風俗いけよ。素人童貞とか変な抵抗もってるからいつまでたっても童貞のままなんだよ。そんなこだわり捨てろ。わかったら諭吉握って新地へ走れ。
男は頑張って女性に不快感を与えないよう機嫌取りしないといけないし、
そこにめんどくささやら恐怖感を抱くやら「女性に迷惑をかけたくないしやめとこ…」なことは許されない
「要は勇気が~」と煽られる
発達障害でコミュニケーションが不得手だとか過去にいじめられてトラウマ抱えてるとか個々人の事情もあるだろうに、
ひたすら数撃ちゃ当たる主義だ。トライ&エラートライ&エラー主義だ。当たって砕けろ主義だ。
(というか恋愛アドバイスってよくよく見ると言ってることが体育会系マチズモ臭さが漂う所あるよなあ。
普段体育会系的なものを嫌ってる人でも、こと「恋愛」となると言う事が体育会系くさくなる)
だから昨今叫ばれる「男らしさなんてくだらない!解放されよう!」とかのジェンダーレス思想とかもイマイチ飲み込めない。
童貞なんだけど
大人の場合はどうやら彼女ってのは告白してできるもんではないらしく
気づいたら横に寝ているのが普通という話を聞いて
どう解釈したもんかなと悩んでいたんだ
よくよく考えれば告白から始まる大人の純愛ってストーカーと何が違うんだって話だけど……話をしたいのはそれじゃなくて
よく耳にする話としては知人の紹介で付き合いはじめたってのがあるじゃん
そこから一歩踏み込んで考えると
まず学生の頃から付き合ってる恋愛にこなれた感じのカップルが2組以上いて
そいつらのスワッピングのネットワークに入れないと社会人になったら自然な出会いがほとんどないループに陥る
つまり告白の文化がある学生の頃にカップルになっていないと俗にいう「知人からの紹介」は存在しない
学生時代から恋人がいることで他の恋人達と交流が続いていること(恋愛的人脈とでも言うのか?)
流行ってるものが嫌いっていうの、趣味としてアニメとか漫画とかドラマを楽しんでいる人ならいいけど、
それで飯を食ってる人がそういう考えするの納得行かない
売れないと生活できないのに、売れてるものを薄っぺらい捉え方してるの、職業人としてダメなんじゃないの?
「自分には合わない作品だけど、こういう理由で売れてたんだね」って研究しなきゃいけないんじゃないの?
まぁでも売れてるもの、流行ってるものが好きになるような性格の人はそもそも創作に手を出さないので、
そういう性格の人が多いってのはわかる。
何がダメって、この話だと鉄華団が関与する必要がないし、MSもいらない。
オルフェンズは「ガンダムシリーズ」のお話である必然性が何もない。
主人公にはライバルを、ラストはMS同士の壮絶な戦いを、というお約束はやっぱり大事なんだと痛感した。
乗り越えるんだ。人間を恨んではならん、わかったな。
http://anond.hatelabo.jp/20170209010308
古い記事に反応しても見られない気もするが、まあ民営化30年記念で書いておく。
まず、競争起きまくってる。なんで京阪神にしか目が行ってないのかが疑問(京阪神に住んでて、他の地区のことに興味が無いのか?)だが、例えば豊橋-名古屋-岐阜での東海と名鉄の熾烈な争いとか、福岡での九州と西鉄の争いとか、私鉄との争いは激しい。それと、航空機やバス(そして何より自家用車)との競争がある。バスとの競争という考えがないの、いかにも都会の人間(都会ではバスは補助輸送機関だしな)という感じだが、地方ではバスはかなり強い。JR北海道が一時期特急のスピードアップに血道を上げていたのは、そうしないと高速バスとの競争で優位に立ちようがなかったからだし、この前廃止された留萌線の留萌-増毛間は沿岸バスとの競争で完全に負けてた。留萌-増毛、JRが勝ってたのは運賃が数十円安いことだけで、本数や所要時間、停車位置(駅があるのは町外れ、バスは高校や病院の目の前まで行く)などその他の全てでバスが勝ってた。増毛町も、町の高校生が留萌の高校まで通うのにはバスのほうを推奨(バスの定期買うと町が半額補助してくれる)してたくらいだ。特に停車位置の問題ってのはすごいデカい。「お前はお年寄りを駅から病院まで数km歩かせるのか?」という話だからな。
あと、そういう外部以外での競争もある。例えば国鉄はエンジン技術が凄まじく低かった(現代の目から見てではなく、当時の海外メーカーや国内のトラック用エンジンメーカーと比べて。重さの割に出力弱い上に排ガスがひどく、しかも出力全開にすると排気管のオーバーヒートで出火しやすいという安全上の問題まであった)にもかかわらず内製にこだわり続けてたが、民営化したらカミンズ社(アメリカ)のエンジンとかを導入するようになった。これによって非電化ローカル線(特に東日本管内)は随分スピードアップした(国鉄時代の時刻表とJRの時刻表を見比べてみると分かる。というか、こういうふうに、民営化でどう変わったかをちゃんと調べてみたことある?)
しかしこの辺はハッキリ言って瑣末なことだ。根本的なのはこっちだ。
>あれから30年経ち、支線はほとんどが廃線になったり、第三セクターになったり、代行バスになったりで地方は青息吐息である。
赤字ローカル線を廃止(三セク移管も含む)しまくっていたのは国鉄の方。JRになってからは、廃止は圧倒的に抑制された。Wikipediaあたりでいいから、いっぺん国鉄・JRの廃止路線の廃止年月日を調べてみるといい(なお、民営化直後87~90年の廃止路線は、三セク会社の設立や代行バスの準備の都合で民営化後まで実施がずれ込んだもので、廃止を決定したのは国鉄)。
国鉄のローカル線廃止基準は「輸送密度(1日1km当たりの利用客数)4000以下」(例外規定がいろいろあり、2000~4000くらいのはあまり廃止にならなかったが)。それに対しJR北海道がこの前廃止を発表したのは「輸送密度200以下」だ。時代の変化などを差し引いても比べ物にならないくらいJRの方がローカル線の廃止に消極的なの。国鉄なら5秒くらいで廃止してた路線をJR北海道(他のJR各社もそう変わらん)はここまで維持してきたの。
お前さんたぶん、市場原理とか新自由主義とかが嫌い(まあ俺も嫌いだが。俺は、地方ではバスのほうが鉄道より交通弱者に優しい場合が多いから、鉄道に使う公金をバスに突っ込むべきと思ってるだけだ。あと介護タクシー・福祉タクシーな。「地方の交通弱者のことを考えて~」みたいなことを言って介護タクシーのかの字が出ない奴、何考えてるんだ?)で、「市場原理なんだから地方(弱者)を切り捨てたに決まってる」と思い込んで、民営化でどう変化したのかとかをきちんと文献やデータにあたって調べる手間をかけようと思わなかっただろ。お前さんはただ単に、新自由主義者よりもさらに地方のことを考えてないというだけだよ。
国鉄時代は「工作局」という内部部署製のエンジンにこだわってた。分割民営化されたら東海が「これでもう俺たちは中央(工作局)から自由だぜ」と言わんばかりに速攻で公開コンペ始めてカミンズを採用し、他社もそれに続いた。北海道だけは国鉄エンジンの換装にそこまで積極的じゃなかったが、そしたらこの前燃えて特急の間引き運転することになった(国鉄エンジンをいまだに使ってる車両を使用停止にしたら車両が足りなくなったため)のは記憶に新しい通り。国鉄のままでもいきなり工作局が干されて公開コンペが行われるようになってた可能性が0%とは言わないけど、まあ分割ないと難しかったのでは。一組織だとどうしても中央の意向が強くなりすぎるので。
70年ごろの「赤字83線」でも結構廃止されてるし(角栄が首相になったために途中でストップかけられたが)、水害で不通になったらわずか1ヶ月後に即廃止(ひどい)の柚木線とかもあるじゃん。だいたい、国鉄は「政治の道具」にならなければ廃止しなかったんだから、自分の意志で廃止するJRより良かった……という話にしたところで、「国鉄のままなら『事業仕分け』的な政治の道具にされてJRよりもたくさん廃止されてた可能性が高いですね。民営化してよかったですね」ということになっちゃうのでは……? 国鉄のままで、そういう政治の「悪い介入」を避けれたはずとするの厳しくない?
20代のころ、自分のずっと上の先輩たちが35歳過ぎくらいにズボンの裾からうんこが落ちていったのを不思議に思っていた。
そして、30歳を超えたとき、いままで一緒に踏ん張ってきた先輩達が35歳を超えたあたりで突然やる気をなくしていった。
いったい何が起こっているんだ?
35歳にいったいなにがある?
謎は解けないまま、私も37歳になっていた。
すっかり気力が無い。まったくうんこをがまんするモチベーションが沸かない。
自分がなってみて謎が解けた。
でも答えは教えな~い。
ちなみに年齢には誤差がある模様
質問来たら答えるよ。どんどん使ってくれ
人類が貧困化問題を解決するにあたって有効な手段が「戦争」「革命」「高い税金」であることは皆が知っている。
日本では2011年から2016年にかけて、戦争の代わりに大災害が起きた。
しかし、それでは貧富の格差は縮小できなかったので、不寛容社会を訴える政権が出てきた。
しかしそれでも上手くいかないと言うことで今度は日本社会の根底からの改造が出てきた。
効果としてはいまいちだが、貧困世帯に対する生活環境底上げの実施や、富裕層に対する税金の取立ての徹底などにより、結果として相対格差は減少しつつある。
現在日本では天皇制そのものへの懐疑論や富の再分配の本格化に向けた議論が進んでおり、日本社会は一度リセットする方向に進んでいる。