はてなキーワード: ヒストリーとは
1976年刊。米国を代表する歴史学者ウィリアム・マクニールの主著で、その後のグローバルヒストリーの研究にも絶大な影響を与えた。ジャレド・ダイアモンドのベストセラー「銃・病原菌・鉄」のタネ本の1つとしても知られる。
本書で中心となるメッセージは、次の1点に集約される。「疫病の流行が、世界史の重要な決定要因でありつづけてきたのにそれが無視されてきた」ということ。昔の人類がいかに疫病に苦しめられてきたか、また疫病が歴史上の事件にいかなる影響をあたえてきたか、医学の発達した現在においてはそれらを実感することは難しい。史料の乏しさも手伝って伝統的歴史学ではこの重要な要因が無視されてきたことをマクニールは冒頭、痛烈に批判する。数少ない史料を補完するように、彼は一流の歴史家として培った卓抜な想像力を武器に、議論を展開していく。例えばこんな具合に;
・インド地域での諸王国はなぜ、なぜいつも外部から簡単に征服され、その征服王朝も短命だったか。その背景には、高温多湿な気候がはらむ高い厄災リスクが、各王朝の国力(人口)を削いできたからではないか。カースト制度も同様に、病原菌に侵された原住民への隔離意識というものがそもそもの発端にあったのではないか(上巻p160)。
・欧州の文明の中心が地中海世界から北部へと移動していったのは、長い間くりかえされてきたペストの影響が大きい(上巻p209)。西暦634年から、急速に拡大していったイスラム勢力に対して東ローマなど欧州勢が簡単にやられてしまったのも、542年以降に地中海世界に繰り返し起こっていたペストによってかなりの国力をそがれていたのが一因だ。
・その後、欧州でしばらく活動を休止していたペストは、なぜ14世紀になって思い出したように全ヨーロッパで猛威をふるったのか。それは大モンゴル帝国の影響がある。もともとヒマラヤ山脈を本拠地としていたペストは、モンゴルの同地への征服活動の結果中国に広がり、それが交易路に乗って1348年のヨーロッパに到着し大流行した。実際、1331年にペストは中国で流行。ユーラシアの草原部は1346年を軌に人の流れが止まった。その地にいた人が病気ですっかり死んでしまったからだ(下巻4章)。
・16世紀初頭。スペイン人が新大陸アメリカに侵入してきたとき、アメリカ原住民は天然痘などに為す術も無く犯され人口は20―25分の1に激減した。これは無理もない。ユーラシア、ヨーロッパ、アフリカ間の広大な土地がもたらす生物多様性の中で、繰りかえしの厄災をくぐり抜けてタフになったヨーロッパ人に比べると、アメリカ原住民はただの無垢なヒトにすぎなかった(下巻5章)。
そして現在、天然痘、ペスト、コレラなどの医学的対処法が完成し、新大陸アメリカのように無垢な住民が大量に存在する未開拓エリアも存在しない。つまり、私たちは数千年の人類文明史上初めて、疫病による大量死のリスクが消滅した時代に生きている。このことはもっと認識されていい一方、気を抜いてもいけないと著者は警告する。マッドサイエンティストたちが、有毒かつ伝播性の高い病原菌を作りだす危険性もあるし、地球温暖化の進行は我々と病原菌とのバランス(均衡)を崩すかもしれない。また今後起こりうる地球外生命体との接触は、我々人類に全く新しい疫病をもたらすかもしれないのだ(下巻6章)。
強く感じさせられるのは、この難解かつ前人未到だったテーマに果敢に挑んだ著者の気概だ。特に、紀元前のころの疫病の影響については有用なデータがほとんど存在しておらず、事実上推測することしかできていない。普通の研究者ならば、こんな局面に直面したとき「やっぱりこのテーマ止めようか」となる。あるいは周囲からそのように諭される。にもかかわらず、これだけ自信をもって堂々と議論を展開している所に、何だか読んでいて勇気すら与えられる。清々しい本。
今さっきググったら、東大の駒場の学生向けに、生命科学の入門的教科書が出版されていることに気がついた。
東京大学より初の文系向けテキストが登場!「食」「健康」などの身近な話題から「生命倫理」まで,社会的関心の高いテーマを軸に生命科学の基本を解説.一般教養を身に付けるために最適!日本図書館協会選定図書.
東京大学発の必修教科書第2弾!今回も強力な執筆陣が,分子から細胞,個体,種への連なる生命現象の全体像を基礎から解説.理・医・農・薬・歯学部など生物系を専攻するなら,必ず読んでおきたい一冊!
教授から、上記のような生命科学の教科書をつくる動きがあると聞いたときに、開口一番
「是非、科学史の人たちに作ってもらってください」
と言ったことを思い出した。
本自体は総合文化研究科の生命系の人たちがオムニバス形式で作成したようだ。
擬似科学やニセ科学、進化論論争といった話が盛り上がるのを聞くたびに、
科学史が決定的に足りていないよな、と思う。
理由は、「あまりに科学が進みすぎた」こと。
「」付きにしたのは、「普通に生きている人が共通常識として共有するには進みすぎた」程度の意味。
もちろん、「普通の人」だけではなくて、医師国家試験でも、そういった進歩の弊害は指摘されているようだ。
現代において正しいとされている科学的知識を得たところで、
多くの人は空中分解しちゃうんじゃないかな。
だからヒストリーとしての科学が必要だろうと思う。(ヒストリーと書いたのは「ゲシヒテではなくて」程度の意味)
もちろん学問としての科学史が科学者研究的な面や公共政策学的な面があるのは、
(デカルト研究とか、ダム建設の科学的根拠を住民がどのように受け入れたかとか、そういうテーマ)
寡聞ながらも承知しているのだけど、
「大きな科学の物語」が必要なんじゃないのか、と思うのですよ。
今の教授たちが学生だった頃に比べると、修士といえども桁違いの知識が要求されるわけでしょ?
しかも、ネットを使って、そういった知識に簡単にアクセスできるから、
「知りませんでした」とは言えない。
Analysis Paralysis になっている大学院生も多いんじゃないかな。
Analysis Paralysis なのは、大学院生だけではなくて、
普通の人も同じでしょう。
普通の人にとって「科学的であるためのコストが大きすぎること」が問題の本質なのではないですか。
今更、科学の量は減るわけではないので、
触媒が化学反応に必要とされる活性化エネルギーを下げるように、
工学出身の東大現総長の小宮山先生が、「知の構造化」を掲げている。
確かに、マインドマップ的な構造化・可視化も、科学理解の手助けになると思うけど、
物語が一番理解しやすいと思うんだよなあ。
アタシ
黒曜石
割るとガラスみたいに尖りやすい
昔から
ナイフに使われてた
みたいな
だからさ
ねぇ
磨いてよ
児童ポルノ法施行以前に販売されていた、児童ポルノが掲載されていたエロ本はもう古本屋でも手に入らない。
今後、単純所持も禁止となると、後世に日本の性風俗史(少なくともその一部)を復元する際、もう史料は関係者の記憶くらいしかないんだなあ。いくらオーラル・ヒストリーが注目され始めているとはいえ、何か残念な気がする。しかし、児童ポルノの存在そのものが児童虐待であるという理屈には反対できない(二次元作品はまた別の話だが)。
さて私増田、実は1999年10月末ごろに大阪・日本橋(大阪の電気街)に用事で行ったことがある。当時は児童ポルノ法施行前夜で、ビデオショップは一斉に最後の勝負に出ていた。増田も好奇心から立ち寄ってみたが、「児童ポルノってこんなにあったのか!?」という感じだった。
当時も当然、無修正のものは違法だったので局部修正はしてあったのだろうが、ビデ倫などの審査は通してなかっただろうと思う。
内容は(購入していないのでパッケージから想像するに)、日本人や東南アジアの少女が裸で戯れるイメージビデオのような比較的ソフトなものから、ローティーンのSMもの、裏ビデオにモザイクを施して合法(?)ビデオにしたものまで色々あった。当時は大手メーカーでアダルトDVDがちょぼちょぼ出始めたころで、こういった児童ポルノは全部VHSだった。ちなみにDVDプレイヤーは普及モデルで3万くらいした。
児ポ法以前とはいえ、撮影者は児童福祉法違反には問われなかったんだろうか。販売も合法だったはずだが、さすがに普通のレンタルショップにはなかった。「ビデオ安売り王」(当時はどこでも見かけた)のようなセルショップでもたぶん置いてなかったんじゃないかな?しかし、あるところにはあったんだろう。
もっとも、これより少し前にはブルセラビデオが隆盛だった。こちらは99年ごろにはすでに社会問題になっていて、制作・販売していたブルセラショップが古物法違反(これも苦肉の策。その後各地の青少年条例にブルセラ禁止の内容が盛り込まれた)を適用されて、撤退・転戦を余儀なくされていたはず。
ブルセラビデオが出回ったころ、増田は地方の中学・高校生だったので入手できなかったが、内容が紹介されていたエロ本から情報を総合すると、男性とのからみはなく、女子高生が制服、体操服姿から下着姿、ヌードになり、特殊なところではオナニーや放尿する模様を撮影するものだったらしい。
このように、児童ポルノ法以前も、もろマニア向け児童ポルノを購入するのはけっこうハードルが高かったように思われる。ただ、前述したように一般に流通するエロ本のなかに児童ポルノ的コンテンツが普通に掲載されていることはあった。
(この項つづく)
正月なので爺ちゃんばあちゃんから歴史上の人物ががつんがつんでてくる貴重な話しを聞いた。
貴重すぎるので本当は動画でとってストリーミングで流したいぐらいの勢いだ。
もう90を超えてるので、そろそろちゃんと記録として残しておかないととちょっと危機感が出てきた。
今年はメモをとったので今纏めているのだけど、これはブログにアップすべきか否か悩ましい。
実名でやってるやつにのっけるつもりなので特定される情報が含まれてるのはかまわないのだけど、
じいちゃんが若いころになんの仕事をしていたかとか、、、、
とても面白い話しなので載せたいのだけど、自分のルーツをばらすようで恥ずかしすぎる。
郷土史としては公開しておきたいのだけど、
XXXさんが住んでいるところあたりに、自刃したXXX大臣が住んでたとか。
でもこういうのってwikipediaじゃないけど、地域で残しておかないと消えちゃうよな。
超地域特化のSNSみたいのがあればいいんだけど。
伝承口伝SNS。
そして人よりどれだけ優れてるかは往々にして隠す必要がある。
このアビリティは隠せないので幼少時や思春期において悲劇やトラウマを負うことも多い。
また、このアビリティと特殊技能を併用すると芸能タレントなどにクラスチェンジが可能。
戦略的にこのアビリティを使えば逆玉や玉の輿にクラスアップできる。
次世代継承がある程度可能なアビリティでもある。
このアビリティを活用することにより様々な拡張アビリティの獲得が可能。
他の能力を獲得するために必要条件になることも多く、家庭の裕福さとして初期値として与えられることが多い。
主に継承によってのみ獲得できる。家庭の裕福さ同様先天的なアビリティである。
人脈や権力などを引き継げる場合が多く、また親族関係にあるものからなどの恩恵を預かることができる。
成功までの閾値を下げる効果がある。
玉の輿など例外的に獲得できるケースもあるが後天的に獲得するのが最も困難なアビリティでもある。
地頭の良さとも評され、主に他のアビリティの習熟速度に影響する。
唯一平等な時間というリソースを節約するためのアビリティである。
自分にあった環境をみつけるための時間や費用などを節約することができる。
このアビリティが極端に低いと他のアビリティの発動を阻害するどころか、健康や富、家柄、地位といったステータスを奪う可能性がある。
このステータスが十分でないと他のアビリティを十分に活用することができない。
また、このステータスは喪失することも多く、喪失後は再獲得が困難である。
人により活動可能な年数は異なり主に健康などから影響を受ける。
時間を消費することにより拡張アビリティの獲得をおこなえる。
継承、分散が可能。
視認しにくいステータスを視認させやすくするためのステータスである。
そして最も偽装しやすいステータスでもある。
他人のアビリティを外部利用することができるアビリティである。
獲得までに時間を必要とするが家柄のよさや、交友関係、所属などのアビリティと並行利用することにより獲得までの時間を短くすることができる。
交友関係を構築の初期障害を取り除くための補助アビリティである。
信頼や地位、稼ぎに影響を与えるアビリティである。
抹消や改竄は困難であるが、一時的な偽装は比較的容易である。
また、蓄積が可能なアビリティのひとつで、家柄のよさへ発展させ次世代への継承が可能なステータスでもある。
トータルアビリティを視認化し外部から公証したものである。
偽装が困難である一方、消失、剥奪されることがあり、一度失うと再獲得が困難となる。
時間を消費することにより変換可能。但しアビリティの活用度合いにより変換効率が異なる。
継承が可能なアビリティであると同時に蓄積が可能なアビリティである。
継承時にクラスチェンジをすることにより家庭の裕福さへ変換可能である。
もっとも外部から視認させにくいアビリティである。
主に訓練によって習得される。そして訓練やトレーニングを怠ることにより劣化するアビリティでもある。
頭のよさ、音感、美的感覚、身体能力など、原始的なアビリティがこのアビリティの習熟度に影響することも多い。
他のアビリティと併用をすることにより効果を発する。
隠蔽可能なアビリティでもあるので外部からの利用をコントロールすることができる。
敵を知り己を知れば百戦危うからず!