ではあるけど技巧一辺倒ではなくて、サビは難易度を落としてキャッチーさを優先させてて、曲全体としてはちゃんとポップスとして成立してるから聴きやすくて自分は好きだよ
おそらく作り手もそのバランスは意識してやってる そんな馬鹿じゃない
「はたしてAdoやKing Gnuの曲パガニーニやリストに並ぶほどの歴史的名曲か?」まで問うと、それはこれから時代に長く揉まれても淘汰されないかの検証が必要だから今はわかんないけど
少なくとも記事で批判されてるほどの欠陥が楽曲にあるとは思えないし、そもそも技巧曲はやる人が少ない(できる人が少ない)から数としてはあんまり出てこない、そして極端に技巧に走りすぎると流行らず廃れる
だからAdoやKing Gnuを基準点として日本の今後のトレンドまで危惧するのは杞憂だと思うし
パガニーニやリストは人気だけどベートーベンやバッハも人気だから大丈夫だと思う
それと「『超絶技巧曲を歌いこなせる』ということがAdoの唯一無二の個性なんじゃないか?」って最近思ってて
Adoのカバー曲とか、大物アーティストから楽曲提供されたオリジナル曲とか、いろいろ聴いて「やっぱ歌うめーなー」って思うんだけど、失礼ながらそれ止まりで、「踊」や「唱」を聴いたときのような「これはどう考えてもAdoにしか歌えない」という畏怖や屈服まではいかなくて、ちょっとだけ物足りなさを感じてしまう
いや歌の感想で畏怖や屈服って何?って感じだけど、聴き手にそこまで感じさせるのがAdoの絶対的な個性であり武器だと思う
あとほんとに失礼な話だけど、B’zしかり椎名林檎しかりミセスしかり、「普段は特定のメインボーカルを想定して書いている作曲家」がAdoに楽曲提供したとき、おそらくその曲へのAdo個人なりの楽曲解釈を経て、最終的にAdoの歌声で出力されるわけだけど、ひとえにAdoの理解力と表現力が高すぎる故に「別に本家に寄せにいったわけではないけど、この曲における100点満点の表現を追求したら結果的に本家と似てしまった」ケースが割と多いような…?そう感じるのは自分だけ…?ってずっとモヤモヤしてた
B’z曲のB’z節が濃すぎて(あとAdoが歌うますぎて)結果Adoの背後に稲葉がチラついて見える…誰も悪くないんだけど…というか全員が全力で最高の仕事をした結果こうなってしまった感がある
あと自分は椎名林檎の古参ファンなので、Adoへの提供曲は「新宿系を標榜していた頃の椎名林檎が令和に戻ってきた」感じで懐かしくて嬉しかったけど、あまりにも再現率が高すぎて新規性は無かったし(あれを再現できるのは凄いことなんだけどね)、正直もっと予想を上回る凄いことをやってくれると思ってた…この2人が組むならと期待値が高すぎた感がある
あとヤスタカの「新時代」は、本家?にあたるPerfumeやきゃりぱみゅがAdoとは対極的な歌い方だから新規性がウケて売れた面もあるのかな?と個人的には思ったりする 知らんけど
聴き手それぞれの「Adoにこんな曲を歌ってもらいたい」と思うものがみんなちがってみんないいけど自分は「踊」や「唱」みたいなやついっぱい聴きたいです
フリーレンって表情のかき分けとか、演出がかなり丁寧な方なんやが「テンプレ的な展開」ってだけで似たようなものだと思ってしまってるんか?
MCUとかってクソほど陳腐なテンプレの塊だけど、描写とか演出とか映像技術のお陰で激アツで面白いやで。