はてなキーワード: いぬとは
「俺が若いときは毎日残業と接待で---」「今の若モンは苦労を知らない」というのはあまりにステレオタイプな昭和の勤め人像だが、確かに洒脱でないなと感じる言い分だ。
こういう、旧来の感性と180°反転して、現代の20代は「自分の楽しいと思える形で努力し、それを認められる環境で生きていくのがクール」「辛い努力をルールに従って泥臭くやるのは恰好悪い」とされる。少なくとも20代半ばの私はそう感じている。
個人的意見だが、私は上記二つの対局にある感性両方に疑問をもつ。
もちろん、空気を読めだとか、いくら無能でも年上を敬えだとか、女はこういうもんだとか、男が大黒柱であるべきだとか、そういった時代遅れの考えに同調するわけではないし、個人が能力に応じて自由な選択を選び取れることが幸せなのだろうと思う。
一方で、今日の大学生たちがあまりに個人主義に傾倒し、大学をでて就活をして大手企業に入ろうとするといういわゆる「人生のレール」を毛嫌いしていることに違和感を覚える。
現実に、私の同期や後輩のうち10名以上が大学を辞めるか、一般的な就職活動を行わずにいわば変則的なルートで進路を決定している。
私は彼らを心から応援しているが、少なからず、その決定に伴うリスクと合理性を問いたい。
彼らは決まって、一見大胆に見える進路を選択した後にSNS上に『なぜ大学を辞めたのか』という旨の投稿を行い、それに他の学生は熱烈なエールを送るのだが、私はそのやり取りを一抹の恐怖に似た感情をもって見つめている。
例えば、大学の研究に意味を見出せず、浪人と休学を含めて6年間を投じた大学生活を途中退出してコネクションを使ってエンタメ業界へ。
賞賛と応援の嵐、夢を摘み取ったことへの羨望がコメント欄に滾々と沸き立っている。
なんだかなぁ、と私は思う。
大学を出てからでもよかったんじゃないのか? 全く触れもしなかった卒業研究からも、得られるものがあったんじゃないのか? などと考えてしまうのは私がもはやロートル化しているからなのか。
繰り返しになるが、私はこの判断を否定する気などさらさらないし、そんなことをできるほど大した人間ではない。
私は単に、大学生たちに、人生のレールがダサいものなどではないことを知ってほしいと思っている。
研究をまじめに行って、大きな企業で世の中にインパクトのあるものを、優秀な同僚とともに生み出していくことが、恥ずかしい事であるはずがないのだ。
学業や就活は総じて苦痛を伴うだろう。私も大変に苦しんだし、大学院をやめようと思ったのも1度や2度ではない。
それでも徹底して競争に身を投じ、苦しんで苦しんで戦い抜いた結果、私は今作りたいものを自らの手で生み出せる仕事をしている。
研究以外で何もクリエイティブなことなどできないが、こういう人生もアリだろうな、と自分では感じている。
何も研究や勉強がいつも楽しかったわけではない。苦しい事が9割5分だった。
それでも逃げ出さずに戦いぬいたことを私は誇りに思うし、この経験が私にとって有益なものをもたらした。
はやくつぎのいぬかおうね!
死にたいと検索すると、見慣れた電話番号と見慣れた記事が並びます。
ポエムなことが好きですが、恥ずかしいです。
死にたい、と裸足で雨の中飛び出して行って捕まえられて帰りました。
ふと立ち寄ったゲームセンターのUFOキャッチャーに100円を入れたらいぬのぬいぐるみが取れました。
Twitterのブックマークには笑えるツイートを集めて、死にたいと思ったら見ます。
みんなが死にたいと思うんだよ。と言われたらみんなで死のうよ。と思います。
昔のことを思い出すと、恥ずかしくなります。
自傷は痛そうなのでしていないです。
夏は汗が止まらないので嫌いです。
寝ると怖い夢を見ます。
自殺の方法を考えますが、新しいお家を事故物件にしたくありません。
怖い話が好きだったのに、自分が死ぬことを前提として読むとあまり怖く感じません。
死ぬことは怖いのか、怖くないのか分かりません。
タレントさんが政治のことを厳しい口調で批判しているのを見ると、頭に疑問符が浮かびます。
なんでも美味しく食べられますが、美味しいお店が知りたいです。
冷え込むので、掛け布団を一枚増やしました。
お元気ですか。私は元気です。