はてなキーワード: ベットとは
コロナなんて老人しか死なないんだから、経済を回すことを優先しろ! 貧困で若者が自殺したらますます高齢化に拍車がかかるだけだ! って意見をよく見る。その意見自体は筋が通っているように思う。でもそれって老人を見捨てるってことにならんか?
今感染症指定病院のベッドはコロナの重症者で埋まってる。重症者の多くは老人だ。ベットが埋まってる病院は多くのマンパワーがそこに費やされるから、予定手術が回せなかったり他の病棟の入院も制限せざるを得なくなる。そうなると、例えば若者が怪我や病気した時にその人を受け入れられない。遠くの病院まで搬送されたり、手術できる時まで待機する羽目になったり。待機してる間に若者がうっかり死んじゃったら? もう働けない後遺症でも残ったら? ということで、経済回してコロナ増やして病院老人で埋めて、結局また損をするのは若者ということになりかねない。
そこで本当に経済を優先するなら、稼ぎ手の若者を助けて負担にしかならない老人を後回しにする、つまり選別が必要になる。重症者の中でも助かりそうな若者を入院させて、ベッドを空けて医療者の余裕も確保。80-90代はもちろん挿管しないし自宅でお看取り。70代だってベッドが埋まってきたら追い出される。
濃厚接触してても無症状者にPCRなんてやらないし、発症しても自宅待機も隔離もなし。味覚障害? 脱毛? 死にゃしねーよコロナ上等! で出かけまくりGOTO的な政策でどんどん金を使っていく。コロナになっても誰も責めたりしないし自粛警察の方が基地外扱い。店でクラスター発生しても誰にも謝罪も保証もすることなく翌日も残ったスタッフで元気に営業中。こうすれば経済も少しは回り出すんじゃないかな。
多分コロナは風邪派はこんな感じのこと考えてるんだろうけど、そういう人に上で書いた「老人を見捨てること」の是非を聞いてみたい。今はそれができないから経済も回らないし医療も崩壊してる。やっぱり見捨てるべきだ!って言うのかな。それともそもそも風邪なんだから誰も死なないとか言うのかな。政府が発表してる死亡者数自体を信じてないのかな。
5類感染症にしろ、ってのが一つの落としどころな気もするけど、そしたらあらゆる病院でクラスター発生して老人がぼこぼこ死ぬだろうから見捨てる政策と同じになりかねないしなあ。感染症専門医って建前なしで本音は「老人さえ見捨てられれば…」って思ってるのかな。聞いてみたい。
第一子の時は里帰り出産せず、東京で子供を産み、夫と頑張ったのだが、今回第二子の出産にあたり訳あって、実家でお世話になることに決めた。
滞在して1週間が経過したが、もう本当に辛くて東京に帰りたくてたまらない。
1.何もない
これはそのまま。ど田舎すぎて何もない。行くところがない。辛い。
実家は九州の地方で、一番近いコンビニに行くのにに、車で10分かかるという立地。
逆に自然が豊かとか、そんなこともない。住宅街なので、歩いて行ける範囲にはひたすら民家があるのみ。民家、民間、民間....
せめて公園とか子供の遊ぶ場所に恵まれてると思うでしょ?私も思った。でも違う。公園、広いは広いけど、遊具もほとんどない上に、トイレもないし、遊んでいる子供が誰もいない。手洗う水道さえ止められてて笑った。(笑えない)地方都市にはお金がないから、整備する金もないんだね。
歩いてコンビニ、カフェ、マッサージ屋さん、レストラン、パン屋さん、美容室に行けた東京が恋しい。
東京では気密性の高いマンションに住んでた。床暖房あったかいでしゅ...それに慣れてたから....地方の普通の民家クッッッソ寒いのね。外気温と、室内が同じ気温。意味不明過ぎない?家の中で息が白い。
ベットじゃないから毎朝布団畳まないといけないとか、食洗機ないからお皿洗わないと行けないとか、洗濯乾燥機じゃないから洋服干さなきゃ行けないとか、混合水栓じゃないからちょうどいいお湯が出てこなくて、わざわざお湯と水出して自分で調整しなきゃ行けないとか、わたしから見たら毎日が罰ゲームのような暮らし....
先日の三連休の日曜日、AirPodsが無くなった。とは言ってもケースだけが無くなった。移動したところといえば、ベッドとトイレと食事ぐらいだったのに、無くなった。ベッドをひっくり返しても、ゴミ箱を探しても、移動した部屋、廊下をくまなく探してもどこにも見つからない。無くした心当たりは全くなく、記憶を辿ってみても、やはりポケットの中か、ベットの上にあるはずなのだ。
たしかにモノを無くすことはあるが、こう、不自然なほど突然、神隠しに遭ったかのように消えてしまうのは初めてで、不思議で仕方ない。ちなみに寮生活で、周囲の人に聞いて周り、探すのも手伝ってもらったが、見つからない。次第に、自分の中で誰かが盗ったんじゃないかという疑念が湧き、疑心暗鬼になったが、どうやら周りに不自然なそぶりを見せる人間はいないし、そもそもイヤホンケースだけを盗むことは考えにくい。だとしたら、どこに消えていってしまったのだろう。
無くなったショックが大きく、なによりも堪らなく不思議で、今週は気が気でなく、生きた心地がしなかった。飯の味がしない。消えたアイツはいま、どこにいるのだろうか。誤ってゴミ箱に捨ててしまったのか、トイレに流してしまったのか。どこか寒いところで雨に怯えてはいないだろうか。あるいは平行世界の自分が、身に覚えのないイヤホンケースを手にして驚いてはいないだろうか。あらゆる可能性を考えてみるが、一向にケースは出てこない。探すのをやめたとき、ふと見つかるというが、そんなこと言ってみても見つからないものは見つからないのである。
幸いなことに無くなったのはケースだったから、新しいものを買うことにし、ひとまず探すのを諦めたが、不思議なものは不思議で仕方がない。それにアイツ(イヤホンケース)はもう、その生まれ定めし役目を果たすことはないだろう。やるせない、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。ひどく、つらい。きっとアイツはどこかで、ひとりぼっちで彷徨っていることだろう。ここに彼の冥福を祈りたい。