はてなキーワード: 万年とは
なぜなら資本主義を生み出しているのはほかならぬ人間自身だから
人間が変わらなければどれだけテクノロジーが進歩しようがそのテクノロジーを使って今と同じことを繰り返すだけ
インターネット黎明期には何か全く新しいことが起きるんじゃないかと期待する人が世界中にいた
棍棒が銃に取って代わり、核兵器やドローンに取って代わっても結局やることは変わらない、単なる殺し合いだ
その欲求をいかに楽に満たすかを追求したのがテクノロジーであって、テクノロジーそのものは基本的に既存の欲求を肯定するだけだ
どんな優秀なAIが出ようが結局それは人間の尽きることのない欲を満たすために使われるだけ
遺伝子改変や脳みそに電極ぶっ刺して欲求そのものを根本から塗り替えない限り、なにも変わらないしどこにもExitはない
クソみたいなプレー、クソみたいな采配で神経を逆撫でするような負け方をする
……こういう、ベイスターズという球団につきまとう「三枚目おバカ色」がファンになってからずーっとずーっとずーっと変わらなくてゾッとしてる
それでも多くのファンはというと「ベイスターズ最高~!」なテンション(なんかナオトインティライミを好きそうな感じ)で楽しげ
親会社のほうもしょっちゅう試合に芸能人呼んだり、花火打ち上げたりしてイベントやファンサービスにご執心
そのおかげか、ちょい前までの広島みたいに「万年弱小からの常勝軍団」という脱皮などこの球団は相変わらず出来ていないのにも関わらず、ここ数年ハマスタの来場者数は絶好調。チケット取るのが大変になってる
球団がハリボテのイケてる空気演出して「いや、金になりゃええねん」な感じでチャラチャラ動いてる感じとか、
俺はもう丸々全部気に入らないんだけど
ついに7月くらいからベイスターズの負けを熱心に願うようになってしまったよ
ヤケになって怒ってるとかと少し違って、ベイスターズが無様に負けた結果を知って普通に喜ぶようになってしまった
今もまさにナイター中継見てて、
牧が逆転ホームラン打って球場が大盛り上がりしたんだけど、瞬く間にウンコみたいな失点して阪神にまた逆転されて、
そっからさらに下痢便みたいなプレーで追加得点許して敗色濃厚(ちなみにこれここ2ヶ月お決まりのパターン)、
「はい、ざんまああああああああwwwwwwwwwwもう今シーズン全敗してろよwwwwwwwww 」
って俺普通に大喜びしてるわ
マジで残り試合全部負けたらファンとか球団がどういうスタンスになるのか見たくてたまらん
これどういう心理なんだろ
昔の事を思い出した時にネガティブのスイッチが入って戻せなくなってる
たまたま映像で昔いた会社が写っていたので久しぶりに会社のホームページを見ていた
がむしゃらにやっていた時の思い出が蘇る
何時も終電帰りまで仕事をしていた事、怒られて泣きながら仕事した事、上司や同僚にフォローされながらプロジェクトを終えたこと
…美談なんかではない
要領が悪く
自堕落で
結局それに分析できたのはフリーになって一人社長になった時だった
自分のためだけに時間を使う中で、自分のことを棚卸できたから気づけただけ
成長のデバフを重ねがけしたような20代で
辛い思い出しかない割に誇れるような戦績も能力もない人になっている
何でこうなったかを毎回棚卸せず、自業自得と言い聞かせて済ませてきた自分が悪い
在籍していた会社や経歴を話せば、何かただものではないみたいな言われ方するが万年平社員でよく叱られている人見たいな残念な人だったよ
一緒に仕事した同僚だった人だって別の会社で出世してる人だらけで、自分がなんで一緒に仕事してたのかわからないレベルだよ
年代平均年収を下回る給与で、うだつの上がらない人生を送っている
自分は生きることに頑張ってなかったのかな…
7月の猛暑、観測史上最高に ほぼ確実に「12万年ぶりの暑さ」
https://www.cnn.co.jp/world/35207118.html
これだけ暑くなって地球は大丈夫か、なんていう人がいるけど、暑くなって困るのは地球ではなく人だと思うのでそこを整理したい。
地球は現在氷河期の中の間氷期(氷河期の中では温暖な時期)にあたり、地球の歴史の中ではこれでも寒い方になる。
恐竜が大地を闊歩していた頃は、地球の気温は今より10度は高かった。
それらの環境の変化を地球の生き物たちは進化によって適応して乗り越えてきた。
気温が10度や20度変わったぐらいでは、一匹残らず全滅するほど地球の生物はヤワではない。
しかし生態系が大きく変わる過程で大量絶滅は必ず発生する。それは人も例外ではない。
結局人にとって困るのは、人が激減して文明が崩壊して生活が破壊されることだ。
地球の生き物はヤワではないが、人の文明はヤワで、個人はもっとヤワだ。
大量絶滅で地球の生き物の7割が死滅しても、その7割の穴は新時代の新しい生き物たちが永い時間をかけて埋めていく。
以前はあれを食べれば満足みたいな好き嫌いがあったけど、最近はどんな食べ物も「普通」の枠に収まってきた。
代わりに気分に支配されるようになってきた。
餃子の口になってる時に餃子を食えれば大満足。でもそうでない時に食ったって普通の食事でしかない。
常日頃餃子を食べたいと思ってる訳でもない。
その気分になってさえいれば、餃子の満足度と他の食べ物を食べた時の間にさほどの優劣はない。
前は唐揚げだけちょっと頭一つ抜けた好物で、いつ食ってもそれなり以上に満足だった。でもそれすら最近は気分に飲み込まれるようになった。
これが加齢の始まりかと思ったけど、流石に23でそこまで体調が影響するなんて事もなさそうだし。還暦過ぎの親父は脂っこいもん喜んで食ってるしおれより食欲旺盛だし、その辺は完全に人によるんだろうな。
満足度の優劣はないけど、気分の波が来る頻度には差がある気がする。それがより好き、あるいは少し劣るって事なのかもしれん。
そもそも好き嫌いってそんなもんなのかもしれんけど、それにしたってここまで気分に左右される事はなかった気がするんだよな。
嫌いって訳じゃないけど、納豆の口になる事はほぼない。嫌いではないけど好きになる機会がほぼ訪れないので、普通という括りになる。
チョコは別に嫌いって訳じゃないし、その気分になってる時に食えば満足できる。
でもそもそもチョコの口になる日が滅多にこない。貰い物を永遠に放置する事がザラにある。これも「普通」かな。
口にできない食べ物はないけど、明確に嫌いな食いもんははっきりしてる。生の貝はいつ食ったって嫌い。
あんまり箸が進んでない時に「嫌いなの?」って聞かれると、「嫌いではないけど気分じゃない」という感覚を説明するのが面倒。そもそも面倒臭い奴だと思われるのが面倒臭いだから適当にいなすけど、そういう嘘は後になって自分を苦しめるし。「好きだって言ってたじゃん」とか言われてアンビバレンスに挟まれながら食う飯はさぞ不味かろう。
しかし食べてて本当に「無」になるモンなんてそうないだろうし、好きか嫌いかに少しくらいは傾いてるもんだと思う。そういう意味では「普通」も正確にはほんのりと嫌い寄りかもしれん。
鬱病の人間は飯が楽しくなくなるって言うらしいけど。確かにタルメンは万年終わってるけど、別に食事がつまらん訳でもないしな。
嫌いと普通だけが確定してて好きだけが気分次第で訪れるってのも自分に振り回されるみたいだ。その時の気分はその時の自分にしか分からないからちょっと不便。
ただでさえ人と飯行くのあんま好きじゃなかったのに、その上満足な食事にありつける確率が下がったみたいで人付き合いの億劫さが加速するな。