特別デブな訳でもガリな訳でもないが、ずーっと体重が定まらないまま30年弱生きてきた。
成長期はともかく、20歳あたりからは大体年間5kgぐらいの増減を繰り返している。
原因は明らかで、ライフスタイルだとか運動量の変化とかではなく、単純に食事量が安定しないせいである。
と言うのも、未だに自分の適切な食事量というのが分からないのだ。
大学生のころに色々試してみて、1日3食・毎食腹いっぱい食べるようにしたら5kg増え、朝昼晩こだわらず気が向いた時にだけ食べるようにしたら5kg減った。
それ以降は、それを基準に昨年より体重が増えていれば昨年より少なく、減っていればその逆、というような大雑把な調整の仕方しか出来ないししていない。
まあこの調整を年単位でなく月単位でやれば問題ないのだろうが、自宅に体重計がないので測定は年1回の健康診断のみ。
そもそも食事に気を配るのが面倒だからそうしているのであって、毎月毎月体重計っては来月はこうしよう、などと考えるなんて自分には絶対に出来そうもない。
元から体型にも食にも関心がなく、食事にお金も時間も割きたくないので内容もお粗末なものである。
全て外食なのは言うまでもないが、1人で食べる時は9割方ファストフードかコンビニ飯。酷いときはウィダーインゼリーとカロリーメイトで生き延びている。
ついでに最近は百均のピーナッツがカロリー的に1番コスパが良いことに気付き、そればかり食べている。
別に5kgぐらいならギリギリ服のサイズも変わらないし、今のところ体調も良好なので問題はないのだが、とはいえ三十路を目前にしてこれでは遠くないうちにガタがくるだろう。
しかし改善しなければ、というのは分かっていても、やはり適切な食事量が分からない時点で何をどうすべきなのかサッパリである。
世間一般の人たちはどうやって体重維持してるんだろう?いちいちカロリー計算とかしてんの?マジで?
想像するだけで無理だ。
奈良重雄おもいだした
安倍さんの有能無能というより怖い。安倍さんも日本国会議も、国家のための国民を作ろうとしています。それは "日本国憲法改正草案" からも見て取れます。
憲法は、法律ではありません。近代立憲主義憲法は、国家権力を制限し人権を保障する法です。つまり、法律を作るときや、それを運用するときに守らなければならないことを示し、国民が国家に遵守させるという、法律とは逆方向の役割を本質とする法です。時に国家は暴走するという歴史的教訓から生まれた役割であり、日本国憲法も、(制定過程の議論はしませんが、少なくとも内容において)そのような役割を担っています(※1)。
今回の草案は、そうした従来の意味での憲法ではありません(その事実についてどう考えるかは自由です。)。 つまり、現行憲法では公務員のみが負っている憲法尊重義務を全国民が負い(102条1項。これはQ&Aによれば「遵守」より重い義務です。)、「公益及び公の秩序」(12条後段、13条後段、21条2項等)による人権制限が認められ、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」(12条後段)することが要求され、国民の義務が大幅に増え、前文冒頭の主語が国家になるなどして、国家から国民への法に変容しているのです。
そもそも個人主義的な方向にシフトしていかないといけないという指摘があります。
人間を自由にしていけば必然的にたどり着く個人主義というものを前提に、制度を家のように作り上げ、その中に住む。自由な発想で全力を出せば、それが全体の力になる。これがルネッサンス以来の世界の文明の方向性であり、人類は実際にそのように発達してきた。基本的に、システムが個人をサポートすることばかり考えてるといっていい。それ以外の方法は、なにより個人個人の支持が得られないことにより、廃滅しつつあるのだ。
しかし、日本会議や安倍政権が実行する施作には、全体主義的なものが多い。道徳を評価対象の教科にしたり.., 必要性の低い空母を導入したり.., 過労が問題視されてるのに高プロを導入しようとしたり.., 憲法素案にさえ.. その全体主義的な傾向が現れている。
ひとつひとつの政策をつなぎ合わせると、上への服従という言葉にまとめられる気がする。改正憲法の条文を読むと、日本がこんなに凄いんだぜ、っていう文章が並んでいて空気感が伝わると思います。しかも、この上への服従は、「私」への服従だと思う。自己肯定感を満たすために、若い人達が利用されていると思う。
安倍政権の諸々の政策やそれを支持する人間の言動は、「権威主義」や「権威への服従」という観点で読み解けば、すべて一本の線上にある。個人で物事を判断せず、親や教師、組織の上位者、そして国家の上位者の指示に服従することが「道徳的」であるかのように教化する。個人で判断することを否定する。
ネトウヨの人たちは、他国を見下して自国を称揚して、自己肯定感を高めようとしている。安倍政権を利用して自己肯定感を勝ち得ようとしている。でも、実際には、全体主義の下位側に位置付けられて、安い給料で働かさせられ、彼らの自己肯定感を満たすために利用されている。ネトウヨだけではなく、普通の人もみんな。本当になんなんだこの構図はと思う。
もちろん、自己犠牲は悪いことではないし、戦後の価値観が正しいとも思わない、正直、忖度だって、誰もがみんな空気を読んで生きてるのだから、忖度そのものが悪いものだとは思いません。
でも、安倍政権、日本会議の理念は、「私」は偉いという物語、宗教、神様であって政策ではないと思う。そんな自己肯定の物語にうちらを引きずり込まないでほしい。
汝、自身が己への神となりなさい。
モモンさんを飼うのは大変そう
ももんが飼いたい。
伝え聞く話なのであまり真に受けないで下さい。
これとは違う原因が存在しているようです
都道府県別出生率トップの沖縄は都道府県別所得最下位でもあります
という大原則があり
例として
札幌市民195万人中
ほかの地域と比べて低く
それぞれの人気はトップの2人に集中する
人気が集中するのは、やはりトップの2人
かりに100人を語るとしても
人気が集中するのは20人獲れるわけですが
頑張ったとしてもせいぜい5で、20人には到底及ばず
本当に少子化をなんとかしたいのなら
これはエシャラン(梯団)の定理といいまして
より近似の需要要素が比較されるので、結局のところ選択肢が狭まります
もう一つ注目すべき点は堕胎です
第1次ベビーブーム(と呼ばれる)
この時期にあったのが
じつに出生数の7割が中絶されました
この状況で農地改革を行うと
これを防ぐために、中絶解禁が実行された
それでも父母が存命である限り
とりあいさせることによって生み出された「高度経済成長」と言う名のバブルなのです
今後考えられるのは
人手不足が深刻化する中、高齢者の生きがい作りが目的のシルバー人材センターに派遣労働の依頼が殺到し、4年間で3倍以上に増えていることがNHKの取材でわかりました。一方で、この間、仕事中の事故が6倍以上に増加していて、専門家は「高齢者の負担が増えていて、働きやすく安全な環境作りが不可欠だ」と指摘しています。
いいからあの枕みたいな本を読み直せ
生きるのが楽しいと思っている人がいることが信じられない
進んでしにたいとは思わないけど、生きていたいとも生まれてよかったとも思ったことない
生まれてこなければ、とか思うほど不幸なことなんかなかったけど、生まれてこなくても良かったのになぁとは毎日のように思う
みんながみんなそうじゃないって考えると本当に驚いちゃうなぁ
いやいや、旅行はまだいいんだよ。
ずっと住むとなると厳しいわけで。
ただ、今でこそグローバル化で海外移住も多いと思うけど、大半は自国で暮らしてるんじゃねーの?
この辺が島国根性なのか?
・二次創作で過剰に儲けている人がいる
この2点だろうから、コントロールするとすれば規制しかないのでは?
それで規制されるような人って
と言えるような立派な人がそんなにいるとは思えない、というか真逆の人が多いだろう
はてさ叩きだろ