はてなキーワード: いぬとは
「内容をご確認ください。
大蛸:いつぞハいつぞハとねらいすましてゐたかいがあつて、けふといふけふ、とうとうとらまへたア。てもむつくりとしたいいぼぼだ。いもよりハなをこうぶつだ。サアサア、すつてすつてすいつくして、たんのふさせてから、いつそりうぐうへつれていつてかこつておこうか。
女:アレにくいたこだのう。エエ、いつそ、アレアレ、おくのこつぼのくちをすハれるので、いきがはずんで、アエエモイツク、いぼで、エエウウ、いぼで、アウアウ、そらわれをいろいろと、アレアレ、こりやどうするのだ。ヨウヨウアレアレ、いい、いい。いままでわたしをば人が、アアフフウアアフウ、たこだたこだといったがの、もうもうどふして、どふして、エエ、この、ずずず
大蛸:ぐちやぐちやズウズウ、なんと八ほんのあしのからミあんばいハどうだどうだ。あれあれ、なかがふくれあがつて、ゆのやうないんすいぬらぬらどくどく
女:アアモウくすぐつたくなつて、ぞろぞろとこしにおぼへがなくなつて、きりもさかひもなく、のそのそといきつづけだな。アア、アア
小蛸:おやかたがしまふと、またおれがこのいぼでさねがしらからけもとのあなまでこすつてこすつてきをやらせたうへですいだしてやる
私は通り魔に殺された。
突っ伏した私の肉体の傍にはあどけない少年がおもちゃのような拳銃を手に持って立っていた。彼と出会った時、少し危ない気配を感じないではなかったが、まさかこんな子供にいきなり後ろから撃たれるとは予想だにしなかった。
妻と2人の子供を残して旅立つのはなんとも心残りだが、そうなるべくしてなったのなら致し方ない。不思議と怒りも恐れもない。
見上げると、夜空は魂で満たされていた。肉体の目では決して見ることのできなかった大きな流れと波が光り輝いて世界を満たしていた。輝きを目にした私は、突然殺されたばかりだと言うのに大きな安らぎを覚えた。妻に「悲しむ事はない」と、子供たちに「恐れる事は無い」と、今すぐ伝えたいが、時が来れば彼らにもわかることでもある。
私の精神はまだ肉体を持っていたときの形を保とうとしていたが、手のひらからとても小さな光の粒が漂い出て、大きな魂の流れに飲まれていった。なるほどこうして私はそのうち小さなバラバラの光の粒になって、流れとともにこの星で、この美しい世界でまた、生きること、愛すること、死ぬことを繰り返すのだ。
なんという安らぎだろう。目立った不幸のない、どちらかと言えば幸せな人生だったが、この安らぎを知らずに肉体に繋がれて生きる事は、大きな苦しみと悲しみを伴っていたと言わざるを得ない。私が生前に考えていた「人生」とは、その半分でしかなかった。こうして肉体の寿命が終わり、精神だけの存在になって初めてそのことがわかった。まだ肉体を持って生きている家族、友人に、この世界の真の豊かさを伝えるすべはないだろうか?
と、突然頭が痛み出した。そんな馬鹿な。私は光の粒になって大いなる流れに還るのだ。なぜ肉体を持っているかのように痛みを感じなくてはならないのだろう。
私の頭の中で小さな金属の欠片が脈打っていた。あの少年に打ち込まれた銃弾の破片だ。精神だけの存在である私がなぜそんなものに影響を受けるのだ。
ふと気がつくと閉ざされた扉の前に私のような何かが立っていた。少年に命を奪われた時にすら感じなかった猛烈な嫌悪と恐怖が、全身を駆け巡った。今すぐここから離れなくては。しかし、その思いとは裏腹に私はその薄気味の悪い私のような何かにどんどん引き寄せられていった。頭の中の銃弾の破片が強く輝き脈打ちながら、じりじりと私を引っ張っていくのだ。見ると、まがい者の私の頭部にも2つ、鈍くしかし強く輝く何かが見えた。やはり銃弾の破片だ。頭の中の銃弾同士が強く引き合っているのだ。全力で抵抗したが、どうやらその力に逆らえそうにない。
私はじりじりと引き寄せられながら、私のまがい物を観察した。
光の粒で満たされた精神だけの私とは正反対に、どす黒いぬめりが渦巻いてできているようだ 。
粘り気のある真っ黒いうねりの渦の中からかすかな悲鳴が時折聞こえてくる。
「許してくれ…」「来ないでくれ」「…助けて…」「もう来ないで…」
あの少年の声だった。
なるほど、人を殺すと眠れなくなると言うのはこれだったのか。
罪の意識が、慙愧の念が、自分が手にかけた被害者の姿で昼夜を問わず本人を責めさいなむのだ。
少年の黒い悲鳴は強烈だった。どうやらやはり彼は人を殺して何も感じないような根っから狂った人間ではなく、むしろ本来殺人などと言う極端な行為からは程遠い、周囲から押さえつけられ続けた人物のようだ。そのことを実感した途端光の粒である精神だけの私は、私の形をした少年の真っ黒な妄念に完全に飲み込まれた。
私のまがいものを形作っている少年の思いは、「私を殺したこと」の周りをぐるぐると回っていた。
「ざまぁみろ…」「お前があそこにいたのがいけないんだ、お前が僕の言うことを…僕の話を聞かないからだ」「偉そうにしやがってふざけるな…..」「僕を大切にして僕を大切にして」「僕の意思を尊重しないのならお前を殺して僕も死ぬ」「ごめんなさいごめんなさい許して……」
なんと身勝手な、そしてなんと汚らわしい。
苦しいのはわかるがこれぞ自業自得だ。しかしその苦しみも肉体の命が尽きるまでのほんのひとときのこと。せいぜい悩み悶え給え。同情はするが、私の肉体の命を奪った者のために、なにができるわけでもないし、こんなところに閉じ込められる謂れもない。
私は目の前の黒い波を両手でぐっと押し広げて出口を開こうとした。少年の悲鳴がひときわ大きくなった「助けて………!!」
申し訳ないが、私には関係のないことだ。少年よ、君も肉体を失えば今の私のように光になってより大きな光になるのだ。それまでの我慢だ。
しかし私の頭部の痛みはますます激しくなり、力が入らない。なんとも暗黒のうねりが分厚くて、それお押し広げて外に出ることができない。恐怖を感じた。このままなのか?自分を殺した相手の妄念に、時の終わりまで囚われなくてはならないのか?
ひょっとして、この少年が、真っ黒に汚れた自分の想念に苦しめられたまま肉体の命が尽きると、精神だけになっても黒い渦に飲み込まれ、永遠に苦しみ続けてしまうのではないだろうか。
私が閉じ込められている私のまがい物の遥か下方に、膨大な闇がうごめいているのがその証拠だ。少年の肉体と精神をからめ取ろうと手を伸ばしてきているではないか。
閉ざされた扉の中には少年がいて、膝を抱えて泣いていた。その少年の肉体の周囲を、おぞましい鎖のような黒い渦が取り巻いていた。
少年は自分の行為をひどく悔いていた。「殺したひとが毎晩訪ねてくるなんて知らなかった……..」「助けて……助けて…..いやだ…..見たくない」「怖い怖い怖い」「あの人達と別な形で出会いたかったのに……」「もう一度、僕のファンとして僕の目の前に現れてくればいいのに……….」
私に肉体が有った頃、酒に酔って妻子に暴力を振るい続け、当然のように妻子に逃げられたがしかし、復縁を熱望している同僚がいた。私は不思議で仕様がなかった。絶縁の原因は自分なのに、なぜそれを忘れたかのような態度で復縁を熱望するのか。
自分のしでかした事は無かった事にしてやりなおしたい。それが、肉体に繋がれた魂の弱さなのだ。
私がそう思った途端に、わたしを拘束している黒い渦の力が弱まった。私に触れている部分が、光になったのだ。
ふむ。
ならば、是非もない。私がこの場所に呼ばれ、私の形をした妄念に閉じ込められた理由がようやくわかった。
少年は私の頭に銃弾を打ち込むことで私に助けを求めていたのだ。
彼が身勝手な妄念に苛まれたまま死ねば、その魂はどす黒く汚れた渦になりこの美しい星を汚す。そんなことはさせない。私の妻と子どもたちが、まだ長い年月ここで生きるのだ。 精神だけの存在になっても、私は夫であり父親である。
さらなる少年の悲鳴が、漆黒の鎖となって、私をぎりぎりと締め付けてくる。
「僕を褒めて…….僕を認めて……」「生まれ変わるために勉強したんだ……僕が歪んだのは資本主義の学校教育がいけないんだ……..」「…….僕が人殺しになったのは、僕を三回捨てた母ちゃんのせいだ…..」「僕が殺した人たちは、僕のファンなんだ……支持者なんだ…….毎晩ここに来るのは、僕をちやほやしに来るんだ……..」
私に肉体があったら、馬鹿なことを云うな、と叱り飛ばしているところだろう。しかし今の私は、少年の悲鳴と嗚咽でできた黒い妄念に囚われの身。私の形をしたまがい物に、私自身が閉じ込められていて、どうにも抜け出せない。
少年が作ったわたしのまがい物は「なぜ私を殺した?」「私がいったい君に何をした?」「罪を償え」「死を持って贖え」「肉体の寿命ギリギリまで苦しみ続けろ」と、少年を毎晩責め苛んでいた。少年自身の罪の意識がそうさせるのだ。
その苦しみに耐えきれず、私が彼のファンになる、などいった荒唐無稽な逃げ道をも見つけてしまった。
では、戯言にこそ寄り添おう。
実際の私は、通り魔である少年に殺された犯罪被害者だが、彼の希望通りに、彼のファンとして彼の前に現れよう。
以前は、天国と地獄、という考え方が全くピンとこなかった。今はよく分かる。肉体がなくなった時、光として大いなる流れに還ることが天国、死してなお自意識という牢獄につながれたまま生を呪い続けるのが地獄。肉体につながれたまま地上を生きるのは、さながら煉獄の日々だ。
ならばわたしは、少年にとっての、煉獄の炎となろう。私という光で、彼の妄念を内側から焼き尽くし、肉体の寿命が尽きたときに、私と同じような光であるように、少年をきちんと導こう。
たとえどんなに酷いことでも、起きたことは全て最善なのだということを伝えなければ。
私のまがい物と、そこに囚われた私は、依然、閉ざされた扉の前に立っている。扉の向こうの部屋では、少年が膝を抱えてすすり泣いている。
待っていろ、今助けてやる。どんなに時間がかかっても。
私は、私を包むまがい物を動かし、扉を開けてこう言った。
HPとMPの話をしようと思う。自分にとってはそろそろ当たり前の感覚になってしまって、言語化できないかもしれないと思ったのが切っ掛けです。
ゲームじゃなく現実の話、人間にはHP(ヒットポイント、体力)とMP(マインドポイント、気力…かな……)がある。(と思う、といちいち書くのが面倒なので主観により言い切る)
HPを使い切って枯らすとどうなるかは、実感を持って知っている人もけっこう居る。風邪を引きます。風邪というか病気になるんだけど、特別な病気の種を持っていない人は取り敢えず風邪に罹るので。
HPを使い果たした事によって風邪を引くと、あっ、限界越えて倒れるって急に昏倒するんじゃなくて自主的に寝込む事になるのかー、ということが分かります。
価値観が色々動くので(あと、物理的な自分の限界って味わっておくと勉強になるので)、一度くらい経験しておくのも良いと思う。二度目は無い方が良いですけども。体に悪いからね。……ほんとに悪いからね。
で、対するMPを使い切ってしまうとどうなるかを、実感として知っている人が意外に少ない。そもそもMPの存在を実感している人が少ない気がする。
多分多くの人は減ったと実感するほど一度にはMPを消費しないんじゃないか。不足していて困る(今動くのに必要な分が足りない)事がないから、存在を認識しないのでは。幼い子供が空気というものを物体だと認識しないように。
MPの消費/回復幅は人によって凄く変わる。食べて減る人も居る、運動で回復する人も居る。
他人と付き合う事で大幅に減る人も居るし、本を読む事で消耗する人も回復する人も居る。誰かに伝える言葉を綴ることで回復する事もあれば消費することもある。
実感としてはアウトプットは大概消耗も回復もするので、どちらがより大きいかによってプラマイが変わるだけだけど。
「特に体を動かした訳じゃないけど、疲れたなぁ」と思う事くらいは、MPを意識してない人でもあるかもしれない。その「(肉体ではない部分が)疲れた」こそがまさに、私の言うMP消費だよ。
つまりMPを意識してない人でも、日々MPは消費しているのだ。
回復するには、自分の楽しい、嬉しいことをやったり、それらに触れたりするしかない。
ふわふわのお布団、美味しいもの、ねこ(いぬ)、きれいな景色、好きな音楽。自分のMP回復方法はなるべく沢山知っておくのが良い。消費の激しい人は特に、意識して回復しておかないと簡単に枯れて足りなくなってしまう。
気分が乗らなくてたかが徒歩数分の用事を片付けに出掛けられないとか、茶碗を一枚洗って片付けるぐらいの事(つまり体力をほぼ要しない事)がどうにも出来ない、なんて時を、私はMPが足りなくて動けない状態だと思っている。なお茶碗を洗うのにMPをほぼ使わない為にこの例えが意味不明な人もきっといらっしゃる。
MPが凄く必要な用事があって、そして今のMPは足りないのにその用事は外せないなんて事もままある。主に出勤ですが。そういう時に無理矢理行動すると、MPの代わりにHPが余分に使われている気がします。HP切れ=風邪ひき状態 になり易くなる。
楽しむ余裕は本来ない筈の楽しい事を無理矢理行って、強制的にHPをMPに変換したりする事もある。寝る時間が足りないのにレイトショーの映画を仕事の合間に捩じ込んだりとかそんな感じです。
変換の過程はともかく、MPが足りない分をHPから補てんしているのは同じなので、どちらにしろ体に悪い。
でも個人的には、MPが枯渇するよりは風邪を引く方がちょっとだけマシかなと思います。理由は後で書きます。
で、MPを使い果たすとどうなるのかという話なんだけど。
とても傷付き易くなるのです。そして、その為に防衛として、攻撃的になるのです。
ひがみっぽくなる。自分以外が自分に接する時、其所に悪意があると思い込む。自分一人だけが頑張っていて、他の人間はだらけていると思い込む。良い事が起きても素直に喜ぶ前に疑う。どうせ悪い事も含んでいるのでしょうと、ひねくれた受け取り方をしがちになる。
自分は間違っていないという肯定を求める。否定される事に敏感になるので、自分と価値観の違うものを受け付けなくなる。
つまり「優しくなくなる」のです。
MPが切れると、ひとは優しくなくなる。
HPを使い果たした時突然ばたーっと倒れるなら限界だった事が分かりやすいけど、実際には自主的に寝込む破目になるように、MPを使い果たした時突然叫んだり泣き喚いたりと分かりやすい事が起きる訳じゃない。その症状は段階的に、まるで外的要因なんかではないみたいに、じわじわと本人を蝕んで変えてしまう。
(この話からはちょっと脱線しますけど、同じだけMPが減っても攻撃的にならないひとは、傷付きっぱなしになって鬱になるんだと思います)
ゼロに近付いた、くらいなら、好きなものに触れて、美味しいもの食べてぐっすり眠って、ちょっと回復すればこれらの症状はおさまります。風邪が療養したら治るように、他人や自分と違うものへの優しさを取り戻せるでしょう。人によっては、自分ここんとこ優しくなかったなと気付いたり思い返したりもできるでしょう。
でも、ゼロに近付くを通り越して、マイナスになって、マイナスが溜まって澱のようになると、これは簡単にはなおらなくなってしまう。
MPが切れる事の一番の怖さは、MPを回復しにくくなる事なのです。
好きなものに触れても、でもどうせこれにも悪意があるんだと思ってしまってたら、気持ちが安らがないでしょう。だから回復するためにより多くのプラスが必要になる。マイナスが重度であればあるほど回復幅は少なくなって、もう一度プラスに転じる事はとても難しい。
ちょうど、HPが切れて風邪を引いたのに、休まず更に体を酷使したらそのうち取り返しの付かない重い病気を患ってしまうのと同じに。
ただ、体が病気になるのとちがって、MP切れは酷くなればなるほど自覚しにくくなる。本人にとってはそれが日常になってしまうから。そして回復の必要を感じずにまたプラスから遠退く。
だからHP切れより私はMPが切れる方がこわい。本人も周りの人も、危険なラインが見え難いから。いつのまにかマイナスが溜まってしまって、それが当たり前にまでなってしまったら、取り返せずに生涯マイナスのままになってしまう事だってある。
風邪を引きっぱなしで放置する人はあんまり居ないけど、MPが切れたまま回復せずに過ごしてしまったんだなと思う人には心当たりが沢山ある。それはとても悲しいと思う。
でも、風邪を引いてふらふらしている人がいたら「無理しないで休んで」と外から言うことは普通なのに、いらいらして何にでも嫌味っぽくなった人が居ても「きみ疲れてるよ、好きなものに触れておいで」と伝えるのは難しい。(そもそも攻撃的になっている人に何かを勧めるのは難しい)
それはMP不足っていう状態異常だよ、風邪と同じように、療養して治す必要のある状態だよと私は思うのだけど、風邪と違ってどのくらい休めば良いのかの目安が分かりにくいし、何をしたら療養になるのかも分かりにくい。病院に行って薬を貰ってくれば効くというわけにも行かない。どうやって回復したら良いのかが(人によって違い過ぎて)わからないので、簡単に勧めるのが難しい。そして冒頭に返るんだけど、そもそも「きみは今MP切れを起こしてる」という状態が伝わらない。休む?なんで?食べてるし寝てるし健康体だよとか言われてしまう。いや状態異常だと思うよ……というのが伝わらない。
それで、話す機会があれば話が出来るように、HPとMPの話をしておきたかったのです。言語化できただろうか。
つまりね、マイナスの澱がよどみつつある後輩ちゃん、きみに伝える術が無いものかと、ここのところずっと苦しいんだよ私は。
きみはよくない方向に進んでいる。職場の複数の人が、「根は良い子なのにいつの間にあんな風に人を傷付けるようになったのか」と言ってきみの現状を嘆いている。どのくらい自覚があるのか分からないけど、きみは日々MPを消費しすぎてる。このままひねくれて躊躇無く他人を攻撃するようになる前に、どうか自分をいたわって欲しい。好きなものに沢山触れて癒されて、優しい人間に育って欲しい。まだ二十代だもの、間に合うと思う。
稀にMP消費に関係無く躊躇い無く人を攻撃する性格破綻者も居るけど、きみはそうじゃないって皆言ってるよ、私もそう思うよ。
つーて、攻撃される対象に入ってしまったので多分伝える機会は無いのだけどね。
悲しいのでネットに放流しに来ました。