はてなキーワード: ミサイルとは
イスラエルを止めるにはイスラム勢力の核武装が必要不可欠との見解です
「俺たちを守ってくれる頼れる国」への無限の信頼を感じた
……という冗談はさておき、対策委員会編三章は先生の負傷による一時的退場、アツコ救出・列車砲の停止に並行してミカ・ホシノが精神的な問題で暴走する等と似通った部分がある。二番煎じであるがゆえ、後発の展開はまさに時代が許さなかった…と言える部分もある。しかし後先の問題ではない差異も存在する。
(そもそもここも実際何をしたか明言されていないのだが)地下生活者が先生の肉体の脆さを攻めるにあたって、シャーレの直接爆破を選択し、これはプラナによって防がれている。おそらく後にプレナパテスとなった先生はコレによる負傷でシロコ*テラー誕生まで昏睡しており、物語上の位置付けとしてはプラナがリベンジを果たしたシーンではある。
これに対してエデン条約編三章では調印式の会場にミサイルが撃ち込まれた際、シッテムの箱の防御に過負荷がかかったことで後のシーンでサオリに銃撃されるという流れになっている。
地下生活者の爆破とミサイルによる爆破は性質が違う攻撃(実際にヘイローを破壊する爆弾など、特殊な効果を持つ攻撃手段はあるので)という可能性もあるが、見た目上は先発の描写では爆破の後襲撃して排除しようとしているのに、後発の描写では爆破のみにとどめて追撃しておらず、一見すると詰めが甘いように思える。
これに関しては地下生活者の敗因として、多少の問題をチートによるアドリブで解決してしまう性質と初手でフランシスを排除してしまったせいで先生の情報を共有できなかった、というのがあり、手段の差異に限って言えば時間をかけて領地と手駒を用意したベアトリーチェと対極的なプレイングになっただけだとは言える。それでもどうしても後発である以上、シャーレ爆破によって危機感を煽るのは失敗している感が否めない。
エデン条約編三章では先生の不在にあたって、混迷する事態に立ち向かう補習授業部メンバーの姿が描かれる。アリウス出身であるアズサはサオリ達を止めるため単身立ち向かい、ヒフミはそんなアズサを止めようとするし、ハナコはサクラコに託された代行としてトリニティ内での事態収拾を図り、コハルも自分にできることを探し回った末にミカを助けようとする。
この補習授業部の努力は個々人の結果としては実を結ばず、アズサは一時的撤退を余儀なくされ、ヒフミは置いていかれてしまい、ハナコは拘束されかけ、コハルもまた先生の到着が遅れたら危ない状況だった。しかしあくまで直前まで個々人でこなしていた努力はまったく無意味なものではなく、先生のフォローによって歯車が噛み合い、反撃に転じていく。
対策委員会編三章ではどうか。単身突撃しようとするホシノに対してノノミを除く全員でかかって返り討ちに遭う。それだけである。補習授業部のメンバーがアリウス出身、行動力、知略、勇気と優しさと役割分担が為されているのと同様、肉体的に強いシロコ、ネフティスの人間であるノノミ、ブレーン役のアヤネ、情に厚いセリカという形になっているにもかかわらず、である。
その後先生が復帰した際には、先程まで先輩に対する反骨芯に燃えていたアヤネがポッと出てきた提案に飛びついて、そのまま全員先生配下の戦力として状況に振り回されているだけになってしまう。おまけにアヤネ生徒会長はプレジデントに一蹴されて自分でも向いてないと辞退し、ノノミの実家の件は執事の乱心がよくわからないまま処理されて流され、セリカに至ってはコハルのような見せ場のひとつも貰えていない。シロコが生徒会の谷で親越えを果たしかけるのが唯一活躍と呼べる活躍だ。
ベアトリーチェに囚われているアツコを救出する目的で動くアリウススクワッドと先生に並行し、ミカが暴走するのがエデン条約編四章である。アリウススクワッドは前章において敵対していた集団であり、物語の途中途中で彼女たちの過去が描写される。そこにセイアの件で暴走したミカが激突し、彼女の今に至るまでの足跡も開示されていく。
対して対策委員会編三章では、ホシノの後追いで後輩メンバーが追いかけるだけで、ホシノ側はバックボーンがよく分からないまま終わったスオウとの中身のないバトルをした後、後輩達と戦い、シロコに根負けした後地下生活者に話をひっくり返されてお流れになる。初期から実装済みのキャラクターであるがゆえ、アリウススクワッドやミカに比べて掘り下げ描写の余地が無いというのはそうなのだが、新キャラであるスオウに関しても意味不明のまま終わってしまい、いい雰囲気になりかけていた対話も結局キャンセルされてしまう等中身のない尺稼ぎパートのような印象が残る。
エデン条約編に比べてホシノ一人の描写に終始しており、対策委員会メンバーも列車砲の件よりも何よりホシノを止めたいという動機で動いている。結果として、ミカを止めたいけど今はそれどころではないというエデン条約編に対して、対策委員会編はホシノ一人が我慢すれば終わるし、一人を止める目的で一致しているのにどうしてここまで後手後手に回っているのかという印象になってくる。
アツコの救出に関してに限って言えばミカはシナリオ上のお邪魔キャラにはなるのだが、サオリとの対決は物語上重大な意味を持っている。サオリとの対話によってミカは自分の最初の動機を思い出し、他人を自分同様に尊重することを学び、それが他人を他人として拒絶する洗脳を行ってきたベアトリーチェへのカウンターとなり、キリエを歌うに至る。
ホシノとヒナのバトルは演出が豪華なだけで物語上の意味は何もない。一応、真実と事実の差異に関しての先生の台詞から推測するとホシノの真実とヒナの事実という対立軸はあるのだが、ホシノがぜんぜん正気ではない上真実がどうこうと言えるのはユメと邂逅した後の話であり、本当にミカとサオリのような対話は一切なく、ホシノがスオウやシロコと連戦した上で戦い、結局ヒナが列車を破壊して決着を濁すといった結果が分かり切った勝負でしかない。時計じかけのパヴァーヌにおけるネルVSトキのような、ギミックを用いた演出の熱さすらも無い。この後はセト討伐で協力するぐらいしか描写はないのだが、後輩やシロコ*テラーを差し置いてエピローグのスチルまで貰っている。
ホシノとヒナに関しては素材は良いのだから、もっとちゃんとした過程があるのならば応援したかったのが正直なところだ。しかしあまりに何も無いまま結果だけいい雰囲気になっているので、虚無度は顔カプに近くないかと思ってしまう。
ここに関しては本当に順序が悪いと思っている。後輩からの呼びかけを拒絶し、先輩と邂逅し別れて、いい感じの曲と共に先輩がいない後輩との二年間を思い出し戻ってくる……という流れなのだが、ユメと別れた後に後輩からの呼びかけが無いせいでなんか吐き出してスッキリしたから自力で帰って来たような様子になってしまっている。せめて先輩と別れた後、後輩のみんなと言葉を交わし合って、暴走して振り回した件もここで謝って、先輩に見送られながら復活する……というような流れであれば後輩の扱いに関して思う部分は薄かったように思う。
結局三章は何がしたかったのかというと、既に分かり切っている動かしようのない事実に向き合う話を延々やっていたのだが、それは結果の分からない物語に比べて丁寧さが要求される方向性のように思う。前提が覆るからカタルシスが生まれる。ホシノのテラー化をいくら死人を生き返らせるようなものと連呼したところで、急に出てきた説明でしかないし、ユメは普通の死因で死んでいて復活なんかはありえないけどホシノは帰って来たよ、と言われても事前に低くしたハードルを越えただけの話にしか思えない。こうなるぐらいであれば、ユメの死因は特殊なものにしてアビドスへ舞い戻らせ、ケイやアヤメも同様に帰還する可能性を示唆でもしていた方が良かったのではないだろうか。